最終日
『……天使を信じるな。言葉だけを信じ、行動を疑え。』
帰宅して一息ついた結夢の頭には、悪魔から耳打ちされた言葉が駆け巡っている。意味は簡単だ。砕けばこう、"天使は敵"。しかし、それを鵜呑みにできるほど結夢は冷徹になれない。
確かに、ハニエルが信頼を寄せてくれているかと言われれば、断言は出来ないだろう。味方と言うには余りにも不安定だ。悪魔とは馬が合わず、結夢のスキンシップには嫌悪を示している。返して、ザドキエルの際は手助けをし、クシエル際は罪悪感に苛まれている様であった。
ならば逆に、信じていけないのは悪魔の言葉か。勿論そう結論付ける事はできない。疑えば疑うほど答えは紛れ、怪しめば怪しむほど真実は潜ってしまう。
「あーもー!止めだ止めだ!めんどくせぇ!」
煩雑に面倒な思考に耐えきれず、結夢はベッドにダイブして不貞腐れ始めた。
「知らん、もー知らん。私は考えるのが苦手なんだ!」
「何を癇癪起こしているのですか、結夢?」
突如として咆哮を上げた結夢、と、端から見ればそんな状態だろう。同部屋にいるハニエルが声をかけるのも無理はなかった。
疑問を示した割には、どうやら原因は分かっているようだ。何故なら、驚きや戸惑いと言った感情は、ハニエルに含まれていなかったからだ。知人が急に大声を上げて澄ました対応が出来る者など、感情が壊れているか、原因を理解しているかの二択だろう。それを踏まえてハニエルの言葉を改めると、『悪魔から何を聞いて癇癪起こしているのか?』と言うことになる。
結夢は苦虫を潰した表情を一瞬浮かべ、「な、何でもなぃ…。」と、明らかに誤魔化し十割の言葉を絞り出す事しか出来なかった。
「そうですか……分かりました。」
それでも追求せず淡白に対応をしたハニエルであったが、それが転じて疑惑に掛かる。何故ならこちらも明らか。
気を遣ったとは言い難く、我慢したが適当である反応は、益々結夢の不信感を煽った。自然に寝返りをうつフリをし、体ごとハニエルから視線をそらすと、神妙な面持ちで自問自答を繰り返す。
結局、答えは出ないまま夜は更けていく。
「おっはようハルぅ!今日も今日とて楽して生きよう!」
元気一杯、そんな表現が相応しい小学生ばりの溌剌挨拶。昨日とは打って代わった様子な結夢に、ハニエルは目を丸くさせて反応できないでいる。
「どうした?鳩が豆鉄砲でも食らった様な顔して。」
「え、と…。」
「そんな驚いた表情はレア顔だな~。ん~眼福眼福。」
動けないでいるハニエルの頬を、うりうりと拳で優しく小突く。一体どうしたと言うのだろうか。その姿は異様、異様に"いつも通り"だ。
昨日散々疑問や不安を考え続けた結果、結夢が出した答えは『忘れる』事だった。一見問題の先伸ばしに思えるが、その実、中立をとるための合理的な判断と言えるだろう。思い立った結夢の切り替えの速さは目を見張るものがある。
「さ、今日は何をするかな~。ハルはしたいこととかあるか?」
質問をされてようやくハッと我に返ったハニエル。バタバタと手足を動かして結夢の包容から脱出し、二メートルの距離を取ると、一度呼吸を落ち着かせる。
深呼吸を繰り返した後、何事もなかった様に凛とした態度を見せるハニエルだが、一部始終をしっかりと見ていた結夢は、その姿に微笑ましい視線を送るばかりであった。
「私は特にありません。それよりも、今日は志神遊の家には行かないのですか?」
「う、あ~……うん、今日は止めとく…。」
ハニエルからの質問に、先程まで微笑みを浮かべていた結夢は、明らかに消沈した。
遊が天使に狙われている事を知った結夢だったが、知ったところで何も出来ない自身の非力さが、堪らなく悔しい。結果、少しでも重荷を減らそうと、遊との距離をとることにした。昨日早くに帰宅を申し出たのもそれが理由だ。
結夢の意図を遊が理解した場合、汲んで関わりを減らしてくれるだろう。しかし、意図を明確にする行為に及ぶには、距離を詰めすぎていた。離れなくてはと考える反面、離れたく無いと思う心がどうしても邪魔をする。恐らく学校が始まれば、又、遊から話しかけられたら決意は簡単に瓦解するだろう。そも、自身の非力を悔やんでいる訳であって、力になれる事があれば嬉々として首を突っ込むつもりなのだ。
「はぁ~あ~……今日は大人しく過ごすかな…。」
ドサッとベッドに仰向けに倒れ込む。すると、志野月家の呼鈴が鳴り響いた。羽慎はパートに出ているため、今家には結夢しかいない。一度倒れ込んで、すぐに起き上がることを鬱陶しく思いながらも、呼鈴の相手が遊ではないかと期待せずにはいられなかった。
