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天使の所業  作者: ふたつきひみつ
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再出

 山林地帯に設営された業務用天幕へと連れられた遊は、対角で小銃を向けている隊員の一人に入るよう指示される。返事をせず、余裕を見せながら天幕の入り口幕を押し退けると、指示を出した隊員の不機嫌そうな舌打ちが入り際耳に届いた。

 天幕の中は薄暗く、上部への遮光が施された蛍光灯一本で幕内を照らしていた。ODと迷彩の柄に溢れた色彩は、薄暗さも合間って酷く幕内を視認しずらく、灯りの下にいる者以外の掌握が難しい。幾つか設置されている信玄椅子に座ってる迷彩柄が荷物ではなく人間ならば、恐らく七人。天幕の広さから、この拠点の総人数は後五人が限度と言ったところだろう。通信設備が野外無線機と有線電話のみの為、どうやらここはここは小隊、しかも本隊ではない様だった。

 遊はあまり首を動かさず、目線のみで周囲の状況を確認していると、突然入り口からすぐ左手側、特に暗い闇から声をかけられた。

「よう遊、昨日ぶりだな。」

 それは聞き慣れない声。しかし、つい最近強い印象を与えた者の声。暗順応によって少しずつ慣れた視力は、聞き覚えのある声と併せてその人物を鮮明に捉える。

「……葵。」

 金に染めた短髪に鋭い目付き、百八十近い身長に筋肉質な図体。目が合えば萎縮してしまいそうな威圧感と見た目は、一度見たら忘れる事は出来ないだろう。

 突然かけられた声には驚いたが、葵がここにいる事に関して概ね予想はできていた。そして、遊が予想していた事を予想していたのか、葵は「ククク…。」と小さく笑い組んでいた足を組み替えると、特に気にした様子もなく口を開く。

「待ってたぜ、早速だがゲームをしよう。昨日のリベンジをさせてもらうぜ?」

「俺を始末するんじゃないのか?」

「お前も分かってんだろ?始末するなら態々こんな場所に連れてこねーよ。」

「…………で、何をやるんだ?」

「ははっ!ここは童心に返ろうと思ってな、鬼ごっこなんてどうだ?」

 歪な笑みで葵はそう提案した。言葉だけを聞けば馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばしてしまうかもしれないが、この状況で言われたのならば笑顔も凍り付くだろう。捕まれば終わり、正に生きるか死ぬかとなるのだから。しかし、このままであれば葵の見当違いである。そもそも遊は生き延びようとは思っておらず、覚悟をもってこの場に立っている。見知った誰かの命を犠牲にしてまで、自身の命に価値を持っていない。当然遊は提案を断るつもりだった。ただ一つ、たった一つ懸念を除いては…。

「お前が勝てば、この"演習場内にいる仲間"も見逃してやる。ただし、お前が負ければ諸とも殺す。いいな?」

「…………分かった。」

 内の動揺を隠し努めて平静にそう返す。これこそ遊の懸念。誰かの命を犠牲にしてまで生き延びるのではなく、誰かの命を犠牲にしなければ死ぬことが出来ない事。諦める選択肢を選ばせてはくれないようだった。

 選択の余地が無いのなら、無駄な問答は思考を鈍らせる要因となる。今考えるべきは仲間とは誰がいるのか、どうしているのか、何処にいるのか……ではなく、葵がどうして知っているのかだ。

 ゲームに乗せるための嘘とも考えられるが、真実である場合のリスクと嘘である場合のリスクを考えれば、圧倒的に前者のリスクが大きい。加えて、態々「演習場内にいる」と言った事も気がかりであった。

(演習場内にいるってのは"あえて"そう言ったんだろうな。仲間……恐らく紫野月達の事だろうけど、演習場内なんて場所を限定する必要はないしな。でも、だとするとマズい……早急に対処しないと最悪の事態になる…。)

 ここで疑問は最初に返る……"どうして葵が知っているのか"。

 情報が真実だとしたら考えられる可能性は2つ。結夢達は既に敵に見つかっており行動を監視されているか、又は結夢達の中に"裏切り者がいる"かだ。

 どちらも監視者を探らなければならず、どちらも探索する素振りを見せてはいけない。前者ならば相手がより慎重に監視するだけだろうが、後者の場合裏切り者が暴れる可能性は十分にある。距離的に身近であるが故に、突発的に暴れられたら対処するのは難しい。葵が言った仲間の正体と人数を把握し、先に目星を付けて悪魔に警戒してもらうのが無難だろう。

