第2話「図面とか見なくても分かるのか」
普段から、無意識のうちに頭の中で点と点が結びつく。
人の動き、建物の形、天気によって変わる街の顔。
人のつながりもそう。この人が全体の中心だ、というのが分かる。
蜘蛛の巣も、全部が崩れ落ちる他とは違う一本、が分かる。
知らずに眺めていた風景が、ふとした時に頭の中で結びつく。
まるで点と点に糸を通すように。
自分のいる図書館の天井のひび割れが、どの本棚のところまで伸びると危ないか。
リンゴの山でどの一つを動かすと、全体が崩れるか。そういうことが、なんとなく分かる。
伝えるのが下手なせいか、図書館のひび割れは館長に伝えたが取り合ってはもらえなかった。
崩れたリンゴを三人で積み直す。店主は怒るかと思ったが、異国人が何度も頭を下げるので呆れた顔で許してくれた。
買ったばかりのリンゴをかじりながら異国人が聞いた。
「さっきの、なんで分かった?」
「昔から、そういうのがなんとなく分かるんだ。大体当たるよ」
「俺はフラムっていうんだ。蒸気機関の保守であちこち回ってる。あんたは?」
「蓮要。この先の図書館で仕事してる」
蓮要は、ふと立ち止まって雲一つない空を見上げた。
「明日、午後にはリンゴは今日の半分以下の値段になるよ」
「で、明後日から先は今日の三倍ぐらいの値段になるから、明日のうちに買いだめするのがおすすめだよ」
フラムは不思議そうに蓮要を見ていた。
星が出るぐらいの時間から、昼間からは想像もできなかった暴風雨が朝まで続いた。
蓮要が言った通り、木から落ちたリンゴが午後には店先で捨て値で売られていた。
宿の前でばったり会った蓮要は、傷の少ないものを選んで籠いっぱい買い込み、上機嫌だった。
「これ、大丈夫なところは砂糖で煮て、傷のないのは干しリンゴにするんだ。できあがったら、フラムにもあげるね!」
「お、本当に? 楽しみにしてる」
蓮要はうれしそうに笑って、籠を抱えて帰っていった。
図書館と宿、そして商店街は同じ道沿いにある。
夕方、仕事帰りにまた蓮要に会った。
向こうから声をかけてくる。
「よく会うね! 今日はどこの保守に行ってたの?」
「今日は修理で、貝柳さんのところの蒸気機関」
「貝柳さんのところか...。それ、またすぐ呼ばれるかも」
「なんで?」
蓮要は少し考えてから、
「…ただの、感、なんだけど」
と、前置きをして話し始めた。
蓮要は、考え考え、ゆっくり説明する。
色々と分かりはするが、それを説明するのがいつも苦手だ。
「貝柳さんのうちは…川の側で」
「あ、口に入る方は、上水だと思うんだけど」
「川は、今年、藻と苔がすごくて...」
「なるほど。生活に使う水は川から取ってるってことか」
「で、藻とか苔が蒸気機関のどっかに詰まってるかもってこと?で、合ってる?」
「う、うん。そう」
蓮要の説明をフラムは瞬時に理解した。
こんなにすぐに分かってくれる人は、今までいなかった。
フラムは腕を組んだ。
『そういえば、昼間行った時、川が近かったな。
生活用に川から水を引いている。
蒸気機関は半年前に買ったものだって言ってた。
貝柳さんの店は酒の卸業を営んでいて、夜には酒場になると言ってたな。
蓮要の言う通り、口に入るものは上水を使うだろうけど、それ以外には、川の水を使っている。ということか。
で、今年はいつもの年より川の藻や苔が多い。
蒸気機関は水を使う。かけらが水に混じって、どこかに詰まってる可能性がある。
と言うことか』
「ちょっと待って。あんた、蒸気機関の中身を見たことは?」
「ないよ。今日、初めて近くで見た」
「...」
フラムは蓮要の顔をしばらく見ていた。何か言いかけてやめた。代わりに笑った。
「面白いな、あんた」
蓮要は首をかしげた。
その夜。
蓮要はフラムの宿を訪ねた。干しリンゴはまだ完成してないが、砂糖で煮た方は今日のうちに渡したかった。
「フラムできたよ。煮た方だけ先に」
「おお、ありがとう」
