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悲劇のゾールシカ ※ただし王子さまは常に隣に  作者: 角 秋也


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7/23

7

 荷物をバスに詰め込み部員が乗り込んでバスは出発した。席はほぼ公認のカップルである私と勇人を隣にする配置にしてもらっていた。

「ごめん杏南、狭いだろ」

「ううん大丈夫! いっぱいくっつけて幸せだよ!」

 私は勇人へ身を寄せた。

「ヒュー、おアツいですねえセンパイ方。冷房効いてるはずなのに汗かきそうです」

 後ろの席の由美ちゃんが冷やかした。それに便乗して周りの部員たちも冷やかしの声を上げた。由美ちゃんはあれ以来勇人への猛アタックは控えるようになり、しっかり業務を行う優秀なマネージャーになっていた。時折こうして冷やかされるのは困りものだけれど。

 野太い冷やかしの声にも私は動じない。告白するという決意が私を支えていた。

 バスはサービスエリアに着き、トイレ休憩となった。私もトイレへ向かったが長い行列を見て辟易した。

 これを待っていると集合時間に遅れてしまう。そう判断した私は辺りを見て回った。汚いが空いている簡易トイレを見つけた。

 背に腹は代えられない。我慢してそこで用を足した。

 トイレから出てバスへと戻る途中、

「おっ、帝東のジャージ。なんだ、帝東はマネージャーもレベル高いの?」

「すっげー、これ地毛? マジモンの金髪とか初めて見た!」

「肌も真っ白だし、外人?」

 どこの学校かは分からないが馴れ馴れしい様子で他校の選手が三人声をかけてきた。

「あの、私バスに戻らなきゃなんで……」

 若干の恐怖を感じながら後ずさる。しかしすぐに背中は壁にぶつかり、追い詰められてしまった。

「いいじゃん。ウチ男子校でマネージャーいなくてさ、女日照りなんだわ。お近づきになりたいだけ。いいでしょ? LINEの交換くらい」

 恐怖に固まる私の腕を男は掴んだ。男の掌の熱さと、少し汗ばんだ感触。瞬間、封印されていた記憶が蘇った。あの日、私の太ももを這った叔父の手の感触と重なる。

「ひっ……!」

 視界が暗転し、過呼吸で崩れ落ちそうになった、その時だった。

「俺の杏南に触るなあああ!」

 耳をつんざく怒声と共に、黒い突風が吹き込んだ。

 ドゴォという鈍く重い音が響き、私の腕を掴んでいた男が壁へと吹き飛んだ。

「え……ぅあ……」

 勇人は拘束が解けて呆然とする私の前で、間髪入れずに男の胸倉を掴み上げた。

「俺の杏南に何するつもりだったんだ! このっ! 見ろ! こんなに怖がらせて!」

 勇人は抵抗できない相手に馬乗りになり、拳を振り下ろし続けた。一発、二発、三発。殴るたびに、硬い骨が軋む音、肉が潰れる嫌な音が響く。

 その横顔にいつもの優しい面影は一切なくて。血走った目で瞬きもせずただひたすら男の顔を殴り続けていた。

 この光景を見た残りの選手は悲鳴を上げて逃げ出した。

 私は我に返り、泣きながら勇人の背中にしがみついた。このままでは、勇人は人殺しになりかねない。しがみついた背中は怒りで硬い岩のようになっており、蒸気が出ているのではないかと錯覚するほど熱く蒸していて。いつもの太陽のような香りは血の匂いにかき消されていた。

「ただナンパされて触られただけだから! 私、平気だから! お願い止まって!」

 私の声が届いたのか、ようやく勇人の動きが止まった。

 肩で息をする勇人は、ゆっくりと自分の手を見つめた。その拳は、相手の鼻血で赤黒く染まっていて。サービスエリアの端っこに、重苦しい静寂だけが残された。

「おい! 今の悲鳴はなんだ!」

 コーチと部員たちが駆けつけてきた。

「なっ……」

 状況を見て、コーチたちは絶句した。

「山田、何をした?」

 コーチの震える声が、絶望の宣告のように響いた。

 遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてくる気がした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 それからの展開は目まぐるしかった。殴られていた生徒は救急車で運ばれ、監督が勇人をどこかへ連れて行った。

 私も私で男性恐怖症が再発したのか男性が怖くなり、それを見かねた由美ちゃんがそっと抱きしめてくれた。

 合宿は中止となり、サービスエリアからUターンして帝東高校へと向かった。

 由美ちゃんは終始私の具合を心配してくれて、戻ってきた勇人は前方の席で一人静かにうなだれていた。

 私たちの夏は、始まる前に終わってしまった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 合宿緊急終了から一週間が経った。私は引きこもりに戻ってしまって部活にも出ずに一人暗い部屋で膝を抱えていた。

 そんな折、携帯電話が震えた。着信は勇人からだった。一瞬躊躇ってから電話を手に取ると、

「部活……辞めることになった」

 と、一言勇人は告げた。その言葉は酷く落胆した様子で、ラグビーにかけていた気持ちが伝わって来た。

「……えっ?」

 私は絶句した。勇人程の選手が、あれほど頑張っていた勇人がその未来を奪われるなんて。

 私のせいだ。私がもっとしっかりしてれば……!

