境界
目の前の鳥居の一歩先。そこに立つ彼女は黒紋付を身に着けうっすらと笑っている。薄気味悪いその表情は生前の彼女なら絶対にしない。向かい合った夕暮れ時、ゆっくりと私の影が伸びるのに対し、彼女の影は足元にとどまったままだ。
一ヶ月前、友人である彼女は死んだ。死因は伏されていた。理由はよく分からないが伏されている以上、耳障りのいいものではないと学生の私でも察した。さらに通夜でも葬式でも棺が開けられることは無かった。
友人と最後に話したのは金曜の学校帰り。いつもの分かれ道で挨拶をした。そして翌日の夜に訃報に届いた。あまりにも急な事でその日は何も考えられなかった。
「またね」
彼女と交わした最後の挨拶が脳内で再生され続け、今も消えない。そう、彼女は死んだ。間違いなく死んだはず。通夜も葬式も行った。友人家族のご厚意で納骨も立ち会った。彼女の身体を見ることは無かったけれど、確かに私は彼女の骨を箸でつまんだ。
それなのに、彼女は目の前に立っている。姿形はそのままに、表情と服装を異にして。鳥居の一歩向こう側で。
奇妙なのは彼女だけじゃない。鳥居の向こう側が全ていつもと違う。普通なら鳥居のすぐ奥に小さな社と雑木林があるはずなのだ。それなのに、彼女の後ろには長く続く石畳。さらに雑木林は無く、綺麗に整備され、開けた境内が広がっている。
何もかもがいつもと違う。異常事態だと脳が警鐘を鳴らす。それなのに彼女の顔だけは生前のままで。それだけで、それだけが理由で、私は逃げることができなかった。
しばらく私を見つめた彼女はゆっくりと手を差し出した。まるで私を誘うかのように。けれど、あちらから歩み寄る事はない。絶対に鳥居から出てこようとしない。たった一歩進めば私の手を取れるのに、彼女はそれをしようとしない。
「来ないの?」
不意に彼女が口を開く。あまりにも平坦で、感情のない声。コロコロと表情が変わり、いつも楽しそうに弾んでいた生前のトーンとはあまりにも違う。けれど、間違いなく友人の声。表情も、声のトーンも、何もかも違う。なのに身体も声も友人のままで。
友人なのか、友人を真似たナニカなのか、分からない。けれど色んな感情が綯い交ぜになり泣きそうな私を見て、彼女は笑みを深める。そしてさあ、という声とともに鳥居のギリギリまで手を伸ばして来た。
本当は彼女の姿を見たその瞬間に駆け寄りたかった。なんで死んだのかとか、辛くなかったかとか聞きたい事がいっぱいあった。けど、見た目以外の何もかもが違う様を見て、必死に足を押し留めた。
でも、鳥居の向こうにいる彼女は。表情は違うけど、顔は同じで。トーンは違うけど声も同じで。だから、そう。もしかしたら、もしかして、と考えてしまうのだ。ありえもしないことを。
それを知りたければ、彼女の手を取ればいい。あと数センチで、私は彼女の手を取ることができる。私が動けばいいのだ。指先だけ、ほんの少し動かせばいい。けれど、目の前の彼女が友人に化けたナニカだったら?こんなにも異質な事が起こっているのに、彼女だけ正常なんて事はあり得ない。
夕陽に照らされ、周囲が赤く染まる。じわじわと視界が狭まってくるように感じる。今すぐにでも彼女の手を取りたい。その衝動をなけなしの理性が抑える。けれど、でも。彼女の手を。私は。
私は——。




