第5話 先代の国王
私は、イルファー殿下とともに馬車に乗っていた。
ランドー子爵家の屋敷から、とりあえず王城に戻るということになっている。ロサーヌ嬢との戦いが終わらない限り、私はしばらく自身の家に戻れそうにない。
とはいえ、お父様も許してくれることだろう。何しろ、第二王子から直々に頼まれた協力だ。それを断って家に帰る方が、問題ともいえる。
「イルファー殿下、ロサーヌ嬢はどうしてあれ程に余裕なのでしょうか?」
「それは俺にもわからない。しかしだからこそ、マディウス伯爵令息を追い詰めたのだ。あなたの元婚約者をロサーヌ嬢は助けるつもりでいる。つまり彼女はこれから、何かしらの力を行使するつもりだ」
私の質問に対して、イルファー殿下は答えてくれた。
その答えで、今回の訪問の狙いというものがわかってきた。つまりこれは、ロサーヌ嬢に行動を起こさせるためのものだった、という訳か。
「イルファー殿下は、ここまで計算していたのですか?」
「もちろん、狙ってはいた。とはいえ、賭けている部分もあったといえるな。実際の所、ロサーヌ嬢がマディウス伯爵令息を見捨てるという可能性もあった」
「確かにそうですね。一度、見捨てようとしていたようにも見えますし……」
「これに関しては、あなたがいたからかもあっただろう。ロサーヌ嬢としては、あなたを煽るためにマディウス伯爵令息を傍に置いておきたいのかもしれない」
イルファー殿下の言葉に、私は自分が同行を頼まれた理由を改めて理解する。
ロサーヌ嬢は、確かに私を煽るような言動をしていた。彼女はそれを、愉しんでいたような気がする。
ロサーヌ嬢は、人を煽り弄ぶことに快楽を見出しているのかもしれない。彼女にとってマディウスは、そのために都合が良い駒といった所か。
「ロサーヌ嬢が力を行使するというならば、その要因を探ることができる。まずはそちらを潰す方が先だといえるな……」
「しかし、ロサーヌ嬢の権力とは一体、どのようなものなのでしょうか?」
「心当たりがない訳ではない。確証もなく、口にできるようなことではないがな」
「……そういえば、彼女はイルファー殿下に対して、感情を露わにしていましたね? もしかして、それが何か関係しているのでしょうか?」
「む……」
私の問いかけに対して、イルファー殿下は少しバツが悪そうな顔をした。
あまり突かれたくない部分だったのだろうか。そういう反応をされてしまうと、私も色々と考えてしまうのだが。
「まさかとは思いますが、イルファー殿下とロサーヌ嬢の間にも何かあったのですか?」
「いや、そうではない。俺とロサーヌ嬢に、関わりなどはほとんどない。だが、あなたの推察は正しい。ロサーヌ嬢が、俺に対して平静でいられないことは確かだ」
「彼女の弱点という訳ですか。一方的に思っていたということも……いいえ、それは少し飛躍し過ぎですね。ロサーヌ嬢は随分と、年上である訳ですし」
イルファー殿下の言葉を信用するならば、ロサーヌ嬢が一方的にイルファー殿下に対して、何かを感じているということになる。
片思い、ということも考えられるが、それはどうにもしっくりとこない。ロサーヌ嬢とイルファー殿下とでは、年がかなり違う。もちろん、あり得ない話ではないが。
「あなたの疑問の答えは、恐らく程なくして解消されることだろう。俺の推測が正しければ、ということではあるがな」
「イルファー殿下の心当たりとは、彼女のあなたに対する風当たりにも関係していると?」
「そういうことになるな」
イルファー殿下は、私の言葉にゆっくりと頷いた。
それを見て、私はある一つの可能性を思いつく。それはできれば、間違っていて欲しい推測である。もし正しければ、確実に厄介なことになるのだから。
◇◇◇
マディウスのモルドン伯爵家からの追放が実現しないという状況は、なんとも不可解なものだったといえる。
イルファー殿下という王家が主導で行った決定が覆されるということには、特別な意味がある。婚約破棄という真っ当な処罰の理由もあったというのに。
「……失礼します」
「……おお、イルファーか」
「お祖父様、お加減はいかかがですか?」
「お陰様で、悪くはないとも。しかし、お前が訪ねて来るとはな……」
