ロロットの涙
・
「ゴールデンウィーク直前!」
子供が、若者達が、親が、老人が、そして妖魔が、久々の大型連休を、どう過ごそうかと思案に耽ったり、
大型連休に予定していた、バカンスや家族旅行にと、胸をときめかせる時期。
ここ、私立青嵐学園内も、普段より幾分、生徒たちの気持ちも浮き足立っており、
校舎の廊下や教室など、あちらこちらから、賑やかでかしましい声が聞こえて来ている。
私立青嵐学園高等部、学生食堂
弁当持参のクラリッタ、加納を教室へ置き去りにし、独り学食へ赴いた玲一。
食券販売機の前に出来た列へと並び、自分の番が来たら、何を選ぼうかと、ちょっぴり口元に笑顔を浮かべ、待ち焦がれた昼食に、想いを馳せていた。
ただ、しらかば通り乱闘事件後、周囲の様々な視線を浴びていた玲一。
学食へ赴く際も、嫌な視線を浴びる事を、半ば覚悟し、諦めていた彼ではあったが、今日は何だか、空気が違う。
嫌なザワつき自体は確かにあるのだが、あまり玲一が注目されていないのだ。
つまり台風の目は、別の所にあったと言う事。玲一以上に注目を浴びる存在が、学食にいたのである。
変な違和感を覚えながらも、いよいよ食券販売機の前に、たどり着いた玲一。
天ぷらそばのおにぎりセットで行くか、それととも、チャーシュー抜きのラーメン、いわゆる安価な「学生ラーメン」の大盛りで行くのか、ここに来て、迷走を始める。
後ろに並ぶ生徒たちのためにも、早く結論を出さなければならないのだが、ボタンを押す指が、弧を描き始めていた。
……いや!今日は、今日だけは、カツカレーにしよう!……
日々、比較的安価な食事を選んでいた彼が、学食の王者と言われる、カツカレーに手を出したのには、それだけの理由がある。
ゴールデンウィークに、何も予定も入っていなかったのである。
「特に」と言う言葉で飾らなくとも、本当にその言葉通り、何の予定も入っていな玲一は、
大型連休に向けて、緊縮予算を組み、地味に節約する事がなかった。
別段、何ら意識する事無く、至って普段通り。
限られた食費に、ちょっとだけ自分の小遣いを上乗せし、普段では手が出せない「王様」カツカレーを選ぶ事に決めた。
そう、玲一はゴールデンウィークよりも、今を生きていたのだ。
「ご飯、これくらい食べれる?」
顔に出ていたのであろう。カツカレーに魅せられていた玲一は、はばかる事無く、トレーを持って、笑顔で並んでいたのであろう。
それに気付いた、学食のおばあちゃんは、その笑顔にやられたのか、玲一にそう一声かけて来た。
もちろん、それをむげに断る玲一ではない。彼は輪をかけて笑顔になりながらそれを受け入れ、おばちゃんも釣られて笑顔で、ごはんを余計によそう。
彼女の粋なはからいで、玲一の皿には、大盛りプラスアルファの、北アルプス盛りが出来上がった。
そこへ、揚げたてサクサクの豚カツがトッピングされ、そして、スパイシーな香り漂う、学食特製のカレールウが、かけられる。
……たまんねー、これだよこれ!……
などと、ニヤニヤしながら学食の王者を受け取り、席を探し始めた玲一。ところが、ほぼ満席状態のホール、なかなかに席が見つからない。
一つふたつ椅子が空いていても、グループの中にポツンと、独りだけ飛び込み、相席する勇気などは、持ち合わせていない。
すると、幸運にも一番奥に、一人だけ座るボックスシートを見つけた玲一、迷う事無く、その席へと向かった。
だが、そのボックスシートに座る人物を見て、おや?と、玲一は珍しく感じる。
座っていたのは女子生徒。日本全国において、間違い無く田舎に分類されるこの長野でも、今はさほど珍しくない、黒人の少女。
その彼女が独りぽつんと、ホットドッグとフライドポテトを、ぼそぼそと食べている。
せっかくの昼食であるのに、何やら陰気な気配を醸し出しながら、うつむきがちな彼女は、目の前にいる玲一にすら、気付いていないのだ。
