貧乏力
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私立青嵐学園を中心に広がった、長野市北部団地。
その団地内の、そこそこに規模の大きなアーケード商店街から、一本はずれた街路「しらかば通り」の外れに、
古ぼけた昭和テイストの喫茶店、「喫茶・黙示録」がある。
ゴールデンウイークも近付く、4月後半の週末、土曜日の昼。
開店して早々、まだ誰も客がやって来ないガランとした店内に、固定電話のベルが、「ジリリリリン♪」と響く。
慌てもせず、マスターは受話器を取り、電話の向こう側にいる人物と、何やら事務的な会話を始めた。
「……そうですか、それはご苦労様でした。組合の方にも、その旨伝えておきます……」
受話器を置き、通話を終わらせたマスター。再び日常の仕事にへと戻った。
すると、今日初めての客が、カランコロン♪と扉のベルを鳴らし、笑顔を伴いながら入店して来た。
来店したのは伸暁真琴。この一帯を守護する「鎮守」、生き神様だ。
「いらっしゃいませ、真琴様。いつもので、よろしいですか?」
穏やかで丁寧に、マスターは真琴に確認する。真琴は笑顔でよろしくなのだと一言。
お昼前の、真琴のティータイムが始まった。
マスターが真琴に出したのは、真琴の昼用の「いつもの」。
パフェではなく紅茶セットで、真琴の好きなオレンジ・ペコの紅茶に、日替わりスウィーツで、マスターお手製の、苺のタルトが付いて来る。
幸せそうな顔をしながら、角砂糖を一個落とし、オレンジ・ペコの甘い香りを楽しみ始めた。
真琴がゆっくりと紅茶を楽しみ、一息ついたのを見計らって、マスターは真琴に、何事か報告を始める。
「例の重要案件、住民票が交付されたそうです。青嵐学園への転入手続きも済み、近日中に、この団地に転入して来ます」
「あららら…、いよいよ来たのだ。どうせ、永遠のライバルも来てるんだろ?」
「はい、当方の護衛チームと、何度か衝突した模様です」
「飽きずにいつまでも、彼奴らは争いが好きなのだ」
苦笑する真琴。しかし、真琴の苦笑には力が無い。苦笑いではなく、苦笑いで焦燥感を隠している様にも見えるのだ。
「鎮守様、頭痛の種がまた…増えそうですね」
察したのか、マスターが真琴に、労りの声を掛けるも、
余計な気を遣わせた事を悔やむ真琴が、再び笑顔を作り直し、
「まあ、最初はうるさいかも知れないが、結果として、この土地が鎮まりさえすれば、気に病む事もないのだ」
今度は、しっかりと苦笑した。
マスターとの事務的な会話を終え、真琴がまったりとした自分の時間を、費やし始める。
紅茶のおかわりを飲みながら、様々な雑誌をペラペラとめくった後、ファッション誌にある、今年注目の水着特集に、完全に目を奪われ、
むむむと唸りながら、夏はどうしようかと、思案にふけっていると、カランコロン♪と、扉のベルを軽快に鳴らし、新たな客が現れる。
「いらっしゃいませ」
マスターの穏やかで優しい声が、今日二人目の客を迎える中、店に入って来たのは、一人の落ち着きの無い少女。
キョロキョロと辺りを伺いながら、ボックスシートに座ろうとした途端。
「おっ、っとっとっと…!」
自分の足でつまづき、ビターン!と盛大な音を立てながら、床に顔から転んでしまう。
すると、「ふぅええ…」と、その場に突っ伏したまま、弱々しい悲鳴を上げたのだ。
慌てたマスターが、カウンターの奥から飛び出し、お客様大丈夫ですか?と、介抱しようとして少女に近寄ると、
その時、慌てた真琴が大声を発した。
「その娘に、迂闊に近づいちゃダメなのだ!」
真琴の叫びも虚しく、時既に遅し。
マスターは誰のせいでもなく、自分でカウンターの角にスネをぶつけ、
つんのめった勢いで、一瞬宙を舞い、倒れ込んだ少女の頭にヘッドバット。
ゴチン!と鈍い音と共に、マスターの断末魔である「ぎゅう!」と言う悲鳴と、
少女の「がふっ!」と言う悲鳴が、交差したのである。
「ふいい、だから近付くなと言ったのだ、全く。そやつに近寄ると、ロクな事が無いのだ」
肩を落とし、ため息をつく真琴。
