ミノタウロスの迷宮
灰色の石壁が続く道を、二人で警戒しながら歩き続ける。
この場所に飛ばされてから結構な距離を歩いたはずなのに、景色は少しも変わる気配がない。
心を落ち着かせて考える。
ここは一体どこなのか?
王国、あるいは全く別の大陸や世界に飛ばされてしまったのか?
それすら分からない状況において、取るべき行動は一つ。
「一刻も早くこの迷宮から脱出すること。それだけを考えて進もう」
「んっ。周囲の警戒はお任せ」
その返答に小さく頷いた。
周囲を包む空気は不気味なほど冷たく、人工的な石積みの隙間からは時折湿った風が吹き抜けていく。
自然と通路を進む足が速くなる。
ほどなくして、迷宮の静寂を破るように通路の奥から複数の足音が近づいてきた。
床を乱暴に踏み鳴らす蹄の音と、そこに混じる小さな足音が複数。
薄闇の向こうから姿を現したのは、私たちの数倍はある巨体に錆びついた斧を構えたミノタウロスが二体と、その足元でニタニタと笑うゴブリンの群れだった。
今まで出会った魔物は、こちらに敵意を示さないスライムだけ。
まともな魔物の群れと対峙するのは、これが初めてとなる。
現れた魔物たちをじっと観察していたファナが、声を潜めて言った。
「魔物と迷宮の石壁が特徴的。多分ファナたち、レターノス領にある【ミノタウロスの迷宮】にいる」
「……レターノス領。よりにもよってシェルブール領からもっとも離れた公爵領に飛ばされちゃったんだね」
眩暈がしそうな位置関係だ。
ただでさえ領地と迷宮への不法侵入なのに、頭の中で地図を描くだけで途方に暮れてしまう。
仮にここから地上に出られたとしても、状況を釈明し、領地まで戻るのに一体どれほどの日数を要するのか。
想像するだけでも頭が痛くなる。
とはいえ、その絶望感の裏で少しだけ安堵してもいた。
国外や誰も立ち入れないような未開の地域に飛ばされなかったからだ。
「文句を言っても始まらないか。少なくとも王国内にいることが分かっただけでも運がいい」
「んっ。その通り」
最悪の事態は免れた。
そう自分に言い聞かせて魔物たちの動向を伺う。
反転して逃げるか、あるいは撃破するか。
相手の動きに合わせて判断しようとしたが、その前にミノタウロスとゴブリンが一斉に戦闘態勢に入った。
荒い鼻息を吹き出すミノタウロス。
ゴブリンたちも狂ったような歓声を上げながら武器を打ち鳴らし、ミノタウロスと共に一直線に突き進んでくる。
「ひぇっ!?」
何故だか魔物たちは異常なほど私を敵視している。
目が据わり、抑えきれない狂気が伝わってきた。
もはや戦闘の回避は不可能だろう。
「無駄な消耗は避けたかったけど、向こうにはその気がないみたいだね。ファナ、作戦変更。これでいく」
バッグから取り出したのは、およそ戦場には似つかわしくないピコピコハンマー。
「使うの?」
「もちろん。ないよりマシでしょ?」
前方から巨体を揺らしてミノタウロスが突進してくる。
本来ならその威圧感で動けなくなりそうなものだが……残念、私の敵は塩だけだ。
恐れる必要がない。
迫りくるミノタウロスに怯むことなくタイミングを合わせ、足元めがけて思い切りハンマーを振り下ろした。
――ピコッ。
間の抜けた音が通路に響き渡り、目の前がスッキリする。
ハンマーが触れた瞬間、ミノタウロスの巨体が消えて後方へと転移したのだ。
位置を巻き戻されたミノタウロスは「ブモッ!?」っと困惑の声を上げた。
続けて飛びかかってくるゴブリンたちにもハンマーを当てていく。
ピコッ、ピコッ、ピコッと音を鳴らしながら、魔物たちを後方へと送り返す。
幾度となく敵からの攻撃を受けるがなんのその。
生き延びるためなら、えんやこーら、えんやこーら。
どれだけ凶悪な形相で迫られようとも、叩いては戻し、叩いては戻す。
これを繰り返していると、狭い通路へと押しやられた魔物たちはお互いの身体が邪魔をして身動きが取れなくなっていた。
