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天使の所業  作者: ふたつきひみつ
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結夢─ハニエル

 目を瞑るハニエルの瞼の裏には、"何か"が映っていた。不定形で、不安定で、不鮮明な何か。それは、人間の心。

 意識を細分化させ、範囲内の人間全てに宛てる。今、ハニエルの意識の前には、幾つもの心が浮かび、各々の存在を主張していた。

 ハニエルには見える。心の形が。人間の心は定型化されていない。常に形を変え、色を変え、温度を変える。その度合いは人間によって違い、些細なことで簡単に変化してしまう。結夢も、教師も、遊も……此処にいる全ての人間に当てはまる事実。例外など有り得ない。

 ハニエルには見える。心の隙間が。「愛されたい。」と、願い、望み、時に叫んでいる。それは誰もが思い、誰もが求めるもの。時代が変わろうと、本能に準じた感情を抑制するなど不可能。故に、誰にでも存在するものなのだ。例外など有り得ない…………筈だった。

(何故…!何故!何故ですか!)

 口をついて出そうな言葉を飲み込み、心の中で叫んだ。無理もない。見えないのだから。遊の心が。遊の、「愛されたい」と言う欲求が。

 酷く混乱する。困惑する。困窮する。別の手はあるのだが、それを全て吹き飛ばす衝撃に、ハニエルの思考は、疑問の解明一点に絞られてしまっていた。

(悪魔が私の能力を打ち消したのなら、それは理解できます…。しかし!あの人間には、そもそも"隙間が存在していない"!)

 例えば、嫌いな人間から「愛されたい」とは思わないだろう。

 例えば、見ず知らずの人間から「愛されたい」とは思わないだろう。

 遊の心はまるで"それ"。全てを憎み、又、全てに関心が無い。そんな狂気じみたものを、ハニエルは感じ取った。

 有り得ない筈だったが、実際に起こっている。存在している。無理にでも納得し、思考を切り替えなければならない。ハニエルは、一度深呼吸をして心を落ち着かせた。

(ここからは、結夢や一般人を使っていくしかありません。)

 元より、失敗した際の方針は決まっていた。後はその過程を作るのみ。しかし、それが一番難しいのである。ハニエルはうんうんと唸りながら、思考の世界へ没頭していく。



 授業が終了した後も考えは纏まらない。難しい顔をして唸るハニエルを、現実へ引き戻したのは、教室から聞こえた結夢のとある一言。

「お前の天使って何て名前なんだ!?」

「!?」

 結夢の言葉は、ハニエルに対して掛けられた言葉では無かった。相手は勿論遊。問題はそこでは無い。確かに話しかけた相手に驚きはしたが、それよりも内容である。

 遊が連れているのは悪魔。馬鹿正直に回答された場合、話がややこしくなるのは明白。早急に対処しなければならない。

 幸いな事に、遊は質問を答えあぐねている。しかし、危機的状況に変わりはないのだ。

「どうしたんだよ志神ぃ。」

「え、あ、その……う~ん…。」

 ハニエルは焦る気持ちを抑え、努めて平静に、自然に、窓から身を晒した。

「彼の事はハルマートと呼んでください。地獄にて、罪人に重い罰を与える役割を持っている者です。」

 突然背後から掛けられた言葉に、遊は体をビクつかせたが、それも一度だけ。ゆっくりと振り向いた遊は、声の主が天使であることに驚きはしなかった。しかし、ハニエルの姿を視認すると、一拍置いて目を見開く。

 ハニエルにとって、遊が一拍置いて驚いた理由は分からなかったが、特に気にせず自己紹介をする。結夢の時は失敗した、威厳ある姿を再度。目の前の人間、教室にいる人間全てに知らしめる為。

