第九章 古書店の老人
星降る湖を発った翌日。
一行は湖畔の町レヴィエへ辿り着いていた。
石畳の続く古い町。
花で飾られた窓辺。
運河にかかる小さな橋。
穏やかな風が吹いている。
「いい町だね」
セリアが呟く。
レオンは短く頷いた。
「ルークもそう言ってた」
最近よく聞く言葉だった。
兄が見た景色。
兄が歩いた道。
その続きを歩いている気がする。
◇
「書店だ!!!!」
突然ユークが叫んだ。
全員が振り返る。
そこには大きな古書店。
今まで見たことがないくらい目を輝かせている。
「ちょっと寄ります」
「今?」
「今です」
即答だった。
◇
三十分後。
「まだ?」
リリカが死んだ目をしていた。
「まだです」
「まだぁ!?」
ユークは山のような本に埋もれている。
「この地方の魔法史料は初めて見ました」
「うん」
「しかも第二版です」
「うん」
「保存状態も良い」
「うん」
誰も分からない。
本人だけが楽しそうだった。
セリアは少し笑う。
「好きなんだね」
「好きですね」
またしても即答。
とても嬉しそうだった。
◇
店の奥から老人が現れる。
白い髭。
丸眼鏡。
穏やかな目。
「珍しいな」
老人はセリアを見た。
そして少しだけ目を見開く。
「……灰桜色の髪」
その反応にレオンが視線を上げる。
「知ってるのか」
老人は静かに頷いた。
「昔、同じ髪色の青年が来た」
セリアの鼓動が跳ねる。
「……お兄ちゃん?」
「ああ」
老人は懐かしそうに笑った。
「よく本を読んでいたよ」
セリアは思わず微笑む。
やっぱり兄はここに来ていたんだ。
◇
「ルークは不思議な青年だった」
店の片隅。
温かい紅茶を飲みながら話を聞く。
「何を調べてたんですか?」
老人は少し考えた。
「星と治癒術の歴史だな」
レオンの視線が動く。
「それと」
老人は笑う。
「方向音痴だった」
「え?」
セリアが固まる。
「よく迷子になってた」
「……」
「毎回ここへ戻ってきた」
「……」
レオンが横で吹き出した。
「事実だ」
「レオンまで!?」
初めて知る兄の一面だった。
完璧な人だと思っていた。
でも、
少しだけ親近感が湧いた。
◇
その日の夕方、一行は町外れで足を止めた。
子供たちが集まっている。
その中心にはガルド。
「もっと高くー!」
「おう」
ひょいと子供を肩車する。
歓声。
「なんでそんな懐かれるの……」
リリカが呟く。
ガルド本人も困惑していた。
「わからん」
セリアは笑った。
なんだか似合っていた。
◇
翌朝、町の広場に人が集まっている。
「ここ何日も眠れないんです」
若い女性だった。
「村のみんなも」
医者も原因が分からない。
病気ではない。
呪いでもない。
ただ眠れない。
ユークが調査する。
「魔障ですね」
静かな声だった。
「危険なものではありません」
「でも?」
セリアが聞く。
「悲しみが蓄積している」
その言葉に全員が黙る。
調べると分かった。
数年前、この土地では大きな地震があった。
亡くなった人もいる。
残された人たちの悲しみ。
それが魔障となって残っていた。
◇
夕暮れ。
セリアは町外れの丘へ立っていた。
風が吹く。
花が揺れる。
空は茜色だった。
「――大丈夫」
小さく呟く。
ペンダントが光る。
優しい光。
静かな浄化。
最初の浄化の時のような大きな力ではない。
それでも。
悲しみを少しずつほどいていく。
まるで春の雪が溶けるように。
ゆっくりと。
優しく。
◇
その夜、町の人々は久しぶりに眠れた。
皆が喜んだ。
何かの力に感謝した。
セリアも嬉しかった。
けれど宿へ戻る途中、
「……っ」
ほんの小さく咳き込む。
一度だけ。
本当に一度だけ。
誰にも聞こえないくらい。
でも、
少し離れた場所を歩いていたレオンだけは気づいていた。
足を止める。
振り返る。
「レオン?」
セリアは不思議そうに首を傾げる。
「……いや」
気のせいかもしれない。
そう思った。
そう思いたかった。
けれど、胸の奥に小さな不安だけが残った。
その夜、古い塔の上で、
白銀の長髪の青年が空を見上げていた。
「始まったか」
静かな声。
悲しそうな瞳。
そして、どこか諦めたような表情。
ノクスは夜空の星を見つめながら、そっと目を閉じた。




