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35話

お越しいただき、ありがとうございます。

「ええ! もう明日には王都から出て行くのぅ〜?」

「ああ、他にも急ぎの仕事があってな。たった一日だけの滞在なんだ」

「ねえねえ、バドリくんはこういう店は初めてなんでしょ?」

「は、はいっ。お酒もあまり飲まないので……」

「いやーん、可愛いぃぃ♡」


 リオは盛り上がっているのを横目に黙って酒を煽っていた。ブレンノはもちろんのことアレックスもまったくもって違和感なく、本当に羽を伸ばしにきた感じに接している。

 バドリとはブレンノが今回つかている偽名だ。アレックスはデバシと名乗り、リオはガーナムだ。


「ね、あの人本当にほっといていいの?」

「いーのいーの。あいつは酒さえ飲めればいいんだ」


 リオは別のテーブルのソファに一人で座っていた。

 最初はリオの隣にも女がついていたが会話らしい会話にもならず、見かねたアレックスが女を自分の方に呼んだ。リオは店に入ってきてから明らかに不審な態度だった。それに首を傾げながらもすでに店内に入ってきてしまっては聞くこともできず、ひとまずは「酒で潰す」という計画通りに動くことにした。


「ビビちゃん! ほら、もっとお酒持ってきて」

「はーいっ!」


 ビビと呼ばれた少女は金髪に青い目、そしてその目元の泣きほくろが特徴で接客ではなく給仕を主な仕事としている見習いということだった。常駐しているのではなく短時間労働として十日ほど前から働き始めたということで初々しさがあった。


 ビビ───、エルネスタだ。


 リオは忙しなく動くエルネスタをじっと見ていた。だが眉間の皺は一層深くなっていく。雰囲気がまるで違う彼女になぜか苛立つ。愛嬌があってよく笑い、だがどこか不慣れな手つきで給仕をしているが、そのどれもが演技だとリオにはわかっていた。


 普段の彼女とは本当に別人だ。アレックスやブレンノも気付いていない。もとよりそこまで彼女との接点もないのだからそれは仕方ないかもしれない。

 顔は変わっていないのは当たり前だが髪型と髪色、目の色、声質などでこんなにもイメージが違って見えるから不思議だ。だが何より彼女の性格までガラッと変えているから「なんとなく知り合いに似ている」くらいにしか思われないだろう。

 リオ自身もよく気付いたと思う。正直うっかり騙されそうになったが直感が彼女だと教えてくれた。

 だが。


 ────腑に落ちない。


 なぜ彼女がここに? こんなところで何してる?


 今でもその肩を揺さぶってここにいる理由を聞き出したい。エルネスタのことだから遊びや興味本位でこんなことをしているのではないだろう。

 それはわかる。わかっている。──それでも単純に気に入らない。


 先ほど帰って行った客にもこんなふうに愛想よく笑いかけていたと思うと無性に腹が立つ。あの客だけじゃなく、ここに来た他の男たちにもだ。演技であろうが何であろうが自分の知らない顔を見せたことが面白くない。


 リオは酒瓶を握るとドボドボとグラスに注いでいく。すでに一本空けている。

 アレックスは思ったよりも早いペースで飲み進めているリオに内心困惑しながらも、店内を動いているエルネスタに声をかけた。


「あー、ビビちゃん。悪いけどこいつに酒をお願いできるかな」

「はーい!」


 エルネスタがパタパタと奥に入って行く後ろ姿をリオは酒を飲みながら目で追う。姿が消えても目線はそのままで、再び酒を持って現れてもじっと見続けている。


「どうぞ〜」


 瓶をテーブルに置くと、リオはグラスを持ち上げた。


「……注いでくれるか?」


 不機嫌に言ってくるリオにエルネスタはトレイを胸に抱えて困ったように笑う。


「私は給仕ですので……」

「給仕なら注ぐのも仕事の一つだろ?」


 確かにそうではあるが、一応はここは娼館なのだ。それは娼婦が受け持つ仕事だ。


「ビビちゃん! お酒ぐらい注いであげなさいよ〜」

「そうよぉ。何ならお相手もどぉお? 振ってばかりじゃお金を稼げないわよぉ。ふふふ」

「ビビちゃんもね、出稼ぎに王都に来たばかりなのよぉ。六人兄弟の長女なんですって。早くお客を取ったほうが早く稼げるし薦めてるんだけど、やっぱりこればかりは本人の意思も大切でしょ?」


