第四幕 フレンド
採取、護衛、洞窟探索——クエストを重ねるごとに、息の合っていく二人。
そして、ずっと空っぽだったあの欄に、ひとつの名前が並ぶとき。
『NewEarth』で、二人が行動を共にするようになって、数週間が過ぎていた。
現実の暦は十月の中旬から十一月へと移ろいつつあったが、ここハイファンタジーの王道エリアは、常春のような陽気に包まれている。澄み渡る青空に綿菓子のような雲がぽっかりと浮かび、どこまでも続く草原が風に揺れて波打っていた。
ルビスとタヌポンは、今やすっかり息の合った手堅いバディとなり、ギルドで受注したクエストをこなす日々を送っている。剣と魔法、広大な自然。仮想の世界とはいえ、五感で味わうそこには、確かに冒険のロマンが息づいていた。
今回の依頼は、特定の薬草『月光草』の採取だった。
二人が足を運んだのは、鬱蒼と茂る森の外れ、苔むした岩場と湿地が入り混じる、起伏の激しいフィールドだ。湿った土の匂いと、微かに漂う甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。
広大なマップを当てもなく歩き回るのは、非効率の極み。だが、ルビスの深紅の瞳は、周囲の植生と地形の分布パターンを、瞬時に、そして冷徹に分析していた。
「こっちよ、タヌさん。あの大きな奇岩の陰、湿気を帯びたシダ植物が生えている裏側に回ってみて」
タヌポンがモフモフの身体を揺らして岩の裏を覗き込むと、そこには淡く青光りする葉を広げた月光草が群生していた。
「うおっ、マジであった! え、なんでそこにあるって分かったの?」
「論理的に考えれば分かる話じゃない」
ルビスは薄紫のポニーテールを揺らし、少しだけ得意げに胸を張った。
「月光草は直射日光を嫌って、適度な湿気とアルカリ性の土壌を好む。この周辺の地形を見たでしょ? 西側に背の高い針葉樹の群生があって、午後の日差しが遮られる。おまけに足元の土は水はけが悪くて、石灰岩が露出している。なら、条件が揃うポイントは自然と絞り込めるわ」
(ふふん。この程度のパターン認識とルート計算、息をするより簡単なんだから)
ルビスは胸の内で、小さくガッツポーズをとった。
「すげー……ルビちゃん、システム屋の俺よりアルゴリズム解析みたいなことやってるじゃん。ホント頭いいなあ」
タヌポンが無邪気に褒め称えると、ルビスは少し照れくさそうに顔を背けた。
「ツマラナイこと言わないで。さっさと採るわよ。次の群生地への最適ルートも、もう計算済みなんだから」
森を抜ける涼やかな風が、ルビスの黒いローブの裾をふわりと揺らす。彼女の論理的な分析力と効率を重んじる立ち回りは、この広大なファンタジー世界の探索においても、いかんなく発揮されていた。
***
「で、次のクエストは護衛任務か。ルビちゃん、俺たちもいよいよ本格的な傭兵っぽくなってきたな!」
「浮かれるのは早いけどね。対象の安全を確保しつつ目的地まで送り届けるなんて、面倒な変数が多すぎるわ」
二人が請け負ったのは、隣町まで向かう女商人の護衛だった。
この女商人は、決められたルートを歩いて定型文しか喋らない、知能の低いNPCではない。運営に雇われた現実の人間が操作する『RPC』である。異国風の艶やかな衣装に身を包んだ彼女は、いくつもの木箱を積んだ荷車を牽きながら、アドリブを交えた小気味よい口ぶりで街道を歩いていた。
「いやー、それにしても、いい天気だねぇ」
タヌポンが両手に提げた片手斧を腰のホルダーに収めると、護衛対象であるはずの女商人の横に、ぴったりと並んだ。まんまるのタヌキ顔が、どこかデレデレとした表情に緩んでいる。
「ねぇ、おねーさん。この任務が無事に終わったらさ、お茶しない? ……3人で」
「いや、三人かよ!」
女商人がノータイムで鋭いツッコミを入れた。RPCならではの、アドリブの効いた自然な反応だ。
「いや、あんたも期待すんなよ!」
すかさず、背後を歩いていたルビスもツッコミを入れる。タヌポンの軽薄な誘いに、一瞬とはいえ調子を合わせた商人の反応が、なぜだか妙に腹立たしかった。
