9.生まれて初めて褒められた
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「…………」
『おぉいアリステル、大丈夫か!?』
声も出せずに卒倒しかかったアリステルを、邪神が支えてくれる。
『アイ、お前は何てことを言うんだ! それじゃこの子の育ての親がやってたコトと変わらんだろ!』
『この子はもう神格を得たのだから、高温も硫酸も大丈夫よ。具体的な修練はこれからだけれども、もう聖威師の体なのよ?』
『肉体的に大丈夫でもメンタル面や感性面で問題ありすぎだろ。ついさっきまで人間だったんだぞ!』
『では……仕方ないから人間仕様のベッドにするわ。でも寝衣くらいは特製の物を用意して良いわよね? 一粒の微粒子だけで万物を壊死させる高濃度の瘴気で織り上げた衣なのよ。着心地は抜群――』
『だから、それも違うだろアイ!』
とんでもない内容を告げる鬼神の目に、悪気や害意は微塵もない。心の底から、アリステルへの愛情と善意と親切でやろうとしている。それが分かるからこそ、逆に絶望的だった。気が遠くなりかけていたアリステルの耳に、邪神がピシャリと両断する声が飛び込んで来る。
『あーこれは……アイに任せていたら色々と大変そうだ。アリステル、お前の世話は俺がする。心配するな、ちゃんとお前の基準に合わせた内容にしてやるから』
言葉と共に、ひょいと体が抱え上げられた。浮遊感と軽い振動、一気に高くなった目線に、遠のきそうだった意識が引き戻される。
『あなたが? ではやはり、こちらに滞在させるおつもりなのですか。私の愛し子ですのに。私の特製ベッドと衣は――』
『だから却下に決まっとるだろ! さっきも言ったが、俺にも召し出した者としての責任があるんだ。この子の弟分も一緒にここで面倒を見るから、お前の従神にするなら早く神格を与えて来い。ただし擬人状態にさせておくようにな、聖威師になることを選ぶかもしれん』
『分かっておりますわ……』
袖を噛んで悔しがりそうな勢いで、邪神の腕にすっぽり収まったアリステルを見ていた鬼神だが、不承不承の程で姿を消した。おそらく、サーシャに神格を与えに行ったのだろう。
『良かったらお前の話も聞かせてくれたら嬉しいんだなぁ』
呆然と主神を見送るアリステルの上から、優しい声が降り注いだ。見上げると、悪神とは思えないほど温厚な眼差しが見つめている。
『俺だけが一方的に教えるんじゃなく、お前もいっぱい俺に話をしてくれれば嬉しい。もちろん無理のない範囲でだ』
「何を……話せば良いですか? 楽しい話はほとんどできないです」
『何でも良いんだ。お前の好きなこと、やりたいこと、望むこと、欲しいもの、何でも。俺もアイも、それを叶えてやる』
「僕は……シスに良い服を着せてやって、普通の食べ物を食べさせてやって、きちんとした家に住まわせてやって、勉強させてやりたい、です」
『そうか、ではそれを全て叶えてやろう。だが弟分のコトばかりだなぁ』
「お兄ちゃんですから当然です。親は酷いことしかしないから、優しくしてやれるのは僕だけだから。僕があの子を守らないと」
自分の中で当然の真理であったことを告げると、邪神は感心した声を発した。
『そうか、お前はずっと弟分を守って来たのか。良いお兄ちゃんだ』
「……いい、おにいちゃん……?」
深海の瞳が見開かれる。生まれてこのかた、誰かに褒められたことなどなかった。サーシャからありがとうと言ってもらったことがあるくらいだ。父も母も村人も、誰も自分を認めてくれなかった。ひたすらに責め苛むか無視するだけだった。
酒や日用品の買い出しなどの雑用を押し付けられることもあったため、言語のやり取りと最小限の読み書き計算はできなければならず、あちこちが破れた初等科の教本を投げ与えられて自分で必死に勉強した。だが、そこに載っていた賞賛の言語は、自分には生涯縁がないものだと思っていた。
『うん、お前は強い。偉い。立派だ。頑張った……本当に良く頑張ったな』
だが、邪神があっさりとその言葉を与えてくれた。周囲の人々が誰一人としてくれなかった承認と肯定、賛辞を、人から怖れられる悪神が惜しげもなく寄越してくれる。その事実を理解した瞬間、アリステルの瞳の奥で何かが切れたような感覚が走り、視界がボヤけた。
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