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第三幕 褐色少女と、まんまるタヌキ

酒場『竜の寝床亭』。孤独に攻略を進める褐色のヒーラーの前に、場違いなまんまるタヌキが、どっかりと腰を下ろします。

正反対のふたりの、出会いの一幕です。

 十月の中旬。超大型没入型娯楽プラットフォーム『NewEarth』の華々しいリリースから、すでに一週間以上の時が過ぎ去っていた。

 この間、多奴本リョウタはただひたすらに現実世界の荒波に揉まれ続けていた。起業したばかりのベンチャー企業の社長業は、想像を絶する激務だった。短く凝縮された睡眠から目覚めれば、あとは現実の業務と、ドリームワールドに展開したビジネスコンテンツでの労働が、切れ目なく一日を埋め尽くしていく。商談、開発進捗の確認、そして資金繰りのための折衝——副人格をいくつもの仮想会議室に飛ばし、主人格でも書類の山と格闘する毎日だ。

 「今夜こそはNewEarthにダイブするぞ」と意気込んでドリーム・ポッドに身を委ねても、気づけば仕事用のコンテンツに呼び戻され、娯楽の世界へ降りる時間も気力も残らない。そうして、あえなく数日が溶けていったのだった。


(俺ってやつは、休むのが本当に下手というか……)


 しかし今夜は違う。週末の夜、すべての業務をなんとか片付けたリョウタは、仕事用のウィンドウをすべて閉じ、満を持してドリーム・ポッドに身を横たえた。

 意識を泥のような疲労から切り離し、NCIを通じて、今度こそ娯楽の世界へと深く深く沈み込んでいく。


 ——光が、弾けた。


 視界が明転し、爽やかな風が頬を撫でた。リョウタが降り立ったのは、『始まりの街』の入り口にある巨大な広場だった。

 石畳が仮想の太陽の光を反射して白く輝き、どこからか陽気なリュートの音色が流れてくる。胸いっぱいに息を吸い込めば、土の匂いと焼きたてのパンの香ばしさが入り混じった、ファンタジー世界特有の空気が満ちていた。五感のすべてを鮮やかに塗り替えてくる『NewEarth』の完成度は、ただただ圧巻の一言に尽きる。

 重力すらも現実とは違って感じられた。社長という重圧、積み重なった責任、そのすべてを現実の肉体とともにポッドの中へ置き去りにしてきたようだ。


(最高だな、この解放感)


 己の姿を見下ろせば、そこにあるのはまんまるでモフモフとしたタヌ着ぐるみアバター、『タヌポン』だ。ぽっこりと出たお腹をポンと叩くと、柔らかな弾力とともに、ぽすっという間の抜けた音が鳴った。

 ふと、リョウタはメニューウィンドウを呼び出し、ステータス画面を開いた。

 レベルは、燦然(さんぜん)と輝く『1』のまま。経験値バーはピクリとも動いていない。ついでにフレンドリストのタブを開いてみるが、そこには見事なまでの余白が広がっているだけだった。リリース直後の熱狂に乗り遅れた焦りと、誰一人知り合いのいない広大な世界にたった一人で突っ立っているという微かな寂しさが、胸の奥をチクリと刺す。

 だが、リョウタはすぐにタヌポンの短い腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。


(まあ、これでいい。現実のしがらみなんて一切ない、ただのタヌキでいられるんだから)


 肩書きも実績も背負わない、名もなきモブのような存在。それこそが、今の彼が求めてやまない最大の癒しだった。


 そういえば、とリョウタは思い出す。前回ログアウトする直前、なりゆきでどこかのギルドに登録だけは済ませていたはずだ。その活動拠点として、プレイヤーたちが集まる『酒場』が指定されていた。

 リョウタはペタペタと軽い足音を立てながら、街の中心部へと歩き出した。

 大通りは、すでに行き交うプレイヤーたちでごった返していた。白銀の鎧に身を包んだ正統派の騎士、ゆったりとしたローブを纏ったエルフの魔術師、はたまたリョウタのような動物系のネタアバターまで、視界に入る何もかもが多種多様だった。立ち並ぶ建物はレンガ造りや木組みの温かみのある意匠で統一され、王道ハイファンタジーの美しい街並みがどこまでも続いていた。


 目的の酒場は、広場から少し入った路地裏にあった。古びたオーク材の看板には、『竜の寝床亭』と刻まれている。

 分厚い木製の扉を押し開けると、カランコロンとくすんだベルが鳴り、同時に圧倒的な熱気と喧騒が押し寄せてきた。

 ジュージューと豪快に肉が焼ける匂いと、鼻腔をくすぐるエールの麦の香り。店内には無数のランタンが暖色の光を落とし、円卓を囲む冒険者たちがジョッキを打ち鳴らしては、今日の戦果を大声で語り合っている。壁際には羊皮紙が乱雑に貼り付けられたクエストボードがあり、数人のプレイヤーが真剣な顔で依頼の品定めをしていた。


