第十七章 花の記憶
花祭りの夜は、不思議な夜だった。
昼間の賑やかさが嘘みたいに。
町全体が柔らかな光に包まれている。
花灯り。
そう呼ばれる祭りの風習だった。
小さな硝子の器に花を浮かべ、
灯りを灯す。
町の至る所に。
川辺にも。
広場にも。
窓辺にも。
星が地上へ降りてきたみたいだった。
◇
アイラの工房には、
花の香りが満ちていた。
セリアは昼間見せてもらった花冠をもう一度眺めている。
ルークが作った花冠。
少し不格好で。
でも丁寧で。
優しい花冠。
「上手じゃないのね」
思わず言う。
アイラが吹き出した。
「そうなの」
「お兄ちゃん器用だと思ってた」
「不器用よ」
即答だった。
セリアは少し笑う。
最近そんな話ばかり聞いている気がした。
方向音痴。
料理下手。
頑固。
心配性。
そしてシスコン。
完璧な兄だと思っていた人が、少しずつ人間らしくなっていく。
「でもね」
アイラが静かに言う。
「あなたの話をしている時は、本当に幸せそうだった」
工房の窓から花灯りが見える。
揺れる光。
優しい夜。
「妹は元気かな」
「妹は笑ってるかな」
「妹に似合う花はどれだろう」
アイラは少し懐かしそうに笑う。
「いつもそんな話」
セリアは俯いた。
胸が温かい。
少し苦しい。
少し寂しい。
でも嬉しかった。
自分の知らない場所でも。
兄は兄だったのだ。
「ルークはあなたを守りたかったのね」
静かな声。
セリアは答えなかった。
答えられなかった。
ただ花冠をそっと抱きしめる。
◇
工房を出る頃には夜も更けていた。
花灯りはまだ揺れている。
祭りは続いていた。
リリカの笑い声も聞こえる。
子供たちの歓声も。
ガルドがまた捕まっているらしい。
平和な夜だった。
けれど、
「……あれ」
セリアは立ち止まる。
ひとり足りない。
「ユーク?」
◇
探し回った末に見つけたのは。
祭り会場から少し離れた資料館だった。
灯りは消えている。
静かな建物。
古い石造り。
扉は少しだけ開いていた。
中には月明かりだけが差し込んでいる。
紙の匂い。
本の匂い。
静寂。
その奥に。
ユークはいた。
机いっぱいに資料を広げている。
古文書。
写本。
地図。
必死だった。
まるで。
何かに追いつこうとしているみたいに。
「ユーク?」
声をかける。
彼はようやく顔を上げた。
「ああ……」
少し驚いたような顔。
「すみません」
「何してるの?」
ユークは少しだけ迷った。
珍しく。
本当に少しだけ。
「探しているんです」
「何を?」
静かな沈黙。
そして。
「答えを」
セリアは何も言わない。
急かさない。
それがセリアだった。
「姉がいたんです」
ぽつりと。
ユークは言った。
月明かりが横顔を照らす。
「昔」
「……うん」
「病でした」
それだけだった。
それ以上は語らない。
でも十分だった。
「もっと知っていれば」
古文書を見つめる。
「助けられたかもしれない」
セリアは何も言えなかった。
励まさない。
慰めない。
ただ隣へ座る。
静かに。
しばらくして。
ユークが小さく笑った。
「困りますね」
「?」
「セリアさんは」
「黙って隣にいるので」
月明かりが揺れる。
セリアも少しだけ笑った。
「治療院でもよく言われた」
「でしょうね」
その時だった。
ユークの手が止まる。
古い紙。
ボロボロの記録。
そこに見覚えのある文字があった。
「……お兄ちゃん」
二人で顔を寄せる。
旅の記録。
調査記録。
そして最後のページ。
そこには
『次の目的地
星見の古塔』
そう書かれていた。
さらに。
もう一行。
走り書き。
急いで記された文字
『ノクスについて』
セリアは首を傾げる。
「ノクス?」
知らない名前。
聞いたこともない。
けれどその文字を見た瞬間、
胸元の雪の結晶のペンダントがかすかに光った。
誰にも気づかれないほど。
小さく。
まるで遠い昔の記憶を呼び起こすみたいに。