先ほどマスターと話していた、超大物の長野入りも、面倒な話ではあるのだが、
この地域を鎮めて護る役目の真琴にとっては、どんどん流入して来る妖魔のどれをとっても、全てが心配の種である事は間違い無い。
目の前に現れた少女も実際、真琴の中では春先から、心配な存在ではあったのだ。
「むぎゅうう」と、声にならない声を発しながら、起き上がる少女。
そして、気にしないで下さいいつもの事なんですと、頭をさすりながら、力なく、ボックスシートへと座った。
「ふむ……」
小さく溜め息は吐き出しながら、何事か腹の底で決心した事があるのか、真琴は携帯電話を取り出し、操作し始めた。
画面には、「土岐玲一」と表示され、玲一の連絡先が。真琴は通話ボタンをクリックし、玲一に連絡を取る。
カウンターに戻り、頭をさするマスター。ボックスシートから真琴を見詰める少女も、やはり頭をさすり続ける。
真琴は少女に向かい、もうちょっと待ってるのだと、言い放ち、玲一と通話を始めた。
……それから数十分後、意外な速さで、喫茶・黙示録に、土岐玲一が現れる。
高槻邸にいた所で、やる事が無い。とにかく、何かやろうと考えても、庭は庭師が手入れを行い、
家事は藤間柴乃が笑顔でそつなくこなし、暇つぶしの遊び相手である、妹のこよみは、拝殿で陰陽師の修行。
表に出て無駄な散財もする訳では無く、加納やクラリッタを誘って、どこかに出掛けようと考えても、どこに行けば良いのかわからない始末。
真琴に呼び出された土曜日の昼、暇過ぎてどう過ごそうかと考えていた玲一にとっては、ちょうど「渡りに舟」であった事は、間違い無い。
真琴の隣、カウンターに座り、ブレンドコーヒーを出された玲一は、真琴からの電話で、「紹介したい者がいるのだ」と、言われていた事もあり、
ボックスシートに座り、ホットミルクをちびちび飲む少女の姿を、チラ見しては真琴に向き直り、チラ見しては真琴に向き直っての繰り返し。
一体、何がどうなってるのか、早く教えてくれと、落ち着かない様子。
すると、玲一がコーヒーを飲み終わったのを確認した真琴が、ようやく本題を切り出して来た。
「うむ、コーヒーも飲み終わった事だし、そろそろ始めるのだ。ほれ、そこのダメダメ神、土岐玲一に自己紹介するのだ」
真琴に声を掛けられた少女。やっとこの時が来たかと立ち上がり、玲一に向かって深々と頭を下げる。
「土岐玲一さん。は、はじめまして。青嵐学園の1年C組の、設楽寺富美です」
同じ学園、同じ学年。玲一は知らなかったと、軽く驚きながら、丁寧に頭を下げて返礼する。
ぽわぽわした雰囲気は、真琴と似てるな、と、玲一は第一印象で感じたが、それ以外は、全く真琴と似通ってはいない。
快活な真琴とは正反対に、この設楽寺富美と言う少女、言葉のしゃべり方や表情、うつむきがちな視線など、
どれをとっても、陰気な雰囲気が漂っており、玲一が (いじめられているのかな?)と、心配してしまうほどだ。
「さて設楽寺。そろそろ来るかなと思ってはいたのだ。しっかり自分の口で、何を相談したいのか、はっきりとしゃべるのだ」
真琴の言葉にうなづく、設楽寺富美。玲一に向かい、切実な表情で訴え始める。
「あ、あの、土岐玲一さん!あなたの力で、あなたの力で私を…、私をぶん殴ってください!」
「はあっ!?」
アゴが外れんばかりの勢いで口を開け、目を真ん丸にして驚く玲一、いきなり殴ってくれと頼まれれば、それは誰だって驚く。
何か、面倒な事に巻き込まれるのかな、と、顔をしかめながら富美を見詰め、しばし沈黙。
改めて富美がその真意を語り出すのを待つ。
「迦楼羅の、迦楼羅の力で…、私の力を減殺して欲しいのです」
「力?設楽寺さんの、力ですか?」
「はいぃ」
……何だろう?何やら、悪い予感しかしない……
額にじっとりと、汗を浮かべ始め、玲一は助けを求める様に、真琴の顔を見る。
すると彼女は、全てを知った様な顔で、ニヤニヤしながら、おかわりした紅茶に口をつけるだけ。
玲一の視線に気づいて尚、それに反応しない事で、どうやら真琴は、このシチュエーションを楽しんでいるらしい。
「真琴さん、勘弁してくださいよ…」
