勇者 宮代勇作
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場所は変わり、夜店が両側にズラリと並ぶ参道。
ひったくり犯は、群集を強引にかき分け、吹っ飛ばしながら逃走しているため、なかなか思うように進めないでいる。
そして、その後を追跡する玲一は、人々が異変を感じ、参道の両端にへと除けている中を、ぐんぐんと犯人に肉迫する。
ひったくり犯が力づくで作った、人の道を、後から悠々と駆ける玲一はさながら、
モーゼの十戒に出て来た、割れた海を行くシーン、そのものであった。
人々にぶつかる事も、押しのける事も無く、ひたすら追跡に専念出来た玲一。
視界にいよいよ、ひったくり犯の後ろ姿が飛び込んで来た。
(……犯人は妖魔か……)
見れば、右手に老婆から奪ったのであろうか、女性用のバッグをしっかりと抱えた、その男の後ろ姿。
くすんだ茶色い髪の毛をバサバサとなびかせ、Tシャツの袖から下、むき出しの両腕には、びっしりと茶色い体毛が生え、
そして、ズボンの尻の部分に切れ目を作ったのか、そこから長い尻尾が揺れている。
(……後ちょっと!……)
犬の様な妖魔に、接近した玲一。右手を伸ばし、妖魔のTシャツの、襟首を掴んだ。
「おりゃあっ!」
「ひぃっ!」
襟首を掴んだ玲一は、思いっきり後ろへと引っ張る。
すると、バランスを崩した妖魔は、背後から地面に倒れ込み、勢い余った玲一は、襟首を掴んだまま、前のめりに倒れてしまった。
全力で走りながらの、この玲一の行為。二人揃ってズザザザ!と、地面をスライディングする事で、ようやく止まる。
「てめえ!邪魔しやがって!」
逃走を邪魔された事が想到頭に来たのか、妖魔は地面に落ちたままの、ひったくったバッグもそのままに、
牙を剥き出しにしながら、玲一に向かって跳躍。玲一に襲いかかって来た。
仰向けになって、天を向いていた玲一の視界に、いきなり大きく口を開けた、犬型の妖魔が飛び込んで来た構図だ。
「うわぁっ!」
防ごうとして、慌てて出した左腕が、ガブリと犬型妖魔に噛み付かれる。
「…ってえ!」
手首とヒジの間から、溢れる様に、全身に伝わる激痛。
見れば、その妖魔の鋭い牙は、玲一の腕の皮膚を易々と貫通し、肉に食い込み、血をしたたらせ始めているではないか。
「くそっ!!離せ、離せっ!!」
食い付いたら絶対に離さない。そんな、闘志溢れる、ごっつい強靭なアゴで、噛み付かれた玲一の左腕には、グイグイと牙が食い込んで行く。
「ぐうっ!ぐうううっ!」
「ウヒヒヒヒッ!死ね、人間死ねっ!」
周囲にいた参拝客が、この光景を見て、悲鳴を上げる。
玲一の左腕に噛み付いた犬型の妖魔は、ワニの様に噛み付きながら、頭をグイングインと揺らし、玲一の腕を引きちぎろうとしているのだ。
玲一は何とか状況を好転させようと、右手で妖魔の顔を殴ったり、アゴを外そうと押したりするが、まるで効果が無い。
左腕からの大流血、そして激痛に飲まれてしまい、迦楼羅の発動さえ、完全に失念していたのだ。
(……ダメだ、勝てない!左腕を持って行かれる!?……)
左腕が食い千切られる事が、既定路線の様に見えたその瞬間に、玲一とひったくり犯の犬型妖魔「以外」の、第三者が現れた。
もちろん、この状況を劇的に変える事を目的とした、見ず知らずの第三者が現れたのだ。
玲一は見た、恐慌渦巻く意識の中で、心が折れ、薄れゆく視界の中で、
犬型妖魔の頭髪を無造作に鷲掴みにして、妖魔が怯んだ隙にいきなり、妖魔の鼻の穴に向かって、
片手サイズのコンパクトな黄色のポットを、思いっきりぶっ刺し、そしてその中身を、鼻の中へと盛大に押し出した人物を見たのだ。
「ギャアアアッ!」
自分自身の鼻に、異変を感じ、声にならない声で悲鳴を上げる妖魔。
