余熱
私は人を殺した。汗で服が張り付き、じっとりと湿気が肌を這う。ぼんやりとした暗闇の中で、手についた赤だけが鈍く主張する。なにもかもがべたついて気持ち悪い。しかし独特の高揚感と達成感で気分は晴れ晴れとしており、自身の喉の奥、肺の辺りから熱が伝わってくる。そして心臓は今なお強く脈打っている。
なぜ人を殺したか。単純だ。コイツは私の大切な人を殺した。だから私もコイツを殺した。それだけだ。だが、コイツを殺すのに十年以上使ってしまった。法がコイツを守った。加害者の人権など、他者の命を奪った人間なんかに、そんなもの必要ないだろう。でも今はもうどうでもいい。
私は復讐を果たしたのだ。
十年以上の、苦痛の日々。矛先のない怒り。過剰な憐憫と悪辣な好奇心。それらに苛まれるのも今日で終わりなのだ。これ以上の解放感を得られる事はないだろう。冷えていく指先とは対照的に心臓はドンドン熱を持つ。
目の前の死体も、赤で汚れた服も気にせず近くのソファに沈み込む。座面がゆっくりと軋み、柔らかいが質素なクッションに身を預ける。コイツ、私が殺したコイツは、家庭を持っていた。私の大切な人を殺しておいて、自分だけのうのうと幸せになっていた。臓腑が煮えくり返った。だから先にコイツの家族を殺した。動けないコイツの前で、あの人にした仕打ちをそっくりそのまま。見せつけるようにやり返して。
泣き叫ぶ姿は滑稽だった。泣いて謝れば許してもらえるとでも思ったのだろうか。あの人を殺しておいて。自分だけ、寛大な処遇でいられると心の底から思っているのだろうか。面会室で私とあの人を愚弄した存在で。
子供だから?知らない。あの人もあの時子供だった。配偶者は関係ない?知らない。あの人もあのお前と関係はなかった。自分は一人しか殺してない?知らない。あの人が死んでから私の人生も殺されたようなものだから。知らない、なにも知らない。なぜならそんな慈悲の心を持てるような人生を歩めなかったから。
でもそんな日々がようやく終わる。私も人を殺した、だから罪は償おう。しかし私はもうあの日々に戻ることはない。身を焼くような復讐心に苛まれることはもうないのだ。ああでも、もう少し、もう少しだけ。この熱が冷めきってしまう前にすることがある。
私はゆっくりと起き上がり、死体を踏み付けキッチンに向かう。コンロに火をつけ、今まで大切に持っていたそれを投げ込んだ。さようなら、大切な人。私の人生は終わったようなものだから。これはもう必要ない、やるべきことはやった。だから思い出すべき過去はなくても生きていけるんだ。静かに涙が頬を伝う。
コンロの中でパチパチと音を立てて燃える写真。そこにはかつての幼い私と、あの悲劇以降、時間が止まったあの人が笑っている。