「申し遅れました。我が名はハニエル。美と愛を司る─」

「………ちっちゃい(ボソッ)。」

「んなっ!?今私のことをちっちゃいって言いましたね!」


 結局今回も失敗した。




 放課後。初めて見る天使(悪魔)に、興味が尽きぬ結夢。帰り支度を早々に終わらせ、遊の元へ掛ける。

「志神ぃ。今日は一緒に帰ろうぜ。」

 遊は驚いた顔をした。一度も話した事の無い相手から、そんな事を言われれば無理もない。

 結夢に他意は無く、只、遊の連れている天使(悪魔)に興味があるだけなのだが、遊にとっては疑心暗鬼にならざる終えない。返事をせずに、結夢の真意を探ろうと値を踏む。

 一方ハニエルは、今にも笑い出しそうだ。遊を連れ去るには一般人の手が必要。勿論、目撃者を出してはいけない。その為にはどうすれば良いか?答えは、目撃者をも共犯にしてしまえばいい。

 ハニエルの能力で操れる人数、範囲には限りがある。生徒全体を操るのは不可能。範囲も精々二百メートル前後。これは、意識を分けられるハニエルの情報処理能力と、意識を繋ぎ止められるハニエルの精神力に依存している。

 故に、ハニエルにとって理想なのは、人数に対して人通りが少ない事。路地や建物等、遊を捕獲してから隠しておく場所がある事。そして……遊が結夢と一緒にいる事なのだ。

 まさか、結夢から誘うとは思っても見なかった。思わず緩んでしまう口元を、額に手を当てる仕草で隠す。

「結愛………貴女はもう少し、おしとやかな言葉遣いをですね…。」

「いいじゃん、いいじゃん。ハルもワイルドな私の方が、ドキドキするだろ~?」

 急にハニエルを抱き寄せ、頬を擦り付ける結愛。それは、窓の外へ避難するまでやられ続けてきた行為だったが、何故かハニエルは余裕を無くし、内心慌ててしまう。何故ならば、遊や、遊の連れている悪魔ではなく、ハニエルへ興味を移してしまったからだ。このままでは、折角の提案が流れてしまう。

 ハニエルはあからさまに嫌悪感を出し、両手で押し返すが、結愛は離そうとしなかった。先程まで抑えていた欲が、爆発してしまっているのだろう。

 そんなやりとりが繰り広げられている間に、遊は支度を終わらせ、無言で教室を出ていく。その姿を見たハニエルは、更なる焦りと共に、違和感を感じた。

 結夢が話しかけても反応が薄い。それは悪魔の事を聞いていた際も同じ。遊は既に、悪魔から天使の所業を聞いているのではないか。遊と結夢の関係を知らないハニエルが、疑念を抱くには充分な反応であった。

 であれば一刻を争う。ハニエルは指を絡め目を瞑る。すると、先程と同じように不定形の心が、意識の前に現れた。しかし、それはたった一つ。温かく、柔らかな光を放つそれは、人一倍、愛されたいと訴えている。

 ハニエルはその心を、その隙間を埋めるように、意識を潜り込ませた。




 …………おかしい。何故?どうして?意識が朦朧とする。目の前が霞掛かる。でも、腕は動くし足も動く。自分の意思で動かしている感覚もある。

「志野月さん、さよなら。」

 クラスメイトが挨拶をしてくれた。私は右手をあげる。笑顔を作る。口を開く。

「おう、じゃあな!」

 …………"私"だ。紛うことなく私だ。動きも、笑顔も、声も、口調も、確かに私なんだ。

 だったら、どうしてこんな違和感を感じるのだろうか?まるで、自分の体を、コントローラーで動かしている様な感覚だ。自分で動かす感覚と、動かされている感覚が同時に起こっている。

 走り出す。意味もなく急ぐ。いや、意味はあるのだろう。でなきゃ走る理由が無い。ぼんやりと浮かぶ目的地は志神の元。

 何故?何故?何故?何故?自らの行動に、何度も何度も自問自答を繰り返す。しかし、返ってくる答えは"白紙"。つまり、何もない。

 …………あぁ、そうか。違うんだ。意識ははっきりしているし、視界も鮮明。逆に感じたのは、脳が誤作動を起こしていたから。私は今…………自分の行動に意味を見出だせないでいるんだ。

