切れないもの
昼食をとった後、雑談に興じて時間を潰す。誰も昨日の話題には触れず、誰も外出しようと提案はしなかった。腫れ物扱いや牽制と言うよりは、会話によって親睦を深めようと言う意味合いが強く、それは三人とも同じ意見である。誰かがそうしようと口に出した訳ではないが、秘密を知った者同士ならば、お互いを心配し、更にお互いを知りたいと思うのは当然の帰結だった。
夕方、夕飯の下拵えでもしようと考え遊が立ち上がると、それを察知して結夢も立ち上がる。また料理の手伝いかと予想したが、結夢の目的は違った。
「私、そろそろ帰るわ。」
「……突然だな。夕飯は食ってかないのか?」
「折角だけど今日は遠慮しておくよ。突然っても、準備する前に言わないとマズイだろ?」
「ん、まぁ分かった。送ってくか?」
「ううん、それもいいや。…………最近母さんが五月蝿いんだよなぁ。女友達って言ってるのに志神に会わせろ会わせろって、誰かが男って教えたのか?だったらご近所さん?でもな……。」
「……?良く分からんけど紫野月も大変なんだな。」
最後の方は小声で愚痴るように話していたため、遊の耳には届かなかった。曖昧なりも、最初の返事で遠慮を理解したので、特に聞き返したりはしない。
家まで送らないのならせめて見送りを、遊と栞は自然と玄関に向かい、結夢と別れの挨拶を交わす。
「気を付けて帰れよ。」
「バイバイ結夢ちゃん。ハニエルさん。」
「お邪魔しました。」
「邪魔したな。それと、あの~……今日の昼はごめんな?」
「あ~…ん、まぁ仕方ないだろ。」
「ありがとう。次はもっと練習してから挑戦するわ。」
「「…………………………(ニコ)。」」
「何か言えよ!」
「結夢、無駄話はそれくらいにして帰りましょう。」
「私は結構真剣なんだけど…………はぁ、じゃあな志神、栞。」
軽いおふざけを入れ、最後には元気良く手を振って帰路につく。一見いつも通りの結夢に見えるが、言葉の端にはどこか憂いが漂う。それを感じ取ったのは遊とハニエルの二名。しかし、特に掘り下げることはせず、それぞれ見送り、見守る事にした。
結夢とハニエルが路地を曲がり姿を消した頃、遊はある事に気付く。
「あれ……マクアの奴、どこ行ったんだ?」
志神家の見えなくなった曲がり角、笑顔を作っていた結夢は途端に影を見せる。足取りが重くなったのを自覚し、ため息を一つ。原因は勿論、遊の命が狙われていると言うことだ。
知り合いが、友人が、意中の相手が命の危機に瀕している。ザドキエルの際にも似た状況はあったが、事今回に関しては明らかに規模が違う。遊は憶測を語らなかったにせよ、実際に起こった状況を説明されただけで、結夢は遊とほぼ同じ憶測を持った。
敵の規模は天使だけでなく人間社会であり、今いる場所は、国と言う敵地のど真ん中。ハニエルから情報を貰おうとも、何処で監視され、いつ襲われるか分からない。そも、ハニエルが情報を与えてくれるだろうか。
疑心暗鬼になり、頭の中の整理がつかない。難しい表情で考え込む結夢の後ろから、怪しげな影が忍び寄る。
「……おい人間。」
「ひぁ…!!!」
突然掛けられた声に、堪らず頓狂な声が出てしまった。慌てて後ろを振り向くと、丁度結夢の目線の高さに、悪魔がフワフワと浮いていた。
悪魔のいる位置は、志神家から五十メートル弱と言ったところだろう。角を曲がってから声を掛けたと言うことは、遊には聞かせられず、結夢とハニエル、場合によっては結夢にだけしか聞かせられない話の可能性がある。それを理解した結夢は一度悪魔の名を呼んだが、それ以上は何も言わず、黙って悪魔から行動を起こすのを待っていた。
