蛹
幼い頃、芋虫を育てていた。モチモチと歩き、私が与えた餌を食べ、ゆっくりと成長していく様が愛らしかった。正直に言えば見た目は可愛らしさとは正反対であった。だが、己の手で育てているという実感が愛着をもたらした。芋虫はやがて蛹になり、美しい蝶となった。親に言われて野生に還す時、ゆっくりと動く羽が日の光に当たって美しかった。
それから私は何かを育てる事が好きになった。どんな生きものでもやがて立派に成長していく。それは虫も動物も変わらない。その成長の過程も、結果も美しく見事であった。
それならば、と欲をかいたのが悪かったのだろう。ほんの少しの好奇心。しかしそれは猫をも殺す。私は人間を育てたくなったのだ。それもこの手で、赤ん坊から。残念ながら私は男であったので、伴侶を見つける必要だった。生き物好きの気のいい人間という他者からの評価のおかげか、ちょっと探せばすぐに見つかった。そこからはトントン拍子に進んでいった。
子供を育てる為の家を買い、子をもうけた。産まれたばかりの子供はそれはそれは可愛らしく、これからの成長が楽しみであった。もちろん子育てもした。それが目的だったのだ、しないはずがない。出来る事が増え、新しい知識に触れ、大きく成長していく様は楽しかった。もちろん育てている愛着もあった。これから将来、どんなに美しくなるのだろうと期待した。
しかし期待は大きく裏切られた。私の子供は美しくも、強くもない、醜く矮小な存在になってしまった。ある時期から真っ当な成長が見込めなくなった。部屋に引きこもり、社会との関わりを絶ち、私達に暴言を吐き、ただただ堕落していった。原因は分からない。親の遺伝と言われればそれまでだが、私も妻もこんなに醜くも愚かでもない。つまり、生物としてのエラー、異常、そういった存在であった。
自然界、あるいは飼育下でそれが起こるとどうなるか。死ぬか処分するかである。当然だ。弱肉強食の自然で弱い存在は真っ先に淘汰されるし、飼育下であってもエラーは余計な出費の元である。研究対象ならいざ知らず、愛玩が目的とあれば当然だろう。ゴミは捨てるのが当たり前。しかし残念なことに子供は人間だ。
そして困ったことに、人間は処分できない。そこで私は考えた。ゴミの処分方法を。そして思い出した。幼少期に似たような事があったことを。
どの種類だったか忘れたが、蛹から羽化した蝶が今のようにエラーを起こしたことがある。飛べず、ヨタヨタを歩くそれをどうしようかと悩んでいた。その内私は他の生き物の餌をやる時間になり、どうせ逃げないからとそれを籠に入れずにおいたのだ。
するとどうだろう。餌やりの好きに脱走したトカゲがそれを食べてしまった。まったくの事故であった。だが蝶を食われた悲しみはなかった。これで新しい虫を育てられるとすら思った。
これとまったく同じ事をすればよいのだ。幸いなことに私の子供は蝶にはなっておらず、蛹に近い。それなら、少し目を離すだけで、簡単にトカゲが食べてくれるだろう。




