第七十七章 風が運ぶもの
街道脇の木陰で、一行は昼の休憩を取っていた。
空は青く、雲はゆっくりと流れている。
リリカは木にもたれながら焼き菓子を食べていた。
「平和だねぇ」
「口に菓子を入れたまま喋るな」
ガルドが呆れたように言う。
「むぐ」
「飲み込んでから返事しろ」
「むぐぐ」
「反省してないな」
◇
少し離れた場所ではユークが地図を広げていた。
「次の街まで半日ほどですね」
「思ったより近いな」
レオンが答える。
セリアは草の上に座り、空を見上げていた。
風が気持ちいい。
最近は色々なことがあった。
雨音の街、古い記録、各地で起きている違和感。
考えることは増えた。
けれど、今だけは穏やかな時間だった。
◇
その時だった。
ふわり。
風が吹く。
優しく、どこか懐かしい風だった。
「ん?」
セリアが顔を上げる。
リリカも同じように振り返った。
「なんか今の風……」
その次の言葉を言う前に
「ほっほっほ」
聞き覚えのある笑い声が響いた。
一瞬の静寂。
そして、
「出たーーーーーー!!!!!」
リリカが立ち上がった。
「えっ!?」
「うそ!?」
「本当に!?」
慌てて周囲を見回す。
すると街道の向こうから、小柄な老人が杖をつきながら歩いてきていた。
白い髭、穏やかな笑顔。
風の妖精たちの長老。
「お久しぶりじゃのう」
「長老さん!!」
セリアがぱっと表情を明るくする。
「ほっほっほ。元気そうで何よりじゃ」
長老は相変わらずだった。
まるで昨日別れたばかりのような顔で笑っている。
「どうしてここに?」
ユークが尋ねる。
「風が教えてくれてのう」
長老は当然のように答えた。
「風が?」
「うむ」
長老は空を見上げる。
「お前たちが面白いことをしておると聞いてな」
「面白いこと?」
リリカが首を傾げる。
「ほっほっほ」
長老は笑う。
だがその目は少しだけ真剣だった。
「それよりも」
風が吹き、木々が揺れる。
「お前たちも気付いておるのじゃろう?」
その言葉に、場の空気が変わった。
セリアたちは顔を見合わせる。
「……各地で起きている異変のことですか?」
ユークが静かに尋ねる。
長老は頷いた。
「うむ」
そして、珍しく笑みを消した。
「忘れ始めておる」
風が止まったような気がした。
レオンの表情が僅かに強張る。
セリアも息を飲んだ。
「長老さん」
セリアが口を開く。
「あなたは知っているんですか?」
長老はしばらく答えなかった。
遠くを見るような目をしている。
そして、
「知っておる」
静かな声だった。
「正確には、儂もすべてを知っておるわけではない」
風が吹く。
「じゃがな」
長老は空を見上げた。
「今起きていることには名前がある」
セリアたちが息を呑む。
◇
雨音の街で調べても分からなかったもの。
各地に散らばっていた違和感。
ノクスですら掴めなかった異変。
その名前を、長老は知っている。
「昔」
長老はゆっくりと語り始めた。
「今から四百年ほど前」
風が草原を吹き抜ける。
「世界は一度、同じものに出会っておる」
誰も口を挟まない。
「人々は忘れた」
「歌を、約束を、物語を、大切な思い出を」
セリアの胸がざわつく。
長老は静かに言った。
「その名を――」
風が吹く。
どこか遠くから、昔の時代の記憶を運んでくるように。
「忘却」
◇
その瞬間、世界のどこかで散らばっていた違和感がひとつの言葉として繋がった。
誰も声を出せない。
長老だけが静かに空を見ていた。
「さて」
その目はどこか懐かしそうだった。
「まずは昔話から始めるとしようかの」




