前兆
悪魔から発せられた発言は衝撃的な内容であった。しかし、こうも連続して驚きを誘発されれば、感覚も麻痺してしまうと言うもの、遊は一瞬驚きの表情を浮かべたが、直ぐに戻り眉をしかめて考え込む。
「人間界で天使に……確かにそれなら中立にも納得だけど、姿が変わったり、マクアの言ってた「何人目」って言葉だったり……人間はそんなにもこっちで天使になってるのか?」
「どうだろうな……少なくとも、俺が会った事のあるサンダルフォンは七人目だと言っていた。」
「それって何年前の話だよ?」
「そんなものは忘れた。」
「意味ねぇ~…。」
「やかましい。そんな事より時間が近いぞ、そろそろ支度をしたらどうだ?」
「ん?あぁ、もうそんな時間か。」
時計に目をやれば時刻は17時、ミーアの家へ向かうにはまだ早い時間である。しかし、遊は頷き立ちあがると着替えを始めた。それは私服ではなく制服、鞄を持ち、今から学校へ向かうような姿だ。
「準備よし、じゃあ"栞を迎えに行く"かね。」
そう言って遊は急ぎ足に家を出る。
遊は栞の安全を最低限守るため、二点行動を起こすことにしていた。一点目は栞を天随士高校へと転入させること。もう一つは登下校を共に行うことである。
前者は悪魔の協力により簡単に行えた。しかし、後者は苦肉の策である。流石に志神家へ泊まらせ続ける訳にもいかず、無理に強行したとして、栞の親の天使への不信感を煽ってしまえば、それを良しとしない天使に狙われる確率が上がるのは必然、故に、せめて登下校だけでも護衛を行うことにしたのだ。
そこまですれば栞の両親から理由を求められたが、GWの間にあった行方不明事件を理由に、栞の自己防衛能力が低い事と合わせて栞の両親は納得した。
通学路を歩くと、ぱらぱらと同じ制服の人間とすれ違う。学校へ向かう遊を見た別のクラスの人間は、忘れ物だろうと納得し、同じクラスの人間は、悪魔を連れている遊から目を逸らす様、伏し目がちにその場をやり過ごす。
複数で帰宅する者は少なく、大勢が一人で歩く光景は何処か哀しい。今時そんな些末な事に眉を顰めながらも、暫く歩くと校門前が騒がしい事に気付いた。時折耳に入る怒声から、どうやら誰かが言い争っているようだ。
「……何だ何だ?言い争いなんて珍しい。」
「ふむ……あのアホ天使と久留とか言う人間の女が言い争ってるようだな。」
「あいつらって仲悪いのか?」
「そうみたいだな。まぁ、天使とあの人間の女は相性が悪そうだからな。どうせ今もしょうもない事で喚いているのだろう。」
悪魔の言葉に同意しながら校門前まで到着すると、そこには結夢、ミーア、メルケヤル、栞、そして取っ組み合いの最中のハニエルと凛華がいた。
「こ、ん、の、バカ天使!アホ天使!チビ天使ー!」
「黙りなさい!変態!百合色!色情魔!」
「う~ん……ハルも久留も、どうして仲良くできないかなぁ…。」
「いやァ~、でもコレは中々イイ絵ですヨ。可愛らしいノデ写真に収メテおきまショウ(パシャパシャ)。」
「あわわわわ……どうしようどうしようどうしよう……あわわわわ…。」
「………………はぁ、見苦しい。」
二名の取っ組み合いを眺めて三者三様、否、四者四様な光景である。校門前である為、他の生徒は関わらない様遠巻きにその場を通過する。勿論遊も止めようなどせず、何があったのかと、原因を知っているであろう結夢の側まで移動した。
「紫野月、あいつら何があったんだ?」
「ん、え?志神?帰ったんじゃ……それにその格好。」
「まぁまぁ、細かいことは置いといて、教えてくれよ。」
「あ、あぁ……っても私も良く分かんないんだよなぁ。ハルと久留がコソコソ話していたと思ったら、急にヒートアップし始めたんだよ。」
「話してたって……あいつらが話すような内容って何だ?」
「さぁ~何だろ?久留って何かとハルに突っかかるからなぁ…。」
「原因はハッキリしてるだろ。」
「ん?そうなのか?」
「そうなのかって……原因は紫野月だよ。」
「え、マジ?もしかして私大人気?」
「気付いてなかったのか……鈍感だな。」
「志神が言うなよ。」
「貴様が言うな。」
「シカミューさんが言っちゃダメですヨ。」
「遊くんが言わないでよ。」
「志神遊が言って良い事ではない。」
「貴方が言ってはいけません。」
「遊先輩は言う権利ないですね。」
「集中砲火!?てか喧嘩止まった!?」
その場からの一斉口撃。遊の何気ない一言により、あれほどヒートアップしていた両名は瞬時に鎮火した。
声を張り上げていた訳でもなく、ごく普通のトーンで言ったにも拘わらず、喧嘩中のハニエルと凛華にまで聞こえるとは、それ程までに「鈍感」は遊が言ってはいけない言葉だったのか、落ち着いた事により結夢が「帰ろう」と提案した後、暫く遊は動けないでいた。
