表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドレッドノート・カプリチオ ~勇者狂想曲~  作者: 振木岳人
「しらかば通り 大乱闘」編
29/74

しらかば通り 大乱闘(ファーストキス連打付き)


 【居酒屋弦太郎】

古ぼけた小さな店で、古くから街の人々に愛されて来た、個人経営の居酒屋である。

昨今、老いた店主が引退し、閉店の危機に直面したが、新たな資本と共に美人経営者が降臨し、

今まで通り、北部団地で大人の憩いの場を、提供し続けていた。


 居酒屋弦太郎での騒乱、その店の前には、結構な人だかりが既に出来ており、

夜中だと言うのに、近所迷惑など考えず、叫び声や怒号が飛び交っている。

その中から、オカルト研究会メンバーの、聞きなれた叫び声が聞こえて来る。


「とりあえず!加納、クラリッタ、土岐は、我々の後ろで見学!我々の動きを見ている事!」


ひまりの指示の元、ひまりと菊、真琴が群集をかき分け、ズンズンと嵐の中心へ向かって行く。

加納、クラリッタ、玲一は、三人が切り開いた道を、ゆっくりと後に続く。


あっという間に、玲一達は群集の輪を抜けると、そこには、

玲一やクラリッタ、加納の予想していたのとは、全く違う世界…光景が広がっていた。


 上下スーツ姿の、仕事帰りのサラリーマン三名が、侮蔑を込めた瞳で、もう片方で土下座をする者を見下している。

頭の左右に角を生やした、筋骨隆々な大柄の男が、三人の人間に向かって、土下座していたのだ。


「おっ、ひまりさん!」


オカルト研究会メンバーの姿が目に入ったのか、前かけをつけた、居酒屋の古株の店員らしき男が駆け寄る。

その店員らしき男が言うには、どうやら、このいざこざは、酒の席で、隣席同士の言い争いが原因。

大騒ぎするサラリーマン達を、妖魔の牛鬼が諫めた所、それが気に入らないと言って、

牛鬼に向かって、暴言を吐く、殴る蹴るの暴行を加え始めたのだそうだ。

そして、牛鬼はたまらず反撃。サラリーマンの一人を殴り、騒動へと発展したそうなのだ。


妖魔は、人間社会に溶け込んでいる際は、見た目は人間と全く変わらない。

この牛鬼も、最初は人間の姿をしていたのだが、サラリーマン達の執拗な暴行と挑発が我慢ならなかったのか、

ついつい、頭に血を昇らせて、本来の姿をさらけ出してしまったらしい。

それが余計…人間達の敵愾心に火を付けてしまった事は否めない。


「ふざけんなよ、このバケモノがっ!」


「人間様に楯突きやがって!」


罵詈雑言のオンパレード。

どうしてそこまで、口汚く罵れるのか、優位に立った者の、ダメ押しの高笑いなのか。

サラリーマン達の暴言には、周囲の野次馬すらも、眉をひそめている。


「土岐、クラリッタ、加納。見ていてくれ、これが我々のやり方だ」


バサッと、神父服を翻し、サラリーマン達の目の前に進む、氷見ひまり。

ひまりの後に、丞定菊と、伸暁真琴が続く。


「な、何だお前らは!?」


サラリーマン三人組の前に立ちはだかる、ひまりと菊、そして真琴。

周囲の野次馬からは、その存在が知られているのか、「八百万組合…」「生き神様だ」と、囁く声が聞こえて来ている。

対して、土下座している牛鬼は、額に血管を浮かび上がらせ、忸怩たる思いを、全身から発散させる様に、歯を食いしばり屈辱に耐えていた。


ひまり達は、尚も毒々しい悪意を放って来るサラリーマン達に向かい、いきなり、

流れる様な、綺麗な姿勢で正座したかと思ったら、三人揃って土下座を始めたのだ。