 何故走っているのか。何を見ているのか。何処へ向かっているのか。それらの行動に、何一つ意味を持てない。ハルに話そうとしても、首は動かず口も動かない。私に与えられた行動は、志神の元へ走る。只それだけだ。

 暫く走り続けていると、前方に目的の人物を見つけた。私は笑顔を作る。息を吸う。そして吐く。

「お~い、志神ぃ!志神ぃ!志神って!」

 呼び止める為の大声。静かな住宅街に響く。足元からは土を踏む音。文字通り早足に進む景色。あぁ、本当に……気持ち悪い。

「おぉ、やっと聞こえたか!まったく、難聴かお前は!あっはははは!」

 気持ち悪い。

「は~やっと追い付いた!何でなにも言わず行っちまうんだよ。一緒に帰るって約束したろ?」

 気持ち悪い。

「……紫野月の家は何処なんだ?」

「あっちだけど?」

 気持ち悪い。

「だったら、一緒に帰るって話は成立しないんじゃないか?」

「ん~?一緒に帰るって、必ずしも共通の道を使わなくても良いんじゃないか?私が志神についていくのも、一緒に帰るの一種さ。ただ、私は少し遠回りをしてるだけだよ。」

 気持ち悪い。

「紫野月。お前はどうして俺に構うんだ?」

「え、どう言うこと?」

 気持ち悪い。

「どう言うことも何も………今まで俺とお前は、一度だって話したことないだろ。」

「それはあれだ………好きだからだよ。志神の事が。」


 あぁもう、限界だ。私は──心を閉ざした。


「………………は?」

「どうした?私は志神が好きだぜ?やっぱり返事はしてくれないのか?」

 何も考えない。

「ま、待ってくれ!どうして急に?話したこともないのに…!」

「人を好きになるのに、時間なんて、言葉なんて関係ない。」

 何も感じない。

「いや、そう言われてもな…。」

「私は返事を待つなんてできない。ご覧の通り、せっかちな女だからな。」

 何も思わない

「志神。イエスかノーかで、答えてくれ。」

 でも、一つだけ。

「なぁ、志神。」

 一つだけ後悔がある。

「私はお前が好きだ。」

 私は──

「大好きだ!」

 "自分から"言いたかったのに。

「………っ!ふざけんなぁ!」

 突如、志神が大声と共に壁を叩きつけた。体を震わせ、手からは血が(にじ)んでいる。直ぐにでも駆け出したかったが、体はそれを許してはくれない。飽く迄、私の意思は二の次。自らの意思で動かしている筈なのだが、意思が二の次とは、全く変な話だろう。しかし、そう表現するしかないのだ。それ以外を持ち得ない。

 体は一歩も動かない。その場で、声だけで志神の身を案じる。

「おいおい、どうしたんだよ志神ぃ。大丈夫か?」

 本心である筈なのに、こんな時ですら、私の言葉は、私の心は空っぽだった。

 何故?どうして?

 何度したか分からない自問自答。結局答えは白紙。何もない。

「やっぱり、私の気持ちは迷惑だったか…?ごめんな。どうしても抑えられなかったんだ。」

 逆だ。抑えておきたかった。どうしてこんな形で…。

 泣きそうになる。顔を伏せたい。しかし、表情は変わらないし、頭は動かない。薄く笑顔を浮かべ、志神を見据えているだけ。

「……ハニエルぅぅぅ!!!」

 志神の絶叫。何故かそれは、ハルに向けられていた。突然の事に驚いたが、やはり表情は変わらない。

 激怒している志神。驚くハル。そして、意味もなく笑っている私。端から見れば、異様な光景だろう。

「テメエは何でこんなことができるんだよ!人の心はなぁ、オモチャじゃねえんだぞ!」

 志神がハルに対して怒っている。一体、何をしたと言うのだろう。

「ふん。勘のいい人間ですね。」

 ハルが蔑んだ視線を志神に向ける。一体、何があったと言うのだろう。

 ハルは地面へ降り立った。すると、私の意識が段々と遠退いていく。脳の誤作動では無く、今回こそ本当に。何処にいるか分からなくなる。何をしているか分からなくなる。只、怖い。




