少しずつ壊れていく物語
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楽しんでいただけると幸いです。
この話を読む前に、ローレッタの口調についてだが、今まで転生者と区別するためにローレッタは生意気な令嬢のように話してきた。ゆえに、この話はローレッタの近くにいた者たちの回想だが、ローレッタだと分かりやすいようにローレッタの口調は今までのとうり、生意気な令嬢のような話し方で記す。
マーガレットはローレッタの侍女になった日のことを思い出した。彼女はふさふさした金髪を揺らして黒い谷間の見えるドレスを着てこちらを見据えて言った。
「たぶん監視役も兼ねてるんだろうけど、1つだけ心に刻んでおいて。なにかあった時、危険なのは私じゃないわ。私が斬って、刺して、撃つのよ。私こそが『危険』なの。ドアをノックするのはいつだって私。お義父様に何を言われたか聞かれたらそう言っておいて。『私がお義父様の部屋のドアをノックする』ってね」
そう言って「風呂に入るわ」と服を脱ぎ始めた。その言葉を聞いてマーガレットはこの女はこの家を破壊する気かと訝しんだものだ。後日、ファウラー卿に尋ねられローレッタのいうとうりに答えたとき、彼は驚くほど平静だった。そして少し面白そうな顔した。
「これはまた面白い。この私に真っ向から挑もうと言うのかねあの娘は。ーーマーガレット、あの女を侯爵夫人のように扱え。若奥様ではなく侯爵夫人だ。必要以上の贅沢をしない責任感のある、戦う気概のあるこの家の主人の1人としてだ。贅沢をしていいのはまだ庇護される立場のクレア唯一人。それを見せつけてみろ。あの女の言っていることが虚勢を張っているだけなのか本気なのかを知りたくなった」
「かしこまりました」
そしてマーガレットがローレッタの部屋に入ると彼女は全裸でアフターバスをしていて、目が合った時にクッションを投げつけられた。曰く「ノックくらいしなさい」だった。そういえば寝首を掻く時でも彼女は堂々とノックしてから行くと言っていた。マーガレットは自分の非を詫びたが、ローレッタは下着を身に着けるときにはもう許していた。
「いいわよ別に。間違いくらい誰だってあるでしょ。ーーああそうだ、厨房からシャンパンとイチゴもらってきてよ。2人分」
「2人分?」
「そう、私とあなたの分。酔えばあなたでもさすがになにか話すでしょ?いいでしょ侍女なんだから。夜のとばりに会話くらい付き合いなさいよ。今日は満天の星空よ」
そう言って無理やり厨房からシャンパンといちごをもらってこさせ、2人で夜通し飲み、翌朝頭痛で動けなくなったことを思い出した。
そしてマーガレットはファウラー卿の言うとうりに彼女を侯爵夫人として扱ったが、ローレッタはそれを当然とし、家を歩き回ってはメイドや使用人、料理長にシェフ、庭師たちを調べ、彼らの仕事を見、家の中の動きを見、夫のコンラッドの仕事を目立たぬように必要があれば手助けし、上流階級の夫人の集まりに顔を出し、何を言われようが平静に時に気さくに過ごし、若い娘ならしたいだろうオシャレをせず、化粧も威厳はあるが派手ではないようにしていた。
目の前でクレアに様々なドレスやアクセサリーが贈られても彼女は平気そうというか興味が無さそうだった。彼女は常に次はどう動くかを考えて行動しているようだった。
アレクシスに自分も欲しいと言った方がワガママな女として認識され、結果的にコンラッドに同情の目がいきコンラッドの仕事が減り、コンラッドに休息の日を与えれるか、それとも利益を優先して平静な淑女でいて、コンラッドが仕事に集中できる環境を作り、後々継ぐだろう土地と資産を少しでも増やすか、などだ。コンラッドの様子を観察して彼女はアレクシスにワガママを言うかどうかを決めていた。
ローレッタは常に次はどうするかを考え、行動に移していた。クレアに対して良い感情を持っていないと思わせることも可能だった。というより簡単だった。同い年なのにクレアばかりを皆ちやほやしていれば、メイドの間で噂になる。そうしたら少しクレアを睨むだけで噂は確信に変わる。
なぜローレッタはクレアに対してそうだったのか?答えは簡単。遊んでいる暇がなかったからだ。茶会に時間を奪われたくない。必要でなければ極力顔を出さなかった。貴婦人の集まりや観劇はともかく、お菓子は別に逃げない。
