第十二章 雪解けの泉(前編)
薬師見習い生活三日目。
セリアは完全に谷の人たちに馴染んでいた。
「セリア先生ー!」
朝から子供たちが駆け寄ってくる。
「先生じゃないよ」
そう言いながらも、自然としゃがんで目線を合わせる。
「どうしたの?」
「転んだ!」
見せられた膝小僧。
小さな擦り傷。
セリアは優しく傷を洗う。
薬草軟膏を塗る。
最後に小さな光魔法。
「うん、大丈夫」
「すごい!」
子供は元気に走っていった。
◇
「人気者ですね」
ユークが本を読みながら言う。
広場の向こうでは。
ガルドが子供たちに捕まっていた。
「ガルドー!遊ぼー!」
「……おう」
完全に遊具扱いだった。
肩車。
鬼ごっこ。
謎の遊び。
「なんであんなに懐かれるんだろう」
セリアが不思議そうに呟く。
「安心感があるんじゃないですか」
ユークが答える。
「熊みたいですし」
「熊」
セリアが吹き出した。
◇
一方その頃。
「見つけたぁぁぁぁ!!」
リリカがまた叫んでいた。
町一番人気の菓子店。
期間限定雪りんごのアップルパイ。
「これ絶対食べるべきやつ!!」
「昨日も同じこと言ってましたよね」
「違うの!」
全然違うらしい。
ユークには理解できない。
◇
昼、薬師の家。
エリオスは薬草を仕分けしていた。
セリアも手伝っている。
「これは乾燥棚へ」
「はい」
「これは別だ」
「はい」
不思議だった。
厳しい人なのに。
教え方は丁寧だ。
間違えれば叱る。
でもできれば褒める。
それが少しだけ嬉しい。
◇
午後、診療所には村人たちが訪れていた。
肩を痛めた猟師。
腰の悪いおばあさん。
風邪気味の子供。
セリアは一人一人の話を聞く。
急がない。
流れ作業みたいにしない。
ちゃんと顔を見る。
「最近調子が悪いところはないですか?」
「だいぶ良くなったよ」
「それなら良かった」
自然と笑顔になる。
その様子をエリオスは黙って見ていた。
◇
夕方、診療が終わる。
薬草の香りが残る部屋。
エリオスがぽつりと呟いた。
「似ているな」
セリアが顔を上げる。
「え?」
「ルークにだ」
静かな声だった。
「薬の知識じゃない」
「?」
「患者を見る目だ」
少しだけセリアは照れくさくなる。
◇
その夜、薬師の家の台所。
セリアが戻るとまたレオンがいた。
エプロン姿で。
当然のように。
「また作ってる」
「腹減るだろ」
鍋から湯気が上がる。
良い匂い。
「レオンって」
「なんだ」
「旅先でもずっとこんな感じだったの?」
少しだけ沈黙。
そして
「……ルークが料理壊滅的だったからな」
セリアが固まる。
「え?」
「壊滅的だった」
「えっ」
「壊滅的だった」
三回言った。
大事なことらしい。
その後、食卓では大爆笑が起きた。
「塩と砂糖を間違えた」
「また!?」
「煮込み鍋を爆発させた」
「お兄ちゃん!?」
「雪原で魚焼こうとして火を消した」
「どうやったらそうなるの!?」
セリアが笑う。
声を上げて笑う。
兄が亡くなってから初めて聞く話だった。
失った人じゃない。
生きていた人としてのルーク。
それが嬉しかった。
◇
その夜遅く皆が寝静まった頃、
エリオスは一人で外へ出る。
月が出ていた。
冷たい風が吹く。
そこにレオンがいた。
「起きていたか」
「まあ」
二人は少し離れて立つ。
静かな夜だった。
しばらくしてエリオスが言う。
「気づいたか」
レオンの表情が変わらない。
だが答えは早かった。
「ああ」
同じものを見ていた。
だから分かった。
「咳だ」
レオンが呟く。
小さな咳。
本当に小さな変化。
本人も気づいていない。
でもルークを知る二人には分かった。
エリオスは遠くを見る。
雪解け水が流れる谷。
静かな夜。
「まだ早い」
まるで自分に言い聞かせるように。
「気のせいかもしれん」
レオンは何も言わない。
けれど胸の奥がざわついていた。
嫌な予感だった。
昔感じたことのある感覚。
忘れられない感覚。
そして谷のさらに奥。
人が近づかない雪解けの泉では、
水面の底に黒い影が静かに揺れていた。
誰にも気づかれないまま。
ゆっくりと。




