人間の
遊は絶句する。口を開け固まってしまった。
思考が追い付かない。今何と言われたのか?『好き』?『Like』?『LOVE』?誰に対して?俺か?どんな意味で?異性として?友達として?
疑問が浮上しては、陸に上げられること無く沈んでいく。そんな遊に、結夢は無邪気な笑顔で再度告げる。
「どうした?私は志神が好きだぜ?やっぱり返事はしてくれないのか?」
「ま、待ってくれ!どうして急に?話したこともないのに…!」
「人を好きになるのに、時間なんて、言葉なんて関係ない。」
キッパリとそう言われ、言葉に詰まる。
異性から告白を受けたのは、これが初めてではないが、ここまで直球に言われたのは初めてだ。遊が混乱するのも無理はなかった。
しかし、混乱する理由はもう一つある。結夢にはどこか、違和感を感じるのだ。
「いや、そう言われてもな…。」
何だ?何が変なんだ?
「私は返事を待つなんてできない。ご覧の通り、せっかちな女だからな。」
目の前の紫野月は、俺の知っている紫野月に酷似している。
「志神。イエスかノーかで、答えてくれ。」
でも違う。言葉的な事ではなく、見た目的な事でもなく、もっとこう………奥底の部分で。
「なぁ、志神。」
……あぁ、そうか…。
「私はお前が好きだ。」
わかった………今の紫野月には…。
「大好きだ!」
心が無いんだ。
「………っ!ふざけんなぁ!」
遊は、隣にあるコンクリートを思いきり殴った。皮が擦りむけ、そこから血がにじみ出る。
ふざけんな!ふざけんな!ふざけんな!どうしてこんなことができるんだよ!天使の影響で、俺たち自身が変わるのはいい!それは俺たち人間が決めたことだから………でも!"天使が人の心を操る"なんて、そんなふざけたことは許せねえ!
「おいおい、どうしたんだよ志神ぃ。大丈夫か?」
やめろよ………そんな空っぽの心じゃ、配るものもないだろ…!
「やっぱり、私の気持ちは迷惑だったか…?ごめんな。どうしても抑えられなかったんだ。」
やめろよ!人間の愛ってのはな………そんな薄っぺらいものじゃねぇんだよ!そんな簡単なものじゃねぇんだよ!
「ハニエルぅぅぅ!!!」
「っ!?」
遊はハニエルの名を叫んだ。結夢の後ろで傍観していたハニエルは、急に呼ばれ身を硬直させる。
結夢は遊の大声に驚くこと無く、ただ笑顔を浮かべていた。それがさらに遊の怒りを増長させる。
「テメエは何でこんなことができるんだよ!人の心はなぁ、オモチャじゃねえんだぞ!」
「ふん。勘のいい人間ですね。」
ハニエルは遊たちから、五メートルほど離れて地面に降り立ち、手を組み目をつむる。両の薬指には、指輪がはめ込まれていた。
何やら不穏な空気を感じ取った遊は、ハニエルの元へ駆け出そうとする………が、前に結夢が両手を広げ立ちはだかる。その顔は、変わらず笑顔のままだった。
「好きだぜ志神。大好きだ。」
「どいてくれ紫野月!」
「好きだ。好き好き好き好き好きなんだ。」
もう結夢に言葉は届かない。光のない目で、狂ったように『好き』と繰り返すばかりだった。
ハニエルが光に包まれる。それは一度瞬いたかと思うと、風と共に大きく広がり、消えていった。
すると、周りにある民家から、住民がぞろぞろと出てきた。その足取りは覚束なく、皆一様に光ない目で虚を見ている。この状況からして、操られているのは一目瞭然だった。
「愛とは、それ一つでいくつもの側面を持つのです。攻撃的で、保守的で、盲目的で、妄想的で、官能的で、禁欲的で、一時的で、永続的で、排他的で、依存的で、圧倒的で、威圧的で、猟奇的で、一方的で、遊戯的で、感情的で、感傷的で、野心的で、幻想的で…………何よりも狂気的です。」
操られている人々は、ハニエルを囲うように円を作り、残りは結夢の後ろに並んで遊を阻む。
「愛を支配できる私は、それら全ての感情を支配できます。では、改めて名乗りましょう………我が名はハニエル。美と愛を司る優美の天使。貴方に私の能力が効かない理由は分かりませんが、所詮それだけの事………愛の名の元に死になさい。」
ハニエルがそういい放つと、それに呼応するかのように、人々が遊に向かって走り出す。
「クソっ!」
遊は一度舌打ちをすると、ハニエルとは反対方向に走り出した。体を翻した際、結夢の姿が目に入る。走り出した人々にぶつかり、その場に倒れ、腕などを無遠慮に踏みつけられる結夢の姿が。
その顔は変わらず笑顔のままだった。
「っちくしょう!」
沸き上がる感情を抑え走る。ここで捕まってしまったら、それこそゲームオーバーだ。
