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入道雲が夏の到来を告げ、色づく木の葉が秋を報せ、白い息の冬が過ぎ去った。桜の花びらが校庭を染め、私たちは最高学年になろうとしていた。この二年で、勇人の体つきは見違えるほど逞しくなった。一年生の頃から練習試合でスタメン入りし、今ではチームのキャプテンで試合でも大活躍だ。勇人は、名実共にチームの核となっていた。その『怪物』ぶりは他校にも轟き始めている。 しかし勇人は驕らず、黙々と練習をこなしていた。
そして今日、最後の大会のスタメンが発表された。勇人は文句なしのナンバーエイトとして見事スタメン入り。しかし、当然と思っているのか特別喜んだ様子はない。
それについて聞いてみると、
「俺にとってラグビーは強くなるための手段であって、目的じゃないからな」
部活帰りの西日の差す道、勇人は真剣な目で言った。その後勇人はでも、と繋げて、
「杏南も知ってるだろうけど、ラグビーは紳士のスポーツ。トライしてもその手柄は自分のものだけでは無くて、パスを繋げたチーム全体の手柄、全員で喜ぶべき。そんな精神性のスポーツが、俺は好きだ。ラグビー、案外悪くない」
「良かった。それで、目的って?」
「杏南を守れる強い男になる事」
その瞳に嘘はなく、日々大きくなる筋肉がそれを証明していた。
一方で学校生活はと言うと、佐助君は不真面目なのにテストでは学年一位をキープし、有希ちゃんは毎度補習に追われる……というのが、私たちのお決まりの日常になっていた。
騒がしくも幸せな毎日。けれど、そんな日々に少しずつ『黒い影』が落ち始めていたことに、私はまだ気づいていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ある日登校すると、下駄箱に何か靴ではないものが入っていた。
「……?」
不思議に思って確認するとそれは封筒だった。
私は恐怖に震えながら封筒を開けると中には日時と場所のみが記された紙が入っていた。
それと同時に、何かネットリとした目線を後ろから感じた。
「杏南、どうした!」
私の様子に気付いた勇人が走ってやって来た。
「これ……」
私はラブレターとおぼしき手紙を勇人へ見せた。
「……」
勇人は手紙を一瞥し、
「名前も無し……ただの悪戯かそれとも……」
いつもより半音低い声で勇人は言った。
勇人は私に向き直り、
「じゃあこれは俺が預かる。杏南は何もしなくていいから」
と、私の手から手紙を取り上げ勇人は言った。
「えっ⁉ でも……」
守ってくれるのは嬉しいけど、それは相手にとってあんまりじゃないかなとも思う。
「こんな非常識な手紙、まともに対応する必要ないよ。安心して、俺が何とかする」
勇人はそのまま手紙をポケットに仕舞い、教室へ向かった。
男子からの告白。確かに自分じゃ断れないと思う。無理に迫られたらどうなるか分からないし、そもそも知らない男子と二人きりという状況が『あの日の事件』を彷彿とさせる。
気が立っているのか大股で歩く勇人に慌てて私も付いて行き、教室へと入った。
気が付くとネットリとした視線は消えていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あの後勇人は待ち合わせ場所に行ったけれど男性生徒はいなかったらしい。視線も無くなり、諦めたのだと思ってこの日もマネージャー業務をこなしていた。
「やー、杏南のこと見てると美しきは罪だなって感じるねー」
ベンチで練習風景を眺めながら有希ちゃんは言った。
「そんな、美しいなんて……」
「杏南、過度な謙遜は逆に礼儀知らずよ? 杏南は女の私から見てもかなりハイクラスの美人なんだから」
「あ、ありがと……」
などととりとめもない話をしていると呟くような声が横から聞こえてきた。