「えー、だってルビちゃんも、一緒に甘いもの食べたいだろ? おねーさんのおごりでさ」
「護衛が護衛対象にたかろうとしないの。ていうか、いい加減にしなさいよタヌさ——」
ルビスが呆れ果ててため息をついた、まさにその瞬間だった。
ガサガサッ、と街道脇の茂みが、けたたましく揺れた。土煙とともに、緑色の醜悪な肌を持つ小鬼——ゴブリンの群れが飛び出してくる。その数は、ざっと十体。
「うおっ!? 待ち伏せかよ!」
「タヌさん、前衛! 対象から離れないで!」
ルビスは瞬時に黒いローブを翻し、後方へと跳んで距離を取った。
「『加速』、『防壁』!」
短い詠唱とともに杖を掲げると、淡い光の粒が空中に舞い、タヌポンのモフモフの身体と女商人を包み込んだ。素早さと防御を底上げする、開戦と同時の支援魔法だ。
「おっしゃ、任せとけ!」
タヌポンが二梃の片手斧を抜き放ち、ゴブリンの群れへと突っ込む。短い手足から繰り出される連撃は見た目に反して重く鋭く、二体のゴブリンが瞬く間に光の粒子となって四散した。
だが、いかんせん数が多すぎた。
「キシャアアアッ!」
タヌポンの死角を抜け、三体のゴブリンが荷車と女商人めがけて跳躍する。
「きゃあっ!」
「まずいっ……!」
ルビスは舌打ちし、商人と、それに迫る三体との距離を視界の端で素早く測りながら、声を張った。
「タヌさん、積荷は捨てて! 商人を守って、突破口を開くわよ!」
「くそっ、わかった!」
タヌポンが二梃の斧を風車のように振り回してゴブリンの足を止め、ルビスがその隙に手薄な方向へと光の魔法を放って目くらましにするが、次々と振るわれる刃の重さと、迫りくる数の圧は、息が詰まるほどリアルだった。
「こっちよ、走って!」
命からがら、二人は女商人を庇うようにして、ゴブリンの包囲網をこじ開けた。
どうにか安全圏である隣町のゲート付近まで逃げ延びたものの、女商人の表情は晴れなかった。
「あーあ……命があっただけマシだけどさ、積荷は全部パーだよ。これじゃ報酬は出せないねえ」
無慈悲にも、視界の中央に『クエスト失敗』の赤いウィンドウが浮かび上がる。
「…………」
ルビスはジト目で、隣に立つタヌキをじろりと睨みつけた。深紅の瞳が、冷たく光っている。
「ご、ごめんって、ルビちゃん……。俺が油断して口説いてたのが、悪かったよ……」
タヌポンはまんまるの顔を伏せ、短い両手で頭を抱えてしょんぼりと肩を落とした。
(まったく、このエロタヌキは……。でも、まあ)
「……別に、タヌさん一人の責任じゃないわ。あたしも、周囲の警戒を怠っていたもの」
ルビスは腕を組み、小さくため息をついた。
「次は気を引き締めましょ。今度また同じヘマをしたら、その毛皮、ひん剥いて絨毯にするから」
「ひえっ……! 肝に銘じます……!」
大げさに縮み上がるタヌポンを見て、ルビスの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
失敗すらも分かち合い、次へ活かそうと思える。この気の置けない距離感が、なんだかとても心地よかった。
***
気を取り直して二人が挑んだ本日の第三クエストは、とある洞窟の最奥に安置された「古代の碑文」を回収してくるという調査任務だった。
洞窟の中は、重くじめじめとした空気が澱んでいる。タヌポンが掲げるランタンの心許ない灯りが、濡れた岩肌にこびりつく苔を不気味に照らし出していた。ルビスのブーツが水溜まりを踏むたび、ちゃぷん、という湿った足音が反響し、暗闇の奥へと消えていく。
「それにしてもさ」
タヌポンが片手斧を腰に提げたまま、ふと立ち止まって壁の古い石細工をまじまじと見つめた。
「この壁のテクスチャ、近づくと急に解像度が上がるな。LODの切り替え境界が雑だわ。遠景用のモデルから近景用への移行で、もうちょっとスムーズなブレンド処理を入れたらいいのに」
「……あんた、そんなところばっかり見てるわね。システム屋さん特有の職業病?」
