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天使の所業  作者: ふたつきひみつ
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愚か者

「あの男……このままでは死ぬぞ。」

「え……は?」

 いきなり過ぎる。確かに予想はしていた。だからこそ遊の家まで足を運んだのだ。しかし結夢の予想は、天使に襲われているかもしれない、まで。まさか、死の淵に立たされているとは思わなかった。

「詳しい説明は建物に入ってからにする。ついてこい。」

 悪魔も、結夢がいきなり状況についてこれるとは思って無かったのか、畳み掛けるのではなく、遊の家に到着するまで落ち着かせる猶予を与えた。

 混乱しながらも先行する悪魔の後を追う。最長でも五十メートルしかない距離の中で、結夢は必死に気持ちの整理に努める。

 整理と言っても、状況を理解するのではない。先を先をと欲をかく事でもない。今結夢が行う整理とは、何も考えない事。頭の中を空っぽにする事。悪魔は先程「詳しい説明は~」と言った。つまり、事の経緯、今の状況、今後の方針、全てを聞くことができる。一から十まで説明されるのならば、無駄に考えるよりも、次にされる説明を理解した方が早いのだ。



 遊の家。鍵のかかっていない玄関を開け中へ。リビングへ顔を出した結夢の目に入ったのは、ソファーで寝息をたてている遊だった。

 怪我をしている様には見られない。今にも死にそうにも見られない。一体何処に死ぬ可能性があるのだろうか。結夢はそんな疑問を込めた視線を悪魔に向ける。悪魔もそれを予想していたのか、とりあえず応接椅子に座るよう促すと、自分は正面──寝ている遊の上に乗った。

「おいおいマクア。そんな事したら志神が起きちまうだろ?」

「心配するな。いや、心配するべきか。それこそが問題だからな。」

「えと、何を言ってんだ?分かるように言ってくれよ。」

「簡単だ。コイツは起きない。昨日の夜からずっとな。」

「は!?」

 結夢は驚きに目を見開く。昨日の夜からと言う事は、最長でも零時前からの就寝。そこから今、十七時を回っている。勿論、疲労の為長時間眠りにつく場合もある。しかし、悪魔は「天使から攻撃を受けている」と言ったのだ。つまり、今遊が起きないのは、内部的要因ではなく、外部的要因だと言う事。

 そして、結夢がそこまでの考えに到達するのに、時間は掛からなかった。間にある机を叩き、悪魔に向かって身を乗り出す。

「いったい誰が!?助ける方法は!?」

「落ち着け。今から順を追って話す。」

「っ!…………悪い。取り乱した。」

 即座に自らを律し席へ戻る。聞きたい事も、言いたい事も山程あるが、結夢は悪魔の言葉に耳を傾ける為、その気持ちを押し殺した。

 一度深呼吸。脳に酸素を行き渡らせ理解の準備を。そして、焦りや困惑を排除するかの様に息を吐き出す。再度悪魔を見る結夢の姿は、強張った真剣さでは無く、柔軟性を帯びたいつもの結夢の姿だった。

「さて、説明するにしても簡潔にいくぞ。攻撃を受けたのは昨日の夜……貴様と別れた帰り道だ。この男は眠ってから、ずっと夢の中にいる。」

「それが敵天使の能力か。」

「恐らくな。現状考えると敵の能力は、標的を夢の中へ閉じ込め衰弱させる能力。更に、この男の体感している一時間は、こっちでの半日以上だ。夢の中で不信感を抱く前に手遅れとなる可能性が高い。」

「つまり、志神自身での覚醒は見込めないんだな。」

「その通りだ。故に俺たちがこの男に、何かしら働き掛けなければならない。その為にも先ず、敵天使の情報が──」

「ザドキエル。」

 それまで黙っていたハニエルが唐突に口を開いた。呟いた言葉は主語だけであったが、それが敵である天使の名前だと理解するのに時間は要しない。

「天使の名はザドキエル。記憶と精神を司る天使です。彼の能力は貴方の言った通り、安らかなる眠り与えます。」

 オブラートに包んでいるものの、安らかなる眠りとはそれ(すなわ)ち"死"。

 最初こそ悪魔は「死ぬぞ」と言ったものの、それは結夢に事の重大さを表す為であり、そこから先は明言していない。天使だけでなく、悪魔にとっても人間の"死"とは、慈しみ憚られる事なのだろう。それとも人間ではなく遊の…。

