交換と言えば聞こえはいい
「――だから、このことは誰にもナイショ。ガラルド隊長も同じことが起きないように、しっかり指導して」
「はっ!」
綺麗に敬礼を返す騎士の面々。
その中でただ一人、新人さんだけは心底気まずそうな表情を浮かべいる。
当然と言えば当然。
他人の下着が盗まれた話など聞かされれば、私だって同じ顔をする。
けれど我が家で働く以上、この話を知っておかないと地雷を踏む恐れがあるので我慢して欲しい。
うちの家族と使用人たちの地雷を踏むと怖いのだ。
「お嬢さま」
「終わった?」
「んっ。アレどうするの? ……処す?」
「処さないよ、暴君じゃないんだから。お姉さんもシェルブール家の名を貶めるつもりはなかったんでしょ?」
「は、はびぃ! もぢろんでずぅ!」
激しく頭に振って肯定する受付嬢。
腰まで伸びた髪が勢いよく揺れ、まるでヘドバンでもしているかのような素早い動きを見せる。
顔にバシバシ当たって痛い。
「なら今回のことは不問で。入場手続きを急いでください。それから、私とこの子の探索者登録もお願いします」
「ず、ずぐに準備じます~!」
受付嬢は逃げるようにカウンターの奥へと消えていった。
もはや最初に生返事を返してきたあの太々しさが懐かしい。
「甘すぎ」
「狭量だと思われたくないの。それより……分かってるよね?」
「お嬢さまが『許す』って決めたなら、ファナは手を出さない」
「信じるよ」
ちゃんと言質を取れたので、川に浮かぶ憐れなギルド職員が発見されることは無いだろう。
使用人の手綱を握るのは主人の役目だけど、うちの使用人たちの手綱はなぜかよく伸びるので注意が必要だ。
「お待たせしました。手続きが完了しましたので今すぐ迷宮に入られても問題ありません。それと、こちらがお二人の探索者証になります。ご存知かとは思いますが、冒険者組合での併用はできませんのでご留意ください。詳細な説明は必要ですか?」
「後で護衛に訊くので大丈夫です。書類への記入は必要ありますか?」
「いえ、お二人に身元証明をしていただく必要はございません。こちらで確認を取りましたので、ご記入いただかなくて結構です」
どうやらこの短時間でファナが貴族令嬢であることまで調べたらしい。
最初の出会いは悪かったが、意外と仕事は優秀なのかも。
誘ったらウチに来てくれないだろうか?
脅し過ぎたし無理だろうなぁ。
「ならもうここに用はないかな。……お姉さん、お名前は?」
「ふぇ!? な、名前ですか?」
「はい、そうです」
顔色が悪いけど大丈夫だろうか?
私に名前を覚えられたくらいで死にはしない――はず。
「ド、ドリアですぅ」
ドドリアさん!?
え? 違う? あ、ドリアさんですか。
なんだか美味しそうな名前ですね。
「覚えておきます」
「ひぃぃ!?」
探索者組合の地下に設置された石造りの門をくぐると、三歩も歩かぬうちに空気の密度が変わる。
外の喧騒は完全に断絶され、代わりに聞こえてくるのは自身の心臓の鼓動と護衛たちの足音、そして洞窟の奥底から吹き抜ける風鳴りだけ。
それらすべてがこの場所の不気味さに拍車をかけている。
もし壁一面に生える光苔が洞窟内部を照らしていなければ、発狂していただろう。
「慣れてないせいか寒気がする」
「迷宮とはそういうものです。なに、お嬢様ならすぐに慣れますとも」
……ならいいけど。
ダンジョン歴が一番長いガラルド隊長がそう言うなら、返す言葉もない。
「そういえば、さっき渡された探索者証の表面に何か文字のようなものが書かれてたけど、どういう意味か知ってます?」
「探索者としての階級表記ですな。おそらくお嬢様とロスナート嬢の探索者証には古代文字で『いー』と書かれているはず。探索者としては一番下の階級で、組合への貢献度が上がるにつれ『でぃー、しー、びー、えー』と記載される古代文字も変わっていくのです」
「古代文字かぁ」
階級を表す文字で『E、D、C、B、A』とくれば、間違いなくアルファベットのことだろう。
やたら発展してる世界だとは思ってたけど、やはり先達がいたようだ。
まぁ、通貨の単位がエンだし、長さの単位はセンチメートルだし、数字は十進記数法のアラビア数字だしで同郷の存在には気づいていた。
――けど、やり過ぎだ。
異世界観ぶっ壊れてて、もはや現代ファンタジーに片足突っ込んでる。
おかげで馬車にサスペンションを付けて『私、また何かやっちゃいました?』する余地すら残されていない。
でもヤード・ポンド法にしなかったことには感謝。
「はぁ……」
「おや? お加減が優れませんか?」
「いえ、ただの考えごとです。例えば『いー』という古代文字が探索者としての最低階級なら、最高は『えす』だったりするんですか?」
「流石はお嬢様、博識ですな。探索者も冒険者も現行の最高階級は『えす』となっております」
まさかの『さすお嬢』ゲット。
意外と早かった。
そして最高ランクは本当にSらしい。
「お嬢さま、いつの間に古代語の勉強したの?」
「たまたま書庫で目にする機会があっただけだよ。それより、スライムがいる場所はまだなのかな?」
「はっはっはっ、これは異なことを仰る。奴らならすでに姿を現しておりますぞ」
「えっ?」
もしや――と思い、足もとに視線を落としてみるが何もいない。
洞窟の奥はどうかと目を凝らしてみるが、薄暗くて先が見えなかった。
一体何処にいるのだろうか?
