第八章 星が眠る場所
翌朝。
星降る湖は、昨夜とはまるで違う表情を見せていた。
朝靄が水面を薄く覆い、白銀色の光が静かに漂っている。
遠くの山々は淡い青。
風は穏やかで、湖面はまるで磨かれた鏡みたいだった。
セリアは宿の窓を開ける。
冷たい朝の空気が流れ込む。
胸元のペンダントが、ほんのわずかに揺れた。
昨夜の出来事を思い出す。
湖の底の光。
あの不思議な感覚。
「……夢じゃなかったよね」
小さく呟く。
◇
朝食を終えた後、
一行はルークの手帳に記されていた場所へ向かった。
湖の北側。
人がほとんど訪れない崖沿いの道。
そこには古びた石段が残っていた。
「こんな場所があったんですね」
ユークが周囲を見回す。
「地図にも載ってませんよ」
ガルドが先頭を歩く。
リリカは興味津々で辺りを見渡していた。
「お宝とかありそう!」
「絶対違います」
即座にユークが切り捨てる。
そんなやり取りを聞きながら、セリアは少し後ろを歩いていた。
そして気づく。
レオンが自然と自分の歩幅に合わせていることに。
本人は無意識なのだろう。
そういう人だ。
◇
石段の先には小さな祠があった。
半分崩れている。
蔦に覆われ、長い年月を感じさせる場所だった。
「ここか」
レオンが呟く。
ルークの手帳には確かに書かれていた。
――湖畔の古祠。
そして。
――古い記録あり。
「文字がある」
ユークが壁に刻まれた碑文へ近づく。
だが首を傾げた。
「読めませんね」
古代文字だった。
現代ではほとんど失われた言語。
「お兄ちゃんもこれを調べていたのかな」
セリアが呟く。
その時だった。
胸元のペンダントが光る。
淡く。
「……っ」
全員が振り返る。
ペンダントから溢れた光が、
ゆっくり碑文へ伸びていく。
そして。
消えていた文字が浮かび上がった。
誰も触れていないのに。
まるで目覚めるように。
「な……」
ユークが息を呑む。
浮かび上がった文字を、セリアは自然と読むことができた。
読めるはずがないのに。
なぜか意味が分かった。
そこにはこう刻まれていた。
◇
星を抱く者は
世界の穢れを受ける
だが穢れは罪ではない
それもまた世界の一部である
◇
静寂が落ちる。
風だけが吹いていた。
ユークが最初に口を開く。
「おかしいですね」
「何が?」
リリカが首を傾げる。
「歴史書と違います」
ユークの表情は険しかった。
「穢れとは魔障のこと。現代では魔障は災厄として記録されています」
「うん」
「ですがこれは違う」
碑文へ視線を向ける。
「世界の一部と書かれている」
誰も答えられない。
セリアはただ文字を見つめていた。
なぜか胸が苦しかった。
悲しいような。
懐かしいような。
そんな感覚。
◇
祠の奥には、
小さな石箱が残されていた。
鍵は壊れている。
中には一枚の紙。
そして古い押し花。
セリアの指先が震えた。
紙に記されていた文字を見て。
「……お兄ちゃん」
ルークの字だった。
走り書き。
慌てて残したみたいな筆跡。
『古い記録は本当かもしれない』
『星祈りは魔障を消しているんじゃない』
『受け取っている』
そこで文章は終わっていた。
それ以上はない。
けれど。
レオンの表情が変わる。
この内容を彼は知っていた。
いや、知っていたというよりルークが何を追っていたのか、
今ようやく繋がった。
◇
その夜、セリアは再び湖畔へ来ていた。
昨日と同じ場所。
星が水面に落ちている。
風は静かだった。
昼間に見つけた手帳の言葉が頭から離れない。
『受け取っている』
もし本当なら。
星祈りは何を背負っていたのだろう。
その時だった。
胸元のペンダントが光る。
昨夜よりも強く。
「……また」
湖面が揺れる。
風は吹いていない。
それなのに。
星の映る水面だけが波紋を広げていた。
ゆっくりと。
静かに。
そして。
湖の中心に人影が現れる。
白銀の長い髪。
夜より深い色の外套。
悲しそうな横顔。
セリアは息を呑む。
「誰……?」
その人物は振り返らない。
ただ湖を見つめている。
まるで何百年もそこに立ち続けていたみたいに。
そして。
風に溶けるような声だけが届いた。
「また、星祈りが」
悲しみと。
諦めと。
どうしようもない優しさが混ざった声だった。
次の瞬間。
幻影は消える。
星だけが残る。
セリアは立ち尽くした。
胸がざわついている。
怖くはない。
むしろ。
あの人は泣いていた気がした。
その頃、
少し離れた場所ではレオンがその光景を見ていた。
そして幻影の姿に見覚えがあることに気づいていた。
ルークとの旅で出会ったある人物に。
――ノクス。
レオンの表情が静かに強張る。
星降る湖はまだ、
本当の秘密の入り口に過ぎなかった。




