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「どうした急に。仕事中じゃねえのか?」
昼過ぎ、寝っ転がって求人誌を眺めていたら、勇人のヤツから電話がかかってきた。
「悪いな佐助。今は昼休憩中なんだ。んでその……聞いて欲しいことがあってよ」
深刻そうな声で勇人は言った。
「……杏南さんの話か?」
コイツがこんな声色になるのは、十中八九彼女の話題だ。
「あ、ああ。本当はさ、こんなこと他人に漏らすべきじゃねえんだけど……誰かに話さないと頭がおかしくなりそうで……」
「分かった、誰にも言わねえよ。で、どうしたよ」
なんだかんだ信頼されていることを嬉しく思いながら答えた。
「その……昨日、杏南が、改めて子供作りたいって言ってきたんだ」
とんでもない事を言い出す勇人。
「え、マジで!? そ、それで?」
思わぬニュースに驚きつつ、先を促した。
「そのな、こないだ相談したことについて、谷本が伝えてくれたっぽくてよ。ゆっくりでも頑張りたいって」
「そういえば一昨日はアイツお前ん家に行ってたな。なるほど。それでついに、ってことか?」
そんな事情だったとは。驚きつつ返した。
「まあ、間違っちゃいない。杏南なりに決心したらしく、したいって、言ってくれたんだ」
彼女は相当頑張ったんだろう。二人の幼馴染として、心底嬉しく思った。
「良かったじゃねえか。おめでとう」
俺が祝福すると、
「ありがとう。でも、事情はそんなに簡単じゃなくてよ……やっぱすぐにするのは無理らしくて、徐々に慣らそうってことみたいでよ」
深刻そうな声で言う勇人。話が見えてきた。
「……死ぬほど我慢した、ってコトか?」
「ああ。まずは触り合おうって。上半身だけ」
「それは……」
あまりにも酷だ。あんな子を前にして、ただ我慢するのだって辛いだろうに。触り合っておあずけっつーのは……
「すげー辛かった。アイツ、俺の体触りながら囁き声で筋肉について褒めてきて……好きとか言ってきて……触り方も撫でるような触り方だし、相変わらずいい匂いするし……」
「おおう……」
想像しただけで凄まじい。あの子、声も可愛いからなあ。囁きながら撫でたりなんかされたら……
「その後よ、交代だつってさ。恥ずかしそうに目を瞑りながら、脱がせてくれって……」
「お前それで手出さなかったのか……? マジですげえよお前。尊敬する」
俺だったら無理だ。理性がもたない。
「ただ、本当に触ったら理性がもたなそうで。俺から触る前に昨日は終わったんだ」
「……賢明だな」
あの子の胸はデカい。正直に言うと、学生時代何回かあの子の乳のこと考えながらしたことがある。下手なエロ本よりエロい。マジで、男子中学生には目の毒すぎた。そんなモノを目の前にしたら我慢強いコイツでもどうなるか分からない。
「お前、偉いなあ……」
いい奴すぎる。
「俺もそう思う。でさ……これから毎晩こんなことするんだ……助けてくれ……」
泣きそうな声で言う勇人。
「マジか……なんか、もう、頑張れ。無間地獄じゃなくなったから……一応、終わりはできたからよ……」
いいニュースではあるものの、死ぬ程苦しいであろうことは分かる。
「おう……多分、これからもちょくちょく電話かけると思う……すまんが、付き合ってくれ……」
「ああ、いつでも俺大丈夫だから……気軽にかけろ。それでお前の理性が保たれるなら、いくらでも付き合うよ」
「助かる。それじゃあ、そろそろ練習また始まるから切るわ……じゃあな……」
「おう」
生き地獄に放り込まれた勇人に内心手を合わせつつ電話を切った。幸せ過ぎるのも、考え物だな……
◇◆◇◆◇◆◇◆
あの日から毎晩、私たちは距離を縮めてきた。今夜は、勇人の分厚く大きな手が、私の太ももに触れている。微かに震えるその指先からは、私を怖がらせまいとする必死な理性と、抑えきれない熱が伝わってきた。ふと、勇人の顔を見上げると幸せと我慢が入り混じった、とても複雑な表情をしていた。でも、その瞳の奥には揺るぎない優しさが見えて。
ああ、やっぱり、勇人なら大丈夫だ。
「ねえ、勇人?」
「な、何かダメなことでもあったか?」
勇人の声は心配100%だった。
「もう、大丈夫。好きにして、いいよ」
寝ている姿勢だった私は体を起こし勇人の体を抱き寄せ唇を重ねた。
「で、でも……」
未だに心配そうな勇人に私は次の言葉を紡いだ。
「大丈夫、怖くないよ。勇人の全部で、私を包んで?」
私の声で最後の障壁は消え、勇人の目には迷いが消えた。
「愛してる、杏南」
甘く低い勇人の声は私の中へ浸透するようで。肌と肌が触れ合った。
それは、私がかつて恐れていた痛みなどではなく、ただひたすらに温かく、どこまでも優しい幸福な重みだった。 私は目を閉じ、勇人の愛に身を委ねた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝、窓から差し込む光で目を覚ますと、隣には穏やかな寝息を立てる勇人がいた。 昨夜の記憶が蘇り、顔が熱くなる。けれど、そこに嫌悪感は微塵もない。体中が、幸福な怠惰に包まれていた。