「ええっ!?」


素直に驚く、玲一達。それもそのはず。

妖魔の代表である八百万組合の出先機関としての、裏の側面を持つオカルト研究会。


人間との衝突を回避する為に、妖魔を力ずくでねじ伏せるのが、その役目だとばかり思っていたのだが、

その為に、エクソシストや魔剣士、生き神が、妖魔に対して睨みを利かせていたのだと、玲一達新入生は、完全にそう思い込んでいた。

ところが、人間側が悪いのか、それとも妖魔側が悪いのかすら、問いただそうともせず、

人間側に向かって、三人揃って土下座してしまっては、驚くなと言われても無理な話。


玲一は「部長!部長!何やってんですか!?」と、大声でひまりを問いただす。

しかし、ひまり達は土下座を止める事をせず、玲一に「黙って見ていろと言ったはずだ!」と一喝。

ゆっくりと頭を上げ、サラリーマン三名を、申し訳無さそうに見上げる。


「八百万組合を代表し、一言お詫びを。そして、ここはこのまま、矛を収めて頂きたい。

収まらない場合は、警察の登場をもって、互いに不幸な結果となりましょう」


ひまりの言葉は、完全なる敗北宣言。

人間との衝突を極力避ける。それも、どんなに人間側に非があって、妖魔側に非が無くても。

それが、このひまり達の土下座が表していた。


 ……これが、これが八百万組合の総意。これが八百万組合を代表している組織のやり方。

 何故、何故悪い事もしていないのに、土下座をしなくてはいけないのか?

 何故、何故自分達の非を認めようともせず、更に相手を罵倒し、口汚く罵る人間に、 頭を下げなくてはならないのか……


玲一は怒っていた。酷く、酷く怒っていた。

玲一の両拳に、ワナワナと力が入り、ギリギリと歯ぎしりが聞こえて来そうな状況の中、

「矛を収めろだとぉ!?」「何、寝言ぬかしてんだよ!」と、

サラリーマン達の酔いは覚める事は無く、ひまりの出した仲裁案に、乗ろうともしない。

むしろ、いきなり現れたひまり達にも、悪意の視線を投げかけて来る始末。


「お嬢ちゃん達よお、何でバケモノの肩持つんだよ!」


「ここは日本、人間のもんだ!バケモノは出てけ!」


調子に乗って、脱線を始めている。

それでも、ひまり達は土下座をやめる事無く、「この通り!今日のところは、お引き取りください」と、臥して説得を続けている。


「ひまりちゃん、菊ちゃん、鎮守様…。申し訳ねえ、申し訳ねえ」


釈然としない気持ちを飲み込み、牛鬼は、ひまり達に恥をかかせた事を、弱々しい声で何度も詫びる中、

この騒動を見守る群衆の中から、辺りを包むほどに、大きな声で、玲一の怒声が轟いた。


「…何だこれは、ふざけんな!酔って大騒ぎして、周りに迷惑かけてたのは、コイツらなんだろ!?

何で、何で土下座なんかしてるんだ、何の意味を持った土下座なんだそれは!部長!負けるな、こんなバカどもに、負けちゃダメだ!!」


見ている玲一は、わなわなと身体を震わせ、自らの怒りの感情を露わにする。

そして、我慢出来なくなった玲一が、前のめりでサラリーマン達に、詰め寄ろうとした時、


「…ええっ!」


ガシッと両脇を抱えられ、身動きが取れなくなってしまった。

玲一の両脇を掴み、行動の自由を奪ったのはもちろん、クラリッタと加納。


「こらえろ、玲一!」「部長達の努力が無駄になるのよ!」


振りほどこうと暴れる玲一を、加納とクラリッタは必死に制する。


(……あらら、迦楼羅が目を覚まさない様にと、釘を刺したばかりなのに、なかなかどうして、侠気に溢れた男なのだ……)