 どれくらい時間が経っただろうか…。私の前には、漫然とした世界が広がっていた。何をしてもよく、何も出来ない。何かを見ている筈が、何も見えていない。自分の行動を、視界を、その記憶を、片っ端から消去している感覚。怖い。分かっていながら何も出来ないのが怖い。

 恐怖に息を荒げたい。でも、出来なかった。

 恐怖に身を震わせたい。でも、出来なかった。

 恐怖に声を張り上げたい。でも、出来なかった。

 もういっその事、恐怖に身を任せてしまいたい……でも、出来なかった。恐怖は心に(くすぶ)り、私の精神を蝕んでいく。

 何もかもどうでもいい。私の心が限界を迎えようとした時、ドンッ!という音、そして衝撃が私を襲った。その音は、私から発せられた音。それを理解したと同時に、次々と感覚が還ってくる。

 聞こえるのは、大人数が走っている様な足音。感じるのは、頬を撫でる風。見えるのは……民家の屋根から、宙に投げ出された自分。

「ぇ………あ…。」

 意味が分からない。どうして此処にいるのか、どうして投げ出されたのか。でも、一つだけ分かる事は………落ちたら『死ぬ』と言うことだ。


 ──助けて…。


 そう願った瞬間、誰かが私を抱き締めた。思わず瞑っていた目を開く。

 見慣れた制服。見慣れた顔……私は、志神の腕に抱かれていた。

 たとえ民家の屋根からだろうと、落ちればただでは済まない。人一人抱えながらなら尚更だ。

 それでも志神は来てくれた。腕に力を込め、体を捻り、志神は自身をクッションにしようとしている。

(あぁ……これで"二度目"だ。)

 そこで私の意識は限界を迎えた。




 (まば)らに声が聞こえる。誰かが言い争っている様な声。それは、私の意識が戻ってきた証拠でもある。まだ微睡みの中にいるが、継ぎ継ぎに声を聞く。

「俺……もして……ぃ…。」

「………マクア。」

 志神の声だ。良かった……無事だったんだ。

「悪魔である貴方が何かしたんでしょう!でなきゃ、この人間に私の能力が効かない理由がわかりません!」

 ハルの声だ。何か怒っている様だが、悪魔って何だよ?

「俺の言葉は変わらん。俺は何もしていない。」

 初めて聞く声。どうやら、ハルマートの声の様だ。でも、ハルの質問に答えてるって事は、ハルマートは悪魔なのか?もしかして、志神の呼んだマクアって…。

 ダメだ……また意識が沈み始めた。頭が回らない。声が遠くなる。本当に今日は、何が起こっているんだよ…。





「なぁハル…。」

 志神を見送った後、家路を歩く私はハルに声を掛けた。今、どうしても聞きたいことがあるからだ。

 呼び掛けにハルは何も答えなかったが、私は構わず続ける。

「今日の事……全部聞かせてくれ。」

 何をとは言わない。そもそも、何が起こっているのか定かではないのだ。聞きたい事を絞れない為、今はハルの言える範囲で良いから、話を聞きたい。ハルの目的、志神の立場、ハルマートの正体、その何もかもを。

「分かりました……話しましょう。それが信用を失った私に出来る、唯一の償いですから…。しかし、この話は家の中でお願いします。他の方に聞かれると、問題が生じてしまうので。」

「分かった。」

 互いに了承を得ると、そこからは無言で歩いた。

 今の間に、状況を整理しようと思考を巡らす。しかし、どうも上手くいかない。頭の中では、志神に助けられた光景が浮かぶ。危険を省みず助けてくれたあの姿が。

(あれで二度目。やっぱり……やっぱり志神は、私のヒーローだ。)

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