「いらっしゃいませ! 空いているお席へどうぞ!」


 カウンターの奥から、NPCの店員が元気よく声を張り上げた。だが、その瞳に感情の揺らぎはなく、一定のトーンで繰り返される歓迎の言葉は、いかにもAI規制下で作られた舞台装置といった風情だ。


(見事なまでのテンプレ対応だな。まあ、背景としては満点だけど)


 内心でそうツッコミを入れながら、リョウタはタヌポンの丸い頭を揺らして店内を見渡した。どこかに腰を落ち着けられる空席はないものか。

 薄暗い店内の奥へと視線を巡らせたとき——リョウタの目は、ある一角に吸い寄せられた。


***


 喧騒に包まれた酒場『竜の寝床亭』の隅、壁際の丸テーブル。そこに座っていたのは、周囲の熱気から切り離されたように静かな空気を纏う少女だった。

 薄紫色の長い髪を高い位置でポニーテールに結い上げ、ランタンの灯りに照らされた小麦色の肌が健康的な艶を放っている。しかし、その深紅の瞳に宿る光はどこか冷ややかだ。黒いローブに身を包んだ彼女——ルビスは、テーブルの上に広げた古ぼけた羊皮紙の地図を、羽ペンを回しながら険しい表情で睨みつけていた。


(ここから北の森を抜けて採集クエストをこなしつつレベル上げ……いや、非効率ね。東の街道で討伐を優先した方が、クエストの消化導線として綺麗だわ)


 参加からわずか数日。ルビスはすでに序盤の基本クエストの大半を、単独で消化していた。回復職(ヒーラー)である彼女はソロプレイに向かないとされているが、その論理的かつ緻密な立ち回りをもってすれば、NPCの傭兵を雇うまでもなく安全圏での攻略が可能だった。

 だが、効率を極めれば極めるほど、作業は単調なものになっていく。


「……ツマラナイ」


 ルビスは小さくため息をつき、羽ペンをコトリと置いた。

 計算通りの結果が出るのは心地よい。だが、誰かとその成果を分かち合うこともなく、ただ無言で数字を積み上げていくのは、乾いた砂を噛むような作業だった。


(一人でいる方が気楽。面倒な人間関係なんて、それこそ非効率の極みでしょ)


 そう自分に言い聞かせても、ふとした瞬間に胸の奥をよぎる隙間風のような寂しさは、どうしても拭い去れなかった。


 そこに、唐突な影が落ちた。


「ここ、空いてる?」


 図々しくも丸椅子のひとつを引き、ルビスの了承を待たずにドカッと腰を下ろした者がいた。

 ルビスが鬱陶(うっとう)しそうに眉をひそめて顔を上げると、そこには巨大なモフモフがいた。

 愛嬌のある丸い顔、ぽっこりと出たお腹、太くて短い手足。二足歩行の巨大なタヌ着ぐるみアバターが、なぜか得意げな顔で向かいの席に座っている。視界の半分近くが茶色い毛皮で埋め尽くされるという、あまりにも滑稽な光景に、ルビスは一瞬言葉を失った。


「君、ソロだよね? 奇遇だなあ、俺もそうなんだよね」


 タヌキ——タヌポンは、初対面とは思えないほどフランクな口調で笑いかけてきた。その無防備な態度に、ルビスは警戒心よりも呆れを先に覚える。


「……あなた、レベルいくつ?」


 警戒するまでもない、見た目どおりの初心者かを確認するための問い。だが、返ってきた答えはルビスの想定の斜め下をいっていた。


「えっ……1だけど?」

「は?」


 リリースから二週間程経っているというのに、レベル1。ルビスは思わず頭を抱えたくなった。


「あっそ。まあ、いいけど」


 冷たく突き放そうとした。このまま席を立ち、また一人の効率的な作業に戻ればいい。

 だが、ルビスの指先はなぜか、広げたままの地図をタヌポンの方へわずかに押しやっていた。


(……少しだけ、付き合ってあげるくらいなら、時間の無駄にはならないかな)


