1-5 老兵が、最強の馬術スキルで天下人をビビらせる
『北条五代記』は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。出典:Wikipedia
俺の名前は朝倉能登守……いや、今は捨て鉢な隠居坊主、犬也とでも呼んでくれ。
かつて、俺たちの北条家は無敵だった。五代目・氏直様の威光は関八州に満ちあふれ、逆らう敵などどこにもいない……はずだった。
だが、武運の尽きは突然やってきた。天正十八年(1590年)、北条家は豊臣秀吉という圧倒的物量の前に、完膚なきまで滅亡した。
まさに「蹂躙」。関東の侍たちは行き場所を失い、身を寄せる場所も、向かうべき道もなくなった。
かつては「武勇の誉れ」と呼ばれ、雲の上の名声を求めていた連中が、今じゃ肩をすぼめ、情け深い人の言葉にすがりついて、今日明日を生き延びるのが精一杯。
「今はもう、俺が振り回していた腰刀も、世の中に使われないゴミアイテムになっちまったな……」
なんて古歌を口ずさみながら、乞食のような格好でさまよう日々。俺自身、この惨めな身の上を「木にもあらず、草にもあらず、呉竹の端っこのような中途半端な存在だ」と嘆く古今和歌集の歌に重ねていたよ。悲しいもんだろ?
そんなドン底の中で、俺はいっそ出家して名前を犬也と改めた。ボロボロの姿でさまよう俺を、道ゆく連中は「けんや」だの「いぬなり」だの、まるで迷い犬のように呼んで馬鹿にした。
萍のように根を失い、流れる水があればどこへでも流される……そんな死に体だった俺を見て、風流を解する知識人がこう言ったらしい。
「この男を『犬也』と名付けたことをバカにするなよ。あの蘇東坡は言った。『犬を飼うのは泥棒を防ぐためだ。泥棒がいないのに吠えない犬など飼う必要はない』とな。この男は、その言葉を信じて名を付けた、いわば『逸物の犬』だ。飼っておけば必ず役に立つぞ」
……ハッ、誰が負け犬だって? 俺の「ステータス」は、見た目だけで判断できるほど安くない。
そんな俺に、とんでもない「招待状」が届いた。送り主は、天下人・徳川家康の息子にして、結城家の家督を継ぐ結城宰相秀康卿だ。
今は太平の世だ。だが秀康卿は、晏子春秋の「難に直面してから井戸を掘る(遅すぎる)」という愚か者のエピソードを引き合いに出し、こう言ったんだ。
「晴れているうちに水道を整備し、平和なうちに武器を揃えるのが君子の道だ。かつての関東で『武勇の誉れ』を轟かせた伝説のプレイヤー(老兵)たちを探し出せ!」
こうして、俺(朝倉能登入道)をはじめ、清水、大石、山本、松下といった北条家の「武勇の誉れ」が召喚された。秀康卿は俺たちに過分な知行を与え、常に自分の側に置いて可愛がってくれたんだ。
「昔の四皓のように、隠居した老人たちが政治を正す……『源氏物語』にもあるだろ? 白髪を恥じずに出仕する、あのカッコよさを。俺はそれを求めているんだ」
秀康卿の、世に捨てられた俺たちをリサイクルする「目利き」の鋭さには、世間も驚いていたよ。
ある日、秀康卿が俺に聞いてきた。
「関東の侍は馬術の達人ばかりだと聞く。さぞかし、強くて気性の激しいレアな馬を好んで乗りこなしていたんだろうな?」
俺は答えた。
「……いえ。関東の侍は、むやみに『強すぎる馬』を好みません。ただ、自分の実力(自力)にぴったり合った馬に乗るのが基本です。俺の旧友、伊藤兵庫助という馬術の勇士も言っていました。『大旗や立派な兜を身につけておきながら、自分に合わない強い馬を選ぼうとする奴は、不覚の極みだ』と」
馬術が下手な奴に限って、高い強馬を好む。それは馬に乗っているんじゃなくて、馬に乗せられているだけなんだよな。
俺は続けて、源頼朝公の前で大庭景能が語った伝説の故実を披露してやった。
「かつて足利忠綱が宇治川を渡る時、『弱い馬を流れの下流に立て、強い馬に水の流れを防がせろ』とコマンドを指示しました。勇士ってのは、ただ力任せに乗るんじゃない。馬の特性を理解して、完璧にシンクロしなきゃならないんです」
さらには、北条流の育成 方法も教えてやった。