だったらファウラー家を一からすべて調べて元々ファウラー家の人間だったというところまでローレッタは行きたかった。だから嫌っているという設定の方が都合が良かった。
マーガレットに対してはどうだったか?侯爵夫人が侍女に対する態度でマーガレットに対応した。つまり雑用を頼み、スケジュールの管理を分単位でさせ、ドレスや靴の補修などがあれば頼み、新調するときは侯爵夫人らしいドレスを相談し決め、商人を呼ぶように頼んだ。
マーガレットは今まで接したことのないタイプのローレッタに日々スケジュールの変更やキャンセルがあれば伝え、人に会うときはその人用の服を用意した。
ローレッタはマーガレットの能力を信頼していた。マーガレットの選ぶ衣装に文句をつけたことは一度もないし、スケジュール管理に口を出すこともなかった。だからマーガレットもローレッタに尽くしても良いと信頼関係を結び、こんな忙しい毎日を分単位でやりくりしたのだ。彼女はマーガレットに敬意をもって接していた。
時々厨房からワインやシャンパンを必ず2人分つまみと共に持ってこさせ酒盛りしたのも彼女なりのマーガレットへの労いだろう。事実、ローレッタに持ってこいと言われたというと皆は溜息を吐くだけでマーガレットを責めることはなかった。
ーーそう、彼女は夫人としては過不足なく動き、時々ワガママで、楽しい人だった。
庭師のトニーはローレッタがトマトサラダを残したという話を聞いて、悪霊に取り憑かれているのは本当だと確信した。
なぜなら畑の世話をしていた時、ローレッタが散歩ついでにやってきてトニーに「それなに?」と尋ねた。その時にトニーは立ち上がり、「これはこれは、夫人」と帽子を取って会釈をし、ローレッタに育てている野菜を見せた。
「ほら、数年前に飢饉があってから貴族の家でも菜園を造るように言われましたでしょう?これはその一部で、トマトやパプリカやピーマンにズッキーニに...ああちょっと」
ローレッタがすべてを聞かないうちにしゃがみ込んで赤く色づいたトマトをもいで口に入れた。もぐもぐと咀嚼し、トニーに聞いた。
「ねえこのトマトは今日の晩餐に出ないの?美味しいわ。サラダにしてよ、そう言っておいて」
「はあ...気に入ったんですか?」
「うん、おいしい」
口元に汁をつけてローレッタは頷き、手を振って菜園を見て回っていた。その様子は娘そのもので、そういえば彼女は夫人と言えどまだ若かったことを思い出した。よく誰にも気を抜かず常に警戒しているような眼をしていたから忘れていたが。
トニーは食べられるトマトを収穫し、厨房へ持って行き、先ほどのローレッタの話をした。すると料理長は難しい顔をしたが、「まあ、コースには入れれるか」とトマトを受け取った。
トニーにとってはどこにでもいる娘の1人に見えたのだ。
フォールズ氏には秘密がある。潔癖症で虫が恐いのだ。ある日、ローレッタと仕事をしていた時に大きな虫が出て、彼は自分でも恥ずかしくなるほど飛び上がり、部屋の隅に逃げた。恐がる彼を心底呆れたように見たローレッタは紙の束を持ち、その虫を叩きつぶした。「ヒッ」と顔を腕で覆うフォールズ氏にローレッタは言った。
「一番下の書類は書き直しとくから、あなたはさっさと仕事してよ。ーーそうだった言い忘れてた。今度私に『ルルー』で売ってるバラのかたちしたチョコレート買ってきてよね。赤い箱のやつよ。仕事中に食べるから。分かった?あとこの部屋に網戸つけるように言っておきなさいよ」
そうして虫の死骸は一番下の書類ごと丸めてゴミに捨て、書類の書き直しにかかったローレッタと共に彼は仕事に戻った。ローレッタは意外にもだれにもこのことを言いふらさなかった。だからフォールズ氏はチョコレートはきっと口止め料なのだと思い、チョコレートを渡した時に尋ねると彼女はこう言った。
「誰だってどうしてもだめなもんあるでしょ?30秒ルールって知らないの?30秒で治せないものを指摘したり笑ったり言いふらすのは失礼っていうルールよ。あなたも私の仕事が遅いとか私の字が読みにくいとか言いふらさないでよ。これでも努力はしてんだから。30秒ルールを覚えて。それが紳士ってもんよ」
「チョコレートありがと。これ食べてみたかったの。お金は後で私から払うわ」と言って彼女は部屋の中に入って扉を閉めた。フォールズ氏は頬を掻いた。
