第三章 黒霧の森
西の森へ向かう街道は、
夕暮れが近づくにつれて不気味な静けさに包まれていた。
風がない。
鳥の声もしない。
まるで森そのものが、
息を潜めているみたいだった。
「……嫌な感じですね」
ユークが眉をひそめる。
魔導具のコンパスは小刻みに震えていた。
「魔力濃度が異常です。普通の魔物じゃない」
その時。
森の奥から、
低いうなり声が響いた。
ぞわり、と空気が震える。
次の瞬間。
黒い影が木々の間から飛び出した。
「来るぞ!!」
ガルドが叫ぶ。
現れたのは、
巨大な狼型魔獣だった。
漆黒の体毛。
赤黒い眼。
身体から滲み出る黒い霧。
「《黒竜の眷属》……!」
普通の魔物じゃない。
“魔瘴”に侵された存在。
その気配だけで、
新人冒険者なら足がすくむレベルだった。
「うわっ、速っ!?」
リリカが後方へ飛び退く。
魔獣は一直線にセリアへ向かっていた。
――ヒーラーを狙っている。
「セリア、下がれ」
低い声。
次の瞬間、
レオンの剣が閃いた。
銀色の軌跡。
凄まじい速度の一撃が、
魔獣の爪を真正面から弾き返す。
轟音。
衝撃で地面が裂けた。
「っ……!」
セリアは息を呑む。
速い。
強い。
まるで黒い風みたいだった。
「ユーク!!」
「分かってます!」
ユークが杖型魔導具を展開する。
青白い魔法陣。
「《アイスランス》」
無数の氷槍が空中に生成され、
一斉に魔獣へ降り注いだ。
しかし。
黒い霧がそれを弾く。
「防御魔瘴……!? 厄介ですね」
「だったら近づけないようにする!」
リリカが木の上へ飛び乗る。
猫みたいな身軽さ。
次の瞬間、
高速で矢を放った。
「《風穿ち》!」
緑色の魔力をまとった矢が、
空気を裂きながら魔獣の脚を撃ち抜く。
魔獣の動きが鈍る。
「ガルド!!」
「おう」
地面が揺れた。
大槍を構えたガルドが、
真正面から突撃する。
「《岩砕き》ッ!!」
重い一撃。
槍が魔獣を吹き飛ばし、
大木ごと叩き折った。
「すご……」
セリアが思わず呟く。
みんな強い。
役割がちゃんと噛み合ってる。
けれど次の瞬間。
吹き飛ばされた魔獣の身体から、
大量の黒霧が溢れ出した。
「っ!?」
霧が周囲の木々を腐食させていく。
草花が枯れる。
空気が濁る。
「まずいですね。魔障濃度が高すぎる」
ユークの顔が険しくなる。
「普通の攻撃じゃ核を壊せない」
レオンが舌打ちした。
魔獣は立ち上がる。
傷が再生している。
黒い霧が傷口を埋めていた。
「……浄化系じゃないと止まらないか」
その瞬間。
セリアの胸がざわついた。
――助けなきゃ。
苦しい。
この魔物も。
森も。
まるで泣いてるみたいだった。
自然と、
身体が前へ出る。
「セリア!?」
レオンが目を見開く。
セリアは静かにペンダントを握った。
胸元のペンダントが淡く光る。
知らないはずの言葉が、
自然と口から零れた。
「――星よ、穢れを照らして」
空気が変わる。
白銀色の光が、
彼女の足元から広がっていく。
優しい光。
なのに神聖で、
誰も目を離せない。
ユークが息を呑んだ。
「……なんですか、それ」
セリア自身も分からない。
でも“できる”と分かった。
「《ルミナス・フィール》」
瞬間。
巨大な光の結界が森を包み込んだ。
黒霧が浄化されていく。
苦しそうに暴れていた魔獣が、
次第に動きを止めた。
赤黒かった瞳が、
ゆっくり本来の色へ戻っていく。
そして。
最後に小さく鳴いて、
静かに消えた。
沈黙。
風が吹く。
枯れかけていた草花に、
少しずつ色が戻っていった。
「……浄化した?」
リリカがぽかんと呟く。
「倒したんじゃなくて……救ったのか」
ガルドが低く言う。
セリアは呆然としていた。
「わ、わたし……」
その瞬間。
視界がぐらりと揺れる。
「っ……」
倒れかけた身体を、
レオンがすぐ支えた。
「馬鹿」
低い声。
けれど怒鳴るわけじゃない。
ただ、
心配を押し殺してる声だった。
「また無茶しやがって……」
「ご、ごめん……」
レオンは何か言い返そうとして、
結局ため息をついた。
「……怪我は?」
「ないよ」
「ならいい」
そう言いながら、
彼はセリアの手を離さない。
その時だった。
森の奥から、
黒い霧がふわりと漂う。
一瞬だけ。
誰かの“視線”を感じた。
冷たい、
底の見えない気配。
レオンの表情が鋭くなる。
「……誰だ」
だが返事はない。
ただ、
悲しい笑い声のようなものが、
風に紛れて消えた。
◇
「今日はここまでだな」
森を抜けた頃には、
すっかり夜になっていた。
遠くに見える暖かな灯り。
街道沿いの宿屋。
入り口には、
小さな星型ランタンが揺れている。
看板にはこう書かれていた。
――《星灯り亭》。
「わぁ……」
セリアは思わず目を輝かせる。
その暖かな光が、
まるで“おかえり”と言ってくれているみたいで。
知らないはずなのに、
どこか懐かしく感じた。