どうしてそうなったのか、イルファー殿下はその理由というものを察知していた。王城のある一室で、ベッドに寝ている人物が原因だ。
その人物は、イルファー殿下の祖父にあたる。この国の現在の国王様の父――つまり先代の国王様が、決定を覆したのだ。
高齢であり、病気もあって先代は王位から退いた。
だがその影響力というものは、今でも絶大だ。彼の一声があれば、大抵の決定は覆せるくらいには。
「孫が祖父を見舞うのは、何もおかしいことではないでしょう」
「確かに、その通りではあるな。しかし、そちらの女性は誰だ」
「彼女は、ザナール侯爵家のシルフィア嬢です。まあ、今は俺の助手ということになっています」
「シルフィアと申します、先代陛下……」
「助手か……シルフィア嬢、畏まる必要はないぞ。楽にして構わない」
先代の国王様は、私のことを興味深そうに観察していた。
イルファー殿下が言った助手という言葉は、あまり響いてはなさそうだ。なんというか、あらぬ関係を疑われているような気がする。
「……イルファー、言っておくが、あまり火遊びなどはしない方が良いぞ。お前とて、責任ある立場だ。何か問題が起こるかもしれない」
「問題、ですか。なるほど、例えば隠し子などできれば、それは確かに問題と言えるのでしょうね。しかし、俺はお祖父様とは違います」
「……何か、言いたいことがあるらしいな?」
イルファー殿下の言葉に、先代の国王様は眉をひそめた。
病気で痩せ細っているとはいえ、その鋭い視線には少し怯んでしまう。流石は一国の主だった人だ。迫力がある。
「言いたいことは山ほどあります。ですが、敢えて端的に言っておきましょう。これ以上、こちらの邪魔をするのはやめていただきたい」
「いくらお前とはいえ、そのような発言は許容できないものだ。誰に向かって何を言っているのか、改めて考えることだな?」
「……」
先代の国王様は、怒っているようだった。それはイルファー殿下の発言が、不愉快だったということなのだろう。
発言をした当の本人は、それに対して軽蔑するような視線を向けていた。
それは当然のことである。先代の国王様のせいで、この国でロサーヌ嬢という悪女が自由に気ままに振る舞っているのだから。
「お祖父様、この際ですから、はっきりと申し上げておきましょうか。あなたは何度も間違いを犯していると」
「イルファー……」
イルファー殿下の言葉に、先代の国王様は表情を歪めていた。
しかし彼は、言葉を詰まらせている。イルファー殿下の指摘が、図星であるからだろう。強がっているものの、何も理解していないという訳ではないようだ。
「最初の間違いは、ロサーヌ嬢の母親と関係を持ったことでしょう。愛人を作り、その者との間に子供を設けるとは、なんとも短絡的な行いでしたね?」
「それは……」
「一体、いつから関係を持っていたのです? 当時はまだ、お祖母様も健在だったはずですが、不義理を働いて、何も思われなかったのですか?」
「だ、黙れ……」
イルファー殿下から責められて、先代の国王様は声を震わせていた。
反論することができない自らの失態、それを突かれるのは流石に堪えるのだろうか。
そもそも先代の国王様が弱っているということも、あるのかもしれない。そんな状態で口論など、無理な話だ。
「まあ、愛人を作ったことは百歩譲ってもいいでしょう。しかし、子供に関しては気を払うべきでしたね。結局、それが今でも尾を引いているのですから」
「くっ……」
イルファー殿下は、冷たい目をしていた。肉親としての情が、あるようには思えない。
とはいえ、それも仕方ないことだろう。先代の国王様の行動の結果として、彼及びこの国は多大な迷惑を被っているのだから。
「悪い女に引っかかったものですね。ロサーヌ嬢の母親は、ランドー子爵夫人でしたね? 彼女も既に亡くなっているとは、因果なものといえますか」
「……彼女を侮辱するのはよせ。優しい女性だったのだ。私達はただ、慎ましやかにともに過ごしていたかっただけだ」
「一国の主としての自覚がなかった、という訳ですか。それはなんとも、愚かなことでしたな?」
「イルファー、もうやめろ……」
イルファー殿下は、非情な人であった。彼は先代の国王様を追い詰めていく。
しかしそれは、この国のために必要なことであった。これ以上、ロサーヌ嬢の暴挙を許してはならないだろう。