 三人の娼婦がいろいろ説明してくれたおかげでリオはエルネスタの状況を飲み込めた。すべて嘘であるが。


「……なるほど」


 意味深にエルネスタを見上げる。彼女はにへらと笑って答えるが、その目は余計なことはするなと圧をかけている。

 だがリオはそれを無視してグラスを揺らす。


「注いでくれ」

「……では失礼します」


 エルネスタはリオの隣に座って酒瓶をもち、空のグラスに並々と注ぐ。ワイワイと騒いでいるあちらのテーブルとは違ってここは静かだ。いや、お互いに緊迫した空気感が漂ってそう見えているだけだろう。


「……六人兄弟とは大変だな」

「私が頑張らないといけないので」


 店内は明るいがさまざまな種類のオイルランプが揺れて雰囲気を作っている。寂れた娼館にしては清潔感があり、そこまでの色目いた毒々しさもない。こういう店であれば本当に酒と女との会話を楽しむだけの客も多いかもしれない。

 カウンター席には二人の客がそれぞれ一人で来ているようで女と肩を寄せ合っている。そのカウンターの向こうには店の人間であろう中年の男が一人立っていた。


「ここは十日ほどと聞いたが?」

「はい。でも毎日入るわけではないので」


 リオは酒を一口飲む。そしてエルネスタをまじまじと見つめた。

 いつもの薄化粧ではなく、かといって濃いわけでもない。だがくっきりした眉、きつめのアイラインとブルーのアイシャドウで目元が強調されており、ピンク色の口紅は濡れたように光っていた。貴族令嬢とは違い上品さには欠けるかもしれないが、こういう店にはしっくり溶け込んでいる。化粧一つでこうも印象が変わることをリオは初めて知った。


「……客をとったことはないらしいが?」

「……はい。そうですね」

「稼がないのか?」

「……まずはこちらの仕事に慣れてからかと思いまして」

「慣れたらとるのか?」

「………………」


 エルネスタはどこか棘のあるリオの言葉に思わず引き攣りそうになる。当たり障りのない会話がしたいのに、どうもリオは何かを含ませたような言い回しをする。どことなく責められている気がしないでもないが、エルネスタはにこやかに笑みを浮かべた。


「ええ、そうなると思います。……お客様は明日には王都を発つとか」

「そうだな」

「はぁ、残念です。お客様はとてもお優しそうですから初めてのお相手をお願いしたかったのですが。ええ、残念です」


 リオはブッと酒を詰まらせた。


「あ、でもお客様に恋人……もしくは婚約者などいたら申し訳ないですし。ああ、大丈夫ですか? 拭きますね」


 エルネスタはリオの服に溢れた酒をハンカチで拭うためにそっと近寄ると、誰にも見えない位置に入り込んだと思ったらフンを鼻を鳴らした。


「───っ(お前っ)」

「ふふふ♪ (お返しよ)」


 エルネスタはリオから離れると何事もなかったように楽しそうに笑った。


「さあ、どうぞ」


 リオのグラスに再び酒を注いた。リオは黙ったままエルネスタを一度睨むと、一気にそれを煽る。かなり強い酒だがまったく顔色を変えないリオは飲みながらも彼女から目を逸らさないでいた。そしてまたグラスを向ける。


