優しいだけでは⑩
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(フルード君、どうしてるかな。落ち込んでるだろうな)
皇女の宮に戻った日香は、密かにフルードの様子を視認した。
遠視した光景が脳裏に映る。その中では、必死の形相をしたフルードが狼神と向かい合っていた。泣き腫らして赤くなった目は、今までと何かが違う。天威でさらに奥まで視た日香は、唇を噛んだ。
(……気付いたんだね)
己がただ『優しい』だけであると。その『優しい』は、甘さや優柔不断、中途半端も含んだものであると。そして、それを捨てなければ聖威師として大成できないと。
変わること自体は当然だ。過酷な修練を経て自身を叩き直す者はざらにいる。それに、人というのは随時成長していく生き物だ。人格ががらりと入れ替わる次元で変貌する者もいる。神の寵を得たフルードはもう人間ではないが、人の感性を色濃く残しているし、神であっても状況に応じて変容することはある。
だがそれらを踏まえても、フルードはあまりにも優しすぎる。この澄んだ心を今のまま維持しながら、さらに聖威師として強くなることは難しい。
彼は覚悟を決めたのだ。今の自分が死ぬしかないと。悲壮な眼差しの中で、その心が泣いている。消えたくない、死にたくない、どうか切り捨てないでくれと。そう泣きながらも、こう続ける。
だけど仕方ない。こうするしかない。仕方がない。そう諦めている。
(駄目だ、未来が確定した)
日香は目を閉じる。脳裏に映るのは、血みどろになって生き絶えるフルード。本人がその運命を受け入れたことで、末路が決まった。
あの子はこれから壮絶な修行を経て生まれ変わる。自身の全てを作り直していく中で、今の優しく透明な彼は、暗闇と絶望と辛苦の中、一人ぼっちで逝くのだろう。
何とかしたくとも、この件は天威師がどうにかするのは無理だ。フルードは人ではなく神なので、天威師が関与することができる。しかし、魂の根本や未来・運命そのものを根底から変えるほどの干渉は祖神に止められる。それは天威師の役目から逸脱した行いだからだ。
(狼神が、今この場で愛し子の命を絶って天に連れて行くかもしれない。もうその方がいい)
それでも、フルード自身は地上に残りたがっている。何か起死回生の方法はないかと模索する。
(それか、運命神なら……。さっきオーネリアが言ってた。一部の聖威師が運命神に直訴して、フルード君の未来を変えてもらおうとしてるって)
運命神。必然の右手と偶然の左手を駆使し、己の神威で創生した竪琴をかき鳴らす。その調べは、宿命と天命を含めた広義の意味での運命を自在に紡ぎ出す。まさしく運命の旋律を奏でる、選ばれし高位神だ。
(運命神だったら、確定した未来でも自由に変えられる)
確実となった運命をひっくり返す芸当は、狼神の力でも可能ではある。しかしそれは、次元違いの神威で未来をねじ伏せる力技だ。細かい部分の調整がどうしても難しい。
例えるなら、噴火した活火山を鎮めようと、大洪水を起こし津波級の濁流を何度も火山にぶっかけて強引に鎮火するような方法だ。そんなことをすれば、鎮火できても火山や周囲の土地はめちゃくちゃになる。
狼神が自身の神威で未来を無理に変える方法も、同じようなものだ。普通の人間が相手ならばそのようなことにはならず、自由に運命を操作できるが、フルードは神性を抑えているとはいえ自身も神なので難しいのだ。神の未来に介入することは、同じ神であっても容易ではない。
運命自体は覆せても、どこかでフルードに負荷がかかり、予想外の歪みが起きてしまう可能性があった。狼神は、そんな危険性のある手段は取らないだろう。さっさと天に連れて行ってしまえば、危ない橋を渡ることなく愛し子を完全救済できるのだから。
至高神と最高神を除けば、フルードの未来変更を詳細かつ繊細に行える神は、定めそのものを掌中に収める運命神くらいだろう。
(運命神か、あるいは四大高位神に直訴できれば、もしかしたら……。でも、多分間に合わない。天の神とはすぐに連絡が取れるわけじゃない。時間がかかることもあるから――狼神が動く方が早い)
フルードは、狼神の奥に蠢く物騒な気配には気着いていないようだった。懸命に懇願している。
「お願いします狼神様。僕に力の使い方を教えて下さい。心の持ちようを指南して下さい。僕はもっと、もっと強くなって――先生に玻璃章を差し上げたいんです」
(玻璃章?)
