道徳
僕らはみんな生きている。生きているから笑うんだ。
僕らはみんな生きている。生きているからうれしいんだ。
幼少の頃に頭に染みついた音楽が流れる。この歌詞の終わりはなんだったか。忘れてしまった。年寄りじゃないが、昔は良かったと思う。時代が、ではなく幼い頃が。一家団欒。穏やかな家族。暖かい食事。親の言うこと守っていれば良かった日々。
悪いことをしたら謝りましょう。挨拶をしましょう。困っている人がいれば助けてあげましょう。家族を大切にしましょう。お友達と仲良くしましょう。単純で理想的な規範だった。大人に言われた教えを守ってさえいれば良かった。
大人になった今はどうだろう。果たして理想的な行動はできているだろうか。いいや、できていないといった方が正しい。むしろ進んで教えを破る節すらある。謝ればこちらの過失になるから謝罪はしない。気に入らなければ無視。たとえ大怪我をしていようとも知らぬ存ぜぬ、あるいは嘲笑すらある。家族なんてものはもうない。友人もいない。いつからこうなったのか。
しかし後悔はない。私は私の意思でこの状況を選択したのだ。そうでもしなければ私自身を守れなかった。非難するならすればいい。子供に刷り込む教えはただの理想主義的な目安であってルールではない。そんなものを守っていられるものなんて恵まれた一部のみだろう。人間なぞ生きていれば自分が這いつくばるしかない立場なのだと自覚する時がくる。そうなって初めてわかるのだ。そんなもの従うだけ無駄だと。無意味で無価値なものなのだと。
子供は親が身を守ってくれる。暖かく優しく。だからあんなものに価値が生まれた。あんな理想しか掲げられないようなものに。現実と乖離した机上の空論に。生きているから笑う、生きているからうれしい。そんな生き方すら許されない人間に、理想を押し付けるな。ひたすらに苦しく、辛い道を孤独に歩く者の気持ちはわかるまい。明るい道を進む者。穏やかな道を歩む者。優しさに満ちた道にいる者。そいつらの能天気な理想に付き合っていられるか。否。否。不可能だ。
それでも尚それを尊べと言うならば、私の苦しみを、悲しみを、悔しさを。全てを癒してから言ってもらおう。




