求められる覚悟
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時間は夜の10時頃
ちょっと重い夜霧が、肌から体温をどんどん奪って行く、高地では珍しく湿度の高い夜。
春の暖かさから、再び冬へと逆戻りさせるのではと、錯覚を呼び起こす様な、寒い夜。
部長の氷見ひまりを先頭に、オカルト研究会のメンバーは、肩をすくめながら、北部団地の商店街を歩いている。
総菜屋や飲食店はシャッターを下ろし、どことなく寂しげな雰囲気を醸し出す、商店街のアーケード通り。
しかし、この時間になっても、人々が賑やかな時間を過ごす場所が一つだけあった。
通称「しらかば通り」
アーケード通りから一本裏に入った狭い路地に、小さな飲み屋がズラリと並び、
労働者やサラリーマン達の疲れを、日々癒やしている。
本来ならば、未成年の高校生が、この時間帯に、しらかば通りに来る事自体怪しいのだが、
真琴が夕方、クラリッタに見せたいと言った場所がこの通りにあり、
真琴や部長のひまりの案内で、玲一達は恐る恐る、夜のネオン通りをついて来たのだ。
「ここなのだ♪」
真琴が指差したのは、飲食街の外れにある、【喫茶・黙示録】の看板。
どことなく寂れた、昭和の匂いを残したこの店に、
何の躊躇も無く、オカルト研究会の先輩三人は、氷見ひまりを先頭にどんどんと入店して行く。
つられて入店した、玲一達の視界に広がったのは、ごくありふれた喫茶店の店内。
数席のボックスシートにカウンターがあり、客は一人も入っていない状態だ。
そして、カウンターの奥に佇む、一人の中年男性。マスターらしき人物が、
入店して来たオカルト研究会メンバー達を、笑顔で歓迎する。
「真琴さん、皆さん、いらっしゃい♪」
真琴達は、迷いもせずにカウンター席に座り、気後れしている玲一達にも、席に座れと促した。
「マスター、いつもの♪」
メニューなど一切目を通さず、部長のひまりはマスターに注目する。
ひまりと菊、真琴の「いつもの」は把握していても、玲一やクラリッタ、加納は初めての来店。
マスターは玲一達に優しくメニューを渡し、「お好きなものを」と注文を促す。
結局、状況がイマイチ見えない玲一と加納は、ブレンド・コーヒーを頼み、
クラリッタはロイヤル・ミルクティーを頼むに至ったのだが、
ひまりの「いつもの」は、苦味と渋み、爽やかな酸味の大人のコーヒー、マンデリンが。
丞定菊の「いつもの」は、上等な抹茶と、和三盆の和菓子。
そして、伸暁真琴の「いつもの」は、イチゴパフェ大盛り。
呆然とひまり達を見詰める玲一をよそに、ひまり達は嬉しそうに口をつけ始める。
それから数分も経たない内に、カウンターの裏から、マスターがひまり達の前へ身を乗り出し、
玲一達にも聞こえる大きさの声で、一方的に話し出した。
「今週の報告です。重大案件無し、審議案件無し、小競り合い3件…これは示談成立してます」
「ご苦労様なのだ♪」
ぽけ~っと見詰める玲一達に、苦笑しながらひまりは説明する。
「ここね、実は、八百万組合の寄り合い所」
「ええっ!?」
「そして、オカルト研究会の大人版、【ドレッドノーツ】の詰め所なのだ♪」
妖魔達がこの地に集い、人間社会に良くも悪くも影響を与え始め、人間社会と共存する事を目的に設立されたのが、
八百万組合(やおよろず組合)。つまり、第三勢力の中央組織。
その出先機関であるオカルト研究会は、あくまでも私立青嵐学園に属する部活動であり、
生き神の伸暁真琴が、学園生活を送っている際の組織である。
つまり、第三勢力の頂点にある互助会組織、八百万組合の正式な下部組織、出先機関が、【ドレッドノーツ】…勇者なのである。
ドレッドノーツとは、ドレッドノート (dreadnought)の複数形だと、ひまりはうそぶく。
どうやら、造語らしいのだが、「恐れ知らず」「無鉄砲者」「勇者」の意味を持つドレッドノートが、
