奔走
「おはよう結夢。」
「おっす紫野月。」
「おは野月~。」
教室に入った途端、クラスメイトから挨拶の嵐。しかし、受けているのは結夢だけだった。結夢は律儀に、挨拶してきた全員に返している。
少しいたたまれなさを感じながらも、結夢の性格からして、この光景は納得なのかも知れない。
「おはよう紫野。」
「おはよーさん結夢。」
「おはようございます結夢先輩!」
「………………あれ?」
首をかしげる。今、聞きなれない声に混じって、聞き馴れた声がした気が…。
しかし、何となく見回して見るも、特に目ぼしい何かは見つからなかった。
「気のせいか…。」
そう納得し、遊は結夢を残して自分の席へ着く。
特にやることもなかったので、クラスメイトと楽しそうに会話をしている結夢を眺めていた。
「結夢~。見て見て~。」
「おぉ、可愛いネックレスだな。」
「駅前のブティックで買ったんだ~。」
女子と一緒にはしゃいでいる結夢。男勝りな性格や口調をしているが、こう見ると年頃の女の子に見える。これも結夢の一面なのだろう。
そんなことを考えていると、結夢は話を中断し、遊の方へ顔を向けた。
「何やってんだよ志神ぃ。一緒に話でもしようぜ?」
一人でいる遊を気にしてか、結夢は無邪気な笑顔でそう言った。
しかし、折角クラスメイトと楽しそうに話しているところを邪魔するわけにもいかず、遊は困ったような笑みを浮かべ、『止めておくよ』とジェスチャーを送った。
「なんだよ志神……そんな気にしなくてもいいのに…。」
「いえいえ、あれは結夢先輩の事を思ってですよ。」
「ちょっと待て。」
………抑えられなかった。気付いたときには俺は、紫野月の元まで移動していた。
「お、やっぱり話をする気になったか?」
「遠慮しておきながら、すぐ手のひらを返すなんて浅ましい人ですね。」
「おいこら後輩。どうしてここにいる?」
遊がそう言うのも無理はなかった。結夢の隣には、何故か凛華がいたのだ。先程見つけられなかったのは、周りの人間に埋もれてしまっていたからだろう。
手には鞄が握られており、どうやら自分の教室へ向かわず、そのまま結夢のいるこの教室へ来たようだ。そしてそれは、タイミング的にも、遊たちの事を尾行していた証明でもあった。
凛華は遊の質問に対して、敵でも見るかのような目で答える。
「このブ男が…よくそんな事を聞けましたね?」
「どういうこ………おい、お前今人のことブ男って言ったか?」
「そんなに聞きたいなら教えてあげます。」
「無視か?無視なのか?」
「私がここにいる理由………それは、先輩との関係を終わらせるために決まってるじゃないですか!」
瞬間、クラスの空気が変わった。それは、一度張り詰めたような緊張感が漂ったが、すぐに明確な殺意へと変わる。
向けるのはクラスメイト(特に男子)。受けるのは遊だ。
「は、ははは………どうしたんだよ皆?」
両手を控え目に突き出し、引きつった笑みを浮かべながらそう言った遊。クラスメイトは誰一人答えることはなく、一歩、また一歩と距離を詰めていく。
手を伸ばせば届く距離まで詰められた瞬間、何者かが遊の手を取った。
「何かよく分からんが、逃げるぞ志神!」
その人物は結夢。遊の返答など聞かず、手を引いて走り出した。
遊は突然の事に混乱しながらも、引かれるがままについていく。それを合図にクラスメイトも走りだし、遊にとってのデッド・オア・アライブが始まった。
教室を出て、階段を下り、一階まで降りたところで廊下を走りまた階段を上る。
何処かに隠れるのも手だが、それは見つかった場合のリスクが大きい。とにかく今は、走って少しずつでも人を引き離さなければならない。
「はぁっ!はぁっ!」
上って下りて、時には違うルートを選び、また上って下りての繰り返し。少しずつ人数が減っているのはいいが、いつの間にか、悪魔の姿も無くなっていた。しかし、それを気にかけている余裕はない。
ノンストップのダッシュに、さすがの遊も段々と息が上がってきた。
それと同時に、ずっと手を引いて走っている結夢が心配になる。こんなペースで走り続けたら、相当負担が掛かっているはずだ。
「紫野つ──」
「あっはっは!楽しいな志神ぃ!」
結夢は眩しいほどの笑顔でそんな事を言った。額に汗をかいているものの、全く疲れた様子を見せていない。
それどころか握っていた手に力を込め、さらに足を早めたのだ。
「うおっ!?」
急な加速に、倒れそうになる体をどうにか支えてついていく。結夢は相変わらず楽しそうに走っていた。
その姿を見て、遊は何故か………酷く苛ついた。
何だよこの気持ち…。今の紫野月を見てると、すごくイライラする。まるで、昨日のハニエルとの闘いのような感じ…。
でも、操られている様子はない。偽者のようにも感じられない。だったら一体何が…?