「解除する方法は、術を掛けられている本人が、夢の中──こんがらがりそうなので、夢、(もとい)仮想世界と呼びましょう……仮想世界でザドキエルを見つける事。しかし、その際の姿は様々です。人に、植物に、動物に、物質に……ザドキエルは何にでも成れ、何にでも姿を隠せます。」

「待ってくれ。それ以前に、相当離れた場所に居られたんじゃ、そもそも無理なんじゃないか?」

 結夢の疑問は尤もである。例えば、近所の公園でかくれんぼがスタートしたとして、隠れる側が海を渡っていたら見つける事は先ず無理だろう。いくら見つければいいと言っても、距離があれば隠れる必要すら無いのだ。

「その点は問題ありません。ザドキエルは、標的の記憶を手繰る様にして仮想世界を創っています。例えその中でも記憶は随時更新されます。その情報を常に見て処理をしなければ、見せる光景に違和感を生じてしまい、標的に現実では無いと気づかれてしまうのです。そうならない為にも、標的を監視できる範囲で隠れなければなりません。」

「成る程。なんつーか、プチ背水の陣みたいなんだな。」

「さて、能力が割れたところで今後の方針だが、どれだけ外から働き掛けたところでこの男は起きないだろう。だったらばやる事は一つ…………俺達もこの男の仮想世界へ入ることだ。」

「入るったって…どうやって?」

「そんなのはそこの天使に頼めば良いだろう。適当な理由をつけて、貴様を術に嵌めさせれば良いのだから。」

「え、私だけ?マクアとハルは?」

「俺は問題ない。少しだけならばこの男の仮想世界に干渉する事が可能だ。」

「私も大丈夫です。能力で結夢の心へ潜り込ませ、結夢が術に掛かると同時に私も飛び込みますので。」

「マクアはよく分からんけど、ハルはそんな事できんのか?」

「私の能力は、心の隙間に入り込み内側から支配する事。それは仮想世界の中であろうと可能です。細分化させた意識の一部を潜り込ませ、適する一般人(エキストラ)に移れば私も仮想世界で自由に動けます。」

 人間の愛されたいと言う欲求は、夢の中でも抑える事はできない。寧ろ、更に増大する傾向すらある。顕著な例で言うと"夢精"などそうだろう。現実では理性が咎めるが、夢の中であればその力は一切及ばない。欲にまみれた(ところ)で全てが偽り。理性を働かせる必要が無い。故にその欲は膨張し、暴発するのだ。愛されたいとは、元を正せば性的欲求に繋がっているのだから。

 仮想世界で見る光景はザドキエルが決めているが、夢の中である事は変わり無い。あり得ない事が起こり、覚えている筈の無い事を思い出し、思いもよらぬ事で感情を爆発させるなど、根本は夢のまま。だからこそハニエルの能力を行使することができ、ザドキエルは離れず不具合の処理に勤めるのだ。

「そんな事も出来たのか…。便利だ。」

 詳しい原理は分からないにしろ、天使であるハニエルが出来ると言った。信じる材料には十分だろう。

「この男がどんな仮想世界にいるか定かではない。飛び込んだ際の対応は、各々に任せる。」

「アドリブってことか。」

「や、やってみます。」

「次は天使を仮想世界から出した後の話だが、一度出してしまえば問題はない。天使の処理は俺がやる。ただし女、貴様に少々協力してもらう。」

「私に?何をするんだ?」

「大した事ではない。記憶を少し貰うだけだ。十分程度な。」

「ふ~ん……まぁ、別にいいぜ。」

「大切な記憶を消しかねないからな。事前に渡す記憶を指定しておけ。」

「ん~十分程度なら、割りとどこでもいいんだよな~。じゃあ…………いや、志神に任せるわ。」

 ニヤリと笑みをこぼす。それは悪戯(いたずら)な笑み。自身の記憶ならば、よく考えもせず決めるだろう。しかし、他人の記憶となるとそうはいかない。無責任に選んで相手に迷惑を掛けたら、と考えるのが人間である。それは結夢も分かっていた。分かっているからこそ楽しいのだ。どうしようかと考え慌てる遊を見るのは、どれだけ悦なのだろうか。想像しただけで声が漏れる。悪戯に相手を困らせてみたい。そう考えるのも、まさしく人間らしかった。

