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ドレッドノート・カプリチオ ~勇者狂想曲~  作者: 振木岳人
「血族」編
13/74

雑種の野良犬


 ウシュカが作り上げたダンジョンは、三つの拠点が基礎となっている。


その拠点の一つには、松本駐屯地から出動した、陸上自衛隊第13普通科連隊に所属する、

橘1等陸尉率いる30名の小隊兵士が、最上階を目指して、猛然と進軍を始めている。


別の拠点は、戦力不足から、ダンジョン攻略を行なわず、食屍鬼が街に出ない様に、拠点を取り囲む事だけを目的とした、防衛部隊がいた。

当初は、和田率いる忍者部隊が、それを行わざるを得なかったが、和田自身が「心当たりがある」と言って打診した謎の戦闘ユニットが万全の体制で、食屍鬼流出を遮断しているそうだ。


そして、三つ目の拠点

この、三つ目の拠点こそが今宵、一番激動きの激しいダンジョンである。


駅前の五階建て立体駐車場の建設現場。

ウシュカの内面次元と融合したこの空間で、とどまる事の無い乾いた炸裂音と、少年と少女の怒号が、今も辺りに響いている。


「リローディング!(装填中)」


「クラリッタ、左から群れが来る!」


「リローディッド(装填完了)!加納、右に迂回して!援護する!」


 パン……!パンパンパンッ!


 拉致された土岐玲一を救出するため、危険を顧みずに自ら志願し、そしてウシュカのダンジョンに突入を開始した二人。

ヴァンパイアハンターのクラリッタ・ハーカーと、戸隠流忍術、道場師範代の加納譲司は、

群がる食屍鬼をなぎ倒しながら、考えられない速さで、上のフロアへと突き進んでいた。


 分隊支援火器……歩兵部隊の弾幕を補うために1部隊に1丁支給される軽機関銃、ミニミ軽機関銃の弾丸200発は、既に撃ち尽くし、早々と階下のフロアで、惜しげも無くパージ(破棄)した。

そして今は、肩から下げていた愛用のアサルトライフルFN FMCを構え、銀行強盗を追い詰める、アル・パチーノの様に睨みを効かし、自分の身体の延長線よろしく、自由自在に扱いながら、銃口から火花を散らし、迫る食屍鬼をバタバタと倒している。

そして、クラリッタから借りた、ナイフのみ装備した加納は、彼女の死角を補う様に動き、そして彼女の隙をうかがう敵を倒し、足手まといどころか、クラリッタを完璧にサポートしている。