「……おはよう、あなた」
私は寝ている夫の頬にそっとキスをした。
その日を境に、私の心に僅かに残っていた暗い影は完全に消え去った。二人で囲む食卓、他愛のない会話、そして互いの温もりを確かめ合う夜。そんな穏やかで満ち足りた日々が、静かに積み重なっていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから数年が経った。私は相変わらず本の翻訳の仕事をしている。大きな案件も任されるようになり、とてもやりがいを感じている。有希ちゃんも変わらずキャリアウーマンとしてバリバリ働き、佐助君は最近就いた職は長続きしているようだ。飲食店のキッチンをしているという。勇人は更に出世して、今では超日本プロレスのエース的存在だ。
今日は、そんな幼馴染二人にとある報告をするため、我が家へ招いていた。
「二人とも改まっちゃって。幼馴染集めて、何の話?」
「まあ、いいニュースなのは二人の顔見ればすぐ分かったけど」
予定通りの時間に家に来た二人は思い思いの言葉を口にした。
「まあ、うん。佐助の言う通り、いいニュース。すごく、ね。俺としては、もう少し遅い報告でもいいかなって思ったんだけど、杏南がどうしてもって言うからさ」
照れくさそうに勇人は言った。
「えー! 勇人も乗り気の癖にー。二人が来るまで、すっごくそわそわしてたでしょ?」
私のせいにしている勇人をからかった。
「そういうこと言うなよな……」
困った顔をしつつ、満更でもない表情で勇人は言った。
「でも、嬉しいでしょ? 私はね、すっごく嬉しいよ」
勇人の腕に抱き着きながら言った。
「そりゃあ、嬉しくないなんて、口が裂けても言えないけど……」
なんて、私たちがイチャついていると、
「はいはい。二人のラブラブっぷりはとっくにお腹いっぱいだから。早く本題に入って? いいニュース、早く聞きたいもの」
呆れの混じった声で有希ちゃんが先を促した。普段ならこんな事を言われたらお互い黙り込んでしまうところだけど、今日は別だ。
「えっとじゃあ、話すね。その……私たち、パパとママになることに、なりました!」
幸せいっぱいの報告をした。有希ちゃんにはこの事について、色々お世話になったし、一刻でも早く伝えたかった。
「え、それって……やったじゃん杏南! 頑張ったね! おめでとう……!」
普段は涙なんて見せない有希ちゃんが涙ぐんで祝福してくれた。
「ありがとう! 有希ちゃんのお陰だよ……」
釣られて私も涙ぐんでしまう。
「そうか、遂に……良かったなあ、二人とも。念願だったもんな……」
佐助君は佐助君で、静かに祝ってくれた。
「ああ。まあ、一応佐助にも感謝しておくよ」
勇人は素直じゃないお礼を言った。
「一応っておめー……俺の貢献度も、結構なモンだと思うんだけど⁉」
不服そうな言葉を言いながら勇人の体をバシバシ叩く佐助君。でもその顔はとても嬉しそうで。ホント、私たちは友達にも恵まれてるなあ。
「二人には本当に感謝してるんだ。私がお礼の気持ちを込められるのは料理くらいだからさ。いっぱい美味しい料理作ったから、今日は沢山食べていってね!」
二人に席に座るように促して、キッチンへ向かった。今日は勇人も一緒だ。
「あら珍しい。勇人アンタ、食べるの専門じゃなかった?」
少し意地悪な声をかける有希ちゃん。
「これからはそうも言ってらんねえからさ。できる事は、なるべくするように決めたんだ」
最近ようやく食器の位置を完全に把握した勇人は、お皿を並べながら笑って言った。
「いいと思う。やるじゃん」
有希ちゃんが呟くと、
「なんか偉そうだけどおめー、ウチの家事は全部俺がやってるんだぞ……?」
少し呆れた声で佐助君が言った。
「うっさいわね! まあ、そうね……私も、食器を出したり、皿洗いくらいはやることにするわ……」
反射的に佐助君を叩いたんだろう。割と痛そうな音がした後、有希ちゃんの声が聞こえてきた。
「それも嬉しいけど、個人的には部屋の掃除を一番して欲しいかな……俺、もうヤだよ。お前の部屋からパンツ発掘するの……」
悲し気な佐助君の声。佐助君も苦労しているらしい。
「んなっ……友達の前でそういうこと言わないでくれる⁉ デリカシーなさすぎるでしょ!」
先程よりも激しい音がした。
「痛って……パンツ脱ぎ捨て常習犯の女がデリカシーなんて語れると思うなよ!」
少し怒った様子の佐助君の声。でも、なんだかんだ楽しそう。ホント、喧嘩ップルという言葉がよく似合う二人だ。
「まあまあ二人とも。今日は喧嘩はナシだよ? えっとこれがね──」
本気で喧嘩をしているワケではないだろうけど。形式上仲裁をして、お料理の説明を始めた。