リビングにある受話器を取り、外の相手の確認をとる。
「あ、結夢先輩!私です、久留です!」
「ん、おぉ久留か。ちょっと待ってな、今鍵開けるから。」
訪問者は凛華、結夢は玄関の鍵を開けて凛華を迎え入れると、とりあえずリビングへと移動した。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「あぁん…そんなの遊びに来たに決まってるじゃないですかぁ~。」
くねくねと身を悶えさせて答える凛華に、特にノーリアクションの結夢とは反面、ハニエルは嫌なものを見る目を向けている。どうもハニエルは凛華を、悪魔同様苦手としているようだ。
「遊ぶつっても、久留は何か予定あるのか?」
「勿論です!結夢先輩と遊ぶため、入念に練り練りした計画は完璧です!秒単位で埋まったスケジュールに、きっと先輩も満足いただけるでしょう!」
凛華は小さめのポシェットからメモ帳を取りだし、掛けていもないメガネの端を一度上に押し上げる。どうやらインテリ系を意識しているようだが、全くもって似合っておらず、背伸びしている姿に結夢がホッコリするだけであった。
「おぉそうか。で、今から何を?」
「十時十七分三十七秒から外出です!今は何時ですか?」
「十時三十分だけど。」
「そおい!!!」
時間を聞いた瞬間、凛華は手に持っていたメモ帳をゴミ箱へ投げ捨てた。
「えぇ!?」
「ま、予定なんて自由度を狭める足枷ですよね。とりあえず結夢先輩のお部屋へいきましょう。」
「えぇ~…。」
混乱覚めやまぬ状態から提示された要求は、理解する間もなく、マトモな返事もなく承諾と言う形で通ってしまう。凛華は結夢の手を引くと、早速部屋へと向かった。
「相変わらず結夢先輩の部屋は地味ですね。とても女の子とは思えません…。」
部屋に到着した第一声がそれ。確かに結夢の部屋は、今時の女子高生とは思えないほど簡素だが、こうも直球で言われると何処と無く堪えるモノがある。急所を突かれた結夢は、恥ずかしさに赤面し、ぶっきらぼうに「うるさいな」と言って外方を向いてしまう。
しかし、どうもいたたまれないのか、結夢はそのまま「お茶の準備をする」と言い残し、部屋を出てキッチンへ向かってしまった。
「少し直球すぎましたか…。」
残された凛華は僅かに反省の色を滲ませ、次はもう少しオブラートに包もうと決心する。
さて、そこで反省は終わり。結夢のいない僅かな時間を無駄にはできない。凛華は真剣な顔でベッドへ向かう。そして、一歩、二歩と距離を縮めると、突如大の字にダイブをした。
「いやっほおぉぉぉう!先輩のベッド!先輩の匂い!うへへへ!うへへへへ!うへへへへへ!」
転がり、纏わり、嗅ぎまわる。半狂乱状態に達している凛華は、欲望を隠すことなく全放出。"そこにハニエルが居る"事などお構い無し。いや、寧ろ気づいていないのかもしれない。
あまりにも卑しい凛華の姿に、ハニエルは堪らず手を額に当ててため息をついた。
「貴女は…本当に欲望のままに生きてますね…。」
すると、何故かそこでピタッと凛華の動きが止まった。ゆっくりとハニエルの方へ顔を向け、鬱陶しそうに睨み付ける。
「何見てるんですか?」
「何見せてるんですか!」
「覗きなんて感心しないですね。」
「貴女は覗くと言う字を一度じっくり考えた方が良いですね。」
「あぁ?何ですか?人の恋路を邪魔する天使に説教される謂れは無いですが。」
「人……人、ですか。ふん、まぁ貴女のそれは一生実りはしませんがね。」
「ッチ!相変わらず小せぇですね。心だけじゃなく…。」
「んな!身長の事かコラァ!!」
「は、ハル!?どうしたんだ、そんな乱暴な言葉遣いをして!?」
ハニエルが堪らず怒髪天を迎えたタイミングは、丁度結夢が戻ってきた所であった。
聞いたこともない乱暴な言葉遣いに驚愕しながらも、お茶請け等の乗っているお盆を机に置き、ハニエルの元へ駆け寄る。しかし、凛華としてはそれが面白くないのか、尚の事睨む視線に恨みが含まれる。そして、結夢がハニエルを宥める為、頭を撫でた所でそれは爆発した。
「むきー!このアホ天使!アホアホアホアホアホ天使ー!」
目に涙を浮かべながら突進。結夢の手を払い除け、ハニエルに掴みかかる。
馬乗りになった凛華はポカポカ殴りを繰り出すが、やはり名称同様ダメージは少ない。その為負けじとハニエルも同じように応戦する。互いに大した攻撃力を備えてはいないが、いつクリーンヒットするか分からないので、可愛らしいキャットファイトにホッコリと気を緩ませていた結夢も、直ぐ我に返り二名の間に入った。
「ちょちょちょ、ちょっと待てって!落ち着け二人とも!」