鼻の粘膜に響く酸味臭、刺激臭。そして、涙腺や脳内を電気ショックでブン殴られたような衝撃。
耐えられなくなったのか、妖魔は、骨まで達する勢いで噛んでいた玲一の左腕から、凶悪な牙をパッと離す。
しかし、妖魔の髪の毛を掴んだ手が、逃げ出す事を一切許さない。
「やりたい放題やっといて、逃げ出すとか無しだかんな!」
玲一の瞳にぼんやりと映る男は、妖魔の鼻に差し込んでいたポットを抜くや否や、
今度は隣の鼻の穴に「ぶっ刺し」、チューブを掴んでいる手をギュッと握ってポットをしぼり、
凶悪な内容物を、妖魔の鼻の穴の奥へと注入する。
「ギャアアアッ!」
玲一は気付く、その男が持っている黄色いプラスチック製のポット、それはアメリカンドッグなどにかける、「練りカラシ」。
どこで手に入れたのか、男はその練りカラシを、妖魔の両方の鼻の穴に、たっぷりと注ぎ込んだのだ。
「は、鼻が!俺の鼻があああっ!」
妖魔は、両目から大量の涙、そして口からは大量のよだれを垂らしながら、地面でのた打ち回っている。
「盗みをはたらくどころか、人に危害を加えやがって、俺の街で何やってんだよ!」
男は、のた打ち回る妖魔の傍らで立ち尽くし、自らのズボンのポケットに【両手を入れる】。
すると、その男の包む空気が「キン!」と、音を立てて固まったかの様な、錯覚に襲われ、
不自然な空間がそのまま、地面でのた打ち回る妖魔に向かう。
そして、妖魔を包んだ不自然な空気が、妖魔を強引に立たせながら、ドン!と爆縮したのだ。
あっという間に、自分の肺の中から、そして周囲の酸素が消失し、妖魔は異変に叫ぶ暇すら無く気絶した。
作業が終わったのか、男は自分のポケットから両手を出す。すると、それをきっかけに、妖魔はへたりと、地面に倒れたのだ。
「ぐう、ううう…」
左腕の傷口を右手で押さえ、出血を抑えながら、立ち上がり、改めてその男の姿を見詰める玲一。
歳の頃は、20代の半ばぐらいであろうか、溢れる若さの中にも、大人の男の色気が出始めている様に見える。
身長は玲一より遥かに高く、それでいて、よれよれの白いワイシャツに、よれよれのネクタイ姿にボサボサ頭が、
彼が社会人なのかそれとも、社会人ではないのかを考えさせる、微妙な存在の青年であった。
男は、妖魔の両手を背後に回し、ビニール製の拘束具をはめる、後は警察がやって来るのを待つだけ。
「よしよし」と、背伸びをしながら自分の腰を数度叩くと、男は玲一が凝視している事に気付いた。
同じ時刻、場所は変わり、地元商店会が設営したテント小屋。
ひまり、菊、クラリッタ、こよみの4人は、玲一と後を追った加納が、無事トラブルを解決し、戻って来るのを待っている。
お腹は既に満腹。玲一達を待ってはいるが、奉納の舞いが始まるで持ちそうにない位、睡魔に襲われている。
そんな気だるい空気が漂う中で、クラリッタだけは、瞳を爛々と輝かせ、ひたすら、ひまりから情報を聞き出している。
「ドレッドノーツの三人組、一人は魔法使い。そしてもう一人は、呪われた剣士で、神社敷地に入れず、今日は休み。ふぅうん…♪」
「なに、なによクラリッタ、すっごいニヤニヤしてるけど」
「いやあ。魔法使いと剣士がいるなら、最後の一人は勇者かなって……」
ちょっと幼稚かな、そう思われても仕方ないかな。クラリッタは苦笑いと照れ笑い、半々で取り繕う。
「ほら、良くゲームとかであるじゃないですか、三人パーティーの、ロールプレイング・ゲーム。だから三人の内、最後の一人が勇者だったら…なんて、あはは」
ひまりは、クラリッタの冗談混じりの言葉に対し、「何バカな事言ってんのよ」とか、「あはは、そんな事ある訳ないじゃん」と、否定を一切しない。
否定するどころか、「何でバレた」とでも言いたげな、どよぉんとした、沈痛な面持ちで、ただただクラリッタを見返しているのだ。