「気になっちゃうんだよ。ほら、この古代文字っぽいのだって、よく見たらただのテクスチャの直貼りで……」
「はいはい。テクスチャの解像度より、あたしたちの視界の解像度を上げてちょうだい。罠を踏んだらシャレにならないでしょ」
ルビスは呆れ気味にタヌキの背中を押し、先を急がせた。
やがて、細い通路を抜けた先で視界が開けた。
ぽっかりと広がった、最奥の石室。その中央、かすかに光を放つ台座の上に、目的の碑文が置かれている。
だが、問題はその手前だった。
天井に届きそうなほど巨大なオーガが、筋骨隆々たる巨躯を丸めて鎮座していた。鈍く光る棍棒を傍らに置き、荒い鼻息とともに周囲を睥睨している。あれを正面から突破するのは、どう考えても無謀だった。
岩陰に身を隠しながら、タヌポンがアイテムバッグに手を入れた。
「ルビちゃん、ここの番人はちょっと特殊でさ。今、オカリナを……」
しかし、ルビスの耳には、その言葉の前半しか入っていなかった。
(碑文、あれね。さくっと回収して終わらせる)
タヌポンが何かを取り出そうとするのを待たず、ルビスは岩陰からひょいと飛び出してしまった。オーガの巨体の脇には、台座へと続くわずかな隙間がある。そこを素早くすり抜ければ、戦闘を回避して碑文を奪取できると踏んだのだ。論理的かつ効率的な判断——のつもりだった。
「あっ、ちょっと、待っ……!」
タヌポンの、毛皮に包まれた手が、無情にも宙を掻く。
「はぁ……おっちょこちょいだな、ルビちゃん」
石室へ躍り出たルビスの足音に、当然のように、オーガが反応した。
「グガァァッ!」
鼓膜を震わせる雄叫びとともに、巨漢が弾かれたように立ち上がる。丸太のような腕が振り上げられ、強烈な風圧を伴って棍棒が振り下ろされた。
「きゃっ!?」
ルビスは咄嗟に横へ跳んで直撃を避ける。激突した石床が砕け散り、破片が頬を掠めた。衝撃の余波と擦り傷の判定で、視界の端の体力ゲージがじわじわと削り取られていく。
(見積もりが甘かった……オーガの横をさっさと抜けられると思ったのに、あたしとしたことが、しくじった……!)
今さらながら、己の迂闊さに青ざめる。回復職がヘイトを買ってどうするのか。完全にセオリー無視の大失態だ。
オーガが赤黒い瞳をぎらつかせ、再び棍棒を構えて距離を詰めてくる。じり貧だった。
「ちょっとタヌさん、なんとかしてよ……!」
息を切らし、無様に逃げ回りながら、ルビスは叫んだ。
岩陰に残っていたタヌポンは、慌てる素振りも見せず、最初の予定どおり、アイテムバッグから木彫りの小さな楽器をすっと取り出した。
そして、タヌキの口元にそれを当て、息を吹き込む。
ピロロロ〜、と。
緊迫した空気を一気に緩ませる、どこか間の抜けた音色が、石室に響き渡った。
「グガ……? グルォ……」
振り上げられていたオーガの腕が、ぴたりと止まる。赤黒い瞳がとろんと濁り、巨体がぐらりと揺れたかと思うと、そのままドスーン、と床に倒れ込んだ。
そして、地響きのような大いびきをかき始めたではないか。完全な、睡眠状態だ。
壁際に追い詰められていたルビスは、へたり込みそうになるのを堪え、ぽかんと口を開けた。
「えっ……今の、何……?」
「だから、言おうとしたんだって。ここの番人は、この『レテのオカリナ』で眠らせるのが正規ルートなの」
タヌポンはぽてぽてと歩み寄り、手の中のオカリナを自慢げに揺らした。
「道中の村で情報を集めてたら、爺さんのNPCが教えてくれてさ。ついでにお使いクエストもこなして、わざわざ取ってきたんだぜ」
着ぐるみの胸を張り、ドヤ顔を決めるタヌポン。その隠れた有能さと、事前の準備の周到さが、ここぞとばかりに発揮されていた。
「……先に言ってよ、それ」
ルビスは恨めしげにタヌキを睨みつけた。あのままオーガのサンドバッグにされていたら、と思うと、胸がまだ早鐘のように打っている。
とはいえ、タヌポンが的確に立ち回ってくれたおかげで切り抜けられたのも、また事実だった。いつもはフランクでお気楽に見えるくせに、システムの仕様も、クエスト攻略の段取りも、実のところかなりしっかり押さえている。