そう、二人は互いに足を引っ張るどころか、即興のツーマンセル(二人一組のバディ)での、戦術行動が出来上がっていたのだ。


 例えば、クラリッタが撃ち尽くし、走るスピードを落として、弾丸の再装填を始める。

すると加納は足を早め、くるりと全方位を見渡し、一番近い食屍鬼に突進。

ナイフ一本、そしてクラリッタが見た事も無い様な体術で撃破。


また例えば、正面から向かって来る食屍鬼の大群を回避する為に、

比較的手薄な右手側に、回り込む様に突撃を開始するクラリッタの背後に回り、

左前方にライフルの狙いを付けるクラリッタの、死角になりがちな右前方を注視し、

建設資材の影から、突如現れる食屍鬼にナイフを投げ、眉間に見事、命中させる……。


クラリッタが右を向けば、加納は左を向く。

クラリッタのライフルが火を吹けば、加納は彼女の背後に刃を構える。

それはまるで、クラリッタを地球と例えると、加納は月。

阿吽の呼吸続くこの二人が、実は今日始めて行動を共にした二人だと、誰が気付くであろうか。


だが、鉄の意志と、鉄の心臓を持つ二人にも、貫けない壁がある。

【建設中の五階建て立体駐車場】を延々と昇る二人だが、未だに玲一救出に至らぬどころか、屋上にも到着していない。

何故なら、ウシュカの潜在次元がリンクした駐車場は、空に向かって無数の階層を作り上げており、

クラリッタや加納が、今何階まで昇ったのかを、数える事すら嫌になるほどの状況であったからだ。


 いや、数えるのが嫌になるくらいなら、まだ可愛い。

繰り返される食屍鬼との闘いで、二人の体力は確実に削られており、過労が起因する危険度が増している現在、怪我の可能性どころか、生命の危機すら見えて来ていた。


特にクラリッタ。身体一つ、ナイフ一本でここまで来た加納と違って、軽機関銃、アサルトライフル、サイドアームや無数の予備弾倉などの重量物を装備して、

加納に肩を並べ、全力疾走を重ねて来た彼女の疲労度は、もう既に限界点を軽く超えている。

足はもつれがちで、絶えずよろめきながら、肩がせわしなく上下して、荒く、か細い呼吸を繰り返している。

絶対に弱音は吐かず、意志のこもった瞳は常に前を向いているのだが、激しく鼓動を打つ心臓が、今にも口から飛び出しそうな、苦悶と言うより、悶絶の表情を浮かべている。

最早、気力だけで立っている状態なのだ……。


「クラリッタ、大丈夫か?」


「これしきの事で、これしきの事でヘタれていられない!」


「チアノーゼ症状が出てるぞ。一旦息を整えないと……」


「無用だ!その甘えが玲一の命を脅かす!」


加納が初めて見る、クラリッタの「こんな」表情。

玲一が蚊里田神社で彼女を見た時の、思い詰めた、自分を責め、追い込んでいた時の表情と全く同じ。


まるで、自分がしっかりしないと人が死ぬ、自分が頑張らなくては、世界が回らないなどと、

誇大な脅迫観念を抱いているかの様に、むやみやたらに自分を虐める姿は、

マゾヒスティックで、エゴイスティックで、見ていて痛々しい。

わめき散らしながら風車に突進する、ドンキホーテにすら見えてしまう。


彼女にも当たり前の話、羞恥心はある。

昼間、学生食堂で玲一と同席していた彼女は、何故かテーブルの下でスカートをまくり、玲一に指摘され、顔を真っ赤に染めていた。

そんな彼女が、汗でベトベトの髪を振り乱しながら、凶相で闘い続ける自分の姿など、誰にも見せたくはないはず。

