覚醒
窓から脱出した遊は、ランニングより少し早い程度の速度で走っていた。追っ手の足はさして早くないため、それくらいの速度でも十分距離を離せる。
「何で夢の中でまで走ってんだ…。」
ため息を一つ。しかし、軽口が出る程度には、落ち着きを取り戻している証だった。
その言葉を聞いて、先行していた悪魔は、進みながらも体を翻す。
「大分余裕も戻ってきたようだな。ならば考えてみろ。まずは、いつ受けたのかを。」
「あぁ。でも、その前に。」
悪魔に言われ考えを巡らそうとしたが、一つ疑問が浮かび、それを最初に聞くことにする。
「マクアから聞くことは出来ないのか?事の始まりから、今までの話を。」
そう。結夢もハニエルも、ヒントは与えたが、決して答えまでは言わなかった。それはもちろん、答えを言う前に消されてしまうからだと思うが、悪魔のように、遊に手を貸しても消されていないなら、話は別だと考えたのだ。
「意識と言うのは不思議なものでな。自ら『こうだ。』と思ったことは、簡単には疑えない。しかし、他者から『こうだ。』と言われたことは、ちょっとした切っ掛けで簡単に崩れ去る。貴様も覚えがあるだろう?」
最後の言葉に、また遊の後悔が顔を覗かせる。確かにその通りだった。
久留が黒幕だと言うことを、結夢に否定されひどく苛立った。しかし、その後結夢の言葉を信じてみるも、結局無理だったのだから。
「だからこそ、貴様自身が気付く必要があるのだ。安心しろ。間違えていたら、間違えていると言ってやる。俺はこんな天使ごときの力じゃ消されはしない。」
最後にニヤリと口を歪ませる。その笑みは、遊にとって何よりも心強かった。
遊は安心して考えを巡らせる。頭の中はとてもクリアで、雑念は消え去っていた。
いつ攻撃を受けたのか?久留と会ったタイミングではないのなら、それよりも後はないだろう。だったら、それよりも前。
登校時?準備をしている時?シャワーを浴びている時?起床時?候補は細かく見れば見るほど、無限に広がっていく。
思い出せ。今まで感じてきた違和感を。学校以外で、それよりも前で、何かあったはずだ。ほんの些細なことでいい。思い出せ。思い出すんだ。
ここに至るまでの光景をフラッシュバックさせる。まるで、映画のフイルムでも見ているかのように事細かく。
戻る。戻す。巻き戻し、そしてついに到達する。
「………………まさか。」
あった。登校時よりも、シャワーを浴びている時よりも前。明らかにおかしい出来事が、違和感があった。
でも、あり得るのだろうか?しかし、そこしか考えられない。天使が関係すれば、あり得ないと否定したい事なんて簡単に起こるのだ。
だったら、遊が意識を失ったのは、攻撃を受けたのは─
「紫野月と別れた後、昨日の夜だ…。」
その夜、確かに遊は違和感を感じていた。謎の詩が頭のなかを駆け巡る。悪魔を探すため二階に上ると、何故か『こっちにいるぞ』と言う確信を得る。そして、人間の姿をしていた人物を、悪魔だと思う。
十分におかしな点はあったのだ。しかしその後、再度眠りに落ちたため、無意識的に候補から外していた。現実だと錯覚していたのだ。
意識を失う前、最後に聞いた悪魔の言葉………『今日の褒美に、少しだけ助けてやろう。』
あれは、足の疲労をとったのではなく、今この状況を言っているのではないか?
遊は悪魔を見る。聞きたいことはいくらでもあるのだが、ありすぎてまとまらない。悪魔はそんな様子の遊を見て、又も口元を歪めた。
「どうやらたどり着いたようだな。あの時、俺は貴様の体に魔力を流し込んだ。今貴様の前にいる俺は、その魔力に乗った思念体だ。」
遊が質問するより早く、悪魔は答えを口にした。
答えは得たが、自分から聞くタイミングを外されたため、遊は何とも言えない顔をしていた。それが面白いのか、悪魔は上機嫌そうに笑う。
「ふははは。何を呆けている?何をアホ面を引っ提げている?貴様はまだ考えなければならんのだぞ。さっきも言っただろう?時間がないと。」
やっと落ち着き我に返った遊。
頭を整理するが、まだ、違和感の答えを出す情報が欠如している。とりあえず手近な疑問を投げ掛けることにした。
「時間がないってどう言うことだ?」
「俺が貴様に流し込んだ魔力は微量。それを使いきったら、俺は消えてしまう。時間がないとはそう言うことだ。まぁ、他にも理由はあるが、今のところはそれだけ理解すればいい。」
「さらに流すことはできないのか?」
「説明しただろう。魔力は毒。これ以上流し込めば、貴様は最悪死に至る。本来なら、もう少しいられる予定だったが、予想外の出費があってな。今の量が限界だ。」
悪魔は何とはなしに口にしたが、『死ぬ』そう言われ、背中に怖気が走った。それと同時に、悪魔の姿が途中から見えなかった理由を理解する。使用できる魔力に限りがあるからこそ、節約のため、どさくさに紛れて姿を消していたのだ。
時間がない事は理解した。ならば、考えなければならない。最後。天使はどこにいるのかを。
まずは、分かっていることを整理しよう。
恐らくここは、夢、又は記憶の中。結夢やハニエル、悪魔の反応からして、これは断定してもいいだろう。
そして俺は今、天使の能力でここに閉じ込められている状態だ。これも同じ理由で断定する。
出る方法は、攻撃をした天使を見つけること。口ぶりから、この夢の中にいるらしい。と言うか、いなかったら詰む。