結夢と遊は方向が逆の為、校門を出て少し歩いた所で別れる。それに伴い凛華も結夢の方へ。そして、家の方向が同じミーアも結夢と共に下校する……筈だったが、何故か「ワタシはこっチなのデ。」と言い、遊と栞にの下校に付いた。
疑問を持つ者はいない。何故なら、ミーアの家を知っているのはメルケヤル、そして遊と悪魔だけなのだから。だからこそ遊は気付いた、これはサインなのだと。ミーアの仕込んだメモ用紙を遊が見たのか、門にある暗号を解いたのか、サンダルフォンと出会ったのか……何処まで到達したのか合図を送れと。
しかし、そう簡単ではない。メルケヤルが遊に向けるのは確実な敵意、故に伝えるべき全てを、メルケヤルに気取られない様伝えなければならないのだ。その為には、半端な沈黙や不自然な挙動を極力減らさなくてはならない。遊は努めて平静に、何気ない言葉を紡ぎながらバラバラの思考を繋げる。
「ミーアの家ってどこら辺なんだ?」
「ん~……ここカラ大体十五分クラいですカネぇ。」
「もしかして、遊くんの家の近くなんじゃない?」
「どうだろ?でも、家の周囲で引越して来た人なんていなかった気がするけどな。」
「……正直ナ話、最近越しテきたばかリナノで、自分の家も良く分カッてないデス。」
「えぇ!?それは問題だよミーアちゃん!地図とかないの?」
「アリますヨ、でも中々難解ナ地図ナのでス。」
「ん~……この辺りは入り組んでるのかな?」
「日本なんテこ~んな、三センチくらいシカ載ってナイんですヨ。」
「それ世界地図だよ!」
「ハハハ、フィラー…冗談ですヨ。本当はコレです。」
そう言い取り出した地図は、学校からミーアの家までを丁寧に示した物だった。
「スマホのナビを使えば良いだろ?」
「電池ガ切れマシた…。」
「早いな……ならメルケヤルに案内を頼めよ。」
「エ、あ~ソレは…。」
歯切れの悪いミーアの返事に遊は首を傾げた。ふとメルケヤルに目線を向けると、変わらず仏頂面なのだが、それは何処か気まずい雰囲気を醸し出している。しかし、不審に思いながらも遊はその意図を読み取れず、無神経に言葉を続けてしまう。
「どうした?天使ならそれくらい教えてくれるだろ。」
「イヤ、その…。」
「まさか覚えてないなんて有り得ないだろうし、あ、もしかして聞くのが恥ずかしいのか?」
「……遊くん、遊くん。」
「ん?なんだよ栞。」
「気付いて……空気空気。」
「は?空気?」
何故か申し訳なさそうにコソコソと話しかける栞。遊はその意図も読み取れず、要点を得ない言葉に混乱するばかり。当のメルケヤルは仏頂面が崩れ口元が歪んでいる。額に汗が浮かび、遊たちの方を見ようともしない。見れない。
そこまでの反応を見てやっと気付いた。ミーアはメルケヤルに道を聞けないのではなく聞かないのだと。
「もしかしてメルケヤルって方向音痴?」
「あぁもう、そんなハッキリ言っちゃ─」
「黙れ!私が方向音痴だと?ハンッ!何をもってそう言っている?大体、自宅の場所など自身が覚えていて当たり前だ、それを他から聞くなど無用人にも程がある。なんせ住所を教えなければならないのだからな。そもそも、天使はそう簡単に助言を与えたりなどしない、表沙汰な過干渉は極力控えねばならないのだ。つまり、私はミーアが自力、又は信頼できる人間を選択して助けを得、結果無事帰れるよう見守っているのだ!」
メルケヤルは言葉が終わると肩で息をする。それ程までに全力だったのだろう。初めて見る憤慨した様子に、栞だけでなくミーアまで驚きに目を見開き動けないでいた。
そんな中、素直に非を認めないメルケヤルの態度に僅かばかり苛立ちを覚えた遊は、栞の方を向いて、然れど言葉はメルケヤルに向けて言い放つ。
「……知ってるか栞、何かを誤魔化したい奴ってのは口数が多くなるんだぞ。」
「~~~!!!」
ボシュウ!と音を立て顔を真っ赤に染めるメルケヤル。口をパクパクとさせ何かを伝えたいようだが、結局言葉は出ない。そこで遊は理解した……これがメルケヤルの"素"なのだと。
威圧的な態度も、高慢に感じさせる言葉遣いも、全ては素──基、ドジを隠すためだったのだ。
慌てると誤魔化しが効かず、簡単に情報を漏らしてしまう。それはミーアと似ている部分でもあり、お似合いと言う言葉が良くハマる。堪らず遊はクスクスと笑ってしまい、それが面白くないのか、メルケヤルは真っ赤なまま怒鳴り付ける。
「私の事はいい!放っておけ!それよりも道案内だ!さっさとしろ!」
「はいはい、見守る話はどうなったんだって……フフ…。」
「わ、笑うなぁ!」