第1話から最終回まで、羞恥心を忘れて常にヒステリックに騒ぎ立てる、気味の悪いアニメヒロインではないのだから。


だから加納は思う。クラリッタを見てこう感じた。


ああ、彼女は過去に、後悔しきれないほどの悲劇に襲われ、一度心を砕かれたのであろう……と。

そして、同じ悲劇を繰り返さないためにも、今を生きる自分が後悔しないためにも、

それこそ必死で、あがいているのであろうと。


「……きゃっ!」


加納が何か、クラリッタに対してシンパシーを感じていた矢先、

足がもつれたのか、バタン!と、盛大な音を立てて、クラリッタが顔から転ぶ。


「クラリッタ!?」


「気にするな!……加納、後ろっ!!」


転んだまま、振り向いた加納の背後にライフルを向けるクラリッタ。

白人、黒人、アジア人など……ウシュカが今まで咬み、血をすすり、

食屍鬼と化した様々な人種の群れが、ウシュカの体内次元から具現化し、

上方階からの下りスロープを伝って、襲いかかって来た。その数、約30体。

今まで下の階層で遭遇して来た食屍鬼の群れとは、量のスケールが違っている。


「任せたっ!」


ライフルの銃口、クラリッタがどちらの方向に狙いをつけているか悟った加納は、

そのまま彼女の後方へと走り、背後から追いかけて来た食屍鬼に、ナイフ一本で闘いを挑む。


 【クラリッタが転倒した】

ベストの状態の彼女なら、すぐに飛び起きてまた、突撃を開始するはずである。

だが彼女は起き上がらずに、その場に伏したまま、迫って来る食屍鬼を迎撃する事を選んだ。

つまり、彼女の身体に何かしらの異変が起こり、立ち上がって進む事が、困難な状態にある事が判断出来た。


疲労からか、それとも怪我からか。

多少の時間を費やせば回復し、再び彼女は前進出来るのか、それとも致命的な傷を負って完全リタイアか。

とにかく……

前方からは大群、後方からは追跡して来た討ち漏らしの食屍鬼が、確実に迫って来ている。

状況をこれ以上悪化させず、クラリッタが闘いながら休憩出来る様に、加納はそこに、彼女の為のスペースを作ったのである。


逆手に持ったナイフで、左掌底で、左右の回し蹴りで……

後方の食屍鬼を縦横無尽に倒し始めた加納。

クラリッタはうつ伏せになったまま、起き上がる努力よりも、前方の敵の危険性を優先し、夢中になって発砲を始める。

一体、二体と、ライフルの銃火の元に、敵はバタバタと倒れて行くが、いかんせん、ライフルの残弾よりも、敵の数の方が多い。


パンパン!と、せわしなく続いていたライフル弾の炸裂音が、急にタンタン!と、一回りもふた回りも可愛い炸裂音に変わった事に、加納は気付いた。

残弾が尽きたライフルを廃棄し、主武器を拳銃に持ち替えたのだ。


「クラリッタ!」


重火器が小火器に変わり、そして携帯火器へとランクダウンする様は、「この先残弾が少ない」事を容易に想像させられる。

それにいち早く気付いた加納は、身をひるがえし、全力疾走でクラリッタの元に駆け付ける。


うつ伏せになったままの彼女の腰に手を伸ばして、ベルトをガッチリと掴むと、渾身の力でベルトをグイッと引っ張り、強引にクラリッタを起こした。

その勢いのまま、左手をクラリッタの腰に回し、抱き抱え、クラリッタの足が地につこうがつかまいが、一切御構い無しに、手薄な右前方に、突進し始めたのだ。

それはつまり、加納の戦術変更の判断。この場に留まれば留まるほど、降りかかる危険度が増す事を察知し、動けない彼女を無理矢理にでも引きずって、強引に移動する事を決断したのだ。


