第四十五章 白き森
森へ足を踏み入れた瞬間だった。
空気が変わる。
冷たい。
だが雪原の寒さとは違う。
もっと重い。
息苦しいような感覚。
「嫌な感じね」
リリカが眉をひそめた。
ガルドも頷く。
「ああ」
森は静かだった。
静かすぎた。
鳥の声もない。
獣の気配もない。
まるで森そのものが息を潜めているようだった。
◇
ユークが足元を調べる。
「見てください」
全員が近寄る。
雪の上。
黒い染みのようなものが広がっていた。
「魔障の痕跡です」
「濃いな」
レオンが呟く。
その声にセリアは少しだけ違和感を覚えた。
何だろう。
上手く言えない。
でも、少し疲れて見える。
気のせいかもしれない。
けれど、治療師の勘が引っかかった。
◇
その後も調査は続いた。
森の奥へ進む。
途中で魔障に侵された獣とも遭遇した。
だが問題なく対処できた。
レオンもいつも通り戦っている。
少なくとも。
そう見えた。
◇
夕方、一行は野営地を作る。
森の中でも比較的安全な場所だった。
焚き火が灯る。
温かいスープの匂い。
少しだけ緊張が和らぐ。
「今日は何も起きなかったね」
リリカが言う。
「何も起きないのが一番だ」
ガルドが笑う。
その時、
ぱきっ。
薪が弾けた。
一瞬だけ。
レオンの肩が強張る。
ほんの僅かに。
だが、セリアは見逃さなかった。
どうしたんだろう。
気になった。
◇
夜が更ける。
見張りは交代制だった。
最初はレオン。
皆が眠った後も。
焚き火の前に座っている。
静かな夜だった。
風の音。
揺れる炎。
そして
「レオン」
声がした。
レオンが顔を上げる。
誰もいない。
だが聞こえた。
確かに。
「レオン」
懐かしい声。
忘れるはずがない。
ルーク。
目を閉じる。
違う。
これは魔障だ。
分かっている。
分かっているのに。
胸が痛む。
焚き火の向こう。
吹雪の雪原。
旅の景色。
笑うルーク。
消えていく背中。
嫌な汗が滲む。
「……っ」
拳を握る。
大丈夫だ。
こんなの。
慣れている。
そう思った時だった。
「大丈夫じゃなさそうだね」
レオンが振り返る。
セリアだった。
毛布を肩に掛けている。
「起きてたのか」
「ちょっとだけ」
嘘だった。
気になっていたのだ。
ずっと。
レオンの様子が。
「眠れないの?」
「別に」
即答。
セリアは少し笑った。
「それ嘘の時の言い方だよね」
レオンが黙る。
図星だった。
セリアは焚き火の隣へ座る。
何も聞かない。
無理に話させようともしない。
ただ一緒にいる。
しばらく沈黙が続いた。
やがてセリアがぽつりと言う。
「私ね」
炎を見つめながら。
「昔は誰かに頼るの苦手だった」
レオンが視線を向ける。
「迷惑かけたくなくて」
「自分で何とかしなきゃって思ってた」
少し笑う。
「今もたまに思うけど」
そこで仲間たちが眠る方を見る。
リリカ。
ユーク。
ガルド。
そしてレオン。
「でも」
優しい声だった。
「一人じゃないって思えるのは、結構心強いよ」
レオンは何も言わない。
ただ焚き火を見る。
昔、別の焚き火の前で同じようなことを言われた。
でも、今聞こえているのはルークの言葉じゃない。
セリアの言葉だった。
彼女自身が旅の中で見つけた答え。
そのことがなぜだか少しだけ。
嬉しかった。
炎が揺れる。
白き森の夜は静かだった。
だが、
森のさらに奥、誰も知らない場所で
黒い魔障がゆっくりと脈打っていた。
まるで誰かの孤独に呼応するように。