昼休みの学食は、正直なところ、人間に占領されている。それも、ほとんど利用する生徒は、日本人に限られている。
別段、そういうルールは無い。そういう空虚が、いつの間にか浸透していると、表現した方が良い。
後から来た外国人、後から来た妖魔が、なかなかに利用し辛い、敷居の高さ。
「異物を寄せ付けない、群集の空気」と、「異物を冷たく見詰める、無数の視線」が、この学食の敷居を、高くさせていたのだ。
……なるほど、今日の主役は、彼女だったのか……
玲一は、皮肉たっぷりに心の中で思う。
妖魔に味方した、裏切り者の土岐玲一よりも、連中にとって今日は、黒人の少女の方が、旬な素材なのだと、気付いたのだ。
周囲の視線に、嫌悪感を覚えながらも、相席を求める為に、少女に声を掛ける玲一。
「すいません、相席しても良いですか?」
笑顔で問い掛けた玲一に、少女は、いきなり掛けられた声に驚きながらも、「どど、どうぞ」と、
震える声を振り絞り、慣れない日本語で、着席を認める。
「ありがとう♪」
同情でも共感でも無く、相席を認めてくれた事を、素直に感謝する玲一。
黒人少女の反対側に座り、さっそく、満面の笑みで、カツカレーをほうばり始めた。
カレールゥを、ご飯に絡めて一口
カレールゥを、カツにかけてパクリ
変化球で、福神漬けをポリポリ
本当に美味そうに、楽しそうに、幸せそうに、カツカレーを食べる玲一。
誰が見ても、羨ましく思える程に、玲一は食事を楽しんでいる。
すると、テーブルを挟んだ反対側から、黒人少女の声がする。玲一に話し掛けて来たのだ。
「あ、あの…」
「うん?」と、口の中でモグモグしながら、玲一は視線をカツカレーから、黒人少女へと移した。
良く見れば、少女が食べていたホットドッグも、フライドポテトも、先ほどから減っていない。
つまり、あまり口をつけておらず、何かしらの理由で、食事が止まってしまった事が伺える。
玲一は思わず、自分がカツカレーを「がっついて」いた事で、マナーが悪いと、少女が気分を害したのかと察し、顔を赤くしながら、少女に詫びた。
「ご、ごめん。俺、意地汚かったね。マナー悪くて、失礼しました」
照れ隠しで、頭に右手を置きながら謝る。しかし、少女は、玲一の察した内容とは、程遠い事を口にしたのだ。
「そ、それは誤解です、謝らないでください。とっても美味しそうに食べてるから…、それ美味しいのかな、って」
日本に移住して来たばかりで、日本食に詳しくないのか、彼女は不思議そうな表情で、カツカレーに好奇の視線を向けている。
「むふう!すっげえ美味いよ♪これは、カツカレーと言って、…そうだな、日本のソウルフードみたいなものさ」
屈託の無い笑顔で答える玲一。
勢いそのままに、このカツカレーのカレーとは、もともとインド発祥のスパイスを組み合わせた「カリー」を、日本が独自にアレンジし、
日本人の主食であるご飯……つまりお米に、非常にマッチする、魅惑の料理へと変貌させたのが、このカレーなのだと彼女に説明した。
さっきまでは、うつむいて、まるで自分の身を、周囲から隠そうとしていた黒人少女も、
今では、目を輝かせながら、玲一の説明に聞き入り、カツカレーに興味津々である
「あ、俺は1年A組の土岐玲一。よろしくね。それで、えっと…」
会話を始めていたのに、互いの名前すら、呼び合っていなかった事に気付く玲一。
慌てて自己紹介し、黒人少女の名前を尋ねた。
「わ、私は1年C組の、ロロット・サンマリーデュモン、アフリカ系フランス人です。よろしく…土岐玲一さん」
玲一はテーブルの上から手を伸ばし、ロロットに握手を求める。
「よろしく、その…ロロット・サンマリー…」
名前が覚え辛かったのか、彼女の名前を最後まで言えず、バツの悪い顔付きの玲一。
玲一が握手を求めて来た事を意外に感じながら、ロロットは、はにかみながら、玲一に答えた。
「ロロットが名前で、後はファミリー・ネームです。家族は私の事をロロと呼びます」
「そっか、じゃあ俺も君の事を、ロロと呼んで良いかい?」