土下座していた真琴、伏せている顔の口元が、微かに緩んだ。


 多分真琴に限らず、今の玲一を知る女性達にとって、この意外とも言える、玲一の反応は、めんどくさいかも知れないが、非常に快く受け入れられたはず。

玲一の最強の武器は、実は、迦楼羅の力でも何でも無く、本人が生まれつき持っている、真っ直ぐな心と、体制や周囲の空気に呑まれない、芯の強さだと知ったのだ。

加納あたりの男性ならば、「尊敬に値する」と、彼を評するだけなのだろうが、女性陣にとってみれば、母性本能をど真ん中ストレートで刺激されたも同然だったのである。


「離せクラリッタ、離せ加納!」


暴れて大声を出した玲一を、どうやらサラリーマン達は標的と考えたらしい。

もともとは一切筋の通っていない話。非があるのは本人達なのだが、日頃のうっぷんを晴らす様に、彼らはエキサイトし、遂には玲一に向かって来た。


「何だよ、何が気に入らねえんだ!」


「クソガキ!お前も人間のクセに、バケモノの味方か?」


あらん限りの罵倒と挑発を受ける玲一。クラリッタと加納は、玲一を制止するのに必死だ。


「ちょちょっ!そっちの若者は関係ありません。とにかく、とにかく!この場はこのまま、お引き取りを」


慌てて玲一とサラリーマン達の間に割って入り、再び土下座するひまり。

「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」と、更に罵られても、額は地面につけたままだ。

すると、玲一をかばうクラリッタが視線に入り、虫の居所が悪かったのか、サラリーマンの一人が、失礼極まりない暴言を浴びせる。


「おい、そこの金髪のねえちゃんも出稼ぎか?金稼ぎなんかでワザワザ日本へ来るんじゃねえ!