 言い訳じみた思いが頭をよぎる。タヌポンは目を丸くし、やがてぱぁっと顔を輝かせた。


「え、もしかして教えてくれんの!?」

「勘違いしないで。あんたの面倒を見てあげるわけじゃないわ。たまたま、次の目的地が低レベルでも行けるってだけ。……で、ついてくるの?」


 そっぽを向いたまま発せられた言葉は、彼女自身でさえ驚くほど不器用な誘いだった。タヌポンは着ぐるみの短い腕を大きく振り上げ、「もちろん!」と嬉しそうに頷いた。


 かくして、奇妙な二人組は竜の寝床亭を後にし、東の街道へと足を踏み入れた。

 なだらかな丘陵地帯に広がる草原。そよ風が背の高い草を揺らす中、前方の茂みから緑色の小鬼——ゴブリンが三体、錆びた鉈を振り回しながら飛び出してきた。


「うわっ、出た!」


 タヌポンが慌てて両手に初期装備の片手斧を構え、前面へと飛び出す。


「ちょっと、突っ込みすぎよ!」


 ルビスの制止も聞かず、タヌポンは真正面からゴブリンの集団に突撃した。案の定、横手から回り込んだ一体の鉈がタヌポンの丸い背中を掠め、彼は「痛っ! なんだよこれ!」と派手に地面を転がる。

 受け身も取れずに地面を転がるその姿は、見ているこちらが痛々しいほどだった。


「まったく、間抜けなんだから……『癒しの光(ヒール)』!」


 後方に陣取ったルビスが、冷静に杖を掲げる。淡い光の粒子がタヌポンの体を包み込み、削られた体力ゲージを一瞬で回復させた。


「おおっ、サンキュ! いける、いけるぞ!」


 体勢を立て直したタヌポンは、再びゴブリンへと立ち向かう。その太く短い手足から繰り出される攻撃は、洗練された技とは程遠い泥臭いものだった。だが、彼の動きには粘り強さがあった。敵の注意を一身に集め、どれだけ不格好でも絶対に倒れない。


(……動きは素人同然。でも、敵の注意を惹きつける立ち回りだけは、妙に堂に入ってるわね)


 ルビスは感心とも呆れともつかない思いを抱きながら、後方から的確に支援魔法を飛ばし続けた。彼女の冷静な状況把握と、タヌポンの身体を張った泥臭い立ち回り。水と油のように思えた二人の連携は、思いのほか見事に噛み合っていた。


「そっちに一体、流れるぞ!」

「見えてるわよ。『縛鎖の蔦(バインド・ヴァイン)』!」


 ルビスの足元から伸びた魔法の(つた)が、彼女へ向かおうとしたゴブリンの足を絡め取る。すかさずタヌポンが駆け寄り、渾身の力で両手の斧を振り下ろしてトドメを刺した。

 ポリゴンとなって砕け散るゴブリンを見下ろし、タヌポンは「ふうっ」と大きく息を吐いて地面にドカッと座り込んだ。


「いやー、助かった。君、すっげえ上手いじゃん!」


 泥だらけの着ぐるみ姿で屈託なく笑うタヌポン。その無邪気な称賛に、ルビスは少しだけ頬を熱くして、ふいとそっぽを向いた。


(……なんだか間抜けだけど、壁役としては悪くないかもね)


 たった一度の戦闘で、退屈だった作業に微かな熱が宿り始めていた。そのことに気づきながらも、ルビスはローブの裾を払い、努めて素っ気ない態度を取り繕うのだった。


***


 討伐クエストを無事に終え、帰路についた二人の頭上には、燃え立つようなオレンジ色の空が広がっていた。西日が照らす街道の土埃は細かな黄金色の粒となって宙を舞い、道端の草花を揺らす風が、戦闘の余熱をゆっくりと冷ましていく。地平線の向こうから徐々に溶け出してくる深い紫苑(しおん)色とのグラデーションは、息を呑むほど美しかった。『NewEarth』の環境シミュレーションがいかに高度であるかを雄弁に物語る、穏やかな夕暮れの情景だ。

 そんな感傷を誘う空気の中、隣を歩く丸っこい毛玉が、不意に口を開いた。


「そういえば、お互い自己紹介まだだったよな。俺、タヌポン。よろしく」


 ふかふかの手を差し出してくる着ぐるみに対し、ルビスは冷ややかな視線を向けた。


「……知ってる。頭上に表示されてるし」

「いや、そこは改めて名乗り合うのが冒険者っぽいだろ?」


 屈託のない声に、ルビスは小さくため息をついた。律儀にロールプレイに付き合う柄ではない。それでも、無視して歩き去るには、いつの間にか妙な連帯感が芽生えてしまっていた。