「すまない加納。左足が熱痙攣を起こした」


「とにかく上へ、突っ切るぞ!」


 銃を持つ右手、リロード(再装填)作業を行う左手。

両手の自由を確保してくれた加納に感謝しつつ、機関銃の様な速さで、拳銃を撃ちまくる。

進行上の敵を排除しながら、無我夢中で走り、手薄になった群れの中を走り抜ける。

何とかそれは成功し、工事用昇降階段にたどり着いたのだが、二人の表情は険しい。

確固たる意志に彩られた、険しい表情とは全く毛色の違う、万策尽きた際の、絶望に満ちた険しい表情だった。


疲労は限界を超え、身体は思うように動かない。

なおかつ、手持ちの武器はナイフ1本と、拳銃1丁、そして予備弾倉が2本。


【このまま、昇り続ける事が出来るのか】

この疑問が今、二人の脳裏をよぎっている。


とてもじゃないが、手持ちの武器で最上階までたどり着く事は無理

だが、この先この手持ちの武器で、何階まで上がれるのか、

そもそもあと何階あるのか、あと何階昇れば、玲一にたどり着けるのか……


退くも地獄、進むも地獄だと、誰もがこの状況を嘆くであろう中、

加納に抱えられたまま、もうまともに歩けもしない、見るからにボロボロのクラリッタが、

熱痙攣を起こして、激痛に苛まれていた左足の太ももを、自分の左拳でガッツンガッツン!と、叩き始める。


「加納!玲一を助けるよ!!」


それは、加納に向けた言葉ではなく、自分自身を鼓舞する言葉だった。

無尽蔵に襲って来る不安を、気合いで払拭するための言葉だった。

肉体の限界を、苦痛と言う名の悲鳴を上げている身体を、己の精神力が、凌駕する瞬間であったのだ。


そんな……唾液すらまともに出ない、カラカラに乾いた喉で叫んだ彼女を、加納は引き止めたり、思い直す様勧める事は無く、

ただ、苦笑一つこぼしながら、「当たり前だ」と断言して、非常扉のドアノブを握る。


「ブッチとサンダンス・キッドだけにはなりたくない。みんなで、生きて帰ろう!」


ブッチとサンダンス・キッドとは、古き良きアメリカの時代に実在した、銀行強盗である。

それが映画化された際は、衝撃的なラストシーンで話題となり、今も名作として、人々から愛されている。


そのラストシーンとはやはり、「こんな感じ」のシチュエーションで、進退きわまった二人が、決死の覚悟で、警官隊に突撃するところで終わる。

飛び出した二人の姿がストップモーションとなり、やがて警官隊の銃声がそのストップモーションに重なり、エンドを迎えるのだが、

彼らが射殺されたのか、それとも生き延びたのかが分からないまま、それが映画の結末となってしまう。


あまり映画を見ない加納ではあったのだが、さすがに名作ぐらいは知っている。

だから、クラリッタの言わんとするところ、意図するところは、共感を伴いながら、理解出来たのだ。


 ーー自暴自棄になるな。あくまでも冷静に、それでいて情熱的にーー


 ガチャリ


重い扉のロックが外れ、隙間から作業灯の弱い光が差し込んで来た。

直ぐにはフロアに飛び出さない。

気配を探りつつ、加納とクラリッタ二人が同時に見合い、無言でカウントダウンを開始する。


 (……3……2……1……今っ!)


ギイッ!!っと、重い防火扉を開け放ち、全力疾走で加納が飛び出る。

10メートルほどダッシュする間に、しきりに瞳を動かし、周囲の安全確認を行うが、何故か「ふと」立ち止まり、棒立ちになってしまった。

それは、加納に遅れて飛び出したクラリッタが、左足を引きずり、四歩、五歩と前に進み、銃を構えた時と同時。

そして、クラリッタすらも、その足を止めてしまう。


 玲一がいたのだ


それも、ウシュカと従者のミハイロビッチの前で、上半身裸で、両手を後ろに拘束された、玲一の姿があったのだ。


「ほう。一番乗りはあなたでしたか、サー・クラリッタ」


「土岐!大丈夫かっ!?」


玲一の元に駆け寄ろうとすると、それを察知したミハイロビッチが、玲一の喉元に右手を添えて、首を絞める真似をする。

つまりそれは、近付くなと言う無言の脅し。そして、主導権は我々にあるので、武器を捨てろと言う強迫。


見れば、玲一の顔と上半身のいたるところが赤黒く腫れ上がり、随所随所から出血……血が滴り落ちている。

拘束した彼に暴行を加えた、明らかに拷問の跡であり、クラリッタたちが呼び掛けても反応が薄い状況を鑑みると、

今現在彼は、生命の危機に直面していると、判断しても良かった。


玲一の無事を優先するしかない。

ギャンブルをするには、手持ちのカードが弱すぎる……


一言も言葉を交わしていないのに、全く同じ結論に至ったのか、加納がナイフを捨てるのと、クラリッタが銃を捨てたのは同時。

そして、腹の底から湧き上がる、強大で絶対的な感情を抑え込んだのも同時。

ミハイロビッチの脅しに逆らう事無く、武器を捨てた二人は、ウシュカとミハイロビッチに、憎悪や嫌悪などの、圧倒的な負の感情を、殺意へと昇華させ、それを抑え込んでいたのだ。


「ウシュカ、貴様……狙いは私であったはず。何を、何を血迷っている!」


「いえいえ、血迷ってなどいません。確かに昨日までは、あなたへ報復する事が、我が血族の悲願ではありました」


(……しかし、新しい家族を見つけた以上、そちらを優先しなければ……)


揺るぎないほどに、優位な立場にいるウシュカは、慌てもせず余裕の表情で、いきなり自慢話を始める。

それはまるで、頼んでもいないのにペラペラと自分話を始める、空気の読めない友人の様でもあった。


 【死者の目】


 ……特別、何かしらの心霊力がある訳ではなく、呪いのアイテムでもありません。ただ単に、生きる事をあきらめた人間の目。

死を受け入れ、死を望み、死を願う瞳の事を、我ら吸血鬼は死者の目と呼びます。


吸血鬼はですね……咬まれたからと言って、簡単になれるもんじゃないのですよ。

襲うでしょ?咬むでしょ?でもね、「死にたくない」と言って、生への執着を持たれると、駄目なんですよ、まったく駄目。


感染して体内に入った吸血鬼の因子は、ちょっとデリケートで、死にたくないと言ってジタバタし、精神と身体が拒否反応を示すと、攻撃的因子に変質して、精神を焼ききってしまう。