「志神ぃ!前も後ろも挟み撃ちだ!」
考えに没頭している遊は、結夢の言葉で我に反った。
正面から向かってくる人。後ろを振り返っても、追いかけてくる人。どうやら万事休すのようだ。
捕まったら何されるんだろうな~。無事じゃすまないよな~。と、完全に諦めかけていると、結夢はさらに手に力を込めた。
「何してんだよ!"跳ぶ"ぞ!」
「え?……………ふぁっ!?」
聞き返したときにはもう遅い。結夢は遊の手を引き、近くにある窓から飛び出したのだ。
踏ん張る間もなく引き出された遊は、上り下りを繰り返していたため、狂っていた階数を思い出す。
(ここって何階だ!?下りて上って下りて上って………!)
頭をフル回転させ、出したここの階数は──四階。
「くそったれええぇぇぇ!!!」
キャンセルの効かない落下運動に、思わず悪態をついた。が、それと同時に嫌な記憶が甦る。ハニエルとの一件。あの怯えた結夢の表情が。
結夢は手を引いているため、どんな顔をしているかは分からない。しかし、手の震えが微かに伝わってきた。
「っ…バカ野郎!」
遊は引かれている手を握り返し、引き戻す。腕一本分離れていた距離を詰め、結夢を庇うように抱き締めた。
似たシチュエーションたが、今回は四階に加え、悪魔がいない。助かるのは絶望的だろう。
(くそっ!芝や樹木とか、クッションになるものかあれば…!)
すると背中を衝撃が襲う。しかし、それは地面に叩きつけられる衝撃ではなく、バキバキッと音を放つ、いくつもの軽い衝撃であった。
それがほんの数秒続くと、少し大きめの衝撃を受け、落下が終了した。その衝撃は、コンクリートや土ではなく、もっと柔らかいもの。
「あ、あれ………無事だ。」
目を開けて状況を確認する。
空を向いた目線の先には、枝の何本も折れた木が、そして手で上体を起こすと、そこには芝が敷かれていた。
体に小さな擦り傷等はあるものの、骨折や打撲と言った怪我は見受けられなかった。
芝や樹木は、元から無かったような気がしたが、握っている手を見て、そんな疑問は吹っ飛んだ。
「っ!紫野月!」
遊はすぐ結夢の容態を確認する。庇ったおかげか、擦り傷さえほとんど無い。しかし、結夢は目を閉じたままピクリとも動かなかった。
やはり誤魔化したとは言え、あの時の恐怖は心に刻まれていたのだろうか。遊の頭には悪い予想ばかりが浮かぶ。
「おい紫野月!目を開けてくれ!」
返事はない。しかし、胸が上下に動いているため、息はしているようだ。
だとしたら、ショックによる気絶の可能性が高い。
遊は結夢の肩を揺すり、呼び掛ける………が、変わらず返事はなかった。次に感覚を刺激しようと考え、頬を軽くタップする。
「……いっ…。」
「………………え?」
一瞬結夢から声が聞こえた気がした。しかし、まじまじと見てみるも、目を瞑って動かない。
再度遊は結夢の頬をタップする。今回は少し強めに。
「痛っ!…………。」
「…………………………。」
明らかに声がした。その顔は先程とは違い、口元がにやけている。
遊はため息を吐いた後、黙って手を思い切り振りかぶる。
「うわ~!ストップストーップ!」
「やっぱり起きてたのかよ…。」
「……えへ?」
結夢は舌を出して手を合わせる。こんな状況にも関わらず、なんとも緊張感の無い反応に、遊の怒る気力は失せた。
緊張が解けて胸を撫で下ろす。すると、遠くからいくつもの足音が聞こえた。どうやら外に出て追ってきたようだ。
「隠れるぞ志神!」
結夢はまたも手を引き、二人の落ちた木の裏へ身を隠した。
体全体が隠れる、まさにタッチの差で追っ手が現れた。その先頭には凛華がおり、遊たちが身を隠した木の前で立ち止まった。
凛華が軽く手を上げると、追っ手は全員立ち止まり、その場で待機して凛華の指示を待つ。その姿はまるで、一個小隊の様だ。
「A班はそのまま前進!B班は左折して昇降口方面へ!C班は私と一緒に校内を捜索する!七分後に現在地に再度集合する事!では、別れ!」
落ちてから時間が空いているのにも関わらず、移動せずいるとは考えられなかったのか、凛華はそう指示を出した。
それにより、追っ手であるクラスメイトは、敬礼をして散っていった。
完全に隊長と化している凛華。そして、完全に兵隊と化しているクラスメイト。その姿に、遊は少し情けなくなってくる。
「あのブ男、絶対見つけますよ………かくれんぼは終わらせないと。」
そう呟いて校舎へ向かうC班。
姿が見えなくなったのを確認すると、残された二人はその場にへたり込んだ。
「いや~、久留ってカリスマ持ってんだな~。将来が楽しみだ。」
「将来は楽しみかもしれないけど、俺は今が不安でたまんねーよ。」
軽口を叩きながら、先程の凛華の指示を思い出す。それにより、簡単なハザードマップを頭の中に作ることができた。それに加えて七分後の追手の位置も。
ここにずっと居るわけにはいかない。最悪校外へ出るのも仕方ないだろう。時間とハザードマップを照らし合わせるため、遊は自分の腕時計を見た。
「……………………は?」
思わず呆けた声が出た。
時計の針は………8時28分を指していたのだ。




