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回顧

 雪解けの朝。窓をつたい忍び込む冷気は毛布の隙間を縫って私の背筋を這い上がった。あまりの寒さに心地よい眠りから覚めてしまった。ふと、腕の中にはあるはずのものが居ないことに気づく。少し寂しくなって目を閉じたまま隣にあるはずのぬくもりを探す。夜とは少し離れた場所にやわらかなそれを見つけて安堵と共に抱き寄せる。


 あぁ、幸せだ。ここまで幸せ人間はそうそういないだろう。愛する人との生活、穏やかな日々。愛しい日々。目覚め、仕事をこなして、帰れば愛しい人が『おかえり』と言ってくれる、夜は語らいながら眠りにつく。仕事がなければ今日のように緩やかな朝の一時を楽しめる。柔らかく、暖かく、優しさと安堵に包まれる日々。幸せな日々。


 あぁ愛しい人。叶うならばこの日々がずっと続けばいい。そう願ってしまう。私は今以上の幸せを知らない。私はこの幸せを守るためならばなんだってしよう。例えそれが万人に後ろ指さされるような手段であっても。どれだけ残虐であろうとも。どれだけ卑劣であろうとも。どれだけ自らが傷つこうとも。この幸せを守りたい。この幸せが一生涯続いて欲しい。この生活。愛しい妻との生活が。


 幸運にもこの幸せが脅かされた事は1度もない。それはそうだ。この幸せを手に入れるために私は全てをかけ、今はその維持に全力を注いでいるのだから。


 愛しい人と出会ったのは冬、寒さに身を縮める様がどうしようもなく可愛らしかったのを覚えている。頻繁に会えるようになったのは夏だったか、汗に濡れた黒髪の艶やかさは今でも鮮明に思い出せるほど。しかし春になると疎遠になってしまった。家の都合だかで僻地に働きに行くのだと。傘を借りたままだったのが強く印象に残っている。なんとしても会いたいと願ったのは秋。そこからは彼女を探すのに必死になった。傘を返すという名目で彼女の居場所を尋ねて回った。季節が二度巡った春、私は彼女と再び会えた。


 町から離れた小高い丘の、赤い屋根に白い壁の小さな小さな一軒家。崖の下からはさざ波が絶えず聞こえてくる、静かで穏やかなそこに彼女は暮らしていた。私を見て柔らかく儚げな微笑みを浮かべ、自らの指を恥ずかしそうに絡ませる彼女、その姿に私は例えられないようなしかしどうしようもない感情に襲われて彼女を強く強く抱き締めた。


 嗚呼、そこで私は言ったのだ。彼女に。ずっと一緒にいたいと。ずっと一緒にいて欲しいと。絶対に不幸になどさせない。貴女が悲しみ、苦しむようならば私はそれを、貴女を悲しめ、苦しめさせるものたちから守ると。貴女が喜び、楽しむことができないのであれば私はそれを、貴女が喜び、楽しむことができるものを見つけると。貴女の、貴女だけの幸せを祈り、そしてもしできるのならば幸せを一緒に育みたいと。いまだに思い出すと恥ずかしくなるような言葉の数々だったと思う。でも、それほどに必死だったのだ。もし、その事について言い訳が許されるのであれば、彼女に再会した瞬間に前々から用意していた言葉と陳腐なフレーズでは私の思いが伝わらないように思えてしまったと言っておく。


 しかし彼女は頷いてくれた。恥ずかしそうに顔を伏せて。被っていた帽子をもっと深くして。微かに本当に微かにコクリと頷いたのだ。あの時ほどはしゃいだことは子供の時分を含めてもないだろう。それほどまでに私は喜びに満たされた。嗚呼それほどまでに私は彼女を求めていた。それかはトントン拍子に物事は進んでいった。私の家に彼女を招き、一緒に暮らしている。毎晩一緒に眠り、毎朝一緒に起きる。


 嗚呼幸せだ。どうしようもなく。堪らなく。この腕の中の温もりは確かで、それが嬉しくて。つい、彼女をきつく抱き締めてしまった。彼女は少し苦しかったようで煩わしそうに身をよじった。腕を緩めれば彼女は再び心地良さそうな表情に戻る。彼女をみていると心が暖かな優しいものに満たされる。きっと、これ以上の幸せは手に入らないのだろうと、これ以上の幸せは望みすぎだと、そうでも思わないといけないほどの幸せ。


 でももし、もう少し欲張りになってもいいのであれば、そして、もし、この願いが叶うのであれば、私は、彼女と新しい命を育みたい。私と彼女の血を繋いだ子供が欲しい。きっときっととても可愛いに違いない。きっときっととても愛しいに違いない。でも流石に望みすぎだろうか。

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