致死性のウィルスとして作用しするだけで、吸血鬼に変身してくれない……。


まあ、運が良くても、生きる屍程度の再生しか果たせなくなる。

基本的に、咬まれた者が受け入れてくれなければ、人は肉の塊となって冷たく横たわるだけ。

つまり、情熱が必要不可欠なのですよ


【殺してくれ】【死ねば楽になる】【ああ、終わらせたい!】


こういう、死への願望、死への覚悟……死に対しての渇望が、人を吸血鬼へと変えるのであり、

それには、全てを諦めた瞳、腐った魚の様な淀んだ瞳……死者の目を持つ者こそが、適合者たり得るのですよ。


 まるで、長年待ちわびていた、理想の相手にでも出会えたかの様な、悦に入った表情で、玲一を見詰めるウシュカ。

クラリッタと加納は、玲一に限ってそんな事があるか!土岐が死を望む訳が無いと、大きな声で抗議するものの、どこ吹く風。

そして、玲一の喉元を掴んでいたミハイロビッチに、彼らに対して「あの話」をしてあげなさいと促したのだ。


ウシュカの命令に対し、ミハイロビッチは玲一の喉元を掴んだまま、うやうやしく返事をして、クラリッタたちに顔を向ける。

青白い肌、青白い顔そして、まるで感情の無い瞳でクラリッタたちを見詰める、その彼の口から出た言葉は、クラリッタと加納を驚愕させるには、充分過ぎる内容であった。



「高槻の分家であった、高槻奏二郎と花苗夫婦の長男、それが玲一。奏二郎逝去後に、本家から高槻姓を名乗る事を禁じられ、花苗と共に、花苗の姓である土岐姓に戻り、現在に至る。

だが実は、玲一は奏二郎夫婦の養子であり、実子ではない。

それ以前の姓は須賀川と言い、実母の名は須賀川愛美。彼女が17歳の時に出産した私生児で、父親は不明。

須賀川愛美は高校中退後、玲一を連れて家出をし、水商売で生計を立てており、その際店で知り合った、住所不定無職の羽田智と意気投合。当時3歳の玲一を含めた、三人での生活を始める事になるが……」


ミハイロビッチが、どこでどう調べたのかは分からないが、いきなり明かされた玲一の過去は、容易に想像出来ない、ショッキング且つ重い内容で、ミハイロビッチが言葉を重ねれば重ねるほど、その内容は益々惨い話となって行く。

いかに玲一の生い立ちが、悲惨極まりないものであったのかを、クラリッタと加納の沈痛な沈黙が、それを物語っていた。


 ……その後、須賀川愛美と息子の玲一、内縁の夫となった羽田智での共同生活が始まったのだが、

定職に就かず、当時ギャンブルに狂っていた智との生活は上手く行くはずが無く、共同生活の破綻を回避する為、はたまた「ヒモ生活」を維持する為に、智は暴力による支配、ドメスティックバイオレンスが始まる事となる。