「……ルビス」


 仕方なく、短く名乗る。とたんに、タヌキの丸顔がぱぁっとほころんだ。


「ルビちゃん!」

「は?」


 予期せぬアレンジに、ルビスの足がぴたりと止まった。


「ルビちゃん、よろしく!」

「待って。あたし、ルビスだから。それに『ちゃん』ってなんなのよ」

「ルビスって硬いじゃん。ルビちゃんの方が呼びやすい」

「『ちゃん』って、まだ初対面みたいなものだし……ていうか、馴れ馴れしいし」

「初対面じゃないぜ。さっき一緒にゴブリンを倒した仲じゃん」


 悪びれもせず言い放つタヌポンに、ルビスは頭痛を覚えたようにこめかみを押さえた。


「……あなた、人との距離感おかしいわよ」

「よく言われる」


(なんでそこでちょっと誇らしげなのよ)


 まともに取り合うだけ無駄だと悟り、ルビスは完全に抗議する気力を失った。


「もう、好きに呼んで……」

「了解、ルビちゃん」


 満足げに頷く着ぐるみのタヌキを見つめ返し、ルビスは少しだけ意地悪く口元をほころばせた。


「じゃあ、あたしも。タヌポンって、なんだか『気』の抜けたタヌキみたいだから……タヌさんでいい?」

「ぎゃはは、確かに『キ』は抜けてるね!……って、俺、そんなに締まりないか?」

「ええ、とっても」


 呆れ混じりに溜め息をつくと、ルビスは少し前を行くタヌポンの後ろ姿をジト目で見やった。


「……ファスナー、思いっきり開いてるし」

「うおっ!? まじで!?」


 タヌポンはギョッとしたように丸い目を剥くと、慌てた様子でぽっこり出たお腹の下あたりをゴソゴソと探り始めた。ずんぐりとした着ぐるみの短い腕で、必死に見当違いの場所を確認しようとする姿は、控えめに言っても滑稽だった。


「そっちじゃないわよ! 背中よ、せ・な・か!」


 ルビスがぴしゃりと言い返すと、タヌポンはぴたりと動きを止め、バツが悪そうにポリポリとタヌキの頬を掻いた。


「あー、背中か。やっぱり目立つ? これ、自分じゃ手が届かなくて閉められないんだよなあ」


 どうやら、最初から自覚はあったらしい。観念したように息を吐き、悪びれるでもなくへらへらと笑うその姿に、ルビスは深いため息をこぼした。


「……閉めてあげるから、ちょっとじっとしてて」


 仕方なく後ろに回ったルビスは、ぱっくりと半開きになっていたファスナーの金具をつまむと、一気に首元まで引き上げた。ジジッ、という小気味よい音が鳴る。


「あぁーーんっ……」


 不意にタヌポンが、妙に艶めかしく、やけに生々しい奇声を漏らした。

 夕暮れの街道に響いた、可愛らしいアバターにはおよそ似つかわしくない、ねっとりとした声。振り返った着ぐるみが、だらしなくとろけたような表情を浮かべているのを見て、ルビスの顔にカッと朱が差した。


「なっ……変な声、出してんじゃないわよ! ヘンタイタヌキっ!」


 潔癖な少女の羞恥心を逆撫でされ、真っ赤になったルビスは、思わず着ぐるみの大きな後頭部を手のひらで叩いた。

 ポコォッ、という、なんとも間抜けで平和な音が、夕暮れの空気に吸い込まれていく。

 この瞬間、互いを「ルビちゃん」「タヌさん」と呼ぶちぐはぐな距離感のコンビが、はっきりと定着したのだった。


 気を取り直して街道を進み、街の入り口をくぐった。石畳の道沿いに等間隔で並ぶ街灯に、ひとつ、またひとつと明かりが灯り始めていた。歩を進めながら、タヌポンがふと、ある街灯の足元に目を留めた。


「……この街灯、影の落ち方がちょっとおかしいな。光源が反映されてない。オブジェクトの設定ミスかな」


 何気ない呟きだったが、その的確な指摘に、ルビスは思わず目を瞬かせた。


「え、タヌさんそんなの分かるの?」

「あー、仕事柄ちょっとね。気にしないで」


 タヌポンはすぐにいつもの軽い口調に戻り、何事もなかったかのように歩き出す。ルビスは「ただのバグでしょ」と冷たく流しつつも、内心ではわずかに彼への見方を変えていた。


(……この人、ただのふざけた着ぐるみかと思ったけど、見た目より仕事できるタイプ?)