帰れ!金が欲しけりゃ、自分の国で身体でも売ってろ!」


これには、クラリッタがキレた。完全にキレたのだ。


「それが貴様の正義か!?それで人間を誇るのか!何て野蛮で低俗で、品性下劣な生き物なんだ!貴様らが人間など誇るな!」


玲一の腕を放し、サラリーマン達に掴みかかろうとするクラリッタ。

しかし、クラリッタの激昂に今度は、玲一が身体を入れて制止する。

クラリッタの腕を後ろから引っ張り、それと同時にクラリッタの前へ周り込み、強引に抱き締めたのだ。


「こらえろ、こらえろクラリッタ!」


「離せ玲一、こいつらは…こいつらはっ!!」


玲一の腕の中で暴れるクラリッタ。あっという間に立場は逆転してしまったが、玲一は優しい声で、クラリッタをなだめる。

その時、「ゴチン!」鈍い音が辺りに響き、玲一の目の前が真っ暗になる。

そしてそのまま、どうっと、玲一が崩れ落ちる様に、その場で倒れ込んでしまった。

玲一の背後にいたのは、サラリーマンの一人。右手にビールの空きビンを持ち、玲一の後頭部へと叩きつけたのだ。


「はあはあ、うるっせえんだよ、ガキどもがっ!!」


どうやら、感情の抑制が出来なかったのか、その男性の目は、かなり泳いでいた。


「玲一!?」「土岐!」「土岐君!」


倒れた玲一、意識を失っているのか、目は瞑ったまま。



 サラリーマンの一人が、土岐玲一を殴った。

土岐玲一は、何一つ責められる事はしていない。

だが、彼は殴られ、今、道路で倒れたまま、起き上がってこない。


オカルト研究会のメンバー、玲一を除く全てのメンバーが、

「ドクン!」自分の心臓の鼓動が大きく、大きく脈打った事をそれぞれ実感する。

それはもちろん、玲一の姿にショックを覚えた、心配する心情表現では無い。

自分自身が激怒する為に、心臓が送り出した、「頭に血が昇る」為の、血液供給。

玲一を殴った連中に対し、「ブチ切れる」為の、号砲一発だったのだ。


 一瞬、刹那の時間に似た、まばたきほどの時間。

オカルト研究会のメンバーは、部長の氷見ひまりを見る。

ひまりは、土下座から顔を上げて、土岐を見詰めていたが、

四方八方から自分を見詰める仲間達の視線を感じ、瞬時にとある決断をする。


不敵な笑みを浮かべたひまり。

そして、その不敵な笑みこそが、仲間への指示。

仲間がそれを感じとり、ひまりの真意を瞬時に理解した。


 ……私達の土岐玲一が殴られた……


 ……先に手を出したのは、アイツらだ!……


 ……全員、悪党を制圧せよ!……


 この、アイコンタクトと言っても良い、ひまりからの指示に、一番最初に反応したのは、加納。

ビールビンで玲一を殴った男に向かい、電光石火の速さで急接近し、潜り込む様な姿勢の低さから、

ドン!と、右足で地面を激しく「叩き」、その勢いを持って自分の肩を、男のみぞおちに、めり込ませたのだ。


「ぐええっ!!」


胃から絞り出した様な、叫び声を上げて、男は路地のゴミステーションに吹っ飛んでしまう。

目にも留まらぬ速さ。残りの男二人は、自分の仲間に何が起こったかすら、理解出来ていない。


 そんな、呆然としている男二人の内、一人が「ふぎゃ!」っと、情けない声で叫ぶ。

見れば、左足を持ち上げ、左足のスネを痛そうに両手でさすっているのだ。

その男の後ろに佇むのは、オカルト研究会副部長で、魔剣士の丞定菊。

右手に持つは、謎の妖刀【牡丹灯籠】。まだ刀身は鞘に収められたまま。


菊は、牡丹灯籠の鞘でひたすら、男の両足を「右スネ」「左スネ」「右スネ」と、交互に殴る。

