優しいだけでは⑪
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フルードがパァッと顔を輝かせる。紅蓮の炎の神威を纏う青年姿の神が、苦笑を纏って鏡に映り込んでいた。葡萄酒色の髪、双眸は山吹色。美しく整った顔立ちは天上の存在に相応しい。
(もう一柱来た! ……へえ、あれが焔神か。姿を見るのは初めてだけど、めっちゃカッコいいじゃん)
日香は息を呑む。これは予想外の展開だ。
『話は遠視で聞いてたぜ。ピヨ、お前神鎮めでやらかしちまったのか』
苦笑した焔神が鏡から消えたかと思うと、瞬時にフルードの側に転移した。狼神と互いに会釈する。鍛え上げられた長身はすっと背筋が伸びていた。
『おやおや、まさか視られていたとは。ここでは天界より力を抑え気味にしているので、気が付きませんでした』
『すみませんね、チビがどうしてっかなって気になってちょっと視てみたら、あなたと話してたんですよ』
軽口を叩き合う二柱の前で、フルードがしょんぼりと頷いた。
「恐れ多くも焔神様直々に助言をいただいておきながら、お恥ずかしい限りです」
『俺のことは別に良いさ。……しかしおかしいなぁ、お前は確かに要領が良いわけでも覚えが早いわけでもないが――逆に、特別大きな失敗をするような器でもねえはずだ。なんせ狼神様の愛し子なんだから、できるはずなんだが』
『生育環境のせいでしょう。相手に強い態度に出られると萎縮してしまうようなのです』
狼神が言葉を添えた。フルードの主神である彼は、当然愛し子の生い立ちを把握している。
『生育環境?』
『両親から酷烈な虐待を受け、後に売り飛ばされた貴族には拷問級の扱いをされていたのです。両親は神官ではないので、霊威や霊具を使わず素手で殴ることも多かったようですが、人間はただ殴ったり蹴られたりするだけでも痛みを感じるか弱い生き物ですからな』
『それは知ってますけど……素手って要するに霊威なしの生身の腕や脚ってことですよね。それで殴られることが、後々までトラウマになるくらい辛いことなんですか?』
だが、瞬きする焔神は――さらに言えば、説明している狼神自身でさえ――、今ひとつ腑に落ちない顔をしていた。フルードには可哀想だが、視ていた日香は彼ら神側の気持ちも理解できた。
(あーうん、天の存在には痛覚がないもんね。人間の痛みってなかなか分かんないよね)
神は痛みを感じず、傷を負っても瞬時に完治する。そもそも肉体という概念を超越した存在だからだ。同格以上の神から神威で傷付けられた場合などは苦痛を覚えることもあるが、普通に殴打されるだけでは何の損傷も受けない。ゆえに、殴られ蹴られ切られることは恐怖でも何でもない。
神と人間は、思考と価値基準だけでなく心身の在り方自体からして根本的に違う。
「つ、辛かったです」
フルードがおずおずと口を開き、狼神と焔神に向かって言った。
「毎日毎日叩かれて、蹴られて、打たれて、切り付けられて、叩き潰されて……本当に辛かったんです。父には何度もお腹を蹴られました。父は神官ではない一般人でしたけど、昔格闘技をやっていたとかで力が強かったんです。大きな大会で優勝したこともあったみたいです。腕も脚も指も折られました。治癒霊具は効き目の悪い安物しかなかったですし』
既にたくさん泣いたであろう青い瞳に、新たな涙が浮かぶ。それでも言葉を止めない。目の前の神々に、自分の気持ちを分かってもらいたいのだ。
「気絶しない日はないほど、苦しくて痛かったです。泣いても消耗して喉が痛くなるだけだと分かっていても、毎日涙が止まりませんでした」
『へぇ……?』
焔神が首を傾げ、おもむろに自分の人差し指をバキッと折った。ひゃぁ、とフルードが悲鳴を上げる。
『痛くねえけどな。でも元人間の神使も扉に指挟んで叫んだりしてたしなぁ』
次の瞬間には完治した指を眺め、不思議そうに呟く焔神に悪意はない。純粋に、本当に分からないだけだ。
「……そう、ですか。焔神様と狼神様は神様ですから……やはり人間とは違うのですね」
ポツンと呟くフルードの目から光が消えた。ああ、分かってくれないのだと諦めかけている。それを見た狼神が、『そうだな』と言い、宥めるように愛し子を尾で撫でた。
だが、焔神は違った。じぃっとフルードを見つめ、元気に拳を突き上げて言う。
『――よし、じゃあ俺も人間っぽくなるぜ! そしたらお前の言ってることがピンと来るかもしれねえ!』
ありがとうございました。