一瞬疑問符を浮かべた日香だが、すぐに意味を悟って手を打つ。
(あー、その手があったね)
玻璃章。神官が一定難度以上の任務を、定められた期間内に規定回数完遂した時、その神官の師に与えられる特殊な王宝章である。『並外れた偉業を達成した傑物を教え導いた』という功績に対し、褒章が贈られるのだ。
なお、任務を達成する神官は聖威師でも構わないことになっている。ただし聖威師の場合、達成の対象となる務めの難度も回数も霊威師より遥かに上がり、規定期間も大幅に短縮される。
「僕、考えたんです。立派な聖威師になるにはどうしたらいいか、先生のために何ができるかって。それで、神ご自身に指南していただくしかないと思いました。それに玻璃章だったら、僕が頑張ったらお渡しできるかもしれません。先生が奥様と約束したのは、王宝章を取ることです。種類までは限定していません」
フルードの恩師の年齢から考えて、長年に渡って研究してきた分野で瑠璃章を逃せば次の機会はないだろう。加えて、恩師は地道な作業をコツコツと続ける性格だという。現場型ではなく、一発勝負や特殊分野に強い訳でもないので、瑪瑙章や珊瑚章、琥珀章は難しい。
だが玻璃章ならば、フルードの頑張り次第で可能性がある。恩師はフルードの正式な指導役になる手続きを行っていた。フルードが聖威師になると同時にその関係は消滅したが、正規の指導員であった経歴と事実は残り続ける。神官として最も基礎となる原点の部分を教え、最初の方向性を示してくれた恩師という体裁でならば、彼に玻璃章を授けても不自然ではない。
(王宝章の授与対象になるのは人間だけだから、神や先達の聖威師にはあげられないし……消去法であの神官しかいないもんね。他の神官たちもそれで納得すると思う)
きっと必死に考えたのだろうフルードを眺めて頷く日香だが、返った答えは色よいものではなかった。
『私はそれよりも、セインを今すぐ天に連れ帰りたい』
狼神がぴこんと耳をそよがせる。ふかふかの尾を愛し子に巻き付けて悲しそうな顔をしていた。
『神格を解放して神になれば、教えられずとも自身の全ての力を使いこなせるようになる。神格を抑えている聖威師だからこそ、修練が必要になるのだ。天に行こう、セイン。神になってしまえば良いではないか』
「僕はまだ昇天したくありません。地上に残ったまま力を上達させたいんです。お願いします、狼神様!」
必死の懇願を受け、うぅんと唸る狼神の反応は芳しくない。当然だ。狼神にも視えている。フルードが行き着く暗闇の未来が。
例え愛し子が変わり果てたとしても、神から賜る寵愛と加護は維持される。フルードが今後どのようになろうとも、狼神は決して見捨てない。見限らない。とはいえ、だからといってむざむざと寵児の魂を死地に追いやるはずがない。
今のうちに昇天してしまえば、フルードは現在の透き通った心のまま神になり、穏やかに在ることができるのだ。
『……私は今でこそお前が心配で、ちょくちょく降臨したり動いたりしているが、本来は天界の奥にいて滅多に腰を上げぬ。よほどの有事でない限り、何事も静観することを基本方針としているのだよ。それ以前に、私はお前がこれ以上苦労せずとも良いと思っている。修練など不要。今すぐ天へ行こう。私が連れて行く』
「狼神様っ」
頼みの綱からの拒絶回答を受け、顔面蒼白になったフルードの目に涙が盛り上がった。ここまでかと日香が覚悟した時。
部屋にかけられていた鏡が揺らいだ。
『おいおい、そんなシケた顔すんなよ』
「……焔神様!」
ありがとうございました。