フラムが紙包みを開けると、半分に割った竹筒に琥珀色のリンゴの甘煮が並んでいた。
「きれいだな」
「母さんに教わった。砂糖と一緒に煮ると、日持ちするから」
二人で宿の縁側に並んで座り、竹楊枝でリンゴの甘煮を食べていた。
そこへ、貝柳が息を切らせてやってきた。
「フラムさん、すまんがまた…」
「蒸気機関?」
「昼間直してもらったけど、また同じ感じになってな…」
「悪いけど、準備できたら店に来てくれ」
そう言うと貝柳さんは店に戻って行った。
フラムは蓮要を見た。蓮要は小さく頷いた。
「ほらね」という顔はしなかった。ただ少し申し訳なさそうだった。
フラムの準備を宿の外で待っていると、通りすがりの人に話しかけられた。
「いい匂いだね。リンゴの甘煮」
どこかで会ったことがあるような気がした。
変わった髪色の人だった。
「あの、良かったら」「残り物ですが」
蓮要は竹の入れ物を差し出した。
「アタシがもらっても良いの?」「ありがとう」
そう言ってその人は、入れ物ごと受け取り、蓮要が「あ」と、言う間もなく去っていった。
宿から出てきたフラムと夜の通りを歩く。
提灯の明かりが等間隔に灯っている。
角を曲がったところで、蓮要がフラムの袖を引いた。
「ちょっと待って」
通りの先で、帝都治安部隊の制服を着た若い男が三人、屋台の主人と言い合っていた。声が大きい。屋台の主人は手を上げて何か弁明している。
「巡回の人だ。...少し待とう」
フラムは足を止めた。
しばらくして、三人が去っていった。屋台の主人が、ため息をついて布で額を拭いている。
二人は歩き出した。
「最近、ああいうの増えた気がする」
蓮要がぽつりと言った。
「治安部隊の人たち?」
「うん。前はもう少し...穏やかだった。この間も、低層街の市場で揉め事があったんだけど、仲裁っていうより、最初から苛立ってた。揉め事の相手に、じゃなくてなんていうか...全部に」
フラムは黙って聞いていた。
「怖いってほどじゃないんだけど。ただ、前はこうじゃなかった」
蓮要はそれ以上言わなかった。言葉にならないことを無理に言おうとしない人だ、とフラムは思った。
「蓮、一緒に来てくれるか」
蓮要は少し驚いた顔をした。
「蓮」と、親し気に呼ばれるのも初めてだった。
蒸気機関は店の裏手に据えてあった。蓮要にとって、機械の内部を間近で見るのは初めてだった。
フラムが工具を広げ、外板を外していく。手つきに迷いがない。部品の配置を確認しながら指先で管の表面をなぞる。汚れ具合、錆の進み方、締結部の歪み。目と指が同時に動いている。
『すごい』
蓮要は、フラムの手元をろうそく立ての明かりで照らしながら、その動きに見入っていた。
自分には「壊れそうな場所」が分かる。でもそれを直す手段を知らない。
フラムの手は違った。壊れた場所を見つけた瞬間に、直し方が指先に流れるように出てくる。
冷却管の継ぎ目を外し、中を覗いたフラムが声を上げた。
「あった。こりゃすごい」
管の内側に、緑色のドロドロとしたものが詰まっていた。
新しい管に交換する。元のものは工具入れの中の瓶へ入れる。
「蓮。ちょっとこっち見てみて」
蓮要が覗き込む。
「他にも気になるところある?」
蓮要は機械の全体を見渡した。蒸気の出方。微かな金属音。管と管の間の何か引っかかっているような気配。
「…蒸気の力を逃すところ、が何か苦しそう」
「苦しそう、か」
フラムは笑わなかった。
工具を持ち替え、蓮要が指した箇所を確認した。
管と管を繋ぐ内側の接続部分が、正常な位置から歪んで固定されている。
「これか」
フラムは管を外し、問題の部品を取り替え、正しい位置に据え直した。
蒸気の音が変わった。苦しそうだった唸りが消え、均一な音になった。
「図面とか見なくても分かるのか」
フラムの声にからかいの色はなかった。
蓮要は一瞬きょとんとした。
何と答えていいか分からないような顔をして、それから少しだけ笑った。小さな笑みだった。
褒められたのだと気がつくまで、少しかかった。