ロロットは、玲一の言葉に、衝撃を覚える。
そして、その玲一の言葉を噛み締めながら、表情はあっという間に泣き顔へ変貌し、両手で手を覆いながら、肩を震わせ、泣き出してしまった。
「あ!ロロ…、ロロットさん?」
いきなり泣き出したロロットに、あたふたと困惑する玲一。
そして「キタコレ!」とばかりに、下世話な好奇心に動かされ、玲一がいるテーブルを舐める様に見つめる周囲の視線。
玲一とロロットは、静かな注目の的になっている。
「ごめん、ロロットさん。いきなりの初対面でロロは無いよね。馴れ馴れしくてごめん、反省してる」
「違う、違うの。土岐さん、あなたが悪いんじゃないの」
玲一の謝罪を、見当違いなのだと、慌てて説明しながら、涙を拭うロロット。
聞けば、彼女は、黒人と言うだけで、クラスメイトから、様々ないじめを受けていたのだと言う。
土木工学博士の父と、震災復興支援を目的に来日したロロット一家。そのまま日本が気に入って永住を決めた事までは良かったが、
慣れない異国での生活は、ロロットが思った以上に、辛い現実となって、目の前に立ち塞がる。
具体的には、彼女が私立青嵐学園高等部に編入してからの事。ご多聞に漏れず、彼女に対して、異分子排除の風習が始まったのだ。
さっそく、ロロットは「見かけ」だけで、クラス内で浮いた存在となり、無視と、冷たい対応が始まる。
教科書の読めない漢字を、教えてくれる者もおらず、分からない日本語の言い回しを、解説してくれる者もいない。
周囲では、「黒」「ニガー」「チョコレート」などと、彼女の肌の色を侮辱する差別用語が囁かれ、
入学してからまだ、1ヶ月も経っていないのに、お昼の弁当を食べる時すら、自分の席で独りぼっち。
たまたま、親が弁当を作ってくれるのを忘れてしまい、今日は学食に来たが、結局はここも同じ。
周りの冷たい目が怖い、刺す様な視線が怖い。
…もう、日本人全てが怖い…
そして、たまに話し掛けらる時の、侮辱を伴った冷たい眼差しと、トゲトゲしい言葉にも、恐怖を感じる。
もう、国に帰りたいとばかり、思っていた。私の生きる世界は、ここでは無いと、思っていた。
そんな時、何故か、普通に話し掛けられ、自分に偽りの無い笑顔を向けた、土岐玲一を見て、つい涙があふれてしまったのだと言う。
「なるほど、そうだったのか」
玲一は腹が立っていた。無性に腹が立っていた。煮えくり返っていたと言って良い。
集団を維持するなら、手っ取り早く共通の敵を作れば良いと言われている。
その敵を集団で叩いていれば、連帯感も生まれるし、集団の方向性にバラツキは生まれない。
彼女のクラスメイトたちは、新参者のロロットを共通の敵にする事で、集団を維持しようとしているのだ。
犠牲の羊、スケープゴート、彼女は何も悪い事はしていないのに、この新天地で新たな生活をしようと、希望に胸を膨らませていたのに、
何故、クラスの共通の敵にされなければならないんだ。
最近、妹のこよみに無理矢理付き合わされて、恋愛ドラマを見る様になったが、「人は見かけじゃないから」「見た目で選んだ訳じゃない」なんてセリフを言ってた。
こんなセリフが、当たり前の様に飛び交って、そして、それが一般的に受け入れられる社会、それが日本なんだろ?
見た目で人を傷つけている、クラスの連中って何なんだよ!ふざけんな!ふざけんじゃねえぞ!
見た目で人を奈落の底へ叩き落として、絶望させて、自分達だけは安全な場所を確保して、ヘラヘラしている。それって、そのものズバリ、悪魔じゃないか。
「いじめ」なんて誤魔化しの言葉、一体どこの誰が言い出したんだ。平気で人を傷つける行為は暴行、脅迫、傷害、人権侵害って言う名称で、罪として分類されているのに!
……彼女を助けたい!ロロットを助けたい!……
日本人だって、人の皮をかぶった獣だけじゃないって事を、伝えたい!
犯罪をいじめと言う言葉に置き換える様な、卑怯者にだけはなりたくない!