 悪魔も結夢の思惑を感じ取り、理由を聞くなど野暮な事はしない。結夢と似た不敵な笑みを浮かべて、慌てる遊の姿を想像していた。この期の及んで何と緊張感の無い事か。

「決まったな。では、後の事は頼んだぞ天使。」

「悪魔に命令されるのは癪ですが、仕方ありませんね。行きましょう結夢。ザドキエルの本体は近くにいます。」

 不機嫌そうにそう呟いたハニエルは、結夢に外へ出るよう促すと、渋々リビングを後にした。




 遊の家から三十分程歩いた先にある民家。いや、民家と呼ぶには些か誤りがあるだろう。一般家屋の二倍はある大きさの建物。乗用車ならば五台は裕に入る広さの庭は、幾つもの花々が整斉(せいせい)と並んでおり、見る者を地に止める美しさを放っている。

 庭を一望できる位置にはテラスが設けられ、そこには木造の丸机と四足椅子が設置されていた。風にのって木材の芳香が鼻をくすぐる。優しく独特な香りは、日本人に馴染み深い(ひのき)

 空は日が没し、東から暗闇を引き連れる。点々と光る星は、透かした飴細工の様に儚げで幻想的だ。その情景と、檜の香りを楽しむ様に、椅子に腰掛け満足気な表情を浮かべている天使がいた。

「……ザドキエル。」

「記憶や精神は何故必要なのでしょう?記憶など無ければ悲しみは生まれない。精神など無ければ苦しむ必要はない。機械のように、役目を果たすだけの存在ではいられないのでしょうか?ねえ、ハニエル?」

 髪を掻き分けながら足を組む。椅子に座る天使の名はザドキエル。一挙手一投足、一言一句が気障ったらしく、ハニエルは白地(あからさま)に不快感を表す。

「そんな事は知りませんよ。もし私たちの存在が暇潰しならば、良くも悪くも思い通りいかない事ではないですか?」

「成る程、それは興味深い。ならば、ロキの仕出かした事さえも暇潰しの範疇(はんちゅう)だった……と言う事ですね。」

「それ以上は慎みなさいザドキエル。」

「おっと失敬。天使だけしかいない故、少し気が緩んでいたようです。」

 ザドキエルの言う通り、ここには天使が二使しかいない。結夢は家の外、更に二十メートル離れたところで待機させていた。

 幾つもの秘匿事項がある天使同士の会話を、例え少しでも聞かせる訳にはいかないのだ。相手がザドキエルならば尚更。何かの拍子に大切な情報を話しかねない。そして、その予想はまんまと的中しており、ハニエルは内心安堵のため息を漏らした。

「それで、わざわざ私に会いに来るなんて、どんな用件なのですか?」

「用件は簡単です。私の天召者である紫野月結夢に、貴方の能力を行使して欲しいのです。」

「ほう?それは何故?」

「志神と言う人間の記憶だけで世界を創るのは難しいでしょう。幸いな事に、私の天召者は同じ学校の同じクラス。利用しない手は無いと思いますが?」

 ハニエルの見立にザドキエルは驚いた表情を浮かべた。ザドキエルの創り出す仮想世界は、標的の記憶を材料とする。しかし、遊はクラスメイトの顔を覚えていない。クラスメイトだけでなく、同輩も、後輩も、教師でさえも朧気なのだ。そんな状態でマトモな日常など演出出来る訳が無い。

「ふふふ……そこまでお見通しでしたか。確かに標的である志神遊は、クラスメイトの顔など覚えていません。その紫野月結夢とやらが精々でした。違和感無く過ごしていただくには、正直無理でしょう。しかし良いのですか?いくら利用するにしても貴女の天召者です。もしそちらの方が衰弱が早かった場合、貴女は天界に還されるのですよ?」