この組織のチーム内に、複数いるのでドレッドノーツ。
本人たちはそう呼ばれる事を、まるで意識していないらしいが、この名前を聞くと、
その辺の界隈にいる妖怪たちは、震え上がって隠れてしまうらしい。
名称だけ聞くと、ひどく勇ましいのだが、マスターしかいないこの喫茶店で、
実感しろと言うのも、無理な話である。
「詰め所の割には…誰もいないね」
「予想外だったよ。本当なら、この時間帯に全員揃ってるはずなんだが」
「真琴様、例の大物がいよいよ来日すると言う事で、その出迎えと護衛目的で、成田まで行っております」
マスターが言うには、第三勢力の中央、八百万組合も警戒するほどの妖魔が、
移住先として長野を選び、海外から引っ越して来るそうなのだ。
それで、ドレッドノーツのメンバーも、護衛の為に空港まで赴いたそうなのだ。
「まあ、護衛と言うより、引っ越し主がヤバいかどうか、慌てて、見極めに行った程度なのだ」
どんな者が長野にやって来るのかには触れず、真琴は苦笑しながら喋る。
しかし、次の瞬間、真琴の表情は少しこわばった。玲一たちには決して見えない角度でマスターを見詰め、
一瞬にして「ぽわぽわ」した空気の中から、厳しい眼差しを覗かせたのだ。
「しかし、三人揃ってこの街から出したのは、失敗なのだ。週末の夜、羽目を外す妖魔が出るとは、予想しなかったのか?」
真琴の言葉を聞いたマスターは、目を剥いて驚愕する。
確かに、目立つ様な騒乱は、最近めっきり減って来ていたし、今年の最大の騒ぎは、吸血鬼の築城事件しかない。
ドレッドノーツのメンバーも、日々緊張感で張り詰めていたとも言えない。
単なる連絡係のマスターではあるのだが、
だが、しかし…。
なかなかに見る事の出来ない、伸暁真琴の真剣な表情。その表情を見た途端、マスターは自分の甘さを痛感した。
そして、マスターの後悔は、現実となって現れてしまったのだ。
「ケンカだ!ケンカが始まった!」
けたたましく店の扉が開き、若者数名が、喫茶店になだれ込んで来る。
マスターは、カウンターから大きく身を乗り出し、事の詳細と説明を求めた。
「居酒屋弦太郎でケンカだ!牛鬼の圭介が人間を殴っちまった!」
どうやら、居酒屋で隣席同士が口論し、それが暴力沙汰に発展した様だ。
慌てるマスターを尻目に、オカルト研究会部長の氷見ひまりは、不敵な笑みを放ちながら立ち上がり、部員達に声を掛ける。
「諸君!我々の出番である」
どこから取り出したのか、いつの間にかひまりは神父服に着替え、「マスター、いつものツケで♪」と言って、肩で風を斬る様に、扉に向かって歩き出した。
続いて、副部長の丞定菊は、これまたどこから出したのか、日本刀らしき得物を左手にしっかりと掴み、ひまりの後に続く。
その後ろには伸暁真琴。まるで心配してない様な陽気さで、軽やかな足取りで菊の後ろへ。
呆気に取られていたクラリッタ、加納も、話が読めたのか、それとも好奇心の誘惑に勝てなかったのか、真琴の後に続いて、店を出ようとする。
「み、みんな。どうする積もりなんだよ?」
大人のケンカの仲裁、それも相手は妖魔。当たり前の話、我々未成年が出て行ってどうなるんだ、と、
玲一は目を白黒させて、動揺しながらも、しょうがなく後に続いて行く。
路地に出て、騒動の渦中にある居酒屋を目指すオカルト研究会メンバー。
ついて行く玲一は、まだ納得出来ないのか、「危ないですよ!」「やめましょうよ!」と、オロオロしながら、仲間を説得するが、
玲一以外の者達は、玲一の言葉に耳を貸さず、誰一人臆する事無く、目的地の居酒屋に向かって、足取りに迷いは無い。
「心配しなくても大丈夫なのだ」
「……新入部員は見てなさい……」
「私は、人類を守る立場の側だけど、この街を守る意味、見定めさせて貰うわ」
「居酒屋弦太郎じゃなくて、キャバクラだったらなあ」
「ふひひ、ひまりさん。いざキャバクラとか言いたいのだ」
「くくく……」