(でも、ま……やるじゃない)
バツが悪そうにそっぽを向きながら、ルビスはそそくさと奥の台座へ向かった。無防備に眠りこける巨体の横をすり抜け、「古代の碑文」をインベントリに収める。
「はいはい、ありがと。助かったわよ。……ほんの少しだけね」
背中越しに投げかけられた言葉に、タヌポンは「素直じゃないねえ」と笑いながら、ランタンの灯りを掲げ直した。
***
ともに幾多のクエストをこなし、数週間の冒険を経た二人は、互いのスキルや立ち回りもすっかり板につき、その連携は目を見張るほどに洗練されてきていた。
鬱蒼と生い茂る広大な森を抜け、蔦に覆われた名もなき遺跡を越え、ついには今まで見たこともない異国風の街並みが広がるエリアへと足を踏み入れた。赤茶色のレンガ造りの建物が規則正しく並び、なだらかな起伏を持つ石畳の道がどこまでも続いている。澄み切った青空の下、市場の喧騒が響き、行き交う人々の活気に満ちていて、『NewEarth』という世界の奥深さに、タヌポンは思わず感嘆の息を漏らした。
「すごいよなぁ。これ、本当に地球規模の広さがあるんだってな。一生かけても回り切れないわ」
ぽつりとこぼしたタヌポンの言葉に、隣を歩いていたルビスがすかさず口を開く。
「タヌさん、それ計算が雑。地球の表面積は約五億平方キロ。視界幅を百メートルとして一日百キロ歩いたとしても、一日に見て回れるのはたった十平方キロ。全部踏破するのに、約十三万七千年はかかるよ。一生どころか、文明何個分よ」
「……ルビちゃん、なんで暗算でそれが出るの?」
足を止めて目を丸くしたタヌポンに、ルビスは杖を軽く持ち直して、微かに胸を張った。
「常識でしょ」
「いや、常識じゃないよ……」
ルビスは少し得意げに、すたすたと先を歩いていく。そんな彼女の小さな背中を見つめながら、タヌポンは(やっぱりこの子、なんかおかしい)と苦笑しつつ追いかけた。もちろん、彼にとってそれは、最大級の褒め言葉である。
街の中心部にある酒場兼宿屋へ立ち寄った際、ルビスがふと、カウンターの奥でグラスを拭いている主人を見つめて呟いた。
「ねぇ、タヌさん。あの宿屋の主人、いつも同じセリフ言ってるけど……あの人、自分が同じ会話してるって自覚あるのかな」
「ない。あの人NPCだから」
「でも、もしかしたら自覚はあって、飽きてるかも。深夜にこっそり泣いてたりして。毎日毎日『よく来たな、休んでいくかい?』しか言えないなんて、いくらなんでもツマラナイじゃない」
「ルビちゃん、急にNPC人権派になるのやめて」
「だって……」
「ルビちゃん、さっき同じNPCに三回同じ質問してたよね」
「う、うるさいわね!」
顔を赤くしてプイッとそっぽを向くルビス。お決まりになりつつあるこのやり取りが、今では不思議と心地いい。
宿を出て新たな街道を歩き始めると、風景は石畳から土の道へと変わり、遠くには雪を頂く連峰が見えてきた。タヌポンはふと立ち止まり、道沿いに広がる草むらをじっと見つめた。
「……あの草むら、風で揺れるタイミングが全部きっちり同期してるな。一本一本ちゃんと演算してるんじゃなくて、まとめて同じ波の数値を流し込んで揺らしてるだけか」
「え、何の話?」
ルビスが首を傾げると、タヌポンは慌てて着ぐるみの手をパタパタと振った。描画処理の最適化という、システム屋としての視点が、ふいに口を突いて出てしまったのだ。
「あ、いや。気にしないで。景色が綺麗だなーって」
すぐにいつもの軽い口調に戻ったタヌポンを、ルビスはじっと胡散臭そうに見つめたが、それ以上は追及しなかった。(相変わらず、たまによく分からないことを言うタヌキね)と思いながらも、黙って歩調を合わせる。
やがて日が暮れ、夜空には息を呑むほど美しい月が浮かび上がった。無数の星々が瞬く中、銀色に輝く巨大な月を見上げて、ルビスが不思議そうに言った。
「ねぇ、タヌさん。この世界の月、ずっと同じ面しか見えてなくない? いくら仮想の空でも、ちょっと手抜きすぎじゃないかしら」