そして本当にその日の仕事中の菓子はバラの形をしたチョコレートだった。フォールズ氏も1つ食べてみたが、それは甘く濃厚で、フレーバーが効いていて美味かった。
「ーー私にではなく、メイドか使用人に買いに行くように言ってくれませんか?」
「あなた、自分で買いに行ったの?あれは『伝えたから誰かに買いに行かせて』っていう意味よ」
そう言ってローレッタ笑った。フォールズ氏は「そういうことはもっと分かりやすく言ってください。30秒ルールですよ夫人」と顔を赤くして返した。彼女は「分かったわ、失礼なことしたわね、フォールズ執事」と潔く自分の間違いを詫び、仕事の続きに戻った。
彼女は仕事は遅いし、字は読みにくいし、突然菓子を要求し使い走りさせるような(勘違いではあったが)ワガママな女だったが、夫人らしく人の気持ちを尊重する人間ではあった。そして執事という仕事に敬意も持っていた。
ローレッタは書類で分からないところがあった時にフォールズ氏がファウラー卿から言われた仕事をしている時は終わるまでけして邪魔をしなかった。終わってから聞き、そして「早めに覚えるわ」と言っていた。そして必ずその分からずに聞いた箇所は次には完璧に覚えていた。
その行動でフォールズ氏はローレッタはこういう仕事はあまりしたことがないのだと知り、まあ1年はきちんと教えるかと考えていた。1年あればローレッタのことだ、字はともかく仕事は正確に今より早くこなせるに違いないとフォールズ氏は考えていた。
思えば字が急に変わった時に気づくべきだった。彼女の「練習しましたの」という謙虚そうな言葉と態度を信じるべきではなかった。
料理長のジェームズは最近のローレッタは本当に悪霊に取り憑かれていると確信していた。
今のローレッタは食べたいものを聞いても「なんでもいいです」と笑顔を向ける。前の彼女は違った。前の彼女は厨房にたまにやってきては言ったものだった。
「ねえ、半月前の晩餐の時に出た白身魚がハーブと塩で味付けされててレモンの皮と汁のアクセントが効いてる料理また出してよ」
「こんにちは夫人、ーーそれ気に入ったんですか?」
「そうよ。あとは赤身肉を何のソースか知らないけど果物の風味がするソースで絡めたステーキとトマトサラダ」
「それらの料理は味付けに少々特別な果物やハーブで作っておりますので毎日は...あとトマトと魚は旬というものがございまして...今でしたらトマトと魚は出せますが...」
「たまにでいいのよ、ああいうのはたまに食べるから特別感が出るんじゃない。数週間か数か月に1回か2回でいいの。とにかく今はあの白身魚が食べたいの。今日にしろとは言わないから早めにお願い」
「...そんなに気に入ったんですか?」
「でなければ仕事サボってまでここに来ないわよ。とにかくお願いね。食べたいのよ、あれ」
そういって去って行ったローレッタを見、ジェームズは献立の変更を考え始めた。料理長は一週間分の献立を考え、それを指示し、材料を買わせているから献立の急な変更は難しい。だが、正直ここまで食べたいと言われると料理人として誇らしい。どうにか材料を集めれば明日には出せるか、と考えて献立を変え、翌日に白身魚を出して、給仕人にローレッタの様子を尋ねると彼らは言った。
「とても美味しそうに食べてました。夫人はこの料理が好物なんですかね?あまりに美味しそうに食べるから他の皆様も会話を止めて見入ってましたよ」
「それはまた」
思わず吹き出したジェームズはとりあえず時期にもよるが2、3週間、あるいは数か月に一回は白身魚かトマトサラダを出してみるかと考えた。ステーキも。特別感を演出するのはなかなか楽しい。
それが今では「なんでもいい」と言われ、会話ついでに食事を食べ、美味しそうに食べているとも思えない。たまに残してくる。ジェームズの落胆は大きい。
彼にとってローレッタはこの家の夫人であるがそれ以上に自分の料理に敬意を持って楽しんでくれる客でもあった。
さて、このようにしてローレッタの対処と、由香子の侵入によって物語には名前も書かれなかった庭師や料理長にも名前が付き、自我を持ち始めた。
そして本来物語で語られることはなかったローレッタの詳細な言動も語られることになった。この話はどう進むのか。