辛抱出来なくなったのか、とうとう玲一は声に出して、真琴に助けを求めた。
「あっさりと降参の土岐玲一、面白くないのだ。しょうがない、サクサク話を進めるのだ」
真琴はカウンター席から立ち上がり、ボックス席へと向かい、設楽寺富美の座る席の反対側へと座った。
そして、申し訳なさそうな表情を浮かべたままの設楽寺富美に指を差し、富美の事情を、苦笑いで玲一に説明する。
「こやつは貧乏神なのだ」
「貧乏神!?」
「そうなのだ。全国を放浪しながら、人の運を吸い取って来た、正真正銘の貧乏神。それが、人の子として生まれて来た姿が、設楽寺富美なのだ」
日本全国、各地に様々な伝承が残る、貧乏神。
その伝承のほとんどが、家や人に取り憑いた貧乏神が、様々な悪運を呼び込み、徹底的にそれこそ、「ペンペン草すら生えない」ほどに、全ての運が刈り取られる話。
それが、貧乏神が貧乏神として、人々に成すべき事がらで、決して人々から褒め称え、受け入れる事の出来ない存在。
その貧乏神が、目の前にいると言うのだ。
「何の因果か運命か、人の身体を持ってしまったのだ。そうなれば、我が身可愛い、人にも好かれたいと、そんな欲が出て来ても当然なのだ」
「それで、設楽寺さんは長野に?」
「はいぃ。大いなる力があれば、普通の女の子の生活が出来るのでは、と」
だが、どうやら貧乏神・設楽寺富美の期待は、海の藻屑となって、消え去った様だ。
「貧乏神と言ってもなめるなよ、土岐玲一。その力は凄まじく、この地で更なる力を得ても、自分の貧乏力を抑え込めない程に、こやつは強いのだ」
……貧乏力の強い神様……
思わず想像し、「…ぷっ!」と、吹き出してしまう玲一。
どうやら、真琴や富美よりも遥かに、事態の深刻さを理解していない様だ。
「ふむ、どうやら土岐玲一には、事態の深刻さを理解して貰う為、体験するしか無いのだ」
真琴は玲一に、富美と握手せよと、指示を出す。
富美は立ち上がり、玲一はカウンター席から、富美のいるボックス席へと足を進める。
まったく真琴さんは、冗談キツイですよと、笑いをこらえながら、富美の前に進む玲一。
すると、設楽寺富美の貧乏力は、臆する事無く、土岐玲一に襲い掛かった。
歩み寄った玲一、いきなり、何も凹凸の無い、フラットな床で、膝が「カクン」と沈み、その弾みで床へと転げ落ちる。
「ぐわっ!」と悲鳴を上げ、くるくると回転する玲一。その勢いで富美に急接近してしまう。
タイヤの様に、ゴロゴロと回転し、そのままの勢いでドガン!と富美に衝突。ボウリングのピンの様に、富美を倒してしまったのだ。
顔面に、強烈な衝撃を覚えた玲一。恐る恐る目を開けて見る。
すると、目の前には、白地の綿生地にプリントされた、小さなイチゴがびっしりと並ぶ世界が。
何か、人肌の様なぬくもりを感じる、温かい世界で、その生地の左右両側からは、足らしき物体が伸び、玲一の両肩にそれぞれ乗っかっている。
「お、おおおっ!?」
「ふええぇん…」
そう。玲一は、富美のスカートの中に、頭を突っ込んでしまい、もんどりうって倒れた際に、富美の股関に顔面を痛打してしまったのだ。
「お、お嫁に行けません…!」
ぺちゃりと、お嬢様座りで半ベソをかく富美。玲一は色んな意味で顔を真っ赤にしながら、あたふたと言い訳がましく、富美に謝りまくる。
「だから言ったのだ、このバカちん。こやつの貧乏力を、ナメるでないのだ」
苦笑を通り越し、呆れ顔の真琴。鼻から溜め息を漏らしながら、その場の沈静化を待つ。
「すいません、ホント申し訳無いです。故意じゃないんです、故意では。信じてください!」
玲一は勢い良く立ち上がり、そのまま、背筋をピンと伸ばしたまま、何度も何度も頭を下げて謝罪する。
そして、故意ではないのだと言う、玲一の真意が、伝わったのか伝わらなかったのか、富美にも変化が起きた。
「故意じゃない……。そう、それは恋!」
顔を赤らめ、火照る頬に両手を添えながら、恥ずかしそうに、それでいて艶っぽく玲一を見詰め始めた富美。
突然のアクシデントが、彼女の気持ちのベクトルを、思わぬ方向へと走り出させる。
(……違う、違う!その恋じゃねえっ!……)