「うぬぬぬぬ~!」
「うぐぐぐぐ~!」
馬乗りの凛華を引き剥がし、尚も向かってくるハニエルを、間に入って左手で抑えながら牽制する。如何せんこの二名は仲が悪い。渦中に居ることなど知らず、結夢はその結果に頭を抱えるばかりであった。
二名を落ち着かせること三十分。お互いに歯を剥いて威嚇しているが、どうにか距離を保ってくれている。ひょんな事から簡単に試合再開となるが、今のところはこれが結夢にとって限界だった。
流石に凛華を帰すわけにもいかず、かと言ってこのままと言う訳にもいかない。結夢は異が痛むのを感じながらも、凛華とハニエルの両名に、和解のための話し合いの場を設けようと考えた。
そうと決まれば、部屋の収納に突っ込んであった折り畳み机を引っ張りだし、二名の間に置く。これは障害物を置くことによる牽制の意味合いもある。そして、結夢は自然と審判の様な位置に座ることとなった。
「で、だ。まずはどうして喧嘩してたんだ?そこを説明してくれ。」
「そこの人間…いえ、人が私の事を小さいとバカにしたのです。」
「そこの天使…いえ、アホ天使が結夢先輩の寵愛を受けているからです。」
「またアホ天使と言いましたね!この色情魔!」
「ほら、直ぐ怒る。やはり小さいですね、小さい小さい小さい小さ~い!」
「「ぐぬぬぬぬ~!」」
「……う~ん。」
身を乗り出して獣(小動物)の様に威嚇する両名。それを抑えるでもなく、腕を組んで唸る結夢。
簡単に言い分を聞いただけだが、恐らく凛華が悪いのだろうと言う事は予想できた。しかし、それを諭したところで大人しく聞き入れはしないだろう。結夢の理想は和解であって、それに至るには、しっかりと納得してもらう必要がある。とりあえず、いつの間にか取っ組み合いへと発展した小動物の頭頂に、静かにげんこつをお見舞いし、悶絶している内に元の位置へ引きずり置いた。
「あんまり暴れると怒るぞ。」
「「お、怒ってます~…。」」
「ん?何だって?」
「「な、なんでもありません。」」
恐らく初であろう結夢の静かな怒りに、両名共に縮こまって淑とする。
「とりあえず悪口禁止な。極論、悪口を言わなければ争いは起こらないんだから。」
「「……はい。」」
「先ずはな……さっきの話を聞いただけでも、久留がハルに突っかかったのは私でも分かる。そこはしっかり謝りなさい。」
「で、でも、元はと言えばそれは天使が…!」
「り……凛華!何を言ってるのですか!」
言い訳をしようと口を開いた凛華を、ハニエルが慌てた様子で遮る。咄嗟と言えど、初めてハニエルが名前を呼んだ事に、結夢は少し希望を見出だした。『喧嘩するほど仲が良い』の言葉が頭に浮かんだからだ。
しかし、呼ばれた当の本人はどうも気に食わないのか、言い訳を中断し、結夢に向けていた視線を即座にハニエルへと移した。そこには憎しみとも取れる感情が含まれており、恐怖すら感じる。
「名前で呼ばないで下さい。特に天使は。」
凛華の一言……と言うよりは、放たれている謎の威圧感により、ハニエルだけでなく結夢まで飲み込まれ、後の話し合いはほぼ無言。威圧感の正体を聞くわけにもいかず、口を開けば世間話と、完全に目的を失ってしまった。
結局、昼に差し掛かったところで凛華は帰宅し、結夢は残りの時間を、悪魔から耳打ちされた言葉と、凛華の威圧感の正体を考えることに使う。勿論、先と同じように答えなど出ず、ただ憶測を飛び交わせ、モヤモヤとするばかりであった。
翌日。GWが終了し、学校が始まる。昨日、一昨日と衝撃的な話や体験を受けた結夢は、気分の下がったまま登校した。いつもなら校門で凛華が声を掛けてくれるのだが、今日はそれもなく、更に気分が落ちた事に気付くと、ただ一言「おはよう」の挨拶だけで、自分は幾分か救われていたのだと思い知らされた。
「はぁ~あ。」
ため息をついて自身の席へ座る。遊はすでに登校しているが、そも、遊から話しかけたことは無く、今日も話しかけられることは無い。気分が暗いと、些細な事でどんどん沈んでいく。そんな結夢の気分を浮上させたのは、予想外の人物であった。
教師が入室し、クラスメイトは次々と席につく。いつもならばここで挨拶を行うのだが、教師はそれを制し注目を集めた。
「今日は転校生がいるから挨拶は割愛だ。転校生、入れ~。」
「は、はい…。」
「じゃ自己紹介をしてくれ。」
「え、えと…ん~と…。」
「……ん?」
転校生と言った割には聞いたことのある声。思わず顔をあげるとそこには──
「あ、ああ芦谷栞です!よろよろ、よろしくお願いしましゅ(ガリッ)!…………いひゃい…。」