 口には出さないが、その思いがけない洞察力に対する評価は、静かに一段上がっていた。


 賑わい始めた商店通りに差し掛かると、一軒の薬屋の前に立てられた木製の看板が、ルビスの目に留まった。そこには、乱雑な文字でこう書かれている。


『全品20%引き、ただし呪われたアイテムは除外』


 それを見たルビスは、眉間にしわを寄せて真顔で言った。


「呪われたアイテムって、そもそもセール対象にする想定があるのが怖い」

「ルビちゃん、最初に突っ込むとこそこ? 品揃えじゃなくて店主の倫理観なんだ……」


 呆れたように肩をすくめるタヌポンに、ルビスはムキになって言い返した。


「べ、別にいいでしょ気になるんだから!」

「ははは。『うるさいわね』じゃないんだ」

「うるさいわね!」

「あ、出た」


 見事に釣られたルビスの反応に、タヌポンはたまらず噴き出した。からかわれたと気づいたルビスは、耳の先まで赤くして早足で先へ行ってしまう。


「あ、待ってってば!」


 小走りでその後を追いかけながら、タヌポンは着ぐるみの中で密かに笑みを浮かべていた。論理的でツンケンしているくせに、どこか抜けていて、からかいがいがある。


(この子、面白いな)


 すっかり日が落ちた街角に、二人の賑やかな声が響いていた。


***


 あの日から、数日が過ぎた。

 夕刻の『竜の寝床亭』。(ほこり)っぽい空気とエールの匂いが入り混じる薄暗い店内で、ルビスは定位置となっていた隅のテーブルにつき、木の実のジュースをストローで弄んでいた。

 氷が、カランと音を立てる。


(……遅い)


 心の中で毒づきながら、視線はどうしても入り口の重厚な木扉へと向かってしまう。

 明示的なパーティ結成の約束など、交わしていない。フレンド登録の改まったやりとりすら、どちらからも持ち出していなかった。それなのに、タヌポンが現実の仕事の合間を縫ってログインすると、必ずここでルビスが待っていて、そのまま連れ立って街を出る。いつの間にか、それが当たり前の日常として根を下ろしつつあった。

 人間関係は非効率の極み。無駄な感情やしがらみは、最適解への計算を狂わせる。そう切り捨てていたはずなのに。


(あたしらしくない。バカみたい)


 自嘲気味に息を吐いたとき、ギィッと音を立てて扉が開いた。

 逆光の中に、丸みを帯びた大きなシルエットがのそりと現れる。ぽっこりと突き出たお腹を揺らし、床板をきしませて、迷いなくこちらへ向かってくる。


「また来たの」


 頬杖をついたまま、ルビスは極力平坦な声で言った。


「また来たよ。今日も一日、向こうでしぼられてきた」


 どっこいしょ、と情けない声を出して向かいの椅子に腰を下ろすタヌポン。モフモフした着ぐるみの顔には、隠しきれない疲労と、ようやく息をつくような安堵が入り混じっている。


「……べつに、いいけど」


 そっぽを向きながら、ルビスは手際よく立ち上がった。


「今日はドロップアイテムの相場が荒れてるわ。西の森のゴブリン狩りなら、タヌさんの小遣い稼ぎにはなるはずよ」

「助かる。じゃあ、俺が前衛でヘイトを集めるから、ルビちゃんは後ろからよろしく頼む」

「言われなくても。タヌさんは無駄な動きが多いんだから、少しは学習してよね」


 文句を言いながらも、ルビスの足取りはどこか軽い。

 現実の肩書きを脱ぎ捨てて、ただの鈍くさい着ぐるみとして怒られ、頼られる。その気取らない時間が、タヌポンにとってどれほどささやかな救いになっているのか——それを、ルビスは知らない。

 けれど、呆れたようにため息をつくルビスの口角が、ほんの少しだけ上がっていることには、きっとタヌポンも気づいていないだろう。

 退屈で、ツマラナイと切り捨てていた世界。効率ばかりを追い求め、ただ単調に流れていくはずだったルビスの視界は、気づけばあのモフモフの茶色を中心に、不規則で、温かな色を帯び始めていた。


 ぽっこりお腹のタヌキと、皮肉屋のヒーラー。

 不格好で奇妙なバディの物語は、まだ始まったばかりだった。


ついに、ルビスとタヌポンが出会いました。命知らずで先陣を切るルビスと、不格好でも前衛を張るタヌポン。水と油に見えた二人の連携が、思いのほか噛み合っていく——その化学反応を書くのが、とにかく楽しい回でした。「ルビちゃん」「タヌさん」。この呼び方が、二人の距離をそっと縮めていきます。


ここまでが初日の公開分です。この続き(第四幕〜最幕)は、毎日22:10に一話ずつ更新していきます。二人の物語を最後まで見届けていただけたら——そして、もし気に入っていただけたら、ブックマークで追いかけてもらえると、とても励みになります。


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