 それには先ず、葵が提案するゲームのルールを元に動かなければならい。遊は黙ったまま視線でルールの説明を促す。

「ルールはそうだな、遊がここから逃げて三十分後に俺達が追う。仲間と合流した後、捕まらずにこの演習場から脱出できたら遊の勝ちだ。簡単だろ?」

 葵は説明し終えると、遊の了承を待たず「ほらよ」と言いA4サイズの紙を投げ渡す。それは演習場の地形の高低、目印となる建物、現在地と思われる×印などの記載された横メルカトル図法の地図であった。突然渡された地図に遊が眉をひそめると、葵はニタリと嫌味な笑みを浮かべる。

「クックック……これくらいのハンデは必要だろ?じゃなきゃゲームが楽しくねぇ。」

 神経を逆撫でする様な態度で前のめりになり歯を剥き出す。圧倒的優位を見せる葵の姿を無表情で一瞥すると、遊は自身の口元に拳を当て地図を十秒ほど眺め、なんと突如地図を引き裂いた。それも復元できないよう細かく。

 流石の葵もその行動は予想外だったのか、一瞬驚いた表情を見せた。しかし、直ぐに笑顔を作り心底楽しそうに遊を睨む。侮蔑と期待、余裕と恐れ、相反する感情を込めた葵の瞳はどこまでも無邪気だ。

「もう覚えた。さっさと始めよう。」

 破いた地図をその場に投げ捨て入り口幕に手をかける。暗くて確認は出来ないが、葵だけでなく複数の視線を遊は感じ取った。本当かハッタリか、遊の行動や言動はその場にいる全員の注目を集めるには充分だったからだ。

「クックック……本当に面白い奴だな。でも、渡した地図を正直に信じて良いのか?」

「あぁ信じるさ。嘘は現在地だけだからな。」

 入り口幕を押し退け天幕を出る。その際、悔しそうに歯を軋ませる音が耳に届いた。



 極力枝葉や草木を避けて音を殺しながら山林を歩く。鬼ごっことは言ったものの、条件を見れば長期戦になるのは自明の理であり、がむしゃらに走り体力を消耗するのは愚行である。沈静を保ちつつ先ず索敵を行い、自身の安全を確保する事が第一でなければならない。

 二十分程、距離としては1㎞も移動してないだろう低地に到着した遊は、何故か急に立ち止まりその場にしゃがみ込む。一度大きなため息を吐くと、顔を空に向け口を開く。

「…………どうだったマクア?」

 その言葉は呟き程度の声量でありながら、空から葉を押し退ける音が届くと、さも当然のように悪魔が姿を現した。

 自身の家を出てから遊は悪魔と会話をしていない。主語の無い質問は意図を汲み取るのは難しい筈なのだが、悪魔は気にした様子もなく質問に答える。

「どうやら監視や尾行している人間はいないようだな。これを貴様はどう取る?」

「元々葵側が有利なんだからそんな必要は無いだろ……って言いたいんだけどなぁ。嫌な予感がするんだよなぁ。」

「ふん、予感は当たっているかもしれんぞ。離れていた為よく見えなかったが、貴様がいたテントの外に天使がニ使いたのだからな。」

「やっぱりか、やっぱりいるんだな…………"ラグエル"が。」

 幾つかの疑惑があった。山林へ連れられた事、葵の提案したゲームが鬼ごっこだった事、細かな地図を渡した事、現在地のみが嘘であった事、加えて今得た尾行者がいない事……ゲームを楽しむ為にフェアを提示した可能性もあるが、たった一度のゲームでも、葵が有利を持って望むへきである事は感じていた。自衛隊の部隊を動かしている時点で有利と言う訳でもなく、特殊部隊ではなくただの連隊の為、遊を捕獲したとしてもその場で殺害する事は出来ない。何故なら隊員は人間だからだ。

 口に戸は建てられない。目の前で人間が殺害される光景を忘れる事など不可能だろう。それ程に記憶に刻み込まれ心を磨り減らす。天使がもたらした平和の代償は容量であり、おおやけに行動できない鎖でもある。天使の悪行と言う情報は表立ってはいけない。凹地で遊を殺害しなかったのもそれが理由だろう。見た隊員、実行した隊員は前例の無い光景に必ず疑問を持ち不信を持つ。小さな可能性でも排除したいのだ。

 ならばどうすればいいのか、それら全てがラグエルの存在を予感させた。一度見た者を水晶に写し監視する事ができる能力、水晶を通して書物より強力な光弾を打ち出す能力、この二点があれば尾行を行わずとも問題はない。隊員に知られず遊を殺害し、天使の関係者が遺体を回収すればそこで全てが終わり、後は同じように結夢達を処理すれば良いだけなのだ。