「ああ、やっぱり天使……いや、女神だ。キミは僕の女神……来てくれなかったからこっちから来たよ。僕の愛、受け止めてくれるよね……?」
グラウンドに似合わない学ランを着た痩せた男子生徒が何かを握ってフラフラとこちらへ歩いて来ていた。
「杏南、逃げて!」
男子生徒から尋常でない気配を感じてか、有希ちゃんは私を庇うように一歩前へ出て叫んだ。
「どけ!」
しかし、相手が痩せているとはいえ男女の筋力差で有希ちゃんは突き飛ばされ男子生徒はこちらへ走ってきた。手に握っているのは彫刻刀か。
恐ろしい。殺される。逃げなきゃ。頭では分かってるのに足が縫い付けられたかのように動かない。男子生徒の白目の割合が多い目が『あの日の悲劇』を思い出させる。『いい子だから静かにしなさい』
突然視界が暗転する。小学生の頃の記憶が蘇る。鍵のかかった部屋で。カーテンの閉まった圧迫感のある空間に重苦しい湿気と大人の男性の脂っぽい匂い。私の小さな体を押さえつける、圧倒的な重みと力。『杏南ちゃんはまるで天使だ』。耳元で囁く叔父の姿が目の前の男子生徒と重なる。
嫌だ、助けて。声を出そうとしても、喉が引きつって空気しか漏れない。あの日と同じだ。誰も助けてくれない。私はまた、こうして汚されて──。
「杏南!」
私の名前をあの声が呼び、私の意識は現実に引き戻された。
見ると、男子生徒は脇に勇人のタックルを喰らって金網が悲鳴を上げる程の勢いでグラウンドのフェンスに叩きつけられていた。
タックルの拍子に刺さったのか、勇人の腕には彫刻刀が深く刺さり、鮮血が吹き出ていた。
「ゆ、勇人……!」
頼もしい勇人の登場でようやく私は息を吸えるようになった。
勇人は腕に彫刻刀が刺さっているにもかかわらず平然と男子生徒の胸倉を掴み再びフェンスに叩き付けた。
「死にたくなけりゃ、二度とその面杏南に見せるな。分かったな」
「う、うぅ……お前、杏南ちゃんのなんなんだよ……!」
「……ただの、幼馴染さ」
「じゃあ、なんで……」
「なんでもいいだろ。分かったら帰れ」
勇人が低く唸り手を離すと男子生徒は腰を抜かしたのか尻もちをついた。
「何事だ!」
騒ぎを聞きつけてコーチが走ってきた。
「杏南のストーカーが凶行を。それを止めました」
勇人は冷静に言った。
「とりあえず警察と救急に連絡だな。おい森下。コイツ押さえておけ」
這って逃げようとする男子生徒をコーチの言葉で後輩の森下君が押さえつけた。
「勇人、血が……」
「かすり傷さ。杏南が無事でよかった」
勇人はこう言うものの、腕からは血が流れ続け、病院で処置すべきなのは明白だった。
しばらくしてサイレン音と共に救急車がやってきた。
「杏南、乗りなよ。一人じゃ、不安だろ」
救急車に乗り込み、勇人は怪我をしていない左腕を差し出した。
「え、いいのかな……」
勇人と離れるのは不安だけど、そんなのは私の我儘だ。
「部外者の同乗は困ります。ご家族の方以外は……」
救急隊員さんも止めてきた。
「彼女はこの事件でショックを受けています。この事件の被害者は彼女なんです。どうか一緒にいさせてください」
「はぁ……仕方ないですね……」
勇人の揺るぎない視線に救急隊員さんは折れたようだった。
「杏南、大丈夫か?」
勇人は心配そうに声をかけてきた。
「勇人がいるから、なんとか……それより勇人だよ! こんなに血が出て……私のせいで……」
勇人はタオルで傷口を押さえているが、そのタオルはもう真っ赤だ。
「杏南のためならこのくらいなんともないさ」
勇人は押さえていない方の手で私の手を握った。
「俺が勝手に守ったんだ。杏南に責任はない」
「そんな……」
私が言葉に詰まると、勇人は口を開いた。
「俺はこういう時のために鍛えたんだ。本望だよ」
「……そう。その、ありがとう」
「おう」
私にできるのはお礼を言う事だけだった。