「きっ、菊先輩が笑ってる!?」
逆に、焦る玲一をなだめるかの様に、ひまりたちは普段の笑顔を絶やさないでいた。
これから鉄火場に向かうと言うのに、尻込みすらしない、ひまり達。
その勢いに乗れず、独り、気後れしていた玲一であったが、ふと、真琴から受けた説明を思い出す。
放課後、オカルト研究会の部室を出て、校舎のエントランスに設置された、自動販売機の前での事。
……喉が渇いた、ジュース買って来るから、土岐も付き合うのだ……
そう真琴に言われ、半ば強引に連れて来られた玲一。
自動販売機の前にたどり着いても、なかなかにジュースを選ばない真琴の姿を見て、何かに気付く。
「真琴さん、もしかして、俺だけに話したい事があるんじゃ」
玲一の予想は見事当たる。勘の鋭い子は大好きなのだと笑いながら、そのまま私の話を聞けと、玲一に向き直った。
真琴と知り合って、それほど日数は経っていないが、いつどんな時も彼女は、朗らかな笑顔と、ポワポワした雰囲気を身にまといながら、人と接して来た。
だが、今、彼の目の前に立つ真琴は、今まで見せた事の無い様な、真剣な表情で、玲一を見詰めている。
彼女から伝わって来るそれは、愛の告白をする為に、恥ずかしいと思う自分を、奮い立たせる真剣さでは無い。
この話を真面目に聞き、そして真っ向からそれと向き合わないと、命すら落としかねないと言う、言葉一つ、単語一つ、聞き逃す事の出来ない、
玲一の人生に直接関係ある話なのだと、彼女の眼差しから悟ったのだ。
……迦楼羅について、深い話をするのだ。自分の胸にだけ、しまっておくのだ……
それを枕言葉に、彼女はひどく軽やかに、そして重みのある声で、秘めていた内容を語り出した。
土岐花苗が産まれた際、彼女の魂に、迦楼羅は宿り、そして交わった。つまり、迦楼羅は土岐花苗を選び、彼女の半身として、生きた事になる。
迦楼羅は転生を繰り返す神鳥であるから、花苗が臨終の際は、迦楼羅は次の宿主へと飛び立ち、再び新しい宿主に宿る。
これがごく自然な、迦楼羅の転生サイクルである。人の死と生を行き来するのが、迦楼羅なのだ。
だが、「とある事件」で、土岐花苗が息絶えようとしていた際、彼女は、飛び立とうとする迦楼羅を、強引に引き留めた。
そして、隣で意識を失っている、息子の玲一に、迦楼羅を遺したのだ。
退魔師として、陰陽師として、土岐花苗は禁忌を犯した事になるが、本当の問題は、土岐玲一、君自身にある。
迦楼羅はランダムに、宿主を探しているのではない。自分と相性の合う者を見つけ出して、そして宿る。
相性の合う相手とはつまり、爆発的な心霊力を持つ者であったり、預言者の能力を持つ者であったりと、様々だが、
人間離れした能力を持つ者がほとんどであり、一般的な人間が選ばれる事は、絶対無い。
「そっか、それで……俺なんですね」
こくりと、真琴はうなづき、玲一の頬に、自分の手のひらを添える。
「土岐玲一は、まるで能力が無いのだ。つまり、迦楼羅の力を行使したり、迦楼羅が覚醒すれば、土岐玲一は喰われるのだ」
そう、今まで迦楼羅は、悠久の歴史の中を、様々な能力者とともに、その生と死を歩んで来た。
能力の無い玲一とは、完全なミスマッチであり、迦楼羅は足りない能力を補うしかないのである。
玲一の生命力と、玲一の寿命を。
「花苗の身に起きた事件は、私は話せない。自分の消えた記憶を取り戻すのだ。そして、迦楼羅を使ってはいけないのだ」
ひどく、ひどく悲しい顔で、真琴はそう説く。
まるで、玲一がそれを知って尚、迦楼羅を使う時が来る事を、知っているかの様に。
つまり、玲一の寿命がどんどんと迦楼羅に喰われ、予期せぬ死の訪れが、近くにあるかの様に。
いよいよ繁華街に近づいて来た、オカルト研究会のメンバー。
路地を埋め尽くす人ごみが見え、ザワメキと喧騒も聞こえて来る。
何を覚悟し、何を覚悟してはいけないのか……
玲一の出す答えが、そこにあった。