当初は抵抗していた愛美も、智の暴力的な洗脳に屈服してしまったのか、日を追うごとに無抵抗になって行き、

やがて、彼女が盾となって、智の暴力から守られていた玲一が、むき出しの状態になってしまった。

須賀川愛美は、幼い玲一の保護を、放棄したのだ。智との関係を維持する為に、玲一を生け贄に捧げたとも言って良かった。

これで智のドメスティックバイオレンスが矛先を変え、児童虐待に先鋭化されてしまったのである。


 サー・クラリッタ・ハーカー、ほら、彼の背中を、彼の古傷を見てください。


酷い火傷の痕は、愛美が作ったカップラーメンのお湯が熱いと言って、智が玲一に投げ付けた時に負った傷です。

無数に広がる切り傷や縫合の痕は、泣き止まない、オムツが臭いと言って、智が傘やベルトで、散々殴った時のもの。包丁を投げ付けられた時もあったそうですよ。


理由などある訳が無いのに、智の気分次第で、殴る蹴るを繰り返された玲一。

近所の通報を受けて、児童施設の職員が訪ねて来ても、玲一を隠して門前払い。

この地獄は、玲一が4歳になるまで、1年間も続いたそうです。


幼稚園に行く事すら許されず、監禁され、教育も受けられない。

そして、食事もまともに与えられず、ガリガリに痩せ、4歳になってもまともに歩けず、まともに喋れなかった玲一。

転機が訪れたきっかけは、智と愛美がSNSに投稿していた、児童虐待の証拠となる写真。

痣だらけの身体や、檻で飼っている姿。長時間正座をさせていたり、泣き止まないからと言って洗濯機に入れる画像をアップすれば、

いくら面白半分であったとしても、それを見ている者が嫌悪し、必然的に炎上騒ぎにもなる。

当たり前の話、玲一は公的機関に保護され、通報された羽田智と愛美は、児童虐待の罪に問われる事となり、愛美の親権は剥奪された……。



「土岐玲一は、一切抗う事は無かった。死ぬ事を待ち望んでいたのですよ!死を受け入れ、死に恋焦がれていた!

その証拠として、死者の目があるのです。何事にも動じない、生きる事に興味を失った、淀みしか無い瞳。

曇り無き聖者の瞳の対極に位置する、死者の瞳を彼は持っていた。その片鱗を見たからこそ、私は彼に手を差し伸べたのです!」


 ミハイロビッチの説明に割って入ったウシュカ。


なるほど、どうやら咬まれた人間には、二種類の結末があるらしい。

咬む行為は一緒、吸血鬼になるか食屍鬼になるかはむしろ、人間の側に要因があり、

咬まれて吸血鬼因子に感染した際、瀕死の状態の中での精神状態が、変化を左右する。

死にたくないと思えば思うほど、人は死に、死後に食屍鬼となって蘇る。

また、死にたいと思えば思うほど、闇の門は開き、人を闇の眷属……吸血鬼へと変える。


クラリッタと加納は戦慄した。


(……ウシュカは、自らの血族に、玲一を迎え入れようとしている!?……)


確かに、ミハイロビッチから明かされた、玲一の過去は、衝撃的な内容であったが、

それ以上に、玲一を血族の一員にしようとしている、アラダール・ウシュカの思惑の暗さにあてられ、

クラリッタと加納の背中には、冷たく、嫌な汗が滴り落ちて行く。


だが、状況は急展開した。それまで御機嫌だったウシュカが、急に表情を変えたのだ。

それは酷く沈痛で、無念さを隠しもしない、今にも泣き出しそうな顔。

さっき笑っていたかと思えば、些細な事で激怒する……喜怒哀楽の激しい、独裁者のそれである。


「私は……家族が欲しかった。血の繋がった、本当の家族が欲しかったのです!」


突如ウシュカは玲一に近寄り、彼の髪の毛を鷲掴みにして、顔を強引に上げる。

クラリッタたちが大声でそれを制止するも、その声が、ウシュカの心に届く訳が無い。


玲一に顔を近付けるウシュカ

哀しみの表情の中に、ジリジリとした怒りがこみ上げて来ているのが分かる。

眉間に皺が寄り、目が吊り上がり、やがて彼の顔は憤怒の形相へと変わったのだ。


「土岐玲一……何故、何故君は!この期に及んで、死を受け入れないのですか!悲しいじゃないですか!