「まだ戦場を知らない若い奴らは、広い野原に連れ出し、敵味方に分けて模擬戦をさせるんです。旗を差し、弓・槍・薙刀を持たせ、鉄砲をぶっ放し、大声で叫ばせながら、山を駆け、堀を飛び越えさせる。縦横無尽に動けるように鍛錬し、勝利への嗅覚を鍛え上げる……。初代・早雲様も『二十一箇条』の第十六条で書いています。『馬は基本をしっかり乗りこなせ』と。侍が馬に振り回されるなんて、恥ですよ」
秀康卿は身を乗り出した。
「犬也、お前も若い頃はさぞ凄かったんだろうな。……よし、その昔の面影を、ちょっとここで見せてくれないか?」
俺は困ったふりをして見せた。
「……もう七十ですよ。昔のような動きは無理がありますが、主君の命令とあらば断るわけにはいきません。ちょっとだけご覧に入れましょう」
秀康卿はワクワクしながら馬場に観覧席を設け、諸侍も芝生の上にズラリと並んだ。 そこに、俺が登場した。
鴾毛(クリーム色)の駒に跨り、黒糸威の鎧をまとい、星兜の上から頭巾を被った。さらに白袈裟をかけた山伏のコスチュームだ。
背中に矢を負い、弓を持ち、郎党に槍を持たせて、しずしずと秀康卿の前に進み出た。
「今は軍陣にありますゆえ、下馬は御免こうむる!」
そう叫ぶや否や、俺は馬場を二、三回激しく疾走させた!目の前の築地を敵陣に見立てて睨みつけ、手綱を鞍の前輪に叩きつけて手を離した! 両手フリーの状態で馬を操り、走りながら弓に矢を番え、叫び声を上げながら敵(的)に矢を二つ、三つと連射!
それだけじゃない。俺は走りながら弓を捨て、馬から飛び降りた!従者が持っていた槍をひったくり、逃げる従者を追い詰め、従者が逆襲してくればサッと退き、また隙を見て攻め込む。
さらに、俺が離した馬もまるで心があるかのように、主人の俺の後を追ってくるんだ。俺はその馬に一瞬で飛び乗り、一散に走らせながら、左の弓手へ、右の妻手へと槍を自由自在に振り回して見せた。
「な、なんだと……!?」
秀康卿は目を丸くして驚き、感動に震えていた。
「犬也! こっちへ来い!」
俺は馬を静めて近くに乗り寄せ、鮮やかに飛び降りて、御前に跪いた。
その日の褒美として、俺は刀と薙刀をセットで賜った。俺の人生、いろいろあったが、これ以上の思い出はない。
諸侍たちも、「あの老いぼれた爺さんが、これほどの達人だったとは……若い頃は一体どれほどの誉れだったんだ」と感嘆せずにはいられなかった。
俺は確かに、今はもう老いさらばえた「古い犬」かもしれない。だが、北条の門下で磨き上げた弓馬のスキルは、決して錆びちゃいない。
「北条」という看板がなくなっても、俺自身の「能力」こそが、俺を再び天下の表舞台へと押し上げたのさ。
校訂 北条五代記 博文館編輯局(明治三十二年)
五 犬也入道弓馬に達者の事
見しは昔。北条氏直公、関八州に威をふるひ給ひし時は、恐れぬ敵もなし、なびかぬ草木もなかりしが、武運末になり、天正十八寅の年、北条家ことごとく滅亡す。関東諸侍共に運つき果て、身の置き所なく、行くべき方もなし。憂さの余に入道し、「今はわれまろばにとげる腰刀、世に使はれぬ身とぞなりける」と古歌など口ずさみ、乞丐の体にて、ここやかしこにさまよひ、面をそばだて、肩をすぼめ、「木にもあらず、草にもあらず、呉竹のはしに我が身はなりぬつらなり」と詠める古今の歌を思ひ出で侍りぬ。悲しきかな。これらの人、いにしへは智者にむつび、その名を雲上にあげんとほつす。今は情ある人のほそ言葉をしたひより、朝夕の世路を渡らんと願ふ。中にも不便に見えけるは、相模の国の住人、朝倉能登守といひて、関東弓矢の時節、数度の合戦に先をかけ、武勇に達せし者あり。この人すてやらで、「身はさびはてぬ古刀、さすがに世をば思ひたてども」と詠める古歌を珍吟しつるが、いかなる思はくにや、入道し犬也と名付く。はふれにたる姿を見て、けんやと名をよぶ者もあり、いぬなりといふ人もあり。乞食してぞ世を送る。あはれなるかな、身は萍の根を絶え、さそふ水あらばいづくへもいなんと思ふ。風情なる有職の人云ひけるは、「この者、犬也と名付くるをいやしむべからず。犬を養ひてもつて盗人をふせぐ。盗人なきをもつて吠えざる犬を飼ふべからずと、東坡は云へり。この者この言葉を信じて名付けたるにや。これは逸物の犬なり。飼ひおきなば益あるべし」といふ。然るに結城宰相秀康卿仰せけるは、「今、弓矢治まり天下太平の御代なり。然れども晏子春秋に、難に望みて井を掘ると、愚人のあざけりを記せり。