「………………貴様も興味深い。恐らく『同調』か。無意識と言うのは少しばかり煩わしくあるが、まぁ……その内気付くだろう。」
「な、なんの事だよ?」
結夢の質問に答えず、悪魔は肩に手を置くと、そっと耳打ちをする。
「……天使を信じるな。言葉だけを信じ、行動を疑え。」
「っ!」
「去らばだ。」
「あ、おい!」
結夢が言葉を発するよりも早く、悪魔は別れを告げてその場を後にした。
悪魔の囁きは、勿論ハニエルには聞こえていない。すぐにハニエルは何を聞いたのか質問するが、結夢は「いや、何でもない。」と言葉を濁し、早足に再び帰路を歩き出す。
様子がおかしい事を察したハニエルだが、それ以上追求することなく、黙って結夢の後に続く。その表情は、結夢を睨み、酷く邪悪なものだった。
夕食 入浴、洗濯を済ませると、遊はリビングで報道番組を流しながら新聞を眺めていた。昨日の騒ぎが取り上げられるか否かで、今後の動き方が変わってくるからだ。
朝刊、夕刊を隅々見てみるも、関係する記事は無い。報道も同様だ。遊は新聞を閉じると、ため息混じりに机へ投げた。ソファーへ深く座り、天井を見上げる。
(報道関係は全く無し。情報制限……いや、隠蔽か?ま、どれだけ誤魔化そうとも、"あそこ"だけは生徒への説明が必要だよなぁ。)
グラウンドの破損状況は見えずとも、爆発音や衝撃音は確実に近隣へ届いているだろう。付近に住んでいる生徒は疑問を抱え、又は近くまで見に来る者もいた筈だ。グラウンドの破損を修正し、例え音を誤魔化したところで、決定的に残る被害が一ヶ所だけ存在する……それは第二グラウンド。
第二グラウンドは全面を芝で覆われたコートだ。そしてその芝は、遊の放った炎によって、殆どが焼き尽くされている。人工芝でないため、二日三日での修正は不可能。学校側が説明せずとも、サッカー部を休みにしても、学校が始まれば生徒は必ず知る事になるだろう。
芝、音、中には、スローサーによって立ち上った炎を見た者もいるかもしれない。その断片的な情報は、勝手な憶測、推測が立ち上がり、確実に生徒の不信感を煽る。
どんな言い訳をするかの予想はつかないが、ウリエルの言葉から、遊は不利に動くとは思えなかった。
(これからどうするか…………一番心配なのは栞だよなぁ。学校を休んで、影で栞の護衛…?いや、そんなのジリ貧だ。ずっと続けられる事じゃない。それに、紫野月も安全って訳じゃないんだ。だったら一番良い方法はもう──)
難しい顔をして考えていると、右隣から視線を感じた。首を曲げて顔を向けてみると、ソファーの端から、栞が顔半分だけを覗かせ睨んでいた。
睨むと言っても、それは頬を膨らませた可愛らしいもので、更に縮こまっているので、小動物の様に愛らしい。遊はその姿に思わず笑いそうになるのを堪え、努めて平静に質問する。
「どうしたんだよ栞、そんな睨んで?」
「遊くん……今酷いこと考えてた。」
「酷いこと?俺が?」
「うん。」
はて、と視線を外して考える。遊は、栞と結夢に被害がでないようにするには、何をすれば良いのか考えていただけだ。確かに原因を作ったのは自身かもしれないが、それを抑える為の配慮ならば、酷いこととは言えないだろう……そう考えた遊は、見当がつかないと言った表情で再度栞へ視線を戻す。
「やっぱりそうだよね…。」
すると栞はため息を一つ。心底呆れたと言わんばかりだ。
栞のこの態度は珍しい。何がそんなにいけないのだろうか、遊は何も言えずキョトンとするばかりである。