「まさ…まさか?へ?マジで?」
「そのまさかなんだよ。ああ、そうさ。勇者だよ、勇者なんだよ」
「うわあぁ…」
「名前は、宮代勇作。生粋の日本人で、宮代探偵社の代表。彼はまごう事無き勇者よ」
「探偵社の代表が、勇者なんですか?」
探偵社の代表だから勇者なのか、勇者だからこの時代、探偵社などを興して日々を過ごしているのか。
まるで話が読めず、クラリッタは目を細めながら、腕を組み、考え込んでしまう。
むうううと唸りながら、出口の無い迷路に迷い込んだ様に、苦悩の表情を見せる。
一度は会話の主導権・優位性をクラリッタに取られ、しょんぼりしていたのだが、
その光景を見たひまりは、再び勢いを取り戻し、ドヤ顔でクラリッタに説き始めた。
「宮代勇作は、武道の心得はまるで無い。強いて言えば、魔法を使える訳でも、剣技に秀でた者でもない。見た目はごくごく普通の日本人だ。
その彼が何故、勇者としての地位を獲得したのか、気になるかい?」
わざとらしく、オーバージェスチャーで「もったいぶる」ひまり。
クラリッタはもう、無言。とにかく、早く結論を言えと、どよよんとしたオーラを全身から放ち、
それをもって、気になるかとの問いに対する、答えにしていた。
「ふふん」と、自慢げに鼻を鳴らしながら、ひまりは語り出す。そもそも、【勇者】とは、一体何なのか?と。
一般のキャラクターが使用出来ない、チート技を持つから勇者なのか?
プレイヤーの代わりに、マップ内で、パーティーメンバーを引き連れて歩けるから、勇者なのか?
魔王を倒す役目のキャラを、勇者と言うのか?モンスターを片っ端から殺すのが勇者なのか?
戦士や、魔法使い。僧侶など様々なジョブの中で、プレイヤーしか扱えないジョブが、勇者なのか?
農家へ土足で上がり込み、タンスの中からメダルを探し出しても、罪に問われないから勇者なのか?
答えは否。すべて否。断じて否。
何も成し得ていない、「旅の途中の者」を、勇者などとは絶対に呼ばない。
何かを、民衆の為に何かを成し得た者を、人々は敬意を表して勇者と呼ぶのであって、
結果を出していない者、人々を感動させる事の出来ない者など、勇者と呼ばれる訳が無い。
ならば、何故、大して売り上げの無い、貧乏探偵社の代表が、街の人々から勇者と称えられ、魔法使いと、剣士が、彼に付き従っているのか。
「彼、宮代優作は結果を出した。それも、魔法使いのグェンデュード・ウィルトや、呪われた剣士ヨナタン・ベック・オーベリソンが、リスペクトする様な結果を」
「ビンゴ♪クラリッタ、正解よ」
「部長、彼は一体何を成して、勇者と呼ばれる様になったんですか?」
「宮代優作が、成した事は、この街の基礎よ」
「基礎?基礎ですか?」
「ああ。彼は大災害後の長野で、無秩序だった妖魔をまとめ、八百万組合を作らせた男。今、八百万組合の組合長は酒呑童子だが、当時は一番の暴れん坊。
呪術でも、陰陽道でも、西洋魔術でもなく、人間の進化としての【超能力】を駆使し、その酒呑童子をブン殴り、周囲を絶句させつつも、
組合を作らせて、人間との共存を模索させた男。物凄い度胸の持ち主だが、人にも妖魔にも好かれ、尊敬される男。
それが、宮代探偵社代表で、恋人無し歴24年の勇者、宮代優作だ」
「なるほど、彼はドンキホーテではなく、真の勇者になったと言う事ですね。しかし、超能力って……」
「鎮守の真琴さんが絶賛している、心霊力を問われるこの世界で、たった一人超能力を身に付けた人間を」
「だから、伝説の魔法使いと、呪われた剣士が彼に従い、ドレッドノーツのリーダーに。でも、一体何ですか?恋人無し歴24年って」
「だって、勇者の話を人にする時は、必ず言えって…宮代さんが命令するんだもん」
(……ダセェ勇者だな。遠回しの、彼女募集告知じゃねえか……)




