14.これからは本当の親子になる 前編
お読みいただきありがとうございます。
◆◆◆
「たりない」
虚ろな目で座り込み、アリステルは呟いた。邪神の領域に来てから、既に二月ほどが経過していた。まだまだ拙い聖威を駆使し、過去の光景を記憶の底から蘇らせたアリステルは、欲しい物をどんどん告げていった。
高純度の結晶花で作ったブレスレットと短剣、ブローチ、調度品。大粒の宝石が輝く装飾品。ふかふかの毛皮のコート。広くて豪華な部屋。霊鳥の羽根で作った最高級寝具。霊草や霊花をふんだんに使った料理。霊木の果実を使用したジュースとスイーツ……スイーツはノンシュガーで。
かつて見た別世界の住人・モーリス王子様が持っていたものを自分の中にも取り込めば、きっとあの子のように幸せいっぱいの笑顔を咲かせられる。そう信じていた。
果たして、願いは望んだ以上の形で叶えられた。アリステルの依頼を聞いた邪神と鬼神は驚き、『そんな下等な物よりもっと良い物をやる』と口を揃えて言い、天界の草花や天珠、神鳥の羽などを使用した品々を山のように与えてくれた。全てが天珠でできた神殿を作り、アリステル専用の殿舎として授けてくれもした。
最初こそ歓喜したアリステルだが、次第に興味も魅力も感じなくなっていった。山よりうず高く積み上げられた宝物に囲まれて、嬉しかったのは始めだけだ。序盤の興奮が過ぎれば、後に残るのは充実感や幸福感ではなく、どこか寒々しい空虚さのみ。
(どうして満たされない。何が足りない。どこが駄目なんだろう)
あんなに幸せそうな顔をしていた王子様と同じことをしているはずなのに。彼がどれだけ背伸びをしても手に入らない逸品ばかりで全てを固めたはずなのに、何故。
聖威で記憶を探り、オンボロの報道霊具で見た光景を思い出す。彼と自分の相違点は何だ。彼にあって自分にないものは。
ぼたん雪が降りしきる中、死んだ心で見つめたセピア色の記憶が、鮮やかに付きながら一つの像を結ぶ。
安心し切った顔で駆け寄る王子。腰を屈めてそれを迎え入れる男性。
――パパ!
王子の高い声が、絶対的な安堵と信頼を宿して呼びかける。
「…………」
アリステルの頰を雫が伝う。悲しさと絶望で。
「僕にはパパがいない……」
自分を虐待していたアレは、パパどころか家族にもカウントしていない。邪神は代わりであって本当の父親ではない。俺はお前の後見だし親代わりだから、名前でアレクシード様と呼んで良いぞと許してくれたものの、お父様と呼んで良いとは言われなかった。名前呼びを許されただけでもとても名誉なことらしく、鬼神が驚いていたが。
「僕にはパパが――」
唇から漏れ出る空疎な呟きと共に、涙の粒が床に落ちて弾けた。
(なん、で)
冷たい宝玉の中で蹲り、嗚咽を漏らしていると、明るい声が響いた。良い子の起居時間に合わせて生活してくれている邪神だ。
『おはようアリステル。今日も聖威の使い方を……』
言い止した邪神が瞬きする。数呼吸の後、床を見つめていたアリステルの前にふっと影が射した。
『どうしたんだ?』
長身を屈めて膝を付いた美丈夫が覗き込んでいる。
『何故泣いている。どこか痛いのか?』
「……痛くないです」
『じゃあ怖い夢でも見たのか? あ、サーシャがまだ起きないから寂しいのかな?』
「違います。悲しいんです」
『何が悲しいんだ?』
「僕が本当に欲しい物がどこにもなくて……あの王子様みたいに幸せになれないから」
形良い唇の動きだけで、欲しい物、と復唱した邪神が、周囲を見回す。切れ長の目が映すのは、無造作に積み上げられた宝の山。地上ではどれだけ頑張っても手に入らないありとあらゆる贅沢品と嗜好品がこれでもかと取り揃えられている。だが邪神は、これだけあるのにまだ不足なのかとは言わなかった。
『他にも欲しい物があるんだな。できる限り準備してやるから、何が望みなのか言ってごらん』
「……邪神様にも、きっと用意できない……何で、あの王子様は全部持ってるのに」
『用意できるかどうかは内容を聞いてみないと分からないさ。何とかなるかもしれんだろ。というか、さっきから言っている王子様とは誰のことだ?』
「モーリス王子です。ザッカース王国の」
『帝国の属国だな。モーリス王子ということは王族か。どれどれ――これは数奇な運命を辿った人間だな。お前ほどではないが』
邪神の黒眼がキラリと光る。
『神威でモーリス王子のことを把握した。王家に生まれながら海難事故で悪人に拾われ、奴隷同然にこき使われてながらも救出され、王子として復帰か。子どもの内から波乱万丈な人生なんだなぁ。人間基準では災難続きと言えるか』
「言えない!」
喉から迸った絶叫が、虚しく輝く宝石の山を縫って部屋に木霊する。
「災難? どこがっ!? どこが災難なの、あんなに恵まれた環境のどこが!」
『アリステル?』
目頭が熱くなると同時に、雪の重みで軋む報道霊具を見上げていた人々の声が蘇る。未熟な聖威を使って過去と記憶を辿り、幾度も幾度も反芻した言葉だ。
――何度もこの映像が大映しされて、その度にお可哀想なモーリス王子様の解説が入るんだからよ
――王子は拐われた先で酷い目に遭ってたらしいぜ。すぐ怒鳴られる、重いモン持たされる、メシが古いパンと冷めたスープだけ、物置部屋に住まわされる、着古したカビ臭い衣を着せられる……。酷い時は仕置き用の細杖で手や足を打たれてたとか
――可哀想な話だねぇ
「硫酸風呂にも冷凍庫にも焼却炉にも突っ込まれない。電気が流れる鉄の首輪を付けられることもない。雪が積もったり真夏日で灼けた道路を裸足で歩くこともない。生ゴミや腐った木の根や虫を食べることもない。屋根も壁もなくなりかけたボロ倉庫に追いやられることもない。穴だらけの雑巾みたいな衣を着せられることもない」
そのような状況でさえ生易しいと感じるほどだった自分の境遇と比較しながら、アリステルは決壊した河川のごとく言葉を紡ぐ。奇妙なほど棒読みでありながら、その奥に熾烈なまでの激情を秘める声。
「獣に体を食べさせられることも、銃で撃たれることも、凶器で斬り付けられることもない。頭を割られることも手足を折られることもお腹に刃物を突っ込まれることも、何かの拷問を受けることもない!」
白い頰に尽きることなく滑り落ちる涙。まともな食事が与えられるようになったおかげで、肉付きも血色も良くなって来たが、それでもまだ痩せている。
「――ちゃんとした衣食住が全部そろって! 十分に人間らしい暮らしを送って! どこが可哀想で災難なの!?」
ありがとうございました。