「ファナ、これ使って!」
空いた手で玩具のような安っぽい【水鉄砲】を取り出し、後方へと放り投げる。
「私ごと一掃して!」
放り出されたそれを受け止めたファナが、一瞬だけ躊躇うように視線を泳がせた。
いくら無敵と知っていても、主人の背中に向けて未知の武器をぶっ放すのは心理的抵抗が――
(いや、一度心臓ぶち抜かれてたわ……)
「撃つよ?」
「構わない。躊躇わないで」
彼女は『んっ』と短く応じて銃口を魔物の群れへと向ける。
引き金を引くだけで水魔法が発動する遺物。
検証はこれからの予定だったので、一体どうなるのか私たちにも分からない。
ファナの指が引き金に掛けられ、引き絞られる。
「どーんっ!」
放たれたのは一般的な魔術の常識を遥かに凌駕する、巨大な「水の塊」。
空気を切り裂く轟音と共に、狂暴な水流が私の身体を巻き込みながら魔物たちへ直撃する。
逃げ場のない場所で密集していたミノタウロスやゴブリンたちは、凄まじい衝撃によって後方の壁へと激突し、圧殺四散。
弾け飛んだ大量の水が周囲に降り注ぐ中、ファナは手元に残った水鉄砲を衣服のポケットへと滑り込ませた。
「お嬢さま。遺物の回収終わり」
しばらくしてファナが戻り、拾い上げたものを見せてくれる。
「手に入ったのはお肉といくつかの下級魔石。あと――」
彼女の掌で一際鈍い輝きを放つ魔石を見て、思わず目を細めた。
そのサイズはスライムダンジョンで見た中級魔石とは明らかに異なり、両手で持たなければならない程に肥大化していたのだ。
「上級魔石だね。ということは……この場所って迷宮の『深層』なのかな? よく勝てたね私たち。【水鉄砲】がなかったら危なかったかも」
「んっ、この子のお陰」
ファナは水鉄砲が入ったポケットを軽く叩いた。
「さっきのは水魔法に下位魔術の【ウォーターボール】を組み合わせたもの。本来はヨワヨワ魔術なんだけど、魔法と混ぜてみたら元の魔術とは比較にならないほど強くなった。無詠唱であの威力は破格。もはや無敵」
「へー、ファナってそんなこともできたんだ。下位の魔術でも魔法と組み合わせれば強くなるってことだね」
組み合わせ次第でそんなことができるなんて、素直に感心してしまう。
――いや、感心している場合じゃないか。
自分の状況をすっかり忘れていた。
身体は頭のてっぺんからつま先までビチョビチョ。
滴る水が石床にポタポタと音を立てている。
その様子を見て、ファナがランドセルから大きめのタオルを取り出した。
「拭くからジッとして」
「ありがとう。自分でやるよ」
受け取ったタオルで濡れた顔や髪をごしごしと拭く。
しかし、水分を吸い込んだ衣服が肌に張り付く不快感までは消えない。
「せめて【浄化】の魔術くらい使えれば良かったのに……なんで私には魔術が使えないんだろう?」
髪を拭きながらこぼした愚痴に、ファナは表情一つ変えない。
「ないものねだりは良くない。今ある手札で最善を尽くすのがお嬢さまの強み」
「あははっ、手厳しいね」
こんな時でもブレない彼女の反応に思わず笑いがこぼれる。
水分をある程度拭き取り終えたところで、バッグの口を開けて中を探った。
そしてあの衣服を取り出す。
「ずぶ濡れになって思い出したよ。受け取って」
「これ……さっきの遺物?」
差し出した衣服を受け取り、ファナはそれを広げた。
「うん。私はどれだけ巻き込まれても平気だけど、ファナは違うでしょ? ここから先はどんな危険があるか分からないし、ファナの身の安全が迷宮脱出の鍵になるんだから、遠慮なく使ってよ」
彼女の目を見つめながら言葉を重ねる。
こちらの意図が伝わったのか、ファナは手渡したメイド服を抱きしめた。
「んっ、ファナが全力で守るから安心して」
「頼りにしてる。それじゃ行こうか? 着替えられる場所を探さなくちゃならないし、立ち止まってても出口は見つからないからね」