「どうぞ」


 エルネスタが同じように注ぐ。またそれを一気に流し込みグラスを向ける。


「……どうぞ」


 さすがのエルネスタも笑顔は保ちつつ引き攣りながら注いでいく。それを何度か繰り返し、とうとう酒瓶が空になった。その間もリオはエルネスタだけを見ていた。


「………………」

「………………」


 じっとエルネスタを見つめているリオに酔っているような様子はない。だが明らかにいつもとは違っていた。


「…………十日」

「え?」

「ここで働き出して十日だと言ったな?」

「……はい」

「十日もいればもう慣れる頃だろう」

「……?」


 リオがグラスをテーブルに置いた。


「もう客をとってもいい頃合いだと思うが?」

「はい?」


 リオは考え込むように腕を組んで目を瞑る。


「……俺のことをそこまで望んでいるというのなら、」

「えーっと……」


 何となく言いたいことがわかったエルネスタは明後日の方向を向いて何か言おうと口を開きかけるがなかなか言葉が出てこない。


「俺も応えてやるしかないな」


 リオは眉を寄せてうんうんと一人で小さく頷く。


「あー、お客様は酔ってらっしゃるようですね。お水をお持ちしますね!」

「悪いが俺は酔わない」

「いえいえ。大抵酔った人はそう言うんですよ!」

「いいや、今まで俺より酒の強い人間に会ったこともないほどだ」

「いえいえいえ。酔った人はそういう大口を叩くものなんですよ!」


 立ち上がろうとするエルネスタの腕を逃さないとでもいうふうに掴むリオは、最初の不機嫌さが嘘のように笑っている。だが、かなり胡散臭い笑いではある。


「なになにビビちゃん! もしかしてお相手決定かしらぁ〜」

「うふふふ♪ おめでとうぅ〜」


 二人の様子にアレックスのテーブルにいる娼婦らが手を叩いてくる。エルネスタが否定しようとする前にリオが口を開いた。


「彼女から相手を願われてしまっては受けるしかないからな」

「いや〜ん、ビビちゃんのタイプはこういう人だったのね! うん、確かに逞しくて素敵だものね!」

「ちゃんと可愛がってあげないと許さなから!」

「もちろんだ」


 エルネスタは軽い目眩を覚える。リオがまさかここまでの行動に出るとは、彼の認識を改めたほうがいいかもしれない。そう、あまりからかい過ぎると突っ走るところがあるようだ。


「姉さんたち! 彼には好きな人がいるんですって! だから無理強いはできません」


 だから自分はいいんです、というような困った顔を作って見せた。


「そうなのぅ? でも男は……ふふふふふ♪ できるもんなのよぉ」

「あらぁ、女だって同じよぉ。心までは……というやつよん。ふふふ」


 どうやらそういうことを割り切っている娼婦には届かない言葉だったようだ。ならばとエルネスタは続ける。


「それに……、好きな人とは別に婚約者もいるんですって!」


 リオを指差して大きく振る。


「ええ? やだ、何それぇ〜。あなた、案外見た目と違ってお堅くない人なのねえ〜」

「きっと他にも女がいる可能性があるわね〜。丸っきし女には興味がありませんって顔してて実のところは……って男もいるし〜。そういう部類の人かしらぁ」


 娼婦らが遠慮なくリオを怪訝に見ながら呟く。横で完全に蚊帳の外になっているアレックスとブレンノはポカンとしたままだ。

 そしてエルネスタはもう一声というばかりいつけ加えた。


「その婚約者って、とってもとっても怖いらしいですよ。きっと裏切ったら彼は……、逆恨みされた私も殺されるかもしれません!」


 肩を窄めて両腕をさすったエルネスタは怖そうに震える。


「……あー、それは修羅場になりそうってことかしらぁ? それは困るわねえ〜」

「でもぉ、明日には王都を出るんでしょう? 婚約者も他国にいるのでしょうし誰も口外しなければ……。あなたたちも言っちゃダメよ?」


 アレックスたちに人差し指を立てて「しーっ」という仕草をする娼婦に二人は自然と頷いてしまった。


「大丈夫よ、ビビちゃん! だってビビちゃんは遠慮しているだけでしょう? お相手はこの人がいいんじゃないの?」

「……えーっと、」


 あくまでエルネスタの希望に沿うようにと親切心で言ってくる娼婦に彼女は目を彷徨わせる。その目線の先がリオを捉えるとすごい眼力で見つめられていた。断ることを許さない威圧さえ感じる。


「………………」


 リオは娼婦らに背中を向けている形であるため向き合っているのはエルネスタ一人だ。どこか必死そうな表情のリオと対峙していたが、しばらくしてから少々引き攣りながらもにっこりと笑った。


「じゃあ、……お願いします」


 盛り上がる娼婦たちを尻目に二人は黙ったまま見つめ合っていた。





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