第三十五章 約束の欠片
屋上には夜風が吹いていた。
星々が静かに瞬いている。
セリアの視線はノクスの手元に向いていた。
白銀の翼。
小さな結晶。
長い年月を経ているはずなのに、不思議なほど美しい。
ノクスはそれを見つめていた。
まるで壊れやすい宝物を見るように。
「アイシアさんの……」
セリアが呟く。
ノクスは否定しなかった。
「封印の日」
静かな声だった。
「最後に残したものだ」
その言葉には重さがあった。
何百年分もの時間が詰まっているみたいに。
セリアは何も言わない。
ただ待った。
ノクスが続きを話すのを。
「私は反対した」
やがてノクスが言う。
「最後まで」
風が吹く。
白銀の髪が揺れる。
「知ってる」
セリアは小さく答えた。
記憶の中で見た。
「止められなかった」
その声は静かだった。
怒りもない。
悲鳴もない。
ただ、長い時間を経てなお消えない痛みだけが残っていた。
「だから」
ノクスは翼の欠片へ視線を落とす。
「私は約束を守った」
セリアは黙って聞いている。
「星祈りを忘れなかった」
「記録を守った」
「名前を覚えていた」
ぽつり。
ぽつりと語られる言葉。
それは誇りではなかった。
使命感でもない。
ただ約束だった。
たった一人との。
「でも」
ノクスの声が少しだけ掠れる。
「それだけだった」
セリアは目を瞬く。
「それだけ?」
「ああ」
ノクスは苦く笑った。
夜空を見上げる。
「私はずっと守ることしかできなかった」
その言葉にセリアは胸が締めつけられる。
何百年も誰かとの約束を守り続けた人が自分を責めている。
「違うと思う」
気づけば口にしていた。
ノクスが視線を向ける。
金色の瞳。
静かな夜。
「違う?」
「うん」
セリアは頷いた。
「守り続けることって簡単じゃない」
風が吹く。
「忘れないことも」
「約束を守り続けることも」
少し考える。
それから言葉を続けた。
「誰にでもできることじゃないと思う」
ノクスは何も言わなかった。
ただじっとセリアを見ている。
その目に映るのは。
過去ではない。
今ここにいる少女だった。
「アイシアさんは」
セリアが空を見上げる。
「たぶん知ってたんじゃないかな」
「……何を」
「あなたが約束を守る人だって」
沈黙。
夜風だけが流れる。
その時、ペンダントが光った。
白銀の輝き。
今までで一番強い光。
雪の結晶の両側に。
翼の輪郭が浮かび上がる。
そして、ノクスの持つ欠片が呼応するように輝いた。
二つの光。
二つの翼。
まるで再会を喜ぶように。
ノクスの瞳が揺れる。
セリアも気づいた。
これは偶然じゃない。
翼は戻りたがっている。
けれど、ノクスは欠片を差し出さなかった。
まだその時ではないから。
代わりに彼は空を見上げる。
満天の星。
そして、本当に久しぶりに心の奥で思った。
もしかしたらアイシアは正しかったのかもしれない。
未来を信じるということ。
託すということ。
その意味を自分はまだ理解できていなかったのかもしれない。
その時だった。
古塔の下から大きな声が響く。
「セリアー!」
リリカだった。
「レオンが探してるー!」
沈黙。
セリアが目を瞬く。
ノクスも無言。
数秒後。
セリアは思わず吹き出した。
「また?」
「まただな」
ノクスが言う。
そして本当に一瞬だけ口元が緩んだ。
それは、セリアが初めて見るノクスの笑顔だった。