……おっと、おっとっと、迦楼羅、お前は起きなくて良い。良いから寝てろ、良いから寝てるんだ。これは人間世界の話だ……
心無い者達の、非道な行いに憤る玲一とは反対に、
押し殺していた悲しみを、親や近しい者達にも言えなかった、誰にも言えなかった心情を吐露した事で、幾分気が晴れたのか、
ロロットはハンカチで涙を拭いながら、玲一に向かってあらためて、「土岐さん。私の事、ロロって呼んでください」と、自ら申し出たのだ。
「…えっ?」
驚きながら、まじまじとロロットの顔を見る玲一。
見れば、だんだんと彼女の表情に、笑顔が戻って来ている。
「学園内では、外国人移住者の為の、互助サークルもあるんですが、私がいじめられてると報告すれば、必ず問題になります。
サークルがいじめ問題を騒げば、多分…クラスの人達は、何でしゃべったんだと、余計に、激しい報復を受けると思い、私、ずっと我慢して黙ってました」
「つらかったね、良く独りで、そこまで耐えたね」
「限界だと思ってました。でも、土岐さんに話したら、ちょっと、気持ちが楽になりました。だから私の事、ロロって呼んでください」
「そっか、じゃあロロ。俺の事は玲一って呼んで良いよ。今日から友達だね」
「友達…」そう呟き、その言葉が意味する事を、噛み締めるロロット。
さっきまで泣いていた顔が、恥じらいを込めた艶やかな笑顔に変わり、改めてロロットは、握手を求めて、手を差し出した。
そのロロットの右手をしっかりと掴み、握手を交わした玲一。
良く見れば、、、今更ながらにロロットの容姿をしっかりと見つめた玲一は、「綺麗な人だな…」と、ロロットにも聞こえない、小さな声で独り呟いた。
それもそのはず。
ロロットは黒人で、肌が黒いと言うイメージが先行し、見る者にとっては、その肌の色だけが目に飛び込んで、珍しいと気にしているだけであったが、
あらためて、彼女を目の前で見た玲一は、その美しさに、見とれてしまっている。
黒人特有の縮毛は、それほど激しく無く、市販のカーラーを巻いた程度の、緩やかなウェーブにとどまり、
肩まで垂らしたその黒髪は、ツヤツヤと健康そうに輝いている。
身長は、多分玲一より遥かに高いのか、目と目を合わすと、玲一が見上げなければならないほど。
それでいて、顔は小さい。今、この距離で判断しても、玲一の顔より、ロロットの顔の方が小さい。
つまり、玲一より背が高く、それでいて顔が小さいとなれば、それは彼女が8等身、9等身の世界にいるのだと、容易に想像出来た。
キュッと横に伸びながらも、大きく見開いた目。そこから覗く、キラキラに輝いた大きな黒い瞳。
そして、風圧を感じるのではと想像してしまう程の、綺麗に伸びて、カールしながら天を向く、天然のまつげ。
鼻筋は「すうっ」と通り、半開きのぽてっとした厚い唇は、なまめかしく艶々と輝き、
唇は、喋ったり物を食べたりする際に、開いたり、閉じたりする為だけに存在するのではない事を、物語っている。
……これほど美しい人を、異物として、排除したいと思う連中がいるんだ。
もっと言えば、彼女を敵にする事で、コミュニティの存続を図ろうとする、ゲスい連中がいるんだ……
ロロットと握手を交わし、彼女の美しさに感動を覚えながら、彼女を虐げる「異分子排除の精神」に、嫌悪感を抱く玲一。
ここで、玲一はふと閃く。彼女を日本嫌いにさせない為にもと、とある事を思い付いたのだ。
「ねえ、ロロ。お昼さあ、ここに集まって、弁当とか食べない?」
「え、ええ?でも…ここ、学食だから、何か買わなきゃいけないんじゃ…?」
「違う、違うよ。学食は完全解放だから、弁当持ち込みも許されてるんだ。俺の友達も誘うから、みんな笑いながら、楽しい昼休みにしようよ」
ロロットは、玲一の配慮に気付く。
表立って衝突せず、深刻な問題として表面化させず、それでいて、ロロットを孤独で苦しめない。
そんな、玲一の今出来る精一杯の気持ちを、肌で感じたロロット。
「ありがとう、玲一。じゃあ、明日から…」
と、ロロットが玲一の提案を受け入れていた時、学食は今まで以上に、ざわめきが激しくなった。
異変に気付き、背後へと視線を回した玲一。
玲一の下へと近付いて来る、巨体の人物の影に、驚愕する。
「せ、生徒会長…!?」