視線を泳がせる私を見かねたのか、隣を歩くファナが天井に向けて指を差す。
「ん? 天じょ――ひぇっ!?」
淡い光に包まれたダンジョンの中、彼女の示す場所だけがびっしりと漆黒で埋め尽くされている。
集合恐怖症なら泡を吹いて倒れていたところだ。
「あれがシェルブール領の名物、ブラックスライムです。通常のスライム同様、魔物の遺骸や探索者の落とし物などを糧としていますが、なにもないときはああして天井に張りついております。いつの間にか増えるため、探索者の間では『一匹見たら三十匹いると思え』などと言われてますな」
頼むからその喩えは止めよう。
それにしても、これだけ天井にいたのに気付かなかったのか。
もし敵対的な魔物だったら今頃死んでいたに違いない。
「覚えておきます。それで、あとどれくらい歩きますか?」
「そうですな……このくらいの広さがあれば、まず安全でしょう。お嬢様、ロスナート嬢。申し訳ありませんが少しお下がりください」
ガラルド隊長が足を止めたのは通路のど真ん中。
ただし圧迫し続けていた岩壁が左右に退いて、これまでの道よりもだいぶ空間的な余裕がある。
私たちが言われた通りに壁際まで下がると、彼は護衛隊の中でも一際体格の良い騎士に指示を出して餌用の短剣を地面に置かせる。
そして待つこと数分。
天井から一匹のスライムが溶けたお餅のように『にゅ~ん』と伸びてきて、短刀に覆いかぶさった。
「驚いた。とても綺麗だね」
意外や意外、地面に降りて来たスライムは天井に張り付いていたときとは打って変わり、漆黒の体に微細な燐光が瞬いていた。
まるで夜空の一部を切り取ったかのようだ。
「ええ、あまり知られておりませんが、ブラックスライムは動いてる間だけこうして美しく光り輝くのです。それではお嬢様。我々はこのまま周囲を警戒しておきますので、安心して恩恵をお試しください」
「助かります。ファナ、私の近くに」
「んっ」
護衛隊が私たち二人を囲むようにして周囲を警戒し、侍女が目の前のスライムに目を光らせる。
これで天井のスライムがすべて落ちてこない限り、命の危険はないだろう。
他の探索者がこの光景を見たら「スライム相手に何やってんだ?」と笑われそうだが、貴族の護衛とはこういうもの。
主が石橋を渡ると言えば、石橋を叩き壊してから鉄橋を架け、安全を確保するのが彼らの仕事だ。
決して面倒くさいなどと考えてはいけない。
決して。
「はぁ……面倒くさ」
「お嬢さま……」
「冗談だよ。さっさと終わらせよう」
自身の右手をブラックスライムに向け、集中する。
「≪罪なき羊に全ての咎を≫」
その瞬間――視界が暗転し、ノイズが脳内を駆け巡る。
―― ディメンションスライムとの接続に成功しました ――
―― 因果の天秤を歪め、欺瞞の器を以て理を騙します ――
「あれ、どう○▼×…、無事縺ォ成功し縺?よう…Ne」
縺薙ヌフオナ3$ヒ、ハ、??セ!
「……嬢さま!?……お嬢…さ…っ! リーチェ!!」
「っ!?」
右頬へ鋭い痛みが走り、世界に色が戻る。
「えっ? あ、あれ? どうして……」
無事に成功したと思ったら、なぜか涙目になったファナに膝枕をされていた。
周囲を見渡せば護衛の騎士たちが私の脈を計っていたり、背嚢から出した水入りのボトルを差し出しくれたりと忙しなく動いている。
(一体なにが――って、まさか意識を失ってた?)
「ご、ごめんファナ。もう大丈夫だから、そんな顔しないで」
「……答えによる。なにがあったの?」
「頭の奥で声が聞こえたの。それで――」
―― ディメンションスライムが特性【スキルスワップ】を発動 ――
―― スキル【スケープゴート】と【胎海ノ塩】を交換しました ――
―― これより一定量の塩分に接触することで呪いが発動します ――
「ほわっ?」




