不明の執着
時は遡り、下校中の結夢とハニエル、そして凛華の三名へ視点を移す。言い争いは一度鎮火したが、当然蟠りが無くなることもなく、結夢を中心に左右で睨み合いが続いていた。それぞれ結夢の腕に抱きつきながらである為、歩くのに邪魔……とは考えず、可愛らしい両名の姿に結夢は頬を緩ませるばかり。離れてもらおうとは微塵も思っていない。
そんな役得に満足しながら暫く歩いていると、右隣にいる凛華が呼び掛けるように結夢の袖を引いた。その表情はどこか暗く、先程までの睨み合いが嘘のようだ。堪らず一瞬息が止まる。しかし、結夢は努めて平静に、優しく微笑みを向けた。
「どうした久留?何か心配事か?」
「……結夢先輩は………怖くないんですか…?」
「……え、怖い?何が?」
「これからです……これから先です。」
「これから先って何だよ?」
「…………………………。」
「なぁ久留、どうしたんだ一体?」
意図の不明な質問を投げ掛けては押し黙り、結夢からの呼び掛けには眉を潜めて顔を背ける。今の凛華の様子は異様だ。それは結夢だから気づいたのではなく、知っている者なら誰がどう見ても明らか。
"怖い"と言われ思い当たるのは、天使に狙われている遊の事。しかし、それを凛華が知っている筈がない。だとしたら一体何なのか、無理に聞き出す事は出来ず、かと言って凛華から話す事も恐らく無い。そう考えている結夢は、ならばと笑顔を作る。そして凛華の頭に手を置き、優しく撫でた。
「え、結夢先…輩?」
「ごめんな……私は久留が何を溜め込んでいるのか分からない。察してあげる事も出来ない。私は何にも出来ない、だから……久留には笑っていて欲しい。」
「結夢先ぱ…………ん?」
何か違う。会話の流れが何か違う。そう思ったのは凛華だけではないだろう。理解不能の気持ちを表情に出すと、何故か結夢も同じ顔をした。「分からないの?」とでも言いたげだ。
「何も出来ないのに久留がそんな顔してたら私が不安になるだろ?」
「え、いや……それって結夢先輩の都合?」
「そうだぞ私の要望だ。」
「えぇ!?えと、あっ、わ、我が儘!」
「その通り。久留は知ってるだろ?私は我が儘だってこと。」
凛華は堪らずキョトンと呆けてしまう。慰めや励ましをするのかと思いきや、全くの逆。結夢は、私の我が儘を聞いてくれと言ったのだ。確かに結夢はこれと決めたら譲らない気質であるが、まさかこのタイミングで出してくる等思いもよらなかった。
これには黙って聞いていたハニエルも吹き出してしまう。尤も、吹き出したのは結夢の発言にではなく、凛華への「ざまあみろ」と言った感情だが。
「はあぁ~……何か悩んでいるのが馬鹿らしくなりました…。」
「だったら笑おう、笑顔笑顔。」
「はい、笑顔笑顔です。」
「単純ですね(ボソッ)。」
「うるせぇですよアホ天使。」
「ムキィー!!!」
帰宅し、自室のベッドへ足を放った状態で寝転がる結夢は、無意識に口を開けながら天井を見つめ、凛華の質問の真意について考えていた。
(怖くないですかって……久留と私で共通している怖い事って何だ?久留はハルの事苦手っぽいし、だとしたらハルに対する嫌味……どうだかなぁ…。)
「はあぁぁぁ~…。」
「随分大きなため息ですね。何をそんなに悩んでるんですか?」
「ん?あぁえっと……久留とハルは仲良くできないのかな~って。」
「向こうがあんな状態では無理ですね。」
「それがよく分からないんだよなぁ。久留が女の子を嫌うなんて本当珍しい……いや、初めてかもしれないんだよ。もしかして、ハル何かした?」
「失礼な、私は何もしていませんよ。」
「そっかぁ…。」
結夢は聞き逃さなかった。「私は何もしていませんよ」それは、誰かが何かをした事を示唆しているのだ。果たしてその先は分からない。しかし、もし凛華が"片目を隠している理由"に通ずるのなら、結夢はきっと平気ではいられないだろう。
ここで掘り下げる事も可能だったが、全てを聞き出すことなど不可能だと分かっている。だからこそ結夢は気付かないフリをして、ハニエルへ向けていた視線を再び天井へと移した。
(志神の事も、久留の事も、ハルの事も……私はどうしたらいいんだ…。)
答えの出ない自問自答を繰り返す。それは、羽慎から声を掛けられる一時間もの間続いた。
「はあぁぁぁ~…。」
再度大きなため息を一つ。夕食や入浴を済ませ、時間が出来た途端また同じ自問自答を繰り返す。勿論答えが出るわけもなく、無意味に頭を悩ませるばかり。そんな結夢の様子を、ハニエルは当然のように訝しむ。