遊は右左折を繰り返し、細い路地へ身を隠していた。操られているのなら、体力切れを狙うのは難しい。ならば隠れて体力を温存しつつ、少しずつハニエルに近づこうと考えたのだ。
「………手を貸すか人間?」
それまで黙っていた悪魔が、急にそんなことを言い出した。悪魔の卓越した力を借りれば、簡単にケリがつくだろう。
しかし、遊は首を横に振った。
「その申し出はありがたいけど、遠慮しておくよ。何故か分からないけど、これは俺がやらなきゃいけない気がするんだ。」
「大丈夫か…?」
「大丈夫だ問題ない。」
「今の言葉で凄い不安になったんだが…。」
「ははは、心配してくれてありがとな。でも、本当に大丈夫だよ。アイツに、人間の強さを思い知らせてやる。」
「そうか…。」
悪魔は納得したようで、それ以上何も言わなかった。その時の悪魔の顔は、何処と無く嬉しそうだった。
「…………っはぁ~。そう簡単にはいかないよな…。」
人目を避けながら路地から路地へ。幸いなことにハニエルは、元の位置から全く動いていなかった。しかし、どうにかハニエルへ近づこうとするが、接近するための通路には、必ず見張りが置かれていた。
そしてもう一つ。ハニエルの付近を見回してみるも、結夢の姿が無かったのだ。結夢を捕獲して運んでしまえば、50メートル以上離れられないハニエルを、自動的に円から引き離す事が可能だったが、見つからないのではやりようがない。
「紫野月………大丈夫かな…。」
最後に見た姿を思い出す。腕や足を踏みつけられ、それでも笑顔のままだった結夢を。
「痛かっただろうな…。」
憤りを感じる。人間を人形のように、駒のように、道具のように扱っている天使に。
許せなかった。罪悪感など感じない天使が。
悲しかった。そんな扱いに何も思わない人々の姿が。
悔しかった。それを見て、逃げるしかできなかった事が。
遊はその場にしゃがみこみ、顔を上に向ける。
「……地上が無理なら空にするか。」
そう思い立つと、前にある平屋根の民家に目をつける。塀を登り、排水管を伝って屋根に手をかけた。懸垂の要領で首が出るくらいまで持ち上げ、右腕の肘を屋根にのせる。
そして顔を上げると………目の前には、虚ろな目をした女性がいた。
「っ!?」
その女性が大工とは考えずらい。屋根に上るのが好きな、アクティブ女子でもないだろう。ならば答えは一つ………ハニエルに操られている民間人だ。
操られている女性は遊に気付くと、徐に足を後ろに振り上げた。そして、思いきり振り下ろす。
「うおっ!?」
遊は屋根にかけていた肘を降ろし、屋根にぶら下がる形で女性の蹴りを避ける。
振り抜いた足が空を切ると、女性はバランスを崩し、その場に転倒した。それを好機と思い、遊は同じ要領で肘を上げ、勢いで屋根を登りきる。そして、すぐさま女性の横を走り抜けた。
登って気づいたが、他のいくつかの屋根の上にも、操られている民間人が待機されていた。
先程の女性に見つかったからか、屋根の上にいた人々は、一斉に遊の方へ顔を向ける。
「こんなとこまで監視してんのかよ!」
遊は走っている勢いをそのままに、人のいない隣の屋根へ向かって跳んだ。
「うお!?」
屋根に乗り上げたのは右足の爪先だけ。遊は倒れそうになる体を、近くにあったテレビアンテナを掴み、引き寄せた。
体勢を整えた際、アンテナから『ボキッ!』という音が聞こえたが、大事の前の小事。気にしたら負けと言うものである。
周囲を見回してみると、屋根の上にいたほとんどの人間は、遊の方へ向かってきていた。恐怖心もなく、体力に限界もないためか、屋根を伝って、距離は確実に詰められている。さらに、地上から多くの足音が聞こえた。恐らく場所が割れたため、遊の元へ向かわせているのだろう。
遊はとにかく跳び移れる場所に場所に跳び移った。屋根から屋根への移動など初めてで、見える景色も全く違う。計画を立てて移動しているわけでもない。端的に言って………迷ったのだ。
「いくら通学路にしてるからって、視点が違えば分からなくなるよな!」
誰に伝えるでもなく悪態をついた。
だが、このまま地上に降りたら、即捕まるのは目に見えている。しかし、だからと言って、時間が過ぎ太陽が落ちてしまったら、視界が悪くなるため移動が困難になる。完全なるじり貧だった。
(日没まで大体30分程度!それまでに操られている人たちを掻い潜り、ハニエルを見つけて能力を止める………クソっ!時間がねえ!)
状況から言って最悪だ。走りながらではマトモな思考もできず、解決策ではなく問題ばかり浮上する。
(自分の場所が分からない。操られている人がどこに配置されているかも分からない。ハニエルの場所も、紫野月の場所も分から……………!?)
