走れ、土岐!
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合宿初日の昼、熱さを増した初夏の太陽が、ちょうど空の頂上に差し掛かるお昼前。
永田薙刀道場に隣接する伽里田神社の境内と、眼下に広がる長い階段から、オカルト研究会メンバー達の悲鳴と、それを叱咤激励する声がこだまする。
「ほらぁ!どうした」
「足が止まってる!」
「自分自身に負けるな、かけ上がれ!」
激励するインストラクター、和田の声に混じり、「ひいっ!ひいっ!」「はあっ!はあっ!」と、断末魔を通り越した、情けない悲鳴が辺りに響いている。
午前中のトレーニングも最後の仕上げ。伽里田神社の参道、階段昇りダッシュ。
もう、仲間への気遣いなどしていられない程に、ボロボロの玲一達は、涙、鼻水、よだれも拭わずにただ、和田則正の怒声と激励に背中を押され、階段を駆け上がっていた。
そんな、伽里田神社の階段から、数十メートル横、永田薙刀道場の敷地では、オカルト研究会メンバーでもゲストでもない、
少女一人と謎の動物一匹が、道場の敷地の草むらで、戯れている。
「ぶもも♪ぶもも♪」
「はい東風、お昼だよぉ~」
戯れていたのは、玲一の妹のこよみ。そして、土岐家の家族になった麒麟の子供「東風」。
研究会のメンバーたちが、ハードな運動でヨレヨレになっている傍ら、雑草をこよみが手で摘み、東風に食べさせると言う、非常にまったりとした時間を過ごしていたのである。
何故部員でもないこよみが、合宿に帯同しているのかと言えば、答えは簡単、土岐こよみの保護である。
未だに誘拐事件を起こした、妖魔・山犬と、八百万組合との決着がついていない今、再び山犬たちが暴れるかも知れないと言う可能性を鑑み、こよみも合宿に参加させた方が良いと、オカルト研究会部長、氷見ひまりは判断し、こよみはゲストとして、この場所にいるのであった。
もちろん、元々この伽里田神社のある三登山は、麒麟である東風のホームグラウンド。東風は楽しげに、玲一とこよみの後をついて来たのである。
「はい、これも雑草だけど食べる?」
「ぶもも♪ぶもも♪」
麒麟は、完全なる草食の霊獣である。むしろ、草花しか食べない。
では、なぜ、目の前にご馳走が広がっているのに、自分でガツガツと食事を採らないのか。
どうやら、目の前に広がる雑草に対して、東風は直接口をつけようとはせずに、こよみが摘み取って食べさせてくれる事を、楽しんでいる様にも見える。
「どう、美味しい?」
「ぶももも♪ぶももも♪」
こよみと東風はすっかり仲良しに。
人間と犬との主従関係ではなく、友人としての関係が成り立っていた。
まったりとした時間が流れる、こよみと東風。
そして、伽里田神社の境内から聞こえて来る、兄達の断末魔の声と、和田の怒声。
様々な理由で、早い・遅い時間が流れる中、
それを打ち破るかの様に、永田薙刀道場の合宿棟から、エプロンをつけた永田静音が出て来る。
「こよみちゃ~ん!お昼出来たから、みんなを呼んで来て~!お昼にしましょう♪」
「は~い!わかりましたぁ!」と、大きな声で、元気な返事をし、こよみは兄達のいる参道へと向かう。
「東風、お兄ちゃん達を呼びに行こう。競争だあ!」
「ぶも♪ぶももも♪」
こよみの後に続きながら、テケテケテケ♪と、短い手足で軽快に走る東風。
二泊三日の合宿、帯同するこよみや東風も、どうやら退屈はしていなさそうだった。
そして、やっと訪れた昼休み
背中を丸めなから、足を引きずる様に、疲労困憊で合宿棟へと戻って来た玲一達は、食堂の食卓に広がっている光景に愕然とする。
「なん…だ?これは」
「嫌がらせにも程がある…」
「だ、ダメ…見ただけで吐き気がするのだ…」
食堂に入って来た一同は、その光景を見詰めただけで、猛烈な吐き気と、強烈な満腹感に襲われている。
それもそのはず。何と、目の前のテーブルにズラリと並べられているのは、オーバーカロリーとも言うべき、ご馳走の山!山!山。
「…あっさりした物…食べたかった…」
彼ら、彼女らが嘆くのも無理は無い。
各テーブルの中央に「ドン!」と据えられているのは、卓上コンロ。
そしてその隣には、大きな皿に乗せられた、焼き肉用の上等な牛肉と豚肉。
その量も半端ではなく、セレブ生活を送るプリシラの、ベッドに置かれた枕ほどの大きさ、まさに肉塊。
