36話
お越しいただき、ありがとうございます。
その場の流れというにはあまりにも急な展開すぎてエルネスタは思い切り戸惑っていた。だがそんな顔はおくびにも出さず、娼婦が買われ上階へと行くための受付をするためにリオとカウンターへ行く。するとカウンター内にいる男性従業員がエルネスタに紙を渡してきた。
「どうぞ、ここにお客様のお名前を書いてください」
紙が差し出されるとリオは一通り内容を確認してからさらさらと書いていく。ちゃんと筆跡を変えているあたり本人の言う通り酔っているわけではなさそうだ。
リオは部屋の借り出し欄のところで一旦ペンを止めるとエルネスタを見る。
「一晩のときはどうするんだ?」
「ひ、一晩……? 一晩ですか?」
「そうだ」
「……部屋の借り出しだけなら」
「君を一晩買うつもりだ」
娼館では飲み過ぎた客に娼婦を買わなくても宿代わりとして部屋を貸すときもある。娼館のランクにもよるが他の宿よりも三割〜五割ほど割高になっている。
娼婦を買うとそこに料金が上乗せられるが金額は娼婦ごとに違う。人気の娼婦は高額な指名料もそこに加算される。
「……一晩は高くつわよ」
エルネスタが小声で囁くがリオは頷いただけだった。エルネスタはリオから紙とペンを受け取ると代わりに記入していく。そんな彼女の耳元にリオも小声で呟いた。
「部屋は三〇三にしてくれ」
リオに目線を向けると空き部屋が表示されている壁の紙を見ていた。
エルネスタは言う通りの部屋番号を書いてから男性従業員へ渡すと彼は頷いてからカウンターから出る。
「前料金として半分の銀貨十五枚をもらう。残りは退室時だ」
「いや、今支払おう」
そう言うとリオは懐から革袋を取り出して三十枚を差し出す。それを確認すると男性従業員は階段前にある柵を開けた。
階段を上がる前にリオは振り向いてアレックスたちに告げる。
「お前らも頃合いを見て帰れよ! 明日はいつも通りで構わない」
軽く手を上げてから登って行く。
二人はその姿が見えなくなるまで黙ったまま動けなかった。この一連のやり取りの間も、予定外以上の予想外な展開に頭が追いついていなかったというのが正直なところだろう。
ただ先ほどリオが声をかけ片手を上げたときにハンドサインを送っていた。
『問題なし。任務続行』
彼がそう言うのであればこちらは段取り通りに動くしかない。二人は一瞬目を合わせて頷き合った。
「はははは。まったくなぁ〜。あいつ、普段は酒ばかりなんだが、たまーにむっつりが顔を出すんだよな! はははは、今夜がそれだったか!」
「そうなんですね! ぼ、僕の方が何だかドキドキしちゃいましたよ!」
「……ここだけのお話だけどよ、あいつの婚約者が恐ろしいってマジだからな。だから、もしバレたら俺は止めたってことにしといてくれよ」
「ええ!? じ、じゃあ、僕も止めたけど無理でしたってことにもしてくださいよ!」
エルネスタは微妙な顔をして階段を登っていくリオを見上げた。
「……あいつめ、覚えてろ」
なかなかいい部下をもっているとエルネスタはそっと笑いをこらえた。
「で?」
三〇三号室に入るなり、バッと振り向いたリオは開口一番に聞いてきた。思わず後ずさったエルネスタの背が扉につく。
「こんな娼館に潜入するのも王族付き侍女の仕事か?」
腕を組んで見下ろしてくるリオの目つきは厳しい。だがエルネスタはそれを受け止めるかのように勝気に笑った。
「あら? どうして潜入だと言えるの? ただの副業かもしれないでしょう?」
「田舎から出稼ぎにきた六人兄弟の長女と嘘ついてか?」
「そうよ。無難な嘘でしょう?」
エルネスタはリオを押し退けると中央まで歩いて行く。テーブルにある洒落たオイルランプが揺れて、それをなぞるように触れながらエルネスタは笑った。
「あなたこそ、副団長自ら潜入かしら? それとも単に女性を買いに来たの?」
「………………」
お互いわかっているのだ。それぞれの目的をもってここに来ていると言うことを。ただ、今までの関係性からどこまで踏み込んでいいのかという迷いが二人を包んでいる。
リオは小さいため息をついて己のターバンを床に投げ捨てていつもの顔を見せる。そしてエルネスタに近づくとその手を取った。
「エル──、エルネスタ」
真剣な声で名を呼んだ。
「お前は何者だ?」
金髪の下は艶やかな黒髪があり、青い瞳は紫紺にも見える黒い瞳。そのどれもが違うはずなのに、今見せる表情は静かでありながらも遠慮がないいつもの姿だ。
だがそのいつもの姿でさえ彼女の本来の姿なのだろうか。普通の侍女とは明らかに違うのは確かだ。何より彼自身が身をもって知っている。
そして高位貴族の者であり、何といっても国王とも親しいということは他国の間者のたぐいではない。だとするのなら……。
「──暗部の者か?」
エルネスタは黙ってリオを見ている。その瞳は凪いており驚いてもいない。ただリオがどう出るのかを静かに待っているようだった。
「由緒正しいユリザ侯爵家。だが昔より王族と血縁以外では最も近い貴族でもある。侍従職が慣例すぎて意外に盲点だったが、そう思えばいろいろ納得できる話でもあるな。表向きは王族を守る盾として近くで控えつつも裏では工作員も兼ねているというわけか」
リオは握っているエルネスタの細い腕に目をやる。
「この細腕にいったいどこまでの力があるのか。あの襲撃での態度もそう思えば腑におちるな。────これで合ってるか?」
そう言って腕を離した。