「……いや、それ現実の月も同じだから」
「えっ」
「潮汐ロックって、知らない?」
「…………」
先ほどの暗算で見せた得意げな表情はどこへやら、ルビスは珍しく言葉に詰まって、完全にフリーズした。
「ルビちゃん、たまにそういうとこあるよね」
「う、うるさいわね!」
怒ったように早足で歩き出すルビスを、タヌポンは笑いを噛み殺しながら追いかける。十三万七千年という途方もない数字を瞬時に弾き出す理系頭を持ちながら、時折、驚くほど抜けたことを言う。その落差が、タヌポンにはなんとも可愛らしく、微笑ましかった。もちろん、口には出さないが。
翌朝。朝靄が晴れゆく街の広場で、噴水のそばに立つNPCの住人に情報収集を試みている最中、タヌポンは内心で小さく頷いていた。
(あ、この会話分岐、三階層目で打ち切られてるな。よくある設計だ)
表面的には愛想よく相槌を打ちながらも、裏側のシステムロジックを推測してしまうのは、もはや彼の性だった。そんなタヌポンの横顔を見て、ルビスが怪訝そうな顔をする。
「タヌさん、なんで含み笑いしてるの」
「いや、別に。可愛い街だなって」
「ふぅん」
ルビスは軽く流し、再びマップを開いて、次の目的地への効率的なルートを考え始めた。(本当にこのタヌキ、たまに変なところでニヤニヤするわよね。まぁ、害はないからいいけど)と呆れつつも、その足取りは、出会った頃よりもずっと軽い。
その日の夕暮れ、噴水の縁に腰かけてメニューウィンドウでアイテムを整理していたタヌポンが、ふと、ぽんと手を打った。
「そういや俺たち、まだフレンド登録すらしてなかったよな」
ルビスは杖の手入れをする手を止め、呆れたようにタヌポンを見る。
「いまさら? 毎日こうして一緒に狩りしてるんだから、わざわざシステムで繋がる必要なんてある? ツマラナイことにこだわるのね」
「いやいや、これだけ一緒にいるのにフレンドじゃないって、逆に変だろ。ほら、申請送ったから承認してくれよ」
タヌポンが笑いながら短い指先を動かすと、ルビスの視界の端に、小さな通知アイコンがぽんと点滅した。
『タヌポンからフレンド申請が届いています』
(別に、フレンド登録なんてしなくたって、何も変わらないでしょうに……)
胸の内でそう独りごちながらも、ルビスは視線操作で申請ウィンドウを開いていた。
「……しょうがないわね」
渋々といった風を装って【承認】のパネルに触れる。ピロリ、と軽快なシステム音が鳴り、ルビスのフレンドリストに『タヌポン』という名前が追加された。オンラインを示す緑色のランプが、その横でちかちかと点っている。
ずっと、空っぽだったリスト。この『NewEarth』で過ごす時間に、誰かの名前が並ぶことなんてないと思っていた。そこにたった一つだけ刻まれた文字列を見た瞬間、ルビスの胸の奥が、きゅっとくすぐったいような温かさに包まれた。
(フレンド登録、一人……。ま、悪くないかもね)
「これで満足? ほんと、タヌさんは非効率なことにこだわるんだから」
照れ隠しにツンとそっぽを向くルビスに、タヌポンは嬉しそうに、ふさふさの尻尾を揺らした。
「いいじゃんか。これでルビちゃんがログインしたら、すぐに分かるしな」
「……ふん。せいぜい、あたしを待たせないことね」
二人の連携は、もう単なるパーティメンバーとしての「楽しさ」だけではなく、確かな「信頼」のフェーズへと入りつつあった。背中を預け合い、軽口を叩き合い、互いのちょっとしたズレさえも、心地よいスパイスに変わっていく。
広大な『NewEarth』の空の下、賢いのにどこか抜けている小さなヒーラーと、フランクで妙に察しのいいタヌキの冒険は、まだまだ続いていく。
バディだった二人が、少しずつ「フレンド」になっていく回です。賢いのにどこか抜けているルビスと、フランクで意外と察しのいいタヌポン。軽口の応酬の楽しさと、誰かと一緒にいることのくすぐったさを描きました。作中に出てくる「十三万七千年」の暗算は……よろしければ、電卓を片手に確かめてみてください(笑)。