「これ以上、お前が何かを言うならば、私は然るべき対応をせざるを得ない」
「お祖父様、それはなんともひどいものですね。愛娘のわがままを聞き入れるというのに、孫である俺には、非情な判断を下すというのですか?」
「そ、それはお前が……」
「クードとロサーヌ嬢に問題が起こった時に、何も思わなかったのですか?」
「……」
激昂しようとした先代の国王様は、イルファー殿下の言葉によって黙る。
それはその指摘が、なんとも手痛いものだったからなのだろう。クード公爵令息は、彼にとって孫にあたる。そしてロサーヌ嬢は、隠し子――つまりは娘だ。
その二人の間で起こったことを、先代の国王様も知らない訳ではなかろう。彼は項垂れている。色々と考えているのだろう。自らの家族のことを。
「……ロサーヌは知らなかったのだ。自らの出自のことを」
「ほう?」
「あれは、事故だったのだ。あの二人の間で、間違いが起こるなどと、そのようなことがわかる訳もない……」
先代の国王様の声は、震えていた。
彼は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。その表情からは、苦難が読み取れる。
とはいえ、それは先代の国王様の身から出た錆でもあった。彼が重ねてきた間違いが、ことを起こした要因だといえる。
「それまでも、ロサーヌ嬢は社交界で名を知られていました。浮名を流す彼女に関して、あなたは色々と取り計らっていたのではありませんか?」
「……取り計らっていたつもりはない。ただ、彼女に対する不当なる言い分を咎めていたまでのことだ」
「真っ当な言い分さえも、あなたが閉じ込めていたのでしょう? それでロサーヌ嬢が増長していったのだと、わかりませんか?」
「ぬうっ……」
ロサーヌ嬢は、先代の国王様の庇護下にあった。
彼女が自由に振る舞えていたのは、それがあったからだ。関係を持った男性達が、ロサーヌ嬢を糾弾しなかったのも、それが関係していたのだろうか。
ともあれ、先代の国王様の影響があったことは確かだ。それは、やはり絶大だったものだろう。
「結果として、クードとの間に間違いが起こってしまった。そこであなたは、ロサーヌ嬢に接触したのですね? そして、彼女の出自を明かした」
「……その通りだ」
「それからロサーヌ嬢が大人しくしていたのは、彼女なりにクードとの関係を重く見ていたから、ということかもしれませんね。しかし、ロサーヌ嬢は自らを省みることをせず、今度はマディウス伯爵令息へと毒牙を伸ばしてきた。シルフィア嬢は、その被害者だ」
イルファー殿下の言葉に、先代の国王様の視線が私の方へと向く。
その表情からは、罪悪感が読み取れる。マディウスと同じような表情だ。それを見ていると、嫌気が差してくる。
「お祖父様、あなたも自らを省みる時が来たということでしょう。これ以上、余計なことはせず、ロサーヌ嬢のことはお忘れください」
「……彼女をどうするつもりだ?」
「少なくとも、社交界にはいられないようにします。彼女にかき乱されるのは、もうこりごりですからね」
「そっとしておけば良いだろう」
「彼女がそうさせてくれないのです」
この期に及んで、先代の国王様はまだ不満そうであった。
そういう所まで、マディウスと似通っている。結局の所、彼の中ではまだロサーヌ嬢が大切だということなのだろう。
いや、大切なのはいい。問題は厚遇しようとしていることだ。それで彼女はすっかり、増長してしまっているというのに。
「ロサーヌとは、私が話す。大人しくするように言い聞かせてみせよう。とにかく、今は待て。待たなければこちらも、強硬な手段に頼らざるを得ない」
「……話になりませんね? 結局の所、末の娘を優遇するあまり、あなたはこの国というものを悪戯に危機に晒している」
「何とでも言え。私はあの子を守らなければならない」
「……シルフィア嬢、行こう。話しても無駄なようだ」
「……はい」
先代の国王様は、強情であった。遅くにできた娘だからなのだろうか、とにかく彼はロサーヌ嬢に甘かった。
イルファー殿下は、自らの祖父を改めて見限ったようだ。彼は王家の一員として、また非情な判断を下すつもりだろう。私にはそれが、なんとなくわかった。