その時の、遊の頭に一つの考えが浮かんだ。
周りを見回す。追ってくる人々。日が沈みかけ、ほとんど見えない中に、確かに一人、立ち止まっている者がいた。
そう、結夢である。
「やっぱり…!」
何故結夢は見つからなかったのか?答えは簡単。屋根に登っていたからだ。
民家の中にしなかった理由は、隠れる場所がいくつもある民家内だと、気付かず拐われる可能性があるからだろう。かといって見張りをつけたのでは、本末転倒である。
結夢がいると言うことは、その近くにハニエルがいると言うことだ。遊は結夢の位置を頭に入れると、それから少しずつ、飽く迄偶然を装って結夢に近づいていく。
「足音が近づいてくる………まさか気づかれましたか?」
ハニエルは先程から同じ場所、同じ姿勢でそんなことを呟いた。が、その額からは汗が流れ、どこか苦しそうであった。
元々少数に使う能力のため、いくら簡易的な状態であろうと、大人数を操るのは負担が大きい。故に、時間がないのはこちらも同じだった。
「今度は離れて………どうやら、まだ気付いていないようですね。」
遊の考えは功を奏していた。着実に距離は詰められているにも関わらず、遊が、結夢の位置に気付いている事に気付いていない。
「…………うっ!……そろそろ限界が…。」
少しずつだが、ハニエルの操っている人数は減っていた。支配から解放された人々は、各々日常に戻る。先程までの自分の行動には全く疑問を持っていない。
なぜなら、自分の意思でやっていたと思っているからである。遊を追っていたのも、屋根の上に登ったのも、理由は分からずとも、自ら行った事だと錯覚している………支配するとはそう言う事なのだ。
「逃がしません。負けません。私は天使………たとえ"産み出されたばかり"でも、立派な天使なのです…!」
「………何だ?追ってきている人数が減ってるぞ?」
活路を見出だしてきた遊は、足を止ねぬまま状況の分析を行う。
(天使の力には制限があるのか…?いや、俺が紫野月の元へ向かっているのがバレて、自らの周りを固めているのかもしれない。だが、そうすると紫野月を移動させない理由がわからない…。)
事態は好転してきているものの、そう簡単に良い方へ向かっていると考えられない遊は、確証の無い判断を決めあぐねていた。
そろそろ日が沈む。太陽はもう、三分の二が姿を隠してしまっていた。
「えぇい!ままよ!」
遊はそう叫び、結夢の元へ走り出した。そこまでの通路は確保されている。
屋根から屋根へ跳び移り、時にアンテナをへし折り直走る。
沈む太陽。覆う闇。迫る人々。縮まる距離。
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
体力自慢の遊でも、緊張の中走り続けたため限界が近い。心臓が激しく脈打つ。邪魔な汗を拭い落とし、足を前に。前に。
結夢との直線距離が七メートルまで近づいたところで、眼下に伸びる道路の先、結夢のいる民家のすぐ下に、ハニエルの姿があった。
「見つけたぁ!」
これで後はハニエルの元まで走るだけだ。すぐ後ろには追っ手が迫っている。止まることはできない。曲がることもない。ただ直進するのみ。
「うおおおぉぉぉぉ!!!」
雄叫びを上げ前へ。前へ。前へ。もう、追っ手に捕まることはない。間に合う。
結夢のいる屋根までたどり着いた。横をすり抜け、屋根から降りようと……………したところで、『ドンッ』という音が聞こえた。何が勢いよくぶつかる音が。
音のした方を見ると、遊の後ろを追っていた人々に弾かれ、屋根から投げ出された結夢の姿があった。
その表情は──
「ぇ………あ…。」
恐怖に怯えていた。
「っ!くっそおおぉぉぉ!」
気付いたときには体が動いていた。足だけでなく、手も使いブレーキを掛け、すぐに進行方向を変える。結夢の元へ走り、屋根を踏み切った。
そして、投げ出された結夢を庇うように抱き締めた。
たとえ民家の屋根からだろうと、落ちればただでは済まない。人一人抱えながらならなおさらだ。
(あ~あ、これはヤベーな…。)
絶体絶命だと言うのに、やけに頭はクリアだ。
踏み切った慣性で横に移動していたが、間もなく重力という抗えない力が二人を襲うだろう。
(せめて紫野月だけでも無事でいてくれ。)
抱き締める腕に力を込めた。目をつむり落下の衝撃に備える………が、いつまで経っても落下しない。
「え、あれ?」
目を開けると、遊の制服を、悪魔が鋭く大きな口で食わえていた。
「え、マク──あっ!?」
何をしているのかと聞こうとした瞬間、悪魔は顔を大きく振り、遊と結夢をまとめて口で投げ飛ばした。
「うわあああぁぁ!!」
投げ飛ばされた先はハニエルの頭上三メートル。一緒に投げ出された結夢は、すぐに悪魔が口でキャッチしていた。
その光景が目に入り、悪魔のとった行動を理解した。だったら遊のやるべき行動は一つ。
「クハハ。"手"は出してないぞ人間。さぁ、そのガキに一発お見舞いしてやれ。」
遊は転がりながら着地をし、丁度ハニエルの眼前で止まる。
「なっ!?」
思いがけない展開に、ハニエルはその場で固まった。遊は拳を握り、それをハニエルの頭頂に思いきり振り下ろす。
「この……大バカ野郎ー!!!」