そんな遊の姿にしびれを切らしたのか、栞は徐に立ち上がり、一拍間をおいて口を開く。
「……遊くん、今回は許さないからね。」
"何を"とは示していない栞の言葉。先程から見当がついていない筈の遊の心臓は、何故か大きく跳ねた。
スゥっと血の気が引く。息が浅くなり体が冷える。
「お、おいおい穏やかじゃないな。許さないって何だよ?もしかして、嘘ついてたことまだ怒ってんのか?」
「いつもそうやってはぐらかして…。」
また、大きく跳ねた。
栞の言う通りなのかもしれない。遊はただ、はぐらかしている、気付かないフリをしているだけ。既に分かっているのだ。栞の言わんと示す事を。
「……だから何がだよ?俺には皆目見当がつかないな。」
「そう……だったら教えてあげる。」
かつて無いほど鋭い眼差しで遊を睨む。滲むは怒り、漏れるは恨み、溢れ出るは憤り。遊は完全に気圧され、頬をひきつらせながら僅かにたじろいだ。
栞は拳を握り、大きく息を吸い、そして惜し気もなく言葉にして吐き出す。
「僕たちから離れようなんて許さない!」
「っ!?」
「僕と結夢ちゃんの安全のため縁を切ろうと考えたでしょ。原因が自分なら、自分から離れれば良いって、突き放せば良いって考えたでしょ。」
「いや……俺、は…。」
「そんなの許さないよ。"あの時"は止められなかったけど、そのせいで遊くんが今も寂しい思いをしているなら……今回は絶対許さない!」
最後の言葉は声が震えていた。声だけでなくプルプルと体も震わせ、感情が高ぶった栞の目には大粒の涙。それを見た遊は、誤魔化すことも、栞を直視することも出来ず俯いてしまう。
何かを言わなくてはと口を開くが、言葉にはならず、吃音的な声をその場に吐き捨てるだけであった。
「僕も今日は帰るよ。色々ありがとう。」
「………………ぁ…。」
呼び止めようとしたが、出たのは意味もない掠れた音。
栞は遊に一瞥もくれることなく、一直線に玄関へ向かい、志神家を出ていった。
一人取り残され、失意の中ソファーで項垂れる。頭の中は空っぽだ。何かを考えなくてはいけない筈なのだが、何を考えればいいのか全く分からない。やっと出てきた思考は、栞を呼び止められなかったこと、追いかけることも出来なかった事への不甲斐なさ、自責の念。
すると、屋根の上で待機していた悪魔が、栞の叫び声を聞き、遊の元へと姿を現した。
「何だ?あの人間は帰ったのか?」
「え、あぁ…帰ったよ。」
「そうか…………で、貴様は何故そんな項垂れている?」
「……………………。」
遊は答えない。両手で作った拳に力を込め、下唇を強く噛む。明かに何かあったであろう事が伺えるが、悪魔はあえて追求せず、遊から言葉を発するのを待つ。
「…………泣かせちまった。また……俺のせいで。」
「…………………………。」
「でも、仕方無かったんだ。栞は学校が違うし、そっちばかりだと紫野月が危険だし…。いつまでも馴れ合う訳にはいかないんだ。全部俺が撒いた種、全部俺が悪い……だから離れようとした!だから仕方無いんだ!だから!だから…!」
自分の言っていることは正しい、遊の考えに揺らぎは無い。しかし分かっている……栞の言っていることも正しいのだ。
二人の安全を保つだけならば、遊の意見でも良いだろう。"だけ"ならば。
親しい人間が命の危機に瀕している。関われば命の危険がある。そんな中、自ら首をつっこむ人間はそういない。しかし、奇しくも栞と結夢は、大部分から外れた奇特な人間だ。勿論遊も。