かるがゆゑに炎天に水道をはらひ、無事に武具を求むるは、これ君子の道なり。いにしへ関東弓矢の時節、武のほまれある者を尋ね出し扶持し給ふ」とて、清水太郎左衛門入道、大石四郎右衛門入道、山本信濃入道、松下三郎左衛門入道、朝倉能登入道など召し出され、過分の知行を与へ、常に御前に近習せしめ、御自愛浅からず。或る老人申されけるは、「むかし四皓、秦の乱を去り商山に隠居す。八十有余、鬢眉皓白なりしゆゑ四皓といへり。漢の高祖の太子、これを召し出し師とし、政正しく、治世久しかりき。源氏物語などにも『しろがみを恥ぢず出でつかふる』といへるはこれなり」と。また秀康卿、世に捨てられたる老士を召し出さるる事、感ぜりといへり。秀康卿仰せけるは、「関東侍は馬上にて達者をはたらくよし、聞き及びぬ。さぞ強き馬を好みつらん」朝倉犬也承りて申す、「関東侍、あながちに強き馬をもこのまず候。ただ自力にかなひたる馬をもつぱらと乗り候。愚老旧友に伊藤兵庫助と申して、馬鍛練の勇士ありしが、或る時口ずさみに『大旗や大立物に強き馬このまん人は不覚なるべし』と詠み候。馬下手の強馬好むを見ては、馬に乗らで馬に乗らるると申候」と、頼朝公の御前にて大庭景能が語りし故実を引き、勇士は騎馬に達すべき事を説き、治承の頃、足利忠綱が宇治川を渡す時、弱き馬を下手に立て、強きに水をふせがせよと下知せし事など語る。また、「戦場をいまだ踏まざる若き者は、広き野原へ伴ひ出で、敵味方に人数を分け、旗をさし、弓鎗長刀を持ちて馬に乗り、鉄炮をならし、矢叫びの声をあげて騒ぎ、山へ乗り上げ、堀を飛ばせ、自由をはたらく様に鍛練いたし、先陣に抜きんで、懸引達者をふるまひ、勝利を得ん事を専らと嗜み候」と述べ、「早雲教への二十一ケ条の内に、馬は下地をば達者に乗りならひて、用の手綱をば稽古せよと記せり。侍たる者、馬の口とらするは一代の不覚なり」と申す。秀康卿聞召し、「犬也も若き比はさぞ馬鍛練しつらん。昔の面影をそと学んで見せよかし」と仰せなり。犬也承り、「愚老七十に及び、馬上のふるまひかなひがたく候へども、貴命辞し申さば却つて恐れあり。御遊興に、そといにしへを学んで御目にかけ候べし」とて私宅に帰る。秀康卿御見物のため馬場にゆかをかけ、登らせ給ひ、諸侍芝の上に並び居たり。犬也、鴾毛の駒に黒糸威の鎧着、星甲の上に頭巾あて、白袈裟をかけ、いぶせき山伏の姿に出立ち、矢負ひ弓持ちて、郎等一人召し具し、鑓を提げさせ馬に打乗り、御前近くしづしづとあゆませ、「軍陣に候、下馬御免」と申すもあへず、馬場を二三返はせめぐり、築地を敵方とにらみ、手綱を鞍の前輪に打かけ、またにて馬を乗り、弓に矢をはげ声かけ、走るうちに矢を二つ三つ放ち、さて弓を捨て飛びおり、従者が持ちたる鎗を取り、従者が先立ち逃ぐるを追ひ、従者が取つて返せば我しりぞき、馬も心あるにや跡をしたひ来るをまた打乗り、一散に走らせ、弓手妻手へ鑓を自由自在にちらしはせ廻る。秀康卿御覧ありて目をおどろかし、御感ななめならず。「犬也召しにてあるぞ」とよびければ、馬をしづめ近く乗りよせ、飛びおり御前に候す。当時の御褒美として刀に長刀をさし添へくださる。老後の思ひ出、これにしかじとぞ申ける。犬也入道、老衰の翁なれども、鍛練の道達者をふるまふ事、若き比さぞやと、諸人感嘆せずといふ事なし。この人まことに老たる犬なりといへども、諸侍尊敬し給ふ。弓馬の威徳、のべ尽くすべからず。
〜参考文献〜
北条五代記(博文館編輯局校訂) - Wikisource
https://share.google/FGo71GTKh9plFa7d0
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、単にWikiなどから貼り付けると元のルビが崩れて文章がグチャグチャになります。そのため原文の体裁は、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の雰囲気を感じてもらえたらと思います。
この「小説+原文併記」という形式は、たぶんなろうではあまり見ない試みだと思います。
もし面白い試みだと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければと思います。率直な感想として謹んで承ります。