「俺の姉さんみたいだな」
「姉さん?」
「明日、合流するんだ。蓮にも会わせたい」
フラムがそう言いながら、工具を片付けている。ふと蓮要の方を見た。
一瞬だけ笑顔が消えた。蓮要の顔を何かを確かめるように見ていた。
すぐにいつもの表情に戻った。
店を出る時に、おかみさんが客と話しているのが聞こえた。
「随分良い酒だね。どうすんのこれ」
「あぁ、週末の雪凪坊っちゃんの婚約会のさ。めでたい席には、このぐらいの酒じゃないとね!」
「婚約会かぁ。早いね。春に士官学校出たばっかだろ」
「そりゃ、親が急いだんだろうよ。悪い虫が付く前にってさ」
「で、祝言自体はいつなんだい?」
「秋の収穫祭の前だってさ」
「それにしても、俺なんていつも安酒ばっかなのに、金はあるところにはあるんだな。あやかりたいよ」
二人が大声で笑うのが、背中越しに聞こえてくる。
蓮要が、かすかに反応したように見えた。
店の外は夜風が冷たくなっていた。
フラムが、工具袋を肩にかけ直しながら言った。
「さっきの治安部隊の話だけどさ。この国って上は誰が仕切ってんの?」
「鷺宮っていう、多分、帝都治安部隊の一番上の人。街のことは大体その人の名前で決まる。会ったことないから、顔は知らないけど」
「帝とか国王とかは?」
蓮要は少し歩いてから答えた。
「いるよ。...いるはずなんだけど」
「はず?」
「前に館長に聞いたことがあるんだ。『帝様って最近どうしてるんですか』って。そしたら『帝? ああいるんじゃないかね。さあ』って」
蓮要は首を傾げた。
「変だなって思って他の人にも聞いてみた。貝柳さんにも、商店街の人にも。みんな同じ。『いるんじゃない?』で終わり。誰も気にしてない」
「...」
「帝様が何をしてるのか、どこにいるのか誰も知らない。でも、誰もそれをおかしいと思ってない。鷺宮さんの名前は毎日のように聞くのに、帝様のことは...最後にいつ聞いたか覚えてない」
蓮要は足を止めて少し考えた。
「…なんていうのかな。建物の真ん中に柱がないのに…、みんな気づいてない、みたいな。天井は今のところ持ってるから、誰も上を見ない。でも...」
蓮要はそこで言葉を切った。自分が何を言おうとしているのか、うまくまとまらなかったのだと思う。
フラムはしばらく黙って歩いていた。
「...面白いな、あんた」
フラムがこのセリフを言うのは、二度目だ。だが一度目とは声の色が違っていた。蓮要は気づかなかった。
フラムは宿の角で立ち止まった。
「蓮。明日さ、姉さんが着くんだ。仕事終わったら宿に来てくれないか」
「うん。」
「帰り道、気をつけてな」
フラムの目が、一瞬だけ蓮要の顔に留まった。何かを確かめるように。
すぐにいつもの表情に戻った。
蓮要は手を振って暗い通りへ歩き出した。
暗い通りを一人で歩く。
提灯の明かりが遠く足元は自分の影しか見えない。
店はもう閉まっていて、通りに人の気配はなかった。
フラムは、少し離れた道の角から、巡回中の数人のうちの一人が、こちらを見ている事に気がついていた。
蓮要は家に着いた。
戸を開けると暗い。
竈に火を入れた。湯を沸かす。紐を通して吊るした干しリンゴの様子を確認した。まだ少し柔らかい。もう少し干そう。
台所に立ち、傷のあるリンゴの処理を始めた。皮を剥く。変色した部分を切り落とす。傷のない果肉は薄く切って塩水に入れる。
包丁がまな板に当たる音だけが響いていた。
リンゴを切る手は止まらなかった。一つ切って次。また次。手を動かしている間は何も考えなくて済んだ。
通りの向こうで、灯りがひとつ消えた。
翌朝出勤の途中で声をかけられた。フラムだ。
「昨日はありがとう。貝柳さん、今朝も調子いいって言ってた」
「よかった」
「じゃ、また夕方」
蓮要は、少し迷って頷いた。
その日の図書館の仕事はいつもより早く片付いた。
リンゴ屋の前を通ると、値札が書き換えてあるのが見えた。最初の日の三倍の値段になっていた。