更に、炭水化物をたっぷり採れとばかりに、大皿に盛られ、山の様にそびえる、スパゲティ・ナポリタンがケチャップの酸味を交えた湯気を放ちながら、オレンジ色に輝き、
更に更に、各自一人一人の目の前には、どんぶり飯が用意され、その隣には、自分の靴よりもデカそうなキツネ色のトンカツが、油を艶々と輝かせている。
「…ごぶっ!!」
「富美さん!?トイレ行こう、トイレ!」
匂いにやられたのか、トイレに走って行く富美、背中をさすりながら、付き添うロロット。
二人の後ろ姿を見守りながら、和田は笑顔でメンバーたちに声をかける。
「さあ!とりあえずみんな席につけ。食べれる者から食べ始めるんだ」
「静音さん、なんだこれは?なんだこれは、なんだこれは、なんだこれは…!」
「ひまりちゃん、すごいでしょこれ!八百万組合から、先に結構な入金があってね。みんな遠慮しないで食べて、残したらそのまま夕飯に持ち越しだよ~♪」
「ぐわあっ!くそっ!食ってやる!片っ端からやっつけてやる!」
「そうだ、土岐君その意気だ!午前中のトレーニングで失ったカロリーは、ここで無理してでも補充しておかないと、この先やってけないぞ!」
食堂内に充満する、肉を焼く香ばしい匂い、そして、食欲をそそる音。
本来なら……、普通の生活をただ送っているだけならば、この、目の前に広がる光景は、盆と暮れとクリスマスが同時に訪れた様な、超絶豪華な食卓とも言えるのだが、
今の玲一達にとっては、迷惑この上無し。食事を採るどころか、すでに胃が受け付けない。
「うっ…ううっ…酷い…あんまりよ…」
「どうしたクラリッタ?泣くなよ」
「だって、だって…玲一、これ見てよ。味噌汁ならさっぱり飲めると思って手をつけたら、これ味噌汁じゃなくて、豚肉と野菜がゴロゴロ入った、味噌ちゃんこじゃないの。ごっつぁんですじゃないわよ…」
「貧乏神はもうあてにならないのだ。だから彼女の分も食べないと、夕飯持ち越し分が、地獄の量なのだ」
「私の口に合うなかなかの高級肉ですが、せめて…せめて、こんな時に食べたくはなかったです。ベロニカ、私の分も食べますか?」
「良くもそんな事が言えるなプリシラ。貴様のサドっぷりは相変わらずだな」
「ぐうっ!?」
「吐くな加納!飲み込め、耐えるんだ!」
悶絶に次ぐ悶絶。
まるでその光景は、プロレスラーや力士が「身体を作る為」に、無理を承知で飯をかき込むのと同じ。食事が既に闘いであり、食事が仕事であるかの様でもある。
だがいくら、基礎体力向上を目指した集中合宿とは言え、平凡な社会生活を送っていた、思春期の少年少女には、ご馳走もまた、拷問以外の何物でもなくなっていた。
涙を目に浮かべ、額には油汗を浮かべ、流れ落ちそうな鼻水は無造作にタオルで拭い、
ひたすら、社会的には「ご馳走」と呼ばれる料理を、苦痛の表情を浮かべつつ、機械的に食べるメンバーに向かって、
顔を真っ青にした部長のひまりが、「みんな、…ちょっと聞いて欲しい」と、一言発しようとしている。
「うぷ…っ!とりあえずみんな、聞いてくれ。来月の7月、みんなも知っていると思うが、青嵐学園で体育祭がある。」
聞いている様な、聞いていない様な。朦朧とした視線をひまりに投げかける仲間達。
一番角のテーブルでは、極めて「常識的な」量の昼食を、和田則正と永田静音、そして玲一の妹のこよみが、和気あいあいと、笑顔で楽しんでいる。
「その体育祭とは、毎年恒例の【武道体育祭】。クラス対抗の通常陸上競技と球技大会が終わった後、部活対抗の武道大会がある。勝ちたい、勝ちたいのだよ、私は。」
胃をさすりながら、真っ青な顔で皆に語り掛けるひまり。
確かに、今でこそこれだけの部員が揃い、充実して来てはいるものの、昨年は、ひまりと菊と、真琴の三人のみ。
武道に秀でているとすれば、魔剣士の菊だけで、部長のひまりは自己流プロレスラー。真琴に至っては、武道どころか習い事すらしていない始末。
(勝ちたいんだろうなあ…)と、オカルト研究会のメンバーは、ひまりの気持ちを察してはいるが、それとこれとは全く別。
今集中すべきは、目の前の豪華な昼食と言う名の拷問を、どうやって切り抜ければ良いのかと思案に明け暮れ、
げんなりしながら、誰か発言力のある者が「もう限界だから、中止にしよう」と、みんなに向かって言い出すのを、ただ願っているだけのメンバー達であった。
だが、意外にもその中で、一人だけ玲一が気を吐いている。
「残った肉…全部焼いちゃえ、俺食うから!」
「クラリッタ限界か?じゃあ、そのご飯貰うぞ」
