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灯台

 嵐。この世の生命すべてを奪わんと荒れ狂う海。船を、身を叩く雨。すべてをなぎ倒す風。日はとうに沈み、手元の僅かな灯りを頼りに己の体をロープで縛り付ける。片手は舵を、片手は獲物を捉えた綱を掴みただひたすらに耐える。それでも少しでも気を抜けば海に投げ出され、藻屑となるのは想像にたやすかった。


 しかし自分はやり遂げなければならない。ここ最近はずっと不漁が続いており、人間どころか野良犬でさえ飢えていた。だからこそ船を出した。嵐が近いことも、この海域で海難事故が多い事も承知の上で。何故ならば自分には妻と子がいた。


 周りの反対を押し切って船を出した。必ず帰るからと。生きて、両手に抱えきれない程の獲物を捕って戻ると。そう約束したのだ。ならば、帰らねばなるまい。沖へ出てすぐ、獲物は捕れた。弱っていた鯨だ。波に流されぬよう、既にこの船に縛り付けてある。まだ若く、小さいが、これ一匹で町は潤うだろう。それだけの価値がコイツにはあった。


 後は帰るだけなのだ。帰って、成果を上げ、妻と子の待つ家に帰るだけ。たったそれだけなのだ。他のことは考えず、がむしゃらに船にしがみつく。転覆しないよう、細心の注意を払い少しでもなにか見えないかと前を向く。波に煽られた鯨の死体が船を打つたび、倒れ、投げ出されそうになる。だが、帰らなければならない。その意思が私を奮い立たせた。


 すっと、何かが遠くを横切った。いや、船が揺れたからその様に見えたのだ。それは小さな小さな灯りだった。遠く、遠くに見える小さな灯り。しかし、波や風に煽られることも、消えることもない確かな灯り。それは灯台だった。すっと背筋が伸びる。あの明かりが見えた。であれば、港はすぐそこにあるはずだ。腹の底に力を籠め、ロープを持つ拳を握る。


 すぐそこ、目の前の救いを目にして斃れる己ではない。こうなれば意地でも帰る。帰ってみせる。船を壊さんばかりに揺れる成果と共に自分はあの町に、港に、家に帰るのだ。そして、家族も、町の人間もそれを待っている。だから灯台が見えるのだ。あの光は自身の希望であると共に、この町の希望でもあるのだ。一人でその光を絶やすことはできない。


 必死で波に食らいつく。暗く、冷たい時間が続いた。どれほどだったかは分からない。これだけ荒れていると時を計るすべもない。しかし少しずつ、着実に灯台は近づいていった。もはや明かりだけが頼りだった。


 やがて空が白んで、雨風が弱くなる。明かりも周りに同化して見えなくなった。指先まですっかり凍えた体はもう言う事を聞いてくれない。舵を取る手も覚束ない。嗚呼、もうダメかと。そう思った矢先。ゴン、と船が何かに当たる。ゆっくりと顔を上げれば見慣れた砂浜だった。


 ついた、ついたのだ。到着の喜びと共に後ろを振り返る。そこには立派な獲物がまだあった。声が聞こえる。声に向かうように前を向けば、町の皆が、愛しい妻と子が、浜にいた。

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