「ご、ごめん……ね。私のせいだよね」

「杏南は悪くない。悪いのはアイツと自分を律せなかった俺だよ」

「そんな! 悪いのは──」

 私だ、と言おうとすると

「いいんだ。杏南を守ると決めたから。やりすぎたかもしれないけど、あの拳が間違っていたとは俺は思わない」

 勇人はキッパリと言った。

「……そっか。じゃあ、ごめんじゃなくてありがとう、だね」

 まだ心の内では私が悪いと思っているけど、ここでそう言い張っても押し問答になるだけだ。私は一歩引いてこう言った。

「うん。あと、学校は無期限の謹慎だって。まあ、問題を起こさなければ二ヶ月半くらいで戻れるらしいけど」

「そっか。電話、ありがと。なんていうか、救われた気がする」

 真っ暗な暗闇に光が差した、みたいな。勇人の存在は私にとって物理的にも精神的にも力強く支えてくれる柱だ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 夏休みが終わっても男性が怖くて外に出られない日々が続いた。私は勇人を追って部活を辞めた。

 外とのつながりは勇人との電話くらいで。いつだかの状況に戻ってしまったかのようだった。

 朝起きてカーテンを開けると運動着に着替えた勇人が走っているのを見かけた。そのタイミングで同じく走り込みをしていたお父さんと鉢合わせた。

 二人は何やら話をして、お父さんは最後に勇人の背中をバシッと叩いて家へ入ってきた。何、話してたんだろう。

「お父さん! 勇人と何話してたの⁉」

 玄関で靴を脱ぐお父さんに詰め寄った。

 もし怒られてたなら庇わなきゃいけない。

「うん? 褒めてたんだよ。お前は男だ、ってな」

「えっ?」

 謹慎になるような事件を起こして褒めた?

「惚れた女のために拳を振るったんだ。やりすぎでも、心意気は十分だ」

 お父さんはプロテインの粉をシェイカーに入れながら答えた。

「それに、いい体をしてた。ラグビーを失ってもアイツの瞳にはまだ火が灯ってた。だから、誘ったんだ」

「誘った?」

 何に?

「学校なんざすぐ辞めて俺のところに来いってな。超日本プロレスに」

「プ、プロレス⁉ それに学校辞めるって……」

 意外過ぎる言葉に私は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「あいつの有り余る力と、守りたいという執念。あれはリングの上でこそ輝く。あいつも最初は驚いてたが、すぐに承諾したよ。『杏南を守る力が欲しい』とな」

 お父さんは満足げに頷いて、プロテインを作り始めた。

 私はその場に立ち尽くした。

 ラグビーを奪ったのは私だ。けれど勇人は、私のために『普通の高校生』としての未来すらも捨てて、新しい道を選んでくれた。

 嬉しいような、申し訳ないような感情が胸に溢れ、私はまた少し泣いた。

 でも、泣いているだけじゃダメだ。

 勇人は謹慎が明けたら、学校に戻ってくる。その時、私がまだ部屋で震えていたら、勇人はまた自分の身を犠牲にして私を守ろうとするだろう。

 もう、勇人の足枷になりたくない。勇人が安心して私の隣にいられるように、私も強くならなきゃ。

「……お父さん」

 私は涙を拭って、お父さんの背中に声をかけた。

「うん? どうした」

「お願いがあるの。……私に、戦い方を教えて」

「なに?」

 お父さんは目を丸くして振り返った。

「戦い方と言っても、殴り合いじゃないよ。男の人に腕を掴まれたり、襲われそうになった時に……自分で逃げ出せる技を教えて欲しいの」

 もう、ただ震えて助けを待つのは嫌だ。

「……なるほどな」

 お父さんはニヤリと笑って、シェイカーを置いた。

「いい心がけだ。力のないお前でも、関節の仕組みさえ分かれば大男だって転がせる。超日本プロレスの顔である俺が、直々に護身術を叩き込んでやる。公園で教える。動きやすい服装に着替えて来てくれ」

「はあい」

 お父さんの言う通り着替えてくると、もう十月で寒いというのにお父さんはTシャツに短パンで待っていた。

「お父さん、寒くないの?」

「筋肉があるからな」

「そう……」

 若干訝しみつつ頷いて公園へ向かった。

「さて、時間も取れないし、何より杏南の力でできる技ってことで手首の極め方だけに重点を置いて教える。一回軽く杏南にかけるぞ。少し痛いだろうが我慢してくれ。痛かったらギブアップでやめる」

 お父さんはそう言うと、私の親指の付け根を掴んで軽くひねった。

「あいたた! ギブギブ!」

 特に力を入れた様子も無いのに腕の筋?が張って痛みを感じた。

「これが関節技だ。杏南の力でも正しい場所をひねればその辺の素人なんて余裕だ」

 お父さんは頼もしい事を言ってくれた。

「んでもってやり方だが、こことここの間に親指を置いてだな──」

 お父さんは詳しく分かりやすく教えてくれた。

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