素を暴き和やかになる遊であるが、いつまでもそうはいられない。今の目的はミーアへサインを送ることなのだ。遊は手渡された地図を広げながら、どう伝えるかを考える。
(さて、どうするかなぁ。暗号を解いたかどうかは、わざと裏庭に着くよう案内すれば察してくれるだろうけど、その為に張り紙も剥がしてきたんだし……問題はサンダルフォンか。)
顎に手を置き考える。すると、遊は一度メルケヤルへ視線を向けると地図を畳んだ。
「栞、悪いけど俺はミーアを送ってくからここで別れよう。」
「あ、うん…わかったよ。」
「よしじゃあ行くかミーア。いちいち説明するのも面倒だから付いてきてくれ。」
言うが早いか、遊は返事も聞かず歩き出す。突然の提案と行動に、遅れて着いてくるミーアとメルケヤルを待つこと無く、いとも自分勝手に歩を進める。再度メルケヤルへ視線を向けた遊は、この時点で決まり、調和が出来上がりつつあることを悟った。
当初思案した通り、少し遠回りをして裏庭へ到着する。最初こそ「何処へ向カウんですカ」と行く先を心配していたミーアだったが、迷わず歩を進める遊の姿、そして通過する道に、困惑している"フリ"をするのは止めていた。スマートフォンの電源が切れたと言っていた辺りから遊は怪しく感じていたが、どうやらと言うか、やはりと言うか、道が分からないのは態とであったらしい。
しかしならば好都合。今のミーアは遊からのサインを受けとる体制にある。その為、これから先の言動の真意を容易に読み取るだろう。遊は振り返りミーアとメルケヤルの方へ体を向けた。
「ドウしましタ?シカミューさん?」
「あ、え……と…。」
「どうした志神遊?礼ならば言わんぞ。」
「いや、そうじゃなくて…。」
先程までの堂々とした態度とは一変、急にオドオドとし始めた遊。伝えるべき事があるのにも拘わらず言い出せない、明らかにそんな態度である。
伝えるべき事とは勿論サンダルフォンの事であるが、メルケヤルの前、安易にその発言をすることが出来ない。裏返しに、遊はミーアとメルケヤルを交互に見てを繰り返していた。その態度にメルケヤルは眉をしかめ、明らかに不信感を抱いている。この場を離れてくれと言っても拒否するくらいには。
「…………悪い、何でもない。じゃ、俺達は帰るわ。」
結局一分ほど言葉を発せないでいた遊は、そう言って逃げるようにその場を後にしてしまった。後に残るは突き刺すようなメルケヤルの視線、そして……口許を隠したミーアの笑顔だった。
ミーアの家から離れ、しかし19時にまた向かわなければならない為、帰路の途中にある河原で時間を潰していると、悪魔が徐に口を開く。
「人間……良かったのか?」
「良かったって何が?」
「人間の女に何か話があったのではないのか?」
「あぁ、その事ならアレで完了だよ。伝える事は伝えた。」
「はぁ?貴様は何も話してなかったではないか。」
「話す必要はなかったからな。あの状況で話そうとしたってだけで伝わったはずだし。」
「話が見えんな……分かりやすく説明しろ。」
「あ~……俺が道案内するって言ってからの行動を、マクアはどう思った?」
「どう……まぁ急いでたように見えたな。」
「その後は?」
「裏庭へ到着してからは明らかに話があるようだった。それに、天使がいると都合が悪いと言う雰囲気が犇々と伝わってきたぞ、あれではあの天使に疑われても仕方がないだろう。」
「じゃあつまり、俺とミーアだけでしたい話があったってことだろ。マクアがミーアの立場なら、あの状況で俺が伝えたかったことはなんだと思う?」
「…………成る程、そう言うことか。」
「内容は必要ないんだ。要は、天使に聞かれたら都合が悪い事があるってのを伝えれば良い。」
送るべきサインはメモ、暗号、サンダルフォンの三つ……前二つは裏庭へ向かった事により解決済みであり、最後の一つはどう伝えるかが問題であったが、そもそも逆であった。最後の一つを伝えようとするのではなく、伝えようとしたものが最後の一つになるのだ。
勿論、何の関連性も無いのではいけない。その為、遊は白地な不自然を演出した。案内にも拘わらず、急ぎ、勝手に進み続ける、案内が終わってからは何かを言い出そうとする、そしてメルケヤルがいることに不都合を感じさせる。既に伝えた前二つのサイン、そしてこれらのミスリードは、最後の一つに変わったことだろう。
納得した悪魔はそれ以上口を開かず、遊もそれ以上話すことは無かった。注意を向けるべきはこの次、ミーアの目的、それこそが本命なのだ。暫く呆と時間を潰した後、遊と悪魔はまたミーアの家へと向かった。
これは前兆、後悔の前触れ。遊は呪う。天使を、そして……自分を。