 しかし、これは奇襲でなければ意味がない。悪魔は光弾程度では傷つかない為、遊を守り奇襲を破綻させれば一気に優位性を得られる。

「機を見て貴様を狙う算段だろうな。まぁ奴の光弾など俺が弾き飛ばしてやる。」

「………………。」

「どうした人間?」

「いや、ラグエルの水晶って前に割ったよな?マクアが見たラグエルはどうだった?」

「む…確かに俺が見たときは水晶を持っていたな。奴め天召者を殺して一度天界へ戻ったな。」

「こ、殺した!?」

「当たり前だ。天使が天界へ戻れるのは天召者が死亡した場合のみなのだからな。破壊された権能具と翼を修復するために天召者を殺したと考えるのが妥当だろう。」

「権能具って……いや、今はそんな事どうでもいい!くそ!何だよ、何なんだよ!天使は人間を生かしたいのか!殺したいのか!」

「ふん、所詮奴等にとって人間は家畜にすぎないと言う事だ。天使に人間の道理など通用しない。今貴様に出来ることは、このくだらんゲームに──!」

 突如遊の後方の空間が歪んだ。それはいつか見た前兆、初めて天使の敵意を受けた光景。歪んだ空間にその場ではない何処かが微かに映し出され、その後拳大の光球が空間から弾丸となって射出される。

 油断して少し反応が遅れたものの、間一髪悪魔は遊を押し退け衣服を横に降り光弾を弾き飛ばす。光弾は1メートル隣の樹木へ着弾し、小さな爆発とともに樹木を木っ端微塵にした。

「南へ走れ人間!」

 遊は答える間もなく走り出す。ラグエルの能力によって居場所は把握されているが、それでも悪魔には目的があり、遊もそれを汲み取ったのだ。

 悪魔は常に三十センチ以内の距離にピタリと張り付き、遊を狙う無数の光弾を弾き飛ばす。四方八方から絶え間なく放たれる光弾を溢さず弾けるのは、ひとえに悪魔の洞察力と瞬発力の賜物……だけではなく、光弾は着弾し消滅するまで次弾を放たれる事がない事も理由である。

(ハニエルが操れる人間の数に制限があるのと同じく、ラグエルも一度に撃てる光弾には制限があるのか?いや、おかしいだろそれは!)

 前回のラグエルとの戦闘では複数の光弾が同時に放たれる事もあった。にも拘わらず今は一発づつしか撃ち込まれていない。奇襲が失敗した為警戒している可能性も考えられるが、そんな簡単な話ではない気がしてなら無い。進行方向だけを見ながらも、僅かに移る光景や耳に届く音で状況を把握する。違和感、不安感の正体を考えていると、とある光景が頭に浮かんだ。

 その場に立ち止まる遊、目の前を横切る"光線"、端に映る血濡れ千切れた衣服……考えずとも明らかに不吉な光景である。魔力特性が発動したのだと理解したと同時に、感じていた違和感の正体に思い当たった。

 ラグエルの攻撃は光弾ばかりに対して、遊の見た光景は光線でった。故に考えられる可能性はニつ。一つは光線を攻撃とする天使が他にいる可能性、二つ目はラグエルが光線も扱える可能性である。遊の出した答えは後者。悪魔が見た天使はラグエルとパラシエルのニ使のみであり、パラシエルが光線を扱える場合も考えられるが、ラグエルの攻撃方法に説明がつかない。ラグエルが光線を扱える理由も怪しいが、恐らく悪魔から以前聞いていた昇華の影響だと遊は考えた。

 ラグエルの狙いは余裕と慣れ。僅かな余裕をもって処理できる光弾に光線を混ぜれば悪魔の反応が遅れる上、弾き飛ばす行動が染み付いた体は咄嗟に同じ行動を取るだろう。魔力特性により見た光景、千切れた衣服が悪魔のものならば、光線は貫通力を持って悪魔を貫く。損傷は測れないがリスクを軽減するに越したことはない。

(さっき見た光景は、俺が立ち止まった事で目前を通り過ぎた…ってとこだろう。目的地までの間で立ち止まるつもりはないから、マクアからそう指示を受けた可能性があるな。だったらそのタイミングが恐らく…。)

 予測をたて、機会を待つ。その間悪魔は忙しなく光弾を弾き飛ばす。いくら余裕があると言っても一発でも漏らせば命に関わるのだ。余裕とは無意識下のほんの些細なモノ、油断とは異なる心のゆとりを指す。

 葵が示した三十分は過ぎており、既に詰みに入るため隊員を動かしているだろう。目的地はまだ見えず足場が悪い事で体力ばかりが消耗する。遊の中に焦りが生じた頃、進行方向の二メートル先の空間が歪んだ。このまま走り続ければ確実に横を撃ち抜かれるタイミング。

「止まれ人間!」

 悪魔の怒声が山林に強く響いた。

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