間章 Sideガルド 帰れなかった場所
娘が生まれた日のことを覚えている。
小さかった。
本当に。
信じられないくらい。
あんな小さな手で自分の指を握った。
それだけで世界が変わった気がした。
◇
『お父さんになるんだよ』
妻は笑っていた。
ガルドも笑った。
あの頃はずっと続くと思っていた。
その時間が当たり前のように続くのだと信じていた。
だが若かった。
そして夢があった。
世界を見たい。
強くなりたい。
冒険者として生きたい。
胸が躍った。
まだ知らない景色があると思った。
◇
『春になったら帰る』
そう言って旅へ出た。
約束だった。
本当にそのつもりだった。
春になれば帰る。
ただ少し遠回りするだけ。
そう思っていた。
だが、
依頼が入る。
仲間ができる。
旅が続く。
また次。
また次。
また次。
気づけば一年が過ぎていた。
◇
『お父さん』
娘からの手紙。
少し歪んだ文字。
『また帰ってきてね』
その手紙を何度も読んだ。
大事に持っていた。
それなのに帰らなかった。
帰れなかった。
いや違う。
帰ろうと思えば帰れた。
帰らなかったのだ。
選んだ。
旅を。
夢を。
冒険者としての人生を。
そして失った。
家族をではない。
娘でもない。
もっと静かなもの。
娘の成長を見守る時間。
妻と笑う時間。
帰るはずだった夕暮れ。
取り戻せない日々。
それらを少しずつ。
少しずつ置いてきた。
◇
『お父さん』
声が聞こえる。
白い雪原。
小さな背中。
振り返る少女。
手を伸ばしている。
『どうして帰ってこなかったの?』
胸が痛む。
これは幻だ。
魔障だ。
分かっている。
分かっているのに答えられない。
あの日の自分は本当に正しかったのか。
夢を追ったことは間違いだったのか。
ガルドは目を閉じる。
分からない。
今でも答えは出ていない。
ただひとつだけ確かなことがある。
もしもう一度会えるなら。
今度はちゃんと話したい。
父親として。
ひとりの人間として。
謝るのではなく。
伝えたい。
大切だったと。
愛していたと。
その時、
「ガルド」
声がした。
幻ではない現実の声。
セリアだった。
雪の中、心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫?」
ガルドは少しだけ驚く。
昔からそうだった。
自分は平気な顔をする。
誰にも気づかれない。
そう思っていた。
なのにこの子は気づく。
本当に不思議なくらい。
ガルドは小さく笑った。
今度は嘘ではない笑顔だった。
「少しな」
そして静かに立ち上がる。
森の奥では魔障が脈打っている。
向き合わなければならない。
過去とも。
後悔とも。
仲間たちと共に。




