7.初めてまともなものを食べた
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切れ長の双眸に親しみを乗せて微笑んだ邪神は、穏やかな口調で続けた。
『お前の名は何という?』
「――アリステル・ヴェーゼ、です」
一瞬迷った末、アリステルは答える。ファミリーネームは名乗らなかった。自分にとって忌まわしいものでしかないからだ。それを気にすることもなく、邪神はふぅんと頷いた。
『……アリステル・ヴェーゼか。うん、良い名だ』
そして卓上でひょいと手を動かすと、手のひらに持てるくらいの小さなボウルが現れた。音を立てず置かれた器の中を見ると、丸い粒状の具がちらほら浮かんでいる。
『邪神様、それは何かしら?』
『豆を煮込んだスープ、のつもりだ。人間はこういうものを食べるんだろ。味付けは適当に塩でやってみたんだが……』
言い終わる前に、ゴクッと唾を飲み込んだアリステルは、両手でボウルを持って中身を飲んだ。本当はスプーンを使うのだろうが、育った環境が環境なので、まともにカトラリーを持ったことなどなかったし、使うという発想も浮かばなかった。
(おいしい)
その一語が魂の底から湧き上がる。塩をひとつまみ入れた湯で少量の豆を煮ただけのスープ。それはアリステルが今まで一度も食べたことのないまともな食べ物にして、人生で初めて口にするご馳走だった。
……余談だが、この時の感動が心に刻み込まれたアリステルは、今後何かにつけてこの僅かな塩と豆だけのスープを欲しがるようになる。
アリステルを喜ばせようと人間の料理をコンプリートした葬邪神は大層悔やみ、『こんなことなら最初にもっと豪華なスープを出してやれば良かった……肉とか野菜とか、コンソメを使うとか……』と嘆き、同じ悩みを抱える末弟と共に泣くのだが、それはまだ後の話だ。
『おっ、美味しいか。良かった!』
スプーンを渡そうとした邪神が、アリステルの飲みっぷりを見て手を止める。
「あ……」
はたと我に返ったアリステルは、慌てて器から口を離した。中身を確認すると、湯も豆も半分以上減ってしまっている。
「こんなにたくさん飲んじゃった。シスの分も取っておかないといけないのに」
しょんぼりと肩を落とすと、邪神が『シス?』と呟く。
『この子と一緒に連れて来た子どもの名前ですわ。今は気を失っているから別室に寝かせてもらっているでしょう。この子と血の繋がりはないけれども、様子を見る限り兄弟同然に育ったようですの』
説明したのは女神――鬼神アイレーンだ。
『ああ、この子と一緒に召し出した子か。悪神の素養があるからお前の従神にするつもりなんだろう』
『ええ。ヴェーゼと同じく聖威師になるかどうかは当事者の一存に委ねるわ』
『――聖威師か』
葬邪神の声色と気配が鋭くなった。だが、すぐに和らげると、アリステルに向き直る。
『スープならいつでも何杯でも出来立てを出してやる。だからお前は今飲みたいだけ飲みなさい、アリステル』
「本当ですか? シスの……弟の分も、後で出してくれますか?」
『ああ。約束する』
その言葉が嘘ではないのだと、直感で分かった。誰もが恐怖する悪神であるこの邪神は、自分にとっては全幅の信頼を置いて良い存在なのだと。
小さく頷いたアリステルが再びボウルを傾けて飲み始めるのを確認し、一杯目のお代わりを置いた邪神が再び鬼神を見た。
『アイ、今更な話になるが、何故この子たちを天界に連れて来た? 神格を抑えた聖威師をみだりに天へ呼んではならん。分かっているだろう。いきなりお召しを頼まれた俺がどれほど困惑したか分かるか』
言いつつも、鬼神の灰色の双眸を射抜く漆黒の瞳に責める色はない。
『永い付き合いであるお前の懇願だったし、奇跡の愛し子となれば天や神官府への根回しも含め何かしら準備をしたいのかもしれんとも思ったから、ひとまずは承諾したが……本来は推奨できん行為だ』
『分かっておりますわ。勝手を申し上げたことを心よりお詫びします』
殊勝に頭を下げた鬼神が、アリステルの望みを話す。育ての親に人間基準では随分と酷い目に遭わされており、自身の手で復讐したいと言い貼っていることを。
そして、夢中でスープを飲むアリステルには聞こえないよう念話を展開し、彼には前世から魅入られていたことも含めた全容を伝えた。
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