「問題ありません。私にとって最悪の事態は、計画が失敗する事なのですから。」

「…………分かりました。」

 最後の一言を聞いて、ザドキエルは真摯に了承した。天使は嘘をつけない。だからこそハニエルの言葉を信じるに足ると判断したのだ。

 尤も、嘘はつけなくても濁す事は可能。それはザドキエル自身も幾度と無くしてきた事だったが、まさか天使同士で使われるとは、思ってもいなかっただろう。

 ハニエルの言葉の真意は一体何なのか。ザドキエルには検討もつかない。

「では急ぎましょう。貴方の能力の行使は、志神と言う人間の家でお願いします。もし共に二人が眠りについたとしても、同じ場所にいたのならば、処理の仕様はいくらでもあるでしょう。」

 ハニエルとザドキエルは、それぞれの天召者を連れ遊の家へと向かった。



 遊の家へ到着したハニエルと結夢。ザドキエルは距離を空けてついてきている為、後五分程で到着するだろう。

「結夢。申し訳ありませんが、ここで能力を使わせてもらいます。」

「あぁそっか。うん、分かった。」

 了承を得ると、ハニエルは両の薬指に指輪を嵌め込み指を絡める。対象の心も隙間もすぐに見つかり、術中に落とすまで一分と掛からなかった。

 完了したら結夢を操りリビングへ。悪魔には結夢を介して交渉の成功を報告。そこまで処理したところで、ザドキエルが到着した。どうやら、万が一を考え天召者は別所へ待機させているようだ。

「私が悪魔の注意を逸らします。その間に貴方は私の天召者へ能力を行使して下さい。」

「いいでしょう。しかし大丈夫なのですか?悪魔の注意を逸らすと言っても、二、三言葉を交わす訳でしょう。危険が及ぶ可能性は高いのでは?」

「今の私は悪魔と対等に話せます。例えそれが表面上であろうとも、(ないがし)ろにはしないでしょう。」

「ふふふ……意外ですね。まさか悪魔と友達ごっことは。」

 瞬間──殺意。そう呼べるものが、そうとしか感じられないものがハニエルから溢れ出た。瞳孔は開き、今にも飛び掛かりそうな雰囲気である。

「口を慎めザドキエル。三度目はありません。」

 ここまで怒りを露にしたハニエルを見たのは、ザドキエルも初めてだ。後退りたくなるのを堪え、足が笑うのを堪えた。うっすらと汗をかきながらも、いつもの態度は崩さぬよう装う。

「ふ、ふふふ……失言でしたね。では手筈通りお願いします。」

 ハニエルは返事をせぬまま無言で遊の家へ向かった。残されたザドキエルは、ハニエルの姿が消えるとその場に尻餅をつく。射殺す様な視線。同じ天使同士でも、ここまで恐怖を抱いたのは久しぶりだ。ハニエルの考えを計り知れず計りかねていると、リビングに通じる窓から、ハニエルと悪魔が飛び出すのが視認できた。

 気を取り直し、ハニエルと悪魔が出ていった窓から速やかにリビングへ。

「え、何だお前は…!」

 突然現れたザドキエルに怯えた様な結夢の表情。しかし、これもハニエルに操られている故の反応。そんな事を知る由も無く、計画通り事が進んでいると錯覚しているザドキエルは、まんまと結夢に能力を行使する。

 ザドキエルの右目が瞬く。意識下に呼び掛ける睡魔は、抗う事を許さず、元々朧気であった結夢の意識を完全に途絶えさせた。

 結夢の記憶がザドキエルの創る仮想世界へ影響を与える前に支配しておきたい所だが、今は悠長にしていられない。直ぐ様同じルートで遊の家を出ると、天召者を連れてその場を後にする。


 遊を排除できた場合、昇華は約束されたようなもの。ハニエルからの提案は、ザドキエルにとって、まさに千載一遇のチャンスであった。しかし、欲に目が眩み、単純な見落としをする事は愚か者である。感情の起伏が操作されていたとしても、周りを信じられなくなった者も愚か。

 それでは"最も愚か"なのは、果たしてどちらだろうか。答えは出ている。

 ならば、"本当の勝者"は誰だろうか。その答えは……まだ出ていない。

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