「や、やめて!あひゃあああ」激痛に耐えかねたのか、男は涙と鼻水をしこたま流し、仲間を置いて逃走してしまった。


最後に残された男が我に帰り、拳を握り締めて身構えるも、時既に遅し。


「だから、あの時素直に帰れば良かったんだ。せっかくお前の顔を立ててやったのに…」


 さっきまで目の前で土下座していた、氷見ひまりの姿が無い。

彼女は、人知れず男の背後へと周り込み、男の耳元でそう呟くやいなや、

ガシッと男の胴に両手を回し、「だっしゃあっ!」の掛け声一番。

男の身体を持ち上げ、綺麗なエビぞりを魅せながら、ジャーマン・スープレックスホールドを決めたのだ。


ズウウウン…と地響きを立てて、ジャーマン・スープレックスホールドは完成した。

周囲の野次馬をも巻き込んだ、一瞬の静寂。


「美しい、自分では見えないが、わかる。想像出来る。今まで撃って来た中で、今日のジャーマンは最高のジャーマンだ」


エビぞりのまま、ひまりはそう呟いた。

もちろん、ぶん投げられた男は、地面に背中を打ち付けられたまま、よだれをたらし、完全に意識が飛んでいる。

文字通りの圧勝、制圧、完全勝利である。


「ふひひ、ひまりさん、パンツ丸見えなのだ」


苦笑しながら、真琴は真琴に与えられた責任を果たしている。

携帯電話で警察内部の「とある人物」と連絡を取り、

ここで起きている事が、警察沙汰にならない様に、工作活動を行っている。


「玲一、大丈夫?玲一!?」


結果的に、クラリッタを身を持って助けた事になる玲一。

未だに意識は戻っていないが、出血は無い。

倒れた玲一の頭を、しゃがんだ自分の膝に乗せ、

クラリッタは今にも泣きそうな表情で、玲一の顔を覗き込んでいる。


「…大丈夫、大丈夫よ。今は…安静に」


居酒屋で手に入れて来たのか、菊は氷水で浸した冷たいおしぼりを、クラリッタに渡す。

クラリッタはそのおしぼりを、玲一の額に当てて、尚も玲一の介抱に徹する。

すると、その場に轟く大きな声で、真琴が叫ぶ。それが終了の合図なのだと。


「おっけい。皆の者、警察は来ない、八百万組合が宣言する!!今日は何も無かった。何も無かったのだ♪」


「おお…」どよめく野次馬達。

続いて歓声と、ひまり達を称える声が、路上のあちこちからこだまする。


「鎮守様、皆様…。面目無え、俺の至らなさが、俺の至らなさが…!」


巨躯を揺らしながら、牛鬼は男泣き。真琴は牛鬼の角に触れながら、優しくなだめる。

「酒の席の話なのだ、水に流せて一安心。お主も気をつけるのだ、世の中気の良い人間だけではないのだ」と。

思いやりある、真琴の言葉を「へい!」「へい!」と声に出して噛み締める牛鬼。


 喧騒がやっと落ち着いて来て、本日のイベントは終了とばかりに、野次馬たちはぞろぞろと帰路へとつき始めた頃、。

加納の体当たりでゴミステーションに吹っ飛ばされた、サラリーマン一人が目を覚す。

クラリッタたちは気づいていないのだが、ようやくジャーマン・スープレックスホールドを解き、

泡を吹いたまま気絶する男の前で、仁王立ちしていたひまりが、それに気付く。

そして、ふらふらと立ち上がった男へと、大股で歩み寄った。


「ひ、ひいいっ!」


後ずさりする男。先ほどの横柄で、高圧的な態度は微塵も無い。

怯えて後ずさり、民家の壁に背中をぴったりと付ける男。

ひまりはその頭を、ガシッ!右手で鷲掴みに。

そしてその5本の指を「ギリギリ」と、男の頭にめり込ませ、男の耳元に顔を近付ける。


「いいか、良く聞けクソ野朗。さんざん手前勝手な事を、ほざいてたみたいだが、

お前らみたいなゲス野郎が、いつ人間代表になったんだ?いつ日本代表になったんだよ?