エルネスタは目線を落としながら黙ったまま窓際まで歩き遮光カーテンを閉める。
「……あなたがここに来たのはその襲撃に関することでしょう? あなたの部下が張り付いているから私はこうして潜り込む羽目になったんだから」
エルネスタの言葉は先ほどのリオの問いかけとはまったく違う返答ではあったが否定をしないということが答えだろう。
「なかなか腕がいい部下ね。だけど、あなたが直接来るなんて本当に予想外だったわ」
「自分で動きたいタチなんだ」
「そうみたいね。仕事のためなら女性を買うくらいにね」
「────いや待て」
リオは一瞬固まったがすぐさま片手を上げて止める。
「……言っておくが、酔い潰れて部屋を借りるという計画で女を買うつもりはなかった。あくまでお前がいたからこうなっている」
「私のせいって言いたいの?」
「そうだ」
エルネスタはリオに疑わしい目を向ける。
「当たり前だろう? いくら仕事とはいえそういうことはしない」
「……ああ。恐ろしい婚約者がいるものね」
「……あのな、お前が自分で言ったんだろう?」
「そうだったかしら?」
しれっと首を傾げるエルネスタだが、確かに恐ろしいことになりかねないとリオは思った。この目の前の婚約者は只者ではないのだから。彼女からはっきりとそう告げられた訳ではないが、いかんせん表の顔である侍女の時でさえ一筋縄ではないし、こうしてもう一つの顔を知ってしまうとことさらだ。
「一つ聞きたい。陛下はすべてを知った上で俺との婚約をもちかけたんだな?」
「……こんな物騒な女とは結婚できないって言ってみたらどうです? 今なら不本意な結婚をしなくてすむかもしれませんよ」
「不本意ではない」
「前にも言いましたが、私はあなたの愛する人のように守りたいと思わせるような可愛げのある人間ではありません」
「俺も前に言ったはずだ。この婚約が気に入らない訳ではないと」
「……では言い方を変えます。愛する方とは結ばれなくてもせめて似たような好みの女性と結婚できれば同じように愛せるんじゃないですか? 私はあなたの理想とする女性像とはかけ離れていますから──」
「違うっ」
エルネスタの言葉を遮ったリオは拳を握る。何を言ったらいいのか胸に渦巻くものを上手く言い出せない。だが自分の心にあるのはそういうことではない。
二人きりの部屋に沈黙が落ちる。
あの言い出した早朝デートも結局できていない。リオは変わらず朝の訓練はかかしていないが彼女が足を運んでいないのだ。王太子妃付きの侍女なのだから忙しくしているのもわかっているため、あえて無理強いはできないと連絡もしなかった。
彼女と向き合うと決めたにもかかわらず、とどのつまりエルネスタ任せにしていた。自分から動かなければ彼女の中に入り込めないというのに。何も変わらない二人の距離がそれを物語っている。
「……過去の自分の想いは否定はしない。だが彼女が理想像だと思ったことなど一度もない。誰にも変わりはできないしするつもりもない。お前だって同じだ。今、その人と……、いや、その彼女自身が婚約者だと言ってきたとしても俺は選ばない。俺は──お前を選ぶ」
「……意味がわからないのですが」
「俺もわからん」
「はぁ?」
「だがはっきり言えるのは俺の婚約者はお前ということだ。物騒であれ何であれ、もうお前以外の婚約者を作る気もないし、解消するというのなら俺は死ぬまで独り身でいい」
まるで脅しのように言ってくるリオをエルネスタはまじまじと見つめる。
「……よくわかりませんが、どこか意地になってるんじゃ?」
「意地にもなる。お前からすれば俺は最初から最低な男だった。挽回すると言いながらも動こうともせず情けないばかりだが、それでもお前以外を選ぶという選択肢はすでにない。だからお前からも俺を選んでもらえるよう必死なんだ」
「……必死って、どうして……」
「それは……、」
リオは一旦口を閉じた。本当に必死なっていることが自分自身わからない。いや、この気持ちが何であるのか、もう知っている気がする。
あの時と似ているようで違うのは、リオの中に「熱」があるということだ。穏やかに見守るだけで満足していた「恋」は絶えず一定の温度が胸に流れていた。
だがエルネスタに対してはどうか。沸騰したり氷点下に突き落とされたり、他にもさまざまな気持ちを味わって心が忙しい。
目の前の婚約者は手が届くほど近くにいてもスルリとかわしてどこかへいく。……いや、たとえ手に掴んでもきっと同じかもしれない。それが……、なぜか彼には耐えられないと思った。
「……お前が俺を見てくれないことも、何かあれば婚約解消を言ってくることも……、悪いのは俺なんだから仕方ないんだが……、それでも、つまりだな……、面白くないんだ。もっと俺を信じてほしいというか、お前を婚約者だと思っている俺を信じてほしい……と、思っている」
あんなことを言っておいて勝手だと思わなくもないが、最初の発言に悪気がなかったのはもうわかっている。
エルネスタとて別に彼を拒絶している訳ではない。ただ自分とあまりにも違いすぎるだろう彼の想い人との差を気にしているだけだ。
「……………………」
「……………………」
────ガタン。
隣室の物音で二人はハッとなった。
「……話は後だ」
リオの言葉にエルネスタは頷いたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