ゆっくり高級食材を味わっていない。まともに噛まずに、グァツグァツと飲み込む様に、胃に押し込む様に食べ続ける玲一。
「誰かが助けてくれるなら、それが確実なら、助けを待てば良い。だけどこれは…助けが来るとは思えない。だったら、俺が食べるしか無いじゃないか!」
輝く玲一を、頼もしく見る仲間たち。
今でこそ、土岐玲一の存在は、その人となりはメンバー達に浸透し、尊敬されつつ可愛がられているが、
中学時代、そしてもっと若い幼少時代は、クラスで孤立する、ダークネス系人間凶器と言った、そんな恐ろしいイメージの子供であった。
だがそれは、あくまでもイメージ。
玲一の芯の強さは生来からのもので、今になって開花した訳ではない。
あくまでも、彼を理解しようとする者たちがいなかっただけの話で、玲一は何一つ昔から変わってはいない。
ただ単に今は、彼の印象を判断する為の、視界を妨げるフィルターが無いと言う事だけ。
「乱闘事件で何人もの生徒を病院送りにした、人間凶器」と言う、フィルターが取り去られた、真の玲一の姿、素の姿が、そこにはあったのだ。
「…部長!」
モッシャモッシャと料理を口に運び、胃に無理矢理それを押し込みながら、玲一はひまりを呼ぶ。
頬はパンパンに膨らみ、リスの様に小動物チックではあるが、それはもう真剣な眼差し。ひまりを力強い視線で貫いている。
「ど、どうした土岐君?」
「その武道大会、出て勝てば良いんですね?」
「お、おお。ああ、まあ…そう言う事なんだが」
「うちの部は、どんな種目に出場するんです?」
「アルティメット…何でも有りの部に出場する。下手に空手や柔道みたいな種目に限定すると、逆に不利なんだ」
「了解っす!俺出ますよ!こんなんで負けてられるかってんだ!」
……あれ?何か頼もしい……
その場にいる誰もがそう思った。
新入生として玲一が青嵐学園に来たのが4月、今は6月。
たった2ヶ月、たった2ヶ月で、涙目で除霊を懇願して来た少年が、こんなにも大きくなってと、
ひまりや菊、真琴はまるで、母親の様な笑みを浮かべている。
迦楼羅の所持者だからではなく、所持者としてではなく、様々な内容の濃い経験を経て、人として男として成長しているのだと実感した。
クラリッタや、ロロット、そしてプリシラやベロニカあたりは、瞳の先にある少年の姿が、輝いて見えていたであろう。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!静音さんからジュース貰ったよ♪お兄ちゃんもジュース飲んでスッキリして」
兄の胃の調子を気遣ったのか、こよみがかいがいしく、炭酸飲料をコップに分けて持って来る。
「ありがとうな、こよみ。お兄ちゃん、こよみの結婚式で必ず号泣するから」と、訳の分からない言葉を吐きながら、ゴクゴクと一気に飲み干す。
確かに、炭酸飲料には胃をスッキリさせる効果があるのだが、だがしかし飲み干した玲一の胃の辺りから、「ボコン」と聞こえた、小さな音。
その音が聞こえた途端、急に玲一の動きは止まり、電気が切れたロボットの様に、完全に動かなくなってしまった。
こよみが不審に思い、玲一の顔を見ると何と、目をまん丸に見開き、涙腺からは玉の様な涙が滴り落ち、顔が真っ赤になったり真っ青になったりと、顔色が目まぐるしく変わっている。
そして、胃から何かが逆流を始めたのか、両頬をパンパンに膨らませ、それが外に漏れない様に、両手でがっちりと口と鼻を押さえていたのだ。
「お、お兄ちゃんっ!?」
心配したこよみがタオルを渡そうとするも、ちょっとでも力を弱めると、口から吹き出してしまうのか、玲一はピクリとも動かない。
何とか食べきろうと、無理を押して料理を食べ続けていた玲一。
胃にたっぷりと未消化の料理が残っていたところへ、炭酸飲料を一気に流し込んでしまった結末は、壮絶な結果となって、玲一に逆襲を始める。
当たり前の話、胃の中で爆発的に発生した「気」は、胃を極限まで圧迫し、後はもう…今の玲一の姿を見れば、何が起きたのかは一目瞭然。
「きゃあああっ!玲一が!」
「土岐、走れ!トイレに走るんだ!!」
ダダダダッ!!
見栄もへったくれも何も無く、両手で口と鼻を押さえながら、駆け出した玲一。
設楽寺富美に次ぐ撃沈組として、後々の伝説的笑い話として、仲間内で語り継がれる事となってしまったのであった。
「あっ…ちょっと…廊下に…キラキラこぼした……」