これ以上騒ぎを大きくしたいなら、いつでも相手してやるからかかって来い」


エクソシスト、それでいてプロレス技を使う、謎のメガネ美少女は、

残忍な笑顔と、はばかる事を知らない、強烈かつ凶悪な殺気を放ちながら、男に最後の一言を発する。


「お前らの顔は覚えた、ここにいる全員がだ。それと、ここにいた妖魔は、お前ら全員の【匂い】も覚えたぞ。

80過ぎのジジイになるまで長生きしたいなら、おとなしくしてるんだな」


ひまりの恐ろしい強迫に耐えかねたのか、男は腰を抜かしながら、うなだれた。


 その時だった。

群衆の中から、「ぐがあああ!」と言う、異様な叫び声が轟き、ひまりの鼓膜を強烈に振動させる。

何やら、クラリッタたち一年生がいた場所あたりが、騒がしくなっている。


「これは!?まさか!」


 元々、楽観視はしない、いつも考えられる最悪のケースを想定していれば、おのずと解決策も生まれて来るし、ぬか喜びもしないと、

自分の人生訓に「最悪のケース論」を掲げていたひまり。

今まさに、それだった。ひまりは瞬時に、最悪のケースを脳裏に浮かび上がらせたのだ。

土岐玲一に眠る隠された力、迦楼羅が目覚めたら、どう収拾をつけようかと。

慌てて走り出したひまり、人混みをかき分け、駆け付けたそこにはやはり、ひまりが想定した、最悪のケースが進行していた。

玲一の身に、異変が起こっていたのだ。


 先ほど、サラリーマンに背後から、ビール瓶で殴られた玲一。

脳震盪を起こして気絶したところを、クラリッタが看ていたのだが、いきなり、空に轟かんばかりの咆哮を発し、立ち上がったのだ。

彼の咆哮それは、人の放つ叫びなどではない、まるで獣の様に瞳を真っ赤に燃やし、

クラリッタを振りほどいて立ち上がり、夜空の深淵に響く勢いで、轟音を放ったのだ。


「い、いかん!迦楼羅が目覚める!何とか止めるのだ!」


玲一の異変に驚き、一歩引いていたクラリッタ、加納、菊の三人。

慌てて玲一の背後に回り、羽交い締めにして拘束する加納、

菊は腰を落とし、玲一の胴回りに抱き着き、動きを封じる。

そしてクラリッタは、玲一を目の前に、「やめて玲一!」と叫び、身体ではなく、玲一の意識に訴えかけ始めた。


 だがしかし、玲一の異変は止まらない、

身体中からは黄金色のオーラが、それこそ、むせ返る様に濃いオーラが吹き出し始め、

眼をルビーの様に、真っ赤に輝かせながら、「ぐぎゃああ!」と、獣の様に叫ぶ、

手足、身体を強引に揺さぶり、身体を拘束している加納と菊を振り解かん勢いだ。


「だめ、だめっ!やめて玲一!」


暴れる玲一を何とか説得しようと、クラリッタは必死に声を振り絞るも、

クラリッタに気付き、彼女を見詰める玲一の瞳は、最早玲一本人のものとは思えないほどの、冷たくて熱い凶眼。


 いよいよ、完全覚醒……

真琴と玲一本人しか知らない事実だが、迦楼羅が目覚め、玲一の命を喰い始めてしまうのか。

道路にへたり込む真琴が、悲しそうな顔で「迦楼羅よ、その子だけはやめとくれ」と呟いた時、

真琴の視線に、駆けつけた氷見ひまりの姿が飛び込んで来る。

そこで、真琴は何を思いついたのか、ひまりに向かって大声で叫んだ。


「ひまりさん、キスだ!土岐とキスするのだ!」


 真琴には、土地神としての力で、鎮守としての力で、未来が見えていた。

良き事も、悪しき事も、喜び事も、悲しみ事も、その全てが、時間を飛び越え、漠然とであるが、真琴には見えていた。

真琴の見ていたビジョンとは、もちろん、この街の行く末、そして今後の玲一の未来。

この街については、楽観的な彼女を見ていれば、残酷な将来が、訪れないであろう事が容易に想像出来る。

だが、玲一を想うと、悲しみに暮れてしまう、彼女の表情は、玲一の今後が、波乱と不幸に満ちているのだと想像出来る。


 どうやら、それらを踏まえて、突っ込んで想像するならば

玲一は迦楼羅を無秩序に発動させ、完全覚醒させつつも制御出来ず、近い将来に、彼の寿命は完全に尽きるビジョンが、見えていたのかも知れない。

つまり、単なる一般人の玲一は、人生の折り返し地点遥か手前で、迦楼羅に喰われて死ぬ運命にあると言う事。

様々な分岐点で、彼をより良い方向へといざなっても、最終地点は「若すぎる死」に落ち着いているのだと言えた。


 今回、真琴の見る将来よりも、早々とやって来てしまったトラブルで、玲一は迦楼羅覚醒の憂き目にあう。

それこそ、真琴すら見えていなかった未来であるのは、真琴のこの、うろたえ様でわかる。

だから、真琴が言い放った「氷見ひまり、君は玲一とキスをしろ」と言う、彼女の叫びにも、大きな意味があるはずである。

そう考えれば、真琴が見る玲一の将来では、歳上の氷見ひまりと土岐玲一の二人、男と女として結ばれる事が、既定路線であろう事が見えて来る。


【玲一の死期が早まるならば、玲一がここで命尽きてしまうなら、将来結ばれるであろう二人を、今ここで……】

それが、真琴がひまりに放った言葉の真意、彼女の優しさだと判断出来た。