結夢とハニエルは、その事を伝えたら消えた。つまり、その情報は真実だと言う裏付けでもある。
さて、ここからは仮説だ。
攻撃を受けたのは、昨日の夜。疲れのせいで、抗えない睡魔に襲われたと思っていたが、それだけではなかった。同時に、天使からの攻撃を受けていたため、意識を保てなかったのだと思う。
そしてこの夢は、俺だけの記憶で作られてはいない。いや、いなかった。
俺はクラスメイトの顔なんて、さして覚えていない。久留なんて名前も知らなかった。にも関わらず、ちゃんと存在していたと言うことは、結夢の記憶も混ざっていた事になる。
しかし、結夢が消えたことにより、この学校にいた人物は、揃って人としての姿を失った。それが今、追いかけてきている物体だろう。
まぁ…こんな考えなくとも、もう答えは出ているんだよな。落ち着いて考えれば簡単なことだったんだ。
答えを明確にする前に、遊は悪魔へ話しかける。
「なぁマクア。もし天使を出したらどうなるんだ?」
「結局元を絶たねばならん。奴の事だ…どうせ追い出しても、また入り込もうとするだろう。だが、一度出したら問題はない。後は俺がどうにかする。」
「そうか。」
遊は正面に向き直り、息を吸う。声高らかに、天使の居場所を叫ぶため。
「そうだ人間。一ついい忘れていた。」
今まさに、叫ぼうとしたタイミングで声をかけられたため、出口を失った空気は、遊の肺と喉を攻撃する。
「ゲホッ!ゲホッ!…た、タイミング悪すぎるだろ!てか、狙ってただろ!」
涙目で噎せながら悪魔を批難した。悪魔は、案の定狙い通りだったのか、楽しそうに笑っている。
「まぁ落ち着け。奴への攻撃方法なのたが、貴様にも相談しておこうと思ってな。」
「相談?」
遊は首をかしげた。悪魔の事だ、またからかうのだろう。そう思いながらも続きを待つ。
「細かく説明するのは省くが、俺が攻撃するためには、人間の女の記憶を一部消さなくてはならない。」
「なっ!?」
放たれたのは、予想外の言葉だった。からかいなど全くない。ふざけてなどいられない話。
言葉を失っている遊を気にした様子もなく、悪魔は更に言葉を続ける。本題である相談を。
「了承は得ている。しかしあの女が言うには、『消す記憶については志神に任せる。』だそうだ。相談と言うのはこの事だが…まぁ、消すといっても十分程度。そんな気にすることはない。」
あっけらかんと、いとも簡単にそんな事を言う悪魔。確かに十分程度なら問題はないだろう。昨日の昼食の記憶でも消せば、お釣りが返ってくる。しかし、他人の記憶となるとそうはいかない。
例えば、何気ない食事の場面でも、本人にとっては大切なものかもしれない。ただ登校する間でも、何か大切な事を思い浮かべてるかもしれない。思いついたかもしれない。つまり、何が大切なのか分からないのだ。
自分の記憶を消すのとは訳が違う。そんなプレッシャーが遊を襲う。
「さぁ時間がないぞ。早く決めろ。」
容赦なく催促するマクア。今だけはマクアが悪魔に見える。いや、元から悪魔だったか。いやはや、思わず現実逃避をしてしまった。いや、現実でもないや…。
遊の頭の中はグチャグチャになっていた。幾つもの考えが、浮かんでは消える。必要なことも、不必要なことも、同時に浮かび相殺した。混乱。まさにその言葉が相応しい。
「あ、えっと…くそっ!」
考えがまとまらない。動機が激しく、気付いたら手が震えていた。
「…………………手が…。」
遊は思わず、震える手をまじまじと見つめていた。
何かを思い出しそうだった。震える手。自分ではない誰か。その時に感じた、守りたいと言う気持ち。
「………そうだ。あるじゃないか。」
遊は真剣な表情で悪魔を見据える。すると、悪魔は遊の方は見ず、手を突き出して制する。
「皆まで言わなくて良い。俺は貴様の体の中にある魔力だ。貴様の考えていることは分かる。」
そう言い残して、悪魔は姿を消した。どうやらギリギリだったようだ。
遊はその場に立ち止まり、目を閉じる。
ここは俺の記憶。俺の夢。強く願えばそれが起こる。天使を呼んだ際、久留の姿を借りていたハニエルが出てきた。しかし、俺は"天使"を呼んだんだ。だからこそ、敵である天使も出なければおかしい。
それは向こうも分かっているだろう。だからこそ、呼ばれても問題ない場所へ隠れたんだ。
俺へ情報を与えた途端、結夢とハニエルは消えた。それはつまり、すぐ近くにいたことにもなる。
呼ばれても問題なく、監視が可能。さらに、"俺の感情を激しく揺さぶる"事のできる場所。
大きく息を吸う。今度こそ、高らかに言い上げるのだ。
「出てこい…いや、"出ていけ"!学年一位をナメんなよ!俺の中から出ていけ!ザドキエルうぅぅぅ!!!」
瞬間、遊の体から何かが放たれた。それは天高く舞い上がると、空に亀裂を入れて霧散した。亀裂の入った空は、ガラスを殴り付けたように割れ、粉々に砕け散る。
建物は崩れ、人のような物体は溶けて消えた。
割れた空から煌々と輝く光が射し込む。それに照らされると、少しずつ意識が遠退いていく。否、本来覚醒していくが正しいだろう。
薄れゆく意識の中、ふと右に目をやると…純白のコットに身を包んだ女性が立っていた。
顔は分からない。目が霞んで見えなかったのだ。
「貴女は…?」
そう言ったところで、完全に意識は途絶えた。