生物であれば感情がある。遊の意見は、それを度外視した合理的な意見。栞の意見は、感情を含めた倫理的な意見……だが、それは栞や結夢の感情だけに拘った話ではない。栞の意見は感情──遊の気持ちを含めた意見なのだ。
楽しかった、離れてほしくない、孤独は辛い、行かないで、行かないで、行かないで……何処からか訴える感情が、弱った心に嫌に響く。否定したくとも、それは無意識から剥き出たもの。その証拠に、縁を切る対象である栞を"呼び止めようとした"のだから、"呼び止めれなくて後悔した"のだから。遊は分かっていたのだ。
「縁を切るのならばちょうど良い。これからあの人間共には近づかなければ終わりだ。目的は達成される。」
──だからこそ悪魔は、惜しも無げに引き金を引いた。
「良かったな人間。栞と呼ばれていた人間は、まんまと貴様の口車に乗って帰ったぞ?ははは!滑稽だ。許さないなど宣っておいて、掌で踊らされている事も知らずに。はははは!」
「マクア!お前…!」
牙を剥き出しにして笑う悪魔の衣服を、遊は掴んでにぎりしめる。薄い生地が故に、握る力はそのまま遊の手のひらを圧迫し、ギチギチと爪を食い込ませていく。
しかし、そんな事に構っていられない。寧ろ、怒りに更に力を込めた。その姿を悪魔は、心底可笑しそうに笑う。
「何だこの手は?俺は本当の事を言ったまでだぞ?何処に怒る要素がある?」
「うるせぇ…!うるせぇ!黙れ!黙れよ!」
「ふん、所詮貴様はその程度なのだ。どれだけ合理的に考えたところで、決意とはほど遠い。縁を切る事などできない。独りでいる事などできない……貴様は繋がりに怯えながら、最も繋がりを欲している卑しい人間よ。」
「──この野郎!」
「認めるのか!」
「っ!?」
激情に任せ、まさに腕を振り抜こうとした瞬間、悪魔の怒号が響き渡った。突然の事に遊の体は硬直し、息を詰まらせその場に固まる。
悪魔は先程までの嘲笑を隠し、大きな目で遊を睨み付ける。
「殴りたければ殴れば良い、貴様の拳など蚊ほども効かん。だがな、その拳が私欲であるのならば、貴様の心に価値は無い……今すぐに死ね。」
酷く辛辣な言葉である。しかし、遊は何も言い返せず押し黙った。当初は栞を貶され怒りを示したが、振りかぶった拳は意を突かれたが故。自身の矛盾を正当化しようと作った拳には、誰のためでもなく握った拳には、人間失格の烙印が纏わる。
奥歯を強く噛んだ。言い返せない悔しさよりも、止めてもらった申し訳なさに涙が滲む。遊はゆっくりと拳を下ろし、悪魔を掴んでいた手を放した。
「じゃあ……どうすりゃ良いんだよ…。」
絞り出した言葉は苦悩であった。
見捨てられない。しかし関わっていられない。両挟みの問題に、堪らず遊は弱音を吐き出した。
悪魔はそんな遊の姿を一笑に伏し、呆れた様子で口を開く。
「貴様は視野が狭すぎる。何故自身の能力内で事に臨もうとする?何故日常の範囲内で対処しようとする?」
「どういう…。」
「俺は悪魔だ、しかし皮肉にも天使だ。しかも、今の状況は命に関わっている。ならば起こせ。然らば移せ。簡単だろう?」
断片的なヒントばかりで、遊は一瞬理解が追い付かなかった。
一拍置くと、弱々しい姿に、悲しい瞳に光が灯る。悪魔の言わんとする事を理解した遊は、自然と口許が上がり、幾つもの考えが押し寄せた。
「…………あぁ、そうか。そうだよな!やり方なんていくらでもあった。ありがとうマクア!」
遊はノートを取りだし、今後の予定を倩と書き起こす。今日中に概成させ、翌日には行動に移さなければならない。
悪魔は希望を見出だした遊を見て笑った。無邪気に、楽しそうに、そして…………狂おしく。