 だが、ひまりはそれをしなかった。

彼女は「ひまりさん、キスだ!土岐とキスするのだ!」と言う、真琴の言葉を、こう読み取ったのだ。

【ひまりさん、土岐を諌めるには、お色気攻撃が有効だ!誰でも良いから近い奴とキスさせろ、今すぐだ!】


もちろん誤解は、彼女の責任ではない。切羽詰っているからこそ、伝わらない心意もある。


 駆けつけたひまりは、真琴の言葉を背に受けたひまりは、瞬時に目の前の光景を把握し、

誰が一番結果を出しやすいポジションにいるか、結論を出し、そして行動に移したのである。


「だっしゃああっ!」


何と駆けつけたひまりは、勢いそのままに、クラリッタの背中へ向けて、見事なドロップキックを炸裂させたのだ。


「ぎゃあ!」


ルチャリブレの雄、覆面レスラーの神的存在である、ミル・マスカラスの様な、「空中で一旦制止する」見事なドロップキックを、まともに受けたクラリッタ、

踏みつぶされたカエルの様な悲鳴を絞り出し、玲一に向かって吹っ飛び、お互いの歯と歯が盛大に正面衝突する様な、無惨なキスをした。


「あっ!ありゃりゃりゃ!?」


困惑する真琴が見つめる、その衝撃的な光景の中では、勢い余ったクラリッタが、そのまま玲一を抱きしめながら押し倒し、

「帰って来い!帰って来い玲一!」と、何度も何度も叫びながら、ここぞとばかりにキスを繰り返している。

もう、クラリッタにとって、ファーストキスのロマンスなんぞ、どうでも良いのであろう。

自分のファーストキスで、王子様が目覚めるのであるのなら、口で言っても聞く耳持たないのであるなら、何回でも、何十回でもファーストキスを撃ってやる。

それが、その場で判断した、クラリッタの覚悟ではあったのだが、そのロマンス的行為を、同じく吹っ飛ばされた加納が、現実に引き戻す。


「土岐……、倒れた時に、頭打ったんじゃねえの?」


 確かに、玲一は静かになった。

神々しくも禍々しいオーラは消え去り、道路に大の字になったまま、ピクリとも動かない。

これは、クラリッタのファーストキス連打攻撃で沈んだ訳ではなく、倒れた時に頭を打って、再び気絶してしまったのだ。


「あれ?あはは?玲一?」


耳まで真っ赤にしながら、周囲を見渡し、おずおずと立ち上がるクラリッタ。

菊も、加納も、玲一を連れて、この場を早く立ち去った方が良いと、真琴に目配せする。

予想が外れ、悲しい将来の分岐点が、良い意味でぶち壊された真琴は、

悲劇がクリアされた事に感極まって、泣きそうな顔をしながら、新しい分岐点が誕生した事を喜び、

泣いているのか笑っているのかわからない、複雑で面倒臭い表情をしていた。


真琴が抱く、深い理由などわかる訳も無く、この一番の功労者である、部長のひまりは仁王立ち。


「よし、撤収!土岐君を喫茶黙示録まで運ぼう!」


オカルト研究会の撤退を全員に指示した、もちろんドヤ顔でだ。


 迦楼羅の完全覚醒は、オカルト研究会メンバーによって、とりあえず阻止された。

未熟な玲一は、眼が覚めた迦楼羅に喰われる事は無く、それを制御する為に精進する、時間の猶予が与えられた格好だ。

だが、未来の分岐点において、一つがルートを失い、一つのルートが誕生した事で、

また新たな喜怒哀楽や、トラブルが降りかかって来る可能性がある。


 ……それは、その時に考えれば良いのだ……


立ち上がった真琴の呟きは、思いの外、軽やかであった。まるで明るい未来が待っているかの様に。


 ……ひまりさん、気が遠くなる当分の間、独身決定なのだ……


そして、この言葉は呟かずに、強引に心の引き出しに、しまってしまった。


 加納は玲一を背負い、クラリッタは加納の背後から玲一を支える。

ひまりや真琴、菊もそれに付き添い、立ち去ろうとした時、


「八百万組合の皆様、ありがとうございます」と、居酒屋の店主と、経営者が現れ、ひまり達に向かって深々と頭を下げる。

見れば、店主の男の隣にいる経営者は女性。金髪の長髪を後ろに束ねた、白人らしき人物で、純和風の、炉端焼き居酒屋の経営者にしては、いささか違和感がある。


「カーチャ、騒がせて悪かったのだ。これに懲りず、今後も励むのだ」


生き神様からのありがたいお言葉に、カーチャと呼ばれた経営者は、「もったいないお言葉です」と、更に頭を下げる。

その時、何を思い出したのか、真琴はクラリッタを呼ぶ。

クラリッタは既に加納と協力し、玲一を運んでいたのだが、後ろから真琴に呼ばれ、何事かと、慌てて走って来た。


「そういえばクラリッタは、ノスフェラトゥに会いたいと言ったのだ。ほれ、目の前にいるのがエカテリーナ・シェノワ♪」


「え?ええっ!?」


「まごう事無きノスフェラトゥ、エカテリーナ・シェノワちゃんこと、カーチャなのだ♪」


「……マジすか?……」



オカルト研究会のフライデー・ナイトは、まだ続きそうだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