悪魔や凛華の発言は、ハニエルにとって面白くないものばかり。全てを聞いた訳ではないが、結夢の悩む様子からするに、天使にとって都合の悪い事であるのは十分に予想できた。聞いても答えてはもらえないだろう。だからこそハニエルは何もせず、何も出来ず、ただ視線を向けているのだった。
「……なぁハル?」
「え、あ、はい、何ですか?」
突然の呼び掛け。まさか結夢から声が掛かるとは思いも寄らず、ハニエルの返事はきごちないモノとなった。そんなハニエルの心情を知ってか知らずか、結夢は特に気にした様子もなく続ける。
「ハルにとって怖い事って何だ?」
「怖いこと、ですか…?」
「うん、怖いこと。天使にとってじゃなくて、ハルにとって怖い事って何だ?」
天使ではなく……そう言われたハニエルは一瞬驚いた表情を浮かべた。天使に対する探りの為話しかけられたのだと考えていたが、結夢は純粋に、そして"考え無しに"質問をしただけだったのだ。
ならば答えは決まっている。ハニエルは悲壮な笑顔を浮かべ、濁すこともせず、本心を暴露する。
「…………そんなの決まってますよ。結夢……貴女を失う事です。」
「……!」
結夢は言葉を失った。冗談だと思おうにも、ハニエルは天使でありその言葉に嘘はない。そも、例えハニエルが天使ではなかったとしても、その言葉には真実であると納得させる説得力が確かにあった。
同時に結夢は酷く恥じ入る。照れているのではない。自身のした質問は相手にとって答え難い内容であり、それを自覚せず聞き、更に答えまで貰った自身の浅ましさが申し訳ないのだ。
ばつが悪そうに口を開けて視線をさ迷わす。その間もハニエルの悲壮な笑顔は変わらず、結夢は堪らず顔を俯けてしまった。
「……そう気に病まなくても大丈夫ですよ。私は天使、貴女は人間、どうしても対等ではありません。それはどちらが上と言ったものではなく、存在としての概念です。私は限りなく長い年月存在するので、そんな事を気にしたりしません。だから結夢、貴女も気にしないでください。」
「あ、う、うん……ハルってたまに天使っぽい事言うよな…。」
「ふふふ、天使ですから。」
悲壮な笑顔から一転、ハニエルは柔らかな笑みを浮かべた。それは、心の痞を包み取り去るような感覚を与え、結夢に幾分か余裕を戻す。さて、ならばいつまでも気落ちしてはいられない。結夢はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべ、ハニエルの言葉を悪戯に解釈する事にした。
「小さな事は気にしないなら、ちっちゃいって言葉も気にしな──」
「ん~?」
「ご、ごめんなさい…。」
残念、そこだけは許せないらしい。
好き。好き好き好き。好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き。大好き。大好き。大好きです。大大大大大好きなんです。
紫野月結夢……何て素敵な響きでしょう。何とも甘美な響きでしょう。嗚呼、嗚呼、胸が締め付けられる様。
私のものにしたい。誰にも渡したく無い。ずっと、ずっと、ずっと一緒にいたい。好き。愛してる。誰よりも、何よりも。手放すなんてありえない。盗られるなんてありえない。そんな相手は許さない。絶対に。私のもの。私のもの。私の私の私の私の私の私のもの。
一生一緒。ずっと一緒。永遠、永久、永劫一緒。
私の望み。願い。叶えなくては。叶えるものだから……だから邪魔だ。アイツが邪魔だ。アイツが……志神遊が邪魔だ。
離さなくては。引き離さなくては。二度と近づけない様に、二度と近づけない場所に。その為には──
「──っ!?」
就寝していた筈の結夢は堪らず目を覚ました。呼吸は荒く、背中や額にはジットリとした汗が浮き出ている。
「何だよ……今の…!」
それは好意等と言う生易しいものではなく、夢と割り切るにはおぞましい、狂気じみたものを感じさせた。加えて、その声は赤の他人ではない、何処かで聞いた筈の声だったのだ。しかし、ショックが大きかったのか、そも、聞こうとして聞いていなかったからか、既に声は思い出せず、ただ、聞いた事がある様に感じたと言う感覚だけが残っている。
当然結夢の頭には幾つもの疑問が浮かぶ。誰、何故、どうして……そんな複数の疑問の中、何よりも優先して解決を望むのは、一体"何をするのか"である。
(志神が邪魔だって、引き離すって……何をする気だよ…!)
「あの……大丈夫ですか?結夢?」
「っ!?」
思考に意識を集中させていた結夢にとっては意表を突く声。然れど、当たり前の様にいる筈の者の声。堪らず体が一度跳ねたが、結夢が驚いた本当の理由は、意表を突かれたから……ではなく、声のする位置が結夢の胸の辺りだったからだ。
「……ハル、どうして私の胸に仰向けで寝てるんだ?」
「良い質問ですね。寝る前の事を思い出せば答えは出ますよ。」
「寝る前…?」
「そろそろ寝るか~。」
どれだけ凛々しくとも天使らしくとも、「ちっちゃい」の言葉は許せない事がわかったところ。時刻は23時を示しており、寝るには丁度良い時間である。
結夢の発言を聞いて、過去何度もベッドへ引きずり込まれているハニエルは、今日こそはと、努めて自然にドアの前まで歩き脱出を試みようとした。
「では私は失礼しま──」
「ハルも一緒に寝るんだ…よ!」
「え、ちょ──わぷっ!」
勿論そんな事を結夢が許すわけもなく、見逃す筈もなく、部屋を出ていこうとするハニエルの腕を掴みベッドへと引きずり込んだ。そして胸の前で逃がさないよう抱き、恍惚……と言うには余りにも阿呆な表情でハニエルへ頬ずりをする。
「よ~しよしよし、ハルは可愛いなぁ~。」
「暑い!そして暑苦しいですよ結夢!私を抱き枕の様に扱うのは止めなさい!」
「まぁまぁ小さな事は気にしないんだろぉ?」
「これは小さな事ではありません!直ぐに離しなさい!」
「…………スヤァ…。」
「え!?もう寝た!?ちょっと結夢!結夢ー!」
「あ~……ね?」
「思い出してくれましたか。だったらガッチリとホールドして離さないこの手をほどいてください。」
「それは嫌だ。」
「えぇ!?」
「てか今何時だよ……うわぁ、まだ四時か。もう少し寝よう。」
「こら結夢!まだ話は終わってません!早く私を解放しなさい!」
「お休み……スヤァ。」
「結夢ぇー!!!」
程なくして朝日が顔を出す。その光はカーテンの隙間を縫い、ハニエルの顔をわずかに照らした。天使は睡眠を必要としない。故に、結夢からホールドされたまま夜を明かしたハニエルは、光無い目と共に朝の訪れを知る事となった。
「うぅ、私は天使……悲しぃ…。」
それから一時間が経過した。いつもならばハニエルが台所へ顔を出し、羽慎から結夢を起こすよう言われるのだが、今日に限っては結夢にガッチリと抱かれ、抜け出すことが出来ない。
ここでハニエルに疑問が浮かぶ。それは、今日に限っては結夢が離さない事。過去何度もベッドへ引きずり込まれてはいるが、朝を迎える頃には力は弱まり抜け出せる筈だった。だからこそ台所へ顔を出す事ができる。しかし、今日は違った。起きているのではなく、寝てもなお離さない。まるで、何かの"恐怖を紛らわしている"様にも感じた。
(何かあったのでしょうか…?)
仰向けに抱かれているので、ハニエルから結夢の顔は見えない。腕か震えてる訳でもなく、感じた恐怖心はハニエルの直感であり、それは杞憂に終わるかもしれない。しかし、小さくとも心配の種があるのならば、見て見ぬふりなどハニエルには出来なかった。せめて少しでも和らぐよう、ハニエルは抱いている結夢の手を握り、僅かに力を込める。側にいると証明する様に、大丈夫と慰める様に。
すると、結夢の腕の力が少しづつ脱力し始めた。偶々か効果があったのかは分からないが、今ある心配の種が消えたことは事実。腕をほどきベットから抜け出したところで、唐突に結夢の部屋の扉が開かれた。
「あら~ハルちゃんも今起きたのかしら~?珍しくお寝坊さんね~?」
「羽慎、天使である私は睡眠を必要としません。今日は結夢が魘されている様でして、少し様子を伺っていました。あと、私の名前はハニエ──」
「だったら起こしてあげなきゃね~。ありがとうハルちゃん。」
「あの、私の名前はハニエル……いや、もういいです…はあ…。」
聞こえていないなか無視をしているのか、羽慎は何事もなかったかの様に結夢を起こす為体を揺さぶる。しかし、いくら揺さぶっても結夢が起きる気配は一向に無い。その様子を見てハニエルは、やはりまだ不安が拭い切れていないのだと感じ、再度結夢の手を取ろうと手を伸ばした。しかし、それより早く放たれる羽慎のたった一言により、結夢は瞬時に覚醒することとなる。
「結夢~志神くんが来てるわよ~?」
「え!?志神が!?…………あれ?」
「おはよう結夢。志神くんはやっぱり男の子なのね~?」
「え、あ、いや違…!」
「うふふ~、朝食できてるから、降りてきなさいね~?うふふ~。」
「ちょ、母さん!誤解を!誤解を解かせて!」
バタンと無慈悲な音を立て、結夢の願いは絶たれた。ため息を一つ吐き、結夢がふと隣へ視線を向けると、ハニエルがムスッとした表情で腕を組んでいた。確かではないにしろ、先程まで怯えていた結夢が、遊の名が出た途端、完全に元通りになってしまった事が何だか面白くなく、それが少し腹立たしかったのだ。
「心配して損した…。」
「ん、どうしたハル?」
「何でもありません……ケッ…!」
「ハルさん!?」
「結夢~?ハルちゃ~ん?早く降りてらっしゃ~い。」
「あ、おう!すぐいくー!」
ハニエルの荒い言葉に多少面食らったものの、羽慎の呼び掛けに結夢は慌てて台所へと向かう。
次いでに、この時点で時刻は8時20分。遅刻確定である。