せっかく、せっかくあなたと本当の家族になれると思ったのに!」


幼い頃、虐待と絶望の日々に生きていた玲一ではあったのだが、児童保護施設に引き取られた後が、後の彼の生き方を決定付けていた。


そう。児童保護施設に引き取られた玲一はその後、高槻奏二郎と、花苗の夫婦に養子として迎え入れられ、現在に至るのだが、

高槻家での生活が、そして奏二郎亡き後の、土岐花苗との生活が、恐怖と痛みを超越し、死を易々と受け入れようとしていた玲一を、劇的に変えたのだ。

そしてそれは、暴力を持って、死を受け入れさせようと迫るウシュカたちに、敢然と立ち向かう力となっていた。【生きる意志】【生き残る意志】として。


「……ごちゃごちゃうるせえよ。お前なんかと誰が家族になるか……」


「玲一っ!?」


「土岐!大丈夫か!」


 意識の戻った玲一に、驚く二人。

駆け寄って介抱したいのだが、未だ玲一はミハイロビッチとウシュカに囚われたままで、主導権も相手の手中に握られている。

万策尽きたこの状況の中で、クラリッタは怒りと悲しみで顔を真っ赤に染め、今にも泣き出しそうな表情で、玲一の名を叫ぶだけ。

加納はクラリッタに比べて幾分落ち着いてはいるが、両手の握り拳に力を込め過ぎているのか、指先の爪が、手の平に喰い込みそうだ。


「血の通った家族、血族は、絶対に裏切りません。あなたに安息の地を約束しようと言うのですよ!」


「……血が繋がってる事が、一体何だって言うんだ?……安息の地?ふざけんじゃねえぞ……」


赤黒く腫れ上がった隙間をぬって、玲一の視線がウシュカを刺す。

その視線は、この場にいる誰よりも強く、激しく輝き、確固たる意志が込められた、問答無用の眼差しである。

そして、それと共に、玲一の口から飛び出した言葉は、ウシュカにとって断罪の言葉でもあった。


「……血が繋がっていようが、繋がっていまいが、個としての己が、正しい判断に努めて生きていけば、

やがて人との繋がりである【輪】が出来上がるんだ、それは【和】とも言う。家族の基本だ!

お前さっき、俺の事を、雑種の野良犬だと言ったな。それがつまるところ、当たりなのかも知れないが、

雑種の野良犬だろうが純血だろうが、吸血鬼だろうが、そんなの理由じゃない。

お前の最大の過ちは、人でいる事を諦めた事だ。たとえ吸血鬼でも、人としての正しい判断に努めていれば、お前の環境は変わったはず。

強制的に血の系統を増やして、感染者を命令で引き留めて、自己満足に浸っているだけの関係が家族である訳が無い。

血が繋がっていなくたって、家族は成立するんだ、俺は絶対諦めないぞ!生きる事を諦めないぞ!最後の最後まで、人であり続ける!生きてる限り、人として努力する!

母さんにそう教わったんだ、自分自身と闘える人間になれってな!」


 この言葉は効いた。

玲一が誘いを完全拒否した事は、彼が思い描いていた近い未来の姿とは乖離し、

自分の思い通りに事が進まない、極めて腹立たしい事実であり、

ウシュカにしてみれば、玲一に裏切られたと言っても、過言ではなかったのだ。


ウシュカは一瞬ひるみ、玲一の髪の毛から手を離す。

そして、私の生い立ちなど、何も知らないクセにと、怒りを露わにする。

憎悪と言うよりも、ワナワナと打ち震えながらも状況の好転を願う、愛憎に近い怒りだ。

だが、ウシュカは玲一をただ睨むだけで、その後のアクションをまるで取ろうとしない。

「彼の中」で、別のトラブルが発生したのか、段々と、玲一を見る目が冷えて来たのだ。


「……ウシュカ様?」


「ふむ、これはいけません。別ルートの自衛隊が、思いの外奮闘している様ですね」


「いかが致しますか?」


「この城は失敗……。引き時かも知れません」


そう言って身をひるがえし、奥に一つだけ構える階段へと向かおうとする。

しかし、彼の脳裏でやっと【心の整理】がついたのか、一瞬向き直り、玲一を見詰める。


「土岐玲一、残念です。本当に残念です」


それが別れの言葉なのか、感慨深げに言い放ったウシュカは、ミハイロビッチに視線を合わせ、

淡々と……冷気が漂いそうな冷たい声で「後は好きにしなさい」と指示し、静かにフロアを出て行く。

そして、そのウシュカの指示が、一体何を意味するのかは、その場にいた全員が瞬時に理解した。

理解したのだが、クラリッタと加納が懸命にそれを阻止しようとしても無駄だった。間に合わなかったのだ。

何故なら、クラリッタたちが動き出すや否や、「いただきます」と言い放ったミハイロビッチが、玲一の肩口に咬みついたのだ。


大きな口を開け、禍々しい牙を立て、玲一の肩口にザックリと咬みつき、血をすする……。

シンと静まりかえったフロアに「ぎゃあああっ!」と、玲一の断末魔の声が響き渡った。


 土岐玲一は、吸血鬼に咬みつかれた


 吸血鬼と接触し、因子を植え付